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第一章その6(東京都渋谷区南平台町)

 四月二十九日・昭和の日の朝。平日同様朝七時過ぎにリビングルームで目を覚ましたおれは洗面台で顔を洗うと自分の部屋に入って女の子の様子を窺う。


 一晩かけて肌の白さを取り戻した女の子は、すうすう穏やかな寝息を立てている。


 その寝姿に安堵したおれはキッチンに立つと炊飯器で米を炊き、その一部を一人用の土鍋に入れると多めの水とともに火にかけ、その間にレタスを洗い、トマトを切り、フライパンでベーコンと卵を焼く。


 すると物音で目が覚めたのか、おれの部屋のドアが開き、中から女の子が出てくる。


「おう、起きたか。腹減っただろう。粥を作ったから食うか……って、ちょっと待て!」


 女の子が昨日見た特殊な形状の下着と思しき何かに身を纏っただけの姿になっていることに気付いたおれは慌てて自分の部屋のカラーボックスからアンダーアーマーのTシャツとハーフパンツを取り出すと、電光石火の早業で彼女に着せる。体躯の小ささ故にTシャツはだぶだぶ、ハーフパンツはまるで七分丈だが、きょうだいのいない我が家には既に小さなサイズの服はなく、彼女に着せることができるのがこれくらいしか無かったのだ。


「で、まずはとにかくメシを食え。話はそれからだ」


 おれがテーブルに並べられた朝食に視線を移し、小さな土鍋が置かれた席を指さすと、女の子は黙ったまま椅子に腰を下ろす。そして土鍋に右手をかざし、小声でブツブツと何かをつぶやくと、おもむろに土鍋の蓋を開け、木の匙で粥をすくって口に運び始める。


 階段で行き倒れていたのを発見してからかれこれ十二時間以上経過し、本来であれば空腹である筈なのに彼女は子どもとは思えないほどの落ち着きを払いながら行儀よく粥を食べ、ハニージンジャーティーを飲んでいる。そして粥を残さず食べ終えると土鍋の蓋を閉め、今度は土鍋に左手をかざし、再び小声でブツブツと何かをつぶやいている。


「あのさぁ……食べるものも食べたところで訊きたいことが色々あるんだけど、お前さんは一体どこから来たんだ?」


 おれはこの状況であれば誰しもするであろう至極まっとうな質問を投げかけてみる。だが、彼女から発せられたのはあまりにも意外すぎる言葉だった。


「×××××、××××××……」


「は、はぁ?」


 おれは思わず自分の耳を疑う。


 彼女から発せられたのは日本語ではないどころか、少なくともおれが理解できる言語ではない。だが、透き通るような白い柔肌という見た目に限って判断すれば、少なくともアフリカ系やヒスパニック系ではないことは分かる。問題はこれからどうやって絞り込むかだ。


「What is your name? Where are you from?」


 英語の問いに彼女はきょとんとしている。英語圏ではないのか。


「你叫什么名字? 你来自哪里?」


 言語を変えてみるも、彼女はまったく反応しない。


「당신의 이름은 무엇입니까? 어느 나라 사람 이세요?」


 ダメ元でさらに言語を変えてみるが、彼女は黙ったままじっとおれの目を見つめるだけだ。


「となると、何人なんだよこいつは……って、臭っせぇっ!」


 すっかり忘れていた。昨晩ウェットティッシュで四肢と顔の汚れを拭ったとはいえ、こいつは鼻が曲げるような、酸味を連想させる臭いを発し続けていたんだった。


 おれは彼女の左腕を引っ張って風呂場に連れ込むと、一人風呂場から退出して折りたたみドアを閉める。


 リビングに戻ったおれはすぐさま窓を開けて回ると、おれの部屋に入り彼女が使っていたシーツと掛け布団のカバーを引っ剥がし、洗濯機が置かれている脱衣所へと戻る。


 しかしおれは足を踏み入れるや否や、思わず両手で抱えていたシーツと掛け布団を床に落としてしまう。


 なぜならおれの目の前には、全裸で液体洗剤まみれになり言葉にならない声を発しながら床の上に転がって四肢をばたつかせている幼女の姿があったからだ。


「ええいっ! 畜生! おれはロリコン野郎じゃない。おれはロリコン野郎じゃない……」


 腹をくくったおれは全裸の幼女を風呂場に連れ込んで腰掛けに座らせると、リモコンを操作して湯を張り、シャワーから四十度の湯を出して彼女の髪を洗い始める。


 いや、ちょっと待て。


 長い髪ってどうやって洗うんだ?


 おれは今までの人生の中で髪が長かった時期は一切ない。一瞬ミチに訊いてみようかとも思ったが、幼馴染として十数年にも及ぶ付き合いがありながら彼女に一度たりとも髪が長かった時期がなかったことを思い出す。いや、仮にミチが方法を知っていたとしてもこの状況をどうやって説明すればいいのだろうか。


「ええい、臭いと汚れを洗い流すのが最優先だ!」


 おれは液体洗剤まみれの幼女の身体をシャワーで洗い流すと、自分が普段使う三倍の量のシャンプーを手に取り、髪の毛の根元の部分から毛先に向かって徐々に洗い始めるが、よほど汚れが蓄積されていたのかなかなかシャンプーが泡立たない。


 それでも洗いとすすぎを繰り返し、まともに泡が立ち始めたのは五度目のことだった。


 髪を洗っている間、彼女は特に何かを言ったり、おれの行動を拒んだりすることなく、黙ったまま風呂場に備わっているリモコンやシャワー付混合水栓そして湯気を出しながら徐々に水位が上がっていくバスタブを興味深そうに見つめている。


 おれは彼女の長い髪にコンディショナーをつけてシャワーで軽く洗い流すと、脱衣所の引き出しの中にある使い捨てのヘアーキャップを彼女の頭に装着し、いつもよりも多めにボディソープを染み込ませたタオルで彼女の身体を洗い始める。


 最初は腕と背中を中心にこすっていたが、覚悟を決めたおれは彼女の腕を引っ張り上げて無理矢理立ち上がらせると、膨らみかけている胸や尻、大腿部につま先そして局部に至るまでゴシゴシと洗い上げ、シャワーで泡を流そうとした刹那、「ねぇ、いるの?」という声とともすりガラス越しに人型のシルエットが近付いてくる。


「ちょっと待て。今は来るな」


「何言ってるの? 小六までは一緒に入ってたじゃん」


「いや、そういう問題じゃなくて……」


 おれの制止もむなしくドアが全開し、ミチの両目の瞳孔に映り込んだのは、全裸の幼女とその幼女の身体を洗うおれの姿だった。

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