45.5 「ノヴェル――泣かないで」
すべてはあまりに速く、唐突に始まってあっさりと終わってしまった。
死んだと思ったジャックがミラの陰から飛び出してから、時間にして一秒半かそれくらいだ。
その間――オレの時間の感覚は、またゆっくりになっていた。
飛び出してきたジャック。
それを追って動き出すミラ。
ツインズはそれぞれベータはミラを、アルファはオレを見てた。
つまりその瞬間――ツインズのどちらも、ジャックを見ていなかったのだ。
二人は互いに軌道を交差させ、それぞれベータを、アルファの背後を――内側から仕掛けた。
それに気づき、即座に反撃するツインズ。
高々と蔦を振り上げ、飛び込んできた二人を――。
一瞬にして真っ二つに斬り下ろした。
そこまでだ。
これが昨日立てた作戦の全貌だ。
このために、ツインズを引き合わせ、地上に落とし、ジャックとミラを含めて近すぎず遠すぎない位置になるのを待った。
オレの主観的時間は、ゆっくりになるどころか過去に戻る。
昨日の作戦会議――。
『――ここまでの手順はいいな? 奴らを引き合わせて、ブラックホール攻撃を使えなくさせる』
『ホワイトローズの奴はどうすんだよ』
『奴は防御も剣に頼る。ミラの魔術で光を曲げれば、こちらの攻撃を当てられるだろう。奴が自己修復する間、背後をとって羽交い絞めにしろ。体格のいい奴――ロウか?』
『承知しました。セス、援護を頼む』
『ホワイトローズを無力化したら、ツインズに電撃を食らわせて地面に落とせ。地面でなくともいい。斬りかかれるくらいの距離だ。ノートン、やれるか?』
『奴は電流を地面に逃そうとするだろう。私でなくとも簡単だ。部下に頼もう。私は死んだことになっているからね』
『そうだな、それがいい。ノートンは姿を見られるな』
『で、地面に落としたらどうする?』
『俺とミラが、飛び掛かって攻撃する――もしくは、その振りをする』
『振り?』
『奴らの蔦がある限り、こっちの攻撃は通らない。インターフェイスは意識不明。だから、同士討ちを狙う。ミラかリンか、光の魔術で幻影を見せれば狙えるはずだ』
作戦では――ツインズに切り裂かせるのは、ツインズ自身だ。
『本当に――上手く行くと思うか?』
『いかんよ。成功するまで何度もやるんだ。奴が油断したとき、混乱したときが本当のチャンスだ。最後の仕上げはその時』
そう言われても、オレには成功するイメージは湧かなかった。
オレは首を振ったのだ。
『無理だ。殺される。第一、いったいいつ光の魔術を使うんだ。そんな余裕があるか?』
『余裕は作るもんだ』
ジャックは二冊の本をテーブルに置いた。
一冊は宿帳。
もう一冊は――『カウンターバレー物語』だった。
今、切り裂かれてオレの前に舞い降る本のページ。
そのページには、びっしりと活字が並んでいた。
これは宿帳じゃない。蔦で切り裂かれたジャックの本は――『カウンターバレー物語』だ。
ミラの背中を守ったほうが、本物の宿帳だった。
『早い話が死んだふりだ。まぁ、やる機会がなけりゃそのほうがいいんだが――』
『待ってくれ。計画が杜撰だぞ! 聞き方を変える。お前とミラは、いつ、どこで幻影と入れ替わる? 物陰に隠れてとかできればいいけど、周りに何もなければどうするんだ』
『――いいや、最後の瞬間まで、幻影は出さない。生身でやる』
『だな。光魔術の幻影は、実体の動きをまんま映すだけだ。しかも見通しでしか使えねえ。さっきの官僚みてえにうまくいくとは思えねえ』
『最後の瞬間――それっていつだ?』
『アルファとベータが三メートルくらい離れて、それぞれ余所見した時だ。俺とミラが、それぞれアルファとベータの視線を散らす。俺とミラは、こう――交差するように動いて、奴らの内側に入り込む。その瞬間に、幻影を出して俺たちの位置を誤魔化す』
『奴らとあたいらの位置を入れ替える手もあるぜ。光を曲げるとかしてな』
『なるほど。だがそいつは状況によるな。状況を見て、ミラ、判断してくれ』
『さっきも訊いたけど――そんなにうまく行くか?』
『上手くいかせるんだよ。最悪死んだふりができれば、チャンスは絶対に回ってくる。どこで奴らに遭遇しようとも、今夜か明日、奴らの目的はそこの光の女神様になるからだ。結末が決まってる以上は――逆手に取るチャンスがある』
『――もし失敗したら……』
『しっかりしろガキ。光の魔術で奴らを同士討ちさせる――そもそもはてめえの言い出したことだろうが』
『オレがっていうか――これを考えたのはファンゲリヲンだ。あいつは、あの絵を通じてオレにこれを伝えたんだ』
同じものを見ているようでも実際は違う――ファンゲリヲンはそう言った。
オレたちは皆違う人間だからだ。
でもあの双子もそうか? ツインズは、自分の見たもの、兄弟の見たものを決して疑わないのでは?
