5-3 「俺の花火は暗ぇからよ」
「くそが!! やりやがったなぁぁっ!!」
ゴアは、床でのたうち回った。
ジャックは根本から引き抜いた右羽を持って、物珍し気に眺める。
ゴアの背中の右側は、広く、腰のほうまで引き裂かれていた。
「なるほど。オリハルコンか。にしては軽いな。羽みてえだ。いや、羽なんだが」
「返しやがれえええ!!」
「ボスの能力を吐けば返してやるって。名前を言わないともう片方もいただく」
ジャックとゴアはミラによって昇降機ダクトから救助された。
もっとも助かったのはジャックだけとも言える。
勿論ミラはゴアを床に引き上げることを拒んだ。ゴアに口を割らせることを条件に説得されたわけだ。
だがゴアは「わかった! 話すから!!」と言ったのを当然のように反故にしたため――。
こうして拷問の真っ最中だ。
「あのなぁ! 能力なんて知らねえよ! 名前だって知らねえんだ! 本当だ!」
「名前も知らん相手に仕えるのか? お前のパパか?」
「天上人に名前なんか要るかよ! 能力だって知らねえ! 見たこともねえ、頭のおかしい強さだ!」
「だからどう強いんだ。それを聞いてる」
ジャックは「手、抑えておけよ」とミラに告げると、ナイフを構え、ゴアの背中に馬乗りになる。
羽は既に開いている。閉じるほうは、開くときほどスピードも力もないようであった。
ミラは両方の踵でゴアの掌を床に押し当てている。魔術封じだ。
「わからんって! とにかく、あの人が触るとみんな消えちまう! いや、触る必要もねえ!」
「消える? 認識阻害か?」
ブフフ、と血を吐くような不敵な笑いをゴアは漏らした。
「悪ぃ。あんまりてめえの頭がおめでてえんで笑っちまった。そんなんじゃねえ。そんなんじゃねえよ。知ってどうするんだ」
「殺す」
「ブハァーッ! ダメだ! 我慢できねえ! こ、殺すだって? うっひっひっ」
ほんの一瞬だった。
一瞬だけ、ジャックが、冷静さを失った。
ゴアの背中に突きつけたナイフを逆手に握りなおす。
「冗談に聞こえたか? 見ろよ。普通じゃありえねえが、お前だって殺せるんだぞ」
「やれよぉ! そのナイフで、俺様を刺してみやがれ!」
ジャックが、ナイフを振り上げる。
ミラが「やめろ!」と言いかける。
そのときだ。
ゴアの床につけられた掌が、一瞬光った。
バンッ――と音がして、ミラが弾き飛ばされる。
ジャックはゴアの背中に乗ったまま、仰向けに天井へ激しく衝突し、すぐまた床へ落下した。
今日二度目だ。
舞い上がった埃が晴れても、ゴアは脱力したジャックの下敷きになったまま。
ジャックは動けず、呻く。
やがてゴアが這い出て来て、血を吐いた。
一度吐いて転がり、また起き上がっては吐く。
息を吸うこともできず、陸に打ち上げられたトビウオのようになっている。
ジャックは自分の腕を押さえて蹲っていた。
ナイフがひび割れた天井に突き刺さっている。
「ブアーーーッ! こっ……これだけは! やりたくなかった!」
ようやく呼吸を始めたゴアが、吠えるように叫ぶ。
自分の下の空気を破裂させた。
ゼェゼェヒィヒィと喘ぎながら、「魔術……不便なもんだぜ」と毒づく。
どうにか自分の羽を拾い上げると、壁を使って立ち上がる。
ミラは、その気迫に押されて後退った。
ゴアは血走った眼でミラを嫌らしく睨みつけ、続いて蹲ったままのジャックを睨んだ。
「そ……想像、してみやがれ。俺様の背中に乗って……たくさんの奴らが空を飛ぶんだ。ガキも、老い耄れも……。手前は……栄えあるその第一号。チ、『チケットは、お持ちですか?』」
ゴアはふらふらと歩き出した。
大窓のほうへ向かって。
「俺様は風さえ操る……。びゅーんびゅーん、右へ、左へ……海を越えて」
小さく歌いだす。
知らない言語だ。この国の歌ではない。
そうして大窓に達した。
「あのお方の……力が知りてえとか言ったな……見せてやるぜ」
バルコニーに出た。
ここはペントハウス。尖塔の天井そのものが巨大なバルコニーになっている。
東の海から朝陽が昇る。
水平に、垂直に、陽光が街の輪郭を輝かせてゆく。
その光は、ならず者も、死者も、魔物も、悪党も、その銀の羽をも平等に照らしだす。
「明るいなぁ……俺の花火は暗ぇからよ。こうでなきゃ、拝めやしねえ」
