49.3 「地獄の果てまでぶっ飛ばしてやる」
『忘れたか! 腰抜けの弟よ! 我らの味わった地獄の苦しみを! 我らの誓いを!!』
激しくベッドを揺すりながら、ツインズ・オメガの右側が叫んだ。
かと思えば突然大人しくなって、左側が話し出す。
「――思い出そうにも、記憶の半分はあちら側にある。それでも不思議なものだ。ぼんやりと、陽炎のような輪郭は見えるかのようだ」
『やめろ! 下らぬことを! 無意味だ!』
その様子を見て「なるほど」とミハエラは頷いた。
「ツインズ・オメガの兄よ、あなたが恐れるものの正体は判りました。半生を振り返って、自分がその脳を、記憶を半分失ったことを実感するのが怖いのですね」
『――なにをたわけたことを』
「百九十年で得たもの、亡くしたもの。あなた方は、最後の七勇者の名を思い出せますか? あなたが誇る父アレスタの顔は? 母の顔はどうですか?」
『――無意味だと言っておろう! 過去など何の力も持たぬ! 力を持つのは未来だけである!』
「後半部分は賛成いたします。ですが前半部分は、本当でしょうか? あなたはご自分が何をしたいか、その理由を失っても目的を決して失わず叶えられると? 今もあなたは記憶が混乱し、的外れな怨念を抱いている可能性があるのでは?」
『あり得ぬ! 我らの怨念は、記憶よりも深くこの身に刻みつけられているのだ!』
ミハエラは、軽く首を振って立ち上がった。
「今日はここまでにしましょう。お話になりません。あなたもきっと、時間が経てば気付くはずです。あなた自身の恐ろしさに。あなたの左側――弟さんの方はきっともう気付いていらっしゃいますよ」
『貴様、小娘! 何のつもりで今更知った風な口を利く!』
「知りたいことは聞きました。充分です」
『満足か? 知ったところでどうにもできまい! 貴様らに明日などない!』
「いいえ。私は諦めてなどおりません。この国の皇女として。そして頼れる友人を、今、あなたの半身に向かわせております。彼は、必ずあなたを討ちます」
『魔力を持たぬあの子供か? それが何だ! 隠れていれば我らに敵うとでも!? 傷一つつけることはできぬ!!』
ミハエラは毅然と否定した。
「それは違います。彼にはフローライトのナイフ――大お祖母様の遺品を持たせてあります」
***
「ふ、フローライトのナイフ!? 国宝ですよ! なぜそんなものをノヴェル君が!?」
「さぁ。長いこと宮殿をふらふらしておったでな。どこからかくすねたのではあるまいか」
大賢者は光学系部品の微調整をしながら、そう言って笑った。
今すぐ照射を始めたとしても、ツインズ・オメガを完全に消失させるには十五分ないし二十分程度の連続照射が必要になる。
果たしてその間、ノヴェルにオメガを押さえ続けることができるだろうかと議論していたときだ。
ゾディアックは『ノヴェルの持っていたフローライトのナイフであればある程度は凌げるだろう』と発言したのだ。
ノートンはノヴェルの持ち物に気付いていなかった。
「あり得ません、皇室の人間以外があの宝物庫に入るなど――。こ、皇女陛下ですね!? 皇女陛下が、私やカーライルの目を逃れてそんなことを!?」
「そう騒ぐな。気が散る。必要ならまた作ってやるわい。どうせ望遠鏡のレンズを作った余りで拵えたものだ。それにわしがエンチャントしただけ」
「無理です! あれが貴重なのはアリシア様がお使いになられたからで――」
「鏡代わりにしとったわ」
フローライトは、レンズの原料になる鉱石だ。
加工がしやすく実に様々な光線をよく透過する。
通常、その脆さから武器に使用されることはなく金属で裏打ちしたそのナイフは、もっぱら鏡として利用されていたという。
それはあらゆる魔術を跳ね返し、切り裂く力を持っていた。
更に大賢者のエンチャントで最強の物理強度を持つことで、最初の勇者アリシアのお気に入りの武器となった。
それが宝具として伝わっていたからこそ、皇女はノヴェルの持っていたあの古い宿帳を調べて、すぐにそれが同じエンチャントを施したものだと気づいた。