だからオレはこの考えを話した。
鏡。ナイフ。林檎。光――空っぽの水差しは、たぶんオレのことだ。
すべては最後のその瞬間にたどり着くため。ディテールを詰めるパーツが、そこに至る道を繋いだ。
待ち伏せ、陽動、囮、死んだふり――。
そして。
ジャックは死んだふりに成功した。
ミラは倒れたジャックを隠しつつ、光の魔術で頭の後ろの様子を見て、機会を虎視眈々と狙っていた。
ツインズが最高の距離になった瞬間、ミラはそれをジャックに伝えた。
これだけの手数をもってしても、仕上げは『状況による』だ。
その作戦は――成功したのか、失敗したのか。
やっとオレの時間が元に戻る。
幻影が消える。
残ったジャックとミラの実体は、それぞれツインズの背後に立っていた。
ツインズは、自分たちの内側から飛び掛かってきたジャックとミラを斬ったつもりだった。
でもジャックとミラの実体は、本当はツインズの外側にいて――光の魔術がそれを逆に見せていた。
アルファが切り裂いたのはミラではなくベータだった。
ベータが切り裂いたのはジャックでなくアルファだった。
ドシャッと水っぽく厭な音を立て、真っ二つになって倒れたのは――アルファとベータだ。
オレたちは――勇者の指導者を殺したのだ。
***
「ああああああああああああっ!!」
静寂を破ったのは絶叫だった。
痛みを知らないはずのホワイトローズが、悲痛な声を上げて叫ぶ。
信じられないほどの力でオレの拘束を逃れ、四つん這いでツインズの亡骸に縋りつく。
「あああああああ~~~っ!!」
アルファの左半分――そしてベータの右半分を丁寧に抱きかかえ、まるで溢れそうなグラスの中身を決して零さないよう、そっと横たえる。
死体を整えているようだ。
立ち籠める血の匂い。
気分が悪い。
ツインズは、自らの蔦で、自らの分身を――互いに両断した。
頭の先から股の先まで。
オレたちの作戦は、成功しすぎるほどの大成功を収めたというのに、達成感はなかった。
やっと長い旅の終わりを迎え、安全な未来を手にしたというのに――嬉しいとも思わなかった。
ジャックは顔を顰めてその様子を見ていたが、自分の腹も裂けていることに気付いて急に慌てはじめた。
死んだふりのリアリティは伊達じゃなかったわけだ。
「ミラ、手当を頼む」
「お、おい、大丈夫か――?」
軽傷だ、とジャックは座り込む。
――終わった。
あとは、泣き叫ぶホワイトローズを殺せば、全てが終わる。
これでもう、ホワイトローズは自己修復できな――。
オレは気付いた。
奴の背後から、無数の黒い糸が伸びている。
アルファにも、ベータにも、そしてジャックにまでもだ。
糸はオレのところまで伸びてきて、オレは慌てて床の上を滑ってそれを逃れた。
「おい! ジャック! なんかまずいぞ! これって――」
ツインズはまだ完全に死んでいない。
邪悪はまだ生きている。
ジャックは、ハッとした顔をした。
悲壮な表情だった。
「だ、誰か――誰かその女を殺せ!!」
ジャックの叫びを合図に、ロウとセスが動いて魔術を撃った。
爆発が起きたが――大量の糸が壁のようになって魔術が届かない。
「くそっ!」
ミラが剣を拾って斬りかかる。
ホワイトローズはそれに掌を向け、魔術を撃った。
炎だ。
ミラは慌てて躱したが、それはロウの部下の足元に当たり、吹き抜けの回廊が崩れて下に落ちる。
「あああああ~~っ!!」
ホワイトローズが振り向く。
奴は、泣き叫んでいたのではなかった。
笑っていた。
狂ったような嬌声を上げて、笑っていたのだ。
「ああああああ!! これがあのヒトの! 中身! 胃! 腸! すてき!!」
殺せ! とジャックは動こうとするが、黒い糸はジャックをも捕えている。
「凄い! 信じられない! 百五十年以上も生きてるなんて信じられない!!」
ひとしきり叫ぶと、今度は急にうっとりと、ホワイトローズは冷静になった。
「最高じゃん。あたしの力って――たぶん、このためのもの」
奴は立ち上がって、天を仰いだ。
崩れた天井から漏れ来る光を両手いっぱいに浴びる。
背中の糸は、まるで黒い羽のように広がっていた。
『戦場の天使』がそこにいた。
その両羽は、二人のツインズの体をそれぞれ――接合している。
アルファの左側とベータの右側。
アルファの右側とベータの左側。
元の組み合わせと違う。
ヴォイドの神に汚染された、ツインズの半身同士が接合されている。
入れ替えだ。
――まさか。まさかまさかまさか。そんなことができるわけはない。
オレは頭を振って、最悪の想像を打ち消す。
想像力を殺せ。そんなことは、あるわけがないんだ。
でもそれはたしかに――そこに、聖痕のみを纏う純粋な闇を生み出そうとしているように見えた。
妨げるものはない。
魔術部隊の魔力も切れてしまったのだ。