「何を……するつもりだ……」
「なぁに。爺は偽物掴まされたしなぁ。……ソウィユノも死んじまった。それも今夜は少々……派手にやり過ぎた。こうなっちゃよ、俺様も……ただじゃ済まんのだわ」
ゴアの背後で、ミラに支えられてジャックがようやく立ち上がる。
「そこで見ていろ! ……すぐ終わるからよ! 一発、ドーンと打ち下ろした花火で……この街は真っ黒な釜の底よ! 下町のほうは……なぁんも残らんだろうな!」
ゴアは、二人に対して掌を向ける。
その掌に、渦巻く闇が宿った。
ソウィユノと同じ、あの力だ。
「ぐふふふふ……。見えるか? これが」
と。
シュッと朝の空気が鳴って、鋭い剣が振り下ろされた。
ゴアの右腕が、肘のあたりで切断され、落ちた。
ばらばらになった腕輪が外れて、からからとバルコニーの上を転がる。
「――は?」
腕輪が一つ転がった先には、剣を振りぬいたノヴェルが立っていた。
バルコニーの死角に潜んでいたのだ。
――俺達がしくじれば、奴は必ず外に出る。逃げるためか、奴の計画の仕上げのためかだ。
ジャックはそう予見していたのだ。ならば、最後の安全策を置かない手はない。
「ゴア。これまでだ」
「な……なんだとぉ!? てめえ、俺様が生かしてやったんだぞ! てめえは! てめえの恩人に向かって」
肘から先を失った切断面からは、血ではなく、黒い煙がもうもうと立ち上っている。
ゴア自身の魔力が漏れ出るようである。
腕を切り落とされて尚、苦しむより怒り、猛々しい。
流石に勇者というべきか。
「お前はただ俺のところまで来れなかっただけだ」
「ぐ……そうだとしてだよ、てめえ、こんなことして、ただで済むと思ってんのかよ! 俺は勇者だぞ! 何にも学習してねぇな!」
残った左手を、そこに握った自らの羽ごと振り上げる。
振り上げるのがやっと。その姿に、かつての迫力はない。
ただ尊大な骨組みに殺意を塗り付けただけのハリボテだ。
振り下ろされた斬撃を、ノヴェルはひらりと躱す。彼の能力が高いのではない。勇者の剣が衰えているのだ。
「避けるんじゃねえ!」
ふらふらとした足取りで体勢を戻す。
叫ぶたびに内臓が軋み、鼻、目、耳から出血している。
この勇者は、事務的に殺戮を繰り返すマシーンから、怒りと憎悪で殺意をむき出しにする、こちら側の人間になった。
横から、ジャックが飛び込んできた。
「ノヴェル、そいつから離れろ!」
ジャックは全速力でゴアの脇腹に突進し、そのままバルコニーの手摺まで奴を押し出した。
ゴアの首元を掴んで、高々と持ち上げる。
ゴアの体は、もうバルコニーの手摺の外に出ていた。
眼下には傷ついた夜明けの街が広がる。
毎秒上りゆく太陽が、少しずつその闇を払ってゆく。
オリハルコン製の銀色の羽が眩しく朝日を反射する。かつて大空を飛んだ羽の片割れだ。
それは堕落した勇者を責め苛むようでもあり、癒すようでもあった。
「てめえ……俺様に……聞きたいことがあるんだろ……?」
「あったが、この腕を見ろよ……。震えてるだろ。俺の体も、限界でな……」
ジャックの腕が震える。
ゴアは床を探して、足先をそわそわと動かしたが、どこにも足場はない。
今や勇者は首元を掴まれて、顎を突き出したまま、眼をぎょろぎょろと動かすのみだ。
「ようやくだ。ようやく殺すに値する奴になった。お前は……」
「なんだよ……てめぇらなんなんだ。俺様に何の恨みが」
「お前こそ何だ? お前には大地に立つ資格も風を浴びる資格もない。生きる根拠がない」
「馬鹿が! 俺様に対して生意気な口を利くな! 大地? 風? それの何を知ってる!? 俺様は知っているぞ! あのお方に列する俺たちこそは」
「そうか。なら直接聞いてみるといい。……そういえばお前、片羽でも飛べるのか?」
試してみろ、と言って、ジャックは勇者を掴んだ手を、離した。
金物が擦れるような悲鳴が短く響いて、銀翼のゴアは尖塔のてっぺんから自由落下した。
ゴアは空中で、一度だけ身を捩って、見ようによってはその銀の羽で運命に逆らったようにも見えた。
だが結局は頭を石畳に叩きつけ、絶命した。
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