あの宿帳は、ゾディアックの意図した通り過去と未来の架け橋となったのだ。
ノヴェルは今、最強の盾と最強の矛を持つ。
***
オレは、ツインズ・オメガの背後に立って手の汗を拭う。
姫様から預かったナイフを握り締めた。
奴がオレに気付く様子はない。
静かに息を吸うと、オレはナイフを振り上げた。
そして、一息にそれを振り下ろす――。
ナイフは恐ろしい切れ味で、オメガの胸を貫いた。
「ぐ――ウムッ、グッ――!」
オメガが呻く。
まるで人間のように。
刃渡りの長いナイフは体を貫通し、背凭れまで届いたようだった。
すぐにオレは通信機のスイッチを入れる。
「やったぞ!! オメガを刺した!! 今だ!! やれ!!」
『よくやった、ノヴェル。待ち焦がれたぞ』
懐かしいような、爺さんの声がした。
***
ポート・フィレム元老院庁舎に設営された三基の指向性アンテナが、ノヴェルの通信機の電波を受信する。
ロウとセスのチームが速やかに位置を算出、軌道からの予測値を含めて森の天文台にいるノートンに伝えた。
ノートンは現在地点を算出。
チャンバーレインとゾディアックが頷き、レバーを引いて望遠鏡の狙いを調整する。
座標はただちに変換される。ヨー角、ピッチ角、それと――。
「焦点距離はいかほどか?」
「距離!? ええと――お待ちを――浮遊要塞までは現在ここから三十一キロで――焦点距離は」
「距離は適当で構わんだろう! 撃ちながら調整するぞ!」
ゾディアックが渾身の力を籠め、最後のレバーを引く。
すると、望遠鏡が吸い上げた魔力が、一筋の太い光となって照射を開始する。
その光を、尖塔から見上げるジャックたち。
「始まったぞ!」
ジャックとミラは空を見上げた。
その太く、眩い光を。
光の束は焦点距離を変えながら、海上の大気で七色に拡散しつつも、迫りくる浮遊要塞に一直辺に向かう。
ノヴェルが生きていた知らせに飛び上がって喜んでいたサイラスとミーシャは、今は手を取り合ってその光を眺める。
尖塔の下では、バリィたちもそれを見ていた。住民の避難誘導を終えたのだ。
全員の願いを込めて、その光は浮遊要塞へ伸び――不可視の魔力となって、敵を討つ。
ポート・フィレムまで二十二キロ地点。
最終防衛地点まで、あとわずか二キロの地点であった。
***
魔力は見えなかった。
でも、奴の体に当たったことは判る。
奴に刺したばかりのナイフが白く輝き始めていた。
強烈な魔力の波に晒された奴の体は、表面から少しずつ削れ始める。
オレの目の前で――それがまるであの赤黒い砂のようになって、一方に向けて吹き飛んでゆくのだ。
「ぐぅぅぅ――ご、ご、ぐぅぅぅっ」
激しく呻くオメガ。
ベッドの上で藻掻き続けるが、オレの刺したナイフでピン止めされていて動けない。
まるで暴風が吹き荒れているようだ。
風なんて吹いてないのに、照射された魔力にバラけ、カーテンを巻き込んで細かく吹き飛んで行く様は、この部屋に暴風が吹き荒れているようにしか見えない。
オメガが――消失してゆく。
と、同時に厭な予感がして、オレは後ずさった。
オレの立っていた場所を――横から黒い蔦が掠めてゆく。
そこだけじゃない。見れば、吹き荒れる嵐にあの黒い蔦も加わりつつある。
蔦は、魔力の波に煽られサラサラと砂と吹き消えるものもあれば、耐えて鞭のように辺りを打ち壊すものもある。
そうして嵐は育ってゆく。その中心は、ベッドに磔られたオメガだ。
カーテンを切り裂き、天蓋を貫きながら、無数の蔦が奴を取り囲む。
(まだ――抵抗するつもりか)
――いいや。
奴は混乱しているんだ。
この異常な暴れ方がそれを示している。
奴もまさか、空の根城に虫けらのような子供が一人でやってきて、自分を昆虫標本のようにピン刺しするとは想像していなかっただろう。
でも所詮はラッキーパンチだ。考えても見ろ。こんな島を浮かべるような奴だぞ。ナイフ一本でそれほど抵抗できるわけがない。
現れては消える蔦。
蔦の嵐は今までの比じゃない。速度も数も、フラクタル次元を推定してどうこうできるレベルを超えていた。