「ノートンさん! ホワイトローズを止めてくれ!」
『やってみよう!』
天井を見ると、ノートンは再び『リオンの振り子』に飛びついた。
振り子の支点は、僅かに残った天井の桟が支えている。
ホワイトローズは何かを察したようだった。
背中の糸が何本もわらわらと同時に動いて、背中の剣を一斉に抜く。
それが振り子の腕を切断し、更に他の剣を何本も上へ投げつける。
天井の桟が崩れた。
『うあ――』
ノートンは吹き抜けの下まで落下し、激しく背中を打ち付けた。
眼鏡が飛ぶ。
彼はひとつ呻いたきり動かなくなった。
――くそっ。
オレは立ち上がって走った。
ホワイトローズを止められないなら、ツインズを奪うしかない。
オレは、周囲を威嚇しているホワイトローズの剣を避け、近づく。
ツインズの片方に取りついて、その片方の腕を引っ張る。
聖痕のないほうだった。
体が二つに分離するかと思いきや――ズズッと全身が動いた。もうほとんど接合されているのだ。
「ジャック! ダメだ! 間に合わない!」
ジャックも起き上がり、剣を拾って倒れているツインズに斬りかかる。
ガギン、と激しい音がしてジャックの剣が弾き飛ばされていた。
ホワイトローズが糸の先の剣で防いだのだ。
「――邪魔。邪魔とかやめて。そういうの、いいから。もう、いいから。無駄だから――」
オレは息を呑む。
むくりと、全身に聖痕を纏った、誰でもない男が半身を起こした。
髪以外は真っ黒だ。
――ばかな、とオレは呑んだ息を吐きそうになる。
こんなことあるはずがない。
いくらホワイトローズが天才的な外科技術で戦場で兵士のリファインを行っていようとも。
いくらツインズが双子であろうとも。
真っ二つになった二人の人間を、別々に繋げて新たな人間として蘇生させるなんて、そんなバカなことをできるわけが――。
混乱するオレをよそに、ホワイトローズは当たり前のようにその男の手を取って――。
「いきましょ」
そう言った。
誰でもない男は頷き、立ち上がる。
でもそのまま一歩たりとも歩こうとしない。右脳と左脳が混乱しているのか。
ホワイトローズは、新たに生まれた怪物をうっとりと眺め、両腕に抱えた。
そして背中の糸を蜘蛛の足のように器用に動かし、吹き抜けのホールを上に登ってゆく。
やがて二人は、光の向こうへと消えた。
この世の邪悪、新たな第一位と二位は、そうしてオレたちの手を逃れたのだ。
***
どれくらいそうしていただろうか。
「どうする――これから」
オレはすっかり傷の塞がったジャックに、力なく話しかける。
ジャックは精も魂も尽き果てたかのように、大の字になって転がっている。
「今は何も考えられん」
そうだろうな。
ミラは随分短くなった髪を気にしながら、背中から宿帳を取り出し、座り込んだ。
「まぁ、あたいらにしちゃよくやったよ」
ノートンも気づいたようで、弾かれたように起き上がった。
「お、おい! ツインズは!? ホワイトローズは、どこに行ったのだ!?」
ロウとセスが、申し訳なさそうな顔でノートンの傍に寄る。
三階から、リンがノートンの部下に連れられて降りてきた。
上へ逃げたリンは、そこで待機していたキュリオス・チームに匿われていたようだ。
リンは、オレの様子を見てひとまず安堵したようだ。
複雑な気分だ。
今日リンを守ることはできたが――囮のように使ったのも事実だ。
挙句、ツインズの片方をとり逃した。
それも――二人のツインズに分かれていたヴォイドの力を一つに合わせた形で――。
オレたちは何をしていたんだろう。
何をしてしまったんだろう。
オレもジャックのように転がった。
破壊された天井。
壊れた振り子。砕けた氷像。
ファンゲリヲンが守りたかった美術館も、こんなにしてしまった。
オレは泣けてきた。
妹の前で、さめざめと泣いた。
「ノヴェル――泣かないで」
「だって――オレ――頑張ったのに――何人も死んで、美術館だってこんなになって――」
ノヴェル、とリンがそっとオレの額に掌を置く。
そのとき。
「お……起こして……くれないか」
それまで聞いたことのない声がした。
首だけを起こして見ると、オレたちに交じって倒れたまま、天井を向けて手を挙げる男がいた。
その腕には、鎖状の火傷があった。
***
ブリタシア島北部、カレドネル自治領――ディラック湖。
そこに浮かぶ小舟には二人の男女の姿があった。
女は勇者・慈愛のホワイトローズ。
男には名がない。
二人はアレン=ドナ城を目指し、小舟を漕ぐ。
準備は整った。
残された勇者と、その指導者は――最後の旅に出る。
それは、惑星全部を巻き込み、全てを無に帰す旅になる。
第九章、完結です。
最終章でまたお会いしましょう。
ちょっと二週間くらいはかかると思いますので、ブクマなどしてお待ちくださいますと励みになります。
ではまた。