それは奴のベッドを、その天蓋を細かくバラバラに切り裂いてゆく。
あまりの荒れようにオレが一歩ずつ後退すると、その足跡を蔦が鞭打ち、床を破壊する。
ベッドサイドのぬいぐるみは切り裂かれ、中から内臓を模したと思しきパーツが転がり出る。
勢いは嵐。
狙いはでたらめだ。
オレを狙うより、周囲のものを片っ端から壊す作戦に出た。
蔦の嵐の半径はどんどん大きくなって、オレは部屋の出口まで追いつめられた。
このまま逃げだしたいが。
――だめだ。オレの持ってる通信機が、奴の位置を示すマーカーなんだ。
ついに奴のベッドが崩壊した。
乱舞する蔦の下を抜けて、床を滑ってくる一本のナイフ。
オレはそれを拾う。
これは――抜けて弾かれたんだ。
オメガは自由になった。
部屋中に伸ばした蔦を、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らせ、その中心にある本体を持ち上げてゆく。
ツインズ・オメガ。
かなりの魔力を既に食らわせて、照射は更に続いているのに、奴はまだ動ける。
魔力には斑があった。オレにも見える。奴が一枚の布のように張り巡らせた蔦を見れば、穴の開き方で魔力の強弱が見える。
その隙を突いて蔦を伸ばし、破壊を続ける。
天守の高い石柱や、天井。そして壁と。
崩落を始める天井。
床の上を転がる、切断された円柱状の石柱。
壁も崩れ――クソ、もうめちゃくちゃだ。
「ノォォォヴェェェェェ――!!」
奴は吼えた。
オレだとバレている。
奴に見えない敵は、オレしかいないからだ。
「――ェェェェェル!!」
人とも獣とも違う咆哮。まるで天空から降り注ぐ大音量のノイズだ。
降り注ぐのはノイズだけじゃない。
天井が次々崩れ、残骸となって落ちてくる。
オレはそれを避けながら、柱の影に隠れた。
一刻も早くこの城から逃げたいけれど――今、マーカーがなくちゃ攻撃を続けられない。
――いっそ通信機を置いていくか? いや、だめだ。奴も外へ逃げるだろう。
オレが背中にした柱の上部が三つに切断され、落下してきた。
その陰から飛び出して避けたものの――円柱の残骸はただ崩れ落ちただけじゃなく、転がってオレを追ってくる。
オレは部屋の隅に逃げ込んだ。
もう逃げ場がない。
「オメガ!! もう終わりだ!!」
オレはそう叫んで――いない。
この状況で声を出すわけがない。オレはそこまで馬鹿じゃない。
声は部屋の別の隅のほうから聞こえた。
ツインズは、ミミズの群れのように蔦を纏めて伸ばし、瞬く間にその隅を破壊した。
跡形もない。
迂闊に声を出すとああいう目に遭うんだ。
「無駄だ! オレはお前の魔力炉を爆破してこの箱舟を落と――」
今度は別の壁のほうからだ。
繰り返すがオレじゃない。
――セブンシグマだ。
また蔦が束になって攻撃し壁に大穴が開いて、上部の岩が崩れる。
奴も適応している。ああして蔦を束にして繰り出せば、ごく短い時間なら魔力の波の中を進める。照射を受けても中央の何本かは届く。
「お前はここで消えるんだ!」
オメガはブラックホールを出した。
しかしそのブラックホールはとても小さく、すぐ虚空に消えてしまった。
――きっと弱っているんだ。
弱ってはいるが――このまま消し切れるかは判らない。
オメガは、アレスタの息子だ。爺さんたちが宇宙のヴォイドを封印するのに天文台を使ったことを知らないはずもない。
だからきっと自分が何をされているのかにも気付く。
でも――もしそうならとっくにここから逃げだしていそうなものだけど――。
記憶か。
奴の脳は二人の脳を半分にしてつなぎ合わせている。
もし失われたほうの脳にその記憶があったら、今目の前にいるオメガは、その歴史を知らない。
そのときだ。
急にオメガの崩壊が止まった。
奴の体から、炭屑のように後方へ流れゆくヴォイドが止まったのだ。
(おい――どうした!? 爺さん!)
すぐにでも小型通信機に向かって怒鳴りたいくらいだ。
もしや――もう惑星の魔力が尽きたのか?
***
オメガの要塞は、魔力照射開始から減速を続けた。
この時、浮遊要塞はポート・フィレムまであと八キロというところまで迫っていた。
上空六百メートルまで高度を下げ、時速は約二十キロ。
既に巨大な浮遊要塞がすぐ頭上にまで迫ったかのように錯覚するほどの距離だ。
「どうした! どうなっておるのだ、ノートン君!」
そ、それが――とノートンは焦る。
目標は不規則に減速しつつ移動する要塞の上だ。常に最新の位置をトレースし続けなくてはならない。
通信機を片手に、地図に無数の点を打ちながら、顔も上げずにノートンは答えた。
「ロウたちの報告によると、急にオメガが移動を始めたらしく――位置の推定ができなくなったと」
「どういうことだ。詳しく説明しなさい」
チャンバーレインにもそう詰め寄られ、リンを含む三人の女神たちも不安そうにこちらを見る。
ノートンは、通信機に向かって説明を求めた。
通信機の向こう――ポート・フィレムの庁舎最上階では、ロウとセスのチームが二基のアンテナの間で右往左往していた。
改良された指向性アンテナは等速回転を続けている。アンテナは三基あり、もう一基は地上だ。
『ロウ君! セス君! 状況はどうなっている! 信号が途絶えたのか?』
「いいえ、信号は来ているのですが――メーターの数値が暴れてしまって」
セスはそう応えた。
ポート・フィレムの庁舎は、ベリルの民王庁舎ほどの規模ではないが様式は似せられていて、比較的築浅のしっかりした建物だった。
設計図通りに作られており、つい先ほどまでは彼らの期待通りにノヴェルの正確な位置を測定できていた。
ロウは地図に無数の円を描き入れながら頭を掻きむしっている。
アンテナが受信する電波強度を示すメーターが、不定に動き続けていた。
最前まではそのピークが明確に表れていた。
今は不気味に、二つのピークを示している。
ロウの描く円は、少しずつズレながら地図上にどんどん増えてゆく。
「――位置の推定が不可能に――いえ、一意に定まらないのです!」
『定まらない? どういうことだね? 測定誤差か?』
「エラーではありません! 同等の強度の別の信号が――ノヴェル君の付近から発せられている可能性があります」
『なんだと――』
それは、最悪な事態を意味していた。
勇者が通信機を持っている。
ホワイトローズだ。
ペアリーズ市の広場と美術館での作戦中、ホワイトローズが通信機を使ったことは明白だった。それをまだ持っていたのだ。
こちらの思惑を知ってか知らずか、ホワイトローズが通信機のスイッチを入れてノヴェルに近づいている。
ロウたちの混乱と絶望が電波に乗って通信機から漏れてくるようだった。
ノートンは頭を抱える。
「ホワイトローズだ。奴がノイズ源だ」
「ノートン君。どうなっている」
「お兄ちゃんは――!?」
リンが胸にメダルを握り締め、心配そうに訊いた。
「ノヴェル君は無事と思われます。通信機の信号を捉えておりますので。しかしあの浮遊要塞に、もうひとつ別の電波源がありました。そのせいで位置を決定できなくなっています。おそらく原因は勇者・慈愛のホワイトローズ。二番目に最悪の事態です」
「周波数はどうだね。周波数で区別することはできぬか?」
「理論上は可能ですが、あの装置は電波強度式で位相式ではありません。今すぐというわけには」
モートガルドの後に重ねた改良で、反射に弱い位相式を外してしまっていた。
都市部を想定し、また電気魔術師でなくとも利用できるようにとの配慮だったが――。
「ホワイトローズを排除するしかありません――ジャック君、聞こえるか。今の話を聞いていたか」
『アグーン・ルーへの止まり木』尖塔では、ジャックたちがその緊迫したやりとりを聞いていた。
「――プランBってことだよな」
『そうだ』
「ノヴェルは無事だな?」
『そう考えられる。島の地形とすり合わせると、おそらく位置はディラック湖の中央、アレン=ドナ城北側のパレスだ』
ジャックは見上げた。
浮遊島は間もなくここに到達するだろう。
「オーケイ、ホワイトローズを排除する」
『やれるか?』
「やられなければな。遠ざければいいのか?」
『奴の通信機を壊せ。無理なら、ノヴェル君とここを結んだ直線から、八百メートル以上遠ざけてくれ』
生っちょろいこと言いやがるぜ、とミラは束ねた鉄のワイヤを肩に担いだ。
「八百メートル? 地獄の果てまでぶっ飛ばしてやる」
ジャックはそう応えると、組み立てていた愛用の狙撃銃を手に、立ち上がった。
次回更新は明日を予定しております。