第三章その3(東京都渋谷区渋谷・道玄坂・桜丘町・宇田川町)
「ミチ、聞こえるか」
道玄坂の上空でおれはミチに向かって呼びかけてみる。
「うん。バッチリ。それにしてもよくボイスチャットとBluetoothヘッドセットで交信するなんてこと考えたよね」
「普通にスマートフォン使うと片手が塞がるだろ。あと、道路交通法違反だし」
「別に道路交通法に違反してなくても既にいろんな法律に引っかかってるとは思うけどね」
おれの右横にいるミチがおれに向かって木刀を高々と上げている。
今おれたちは渋谷上空を西に向き、メルとソフィを先頭にした三角形のフォーメーションで特殊部隊を迎え撃つ態勢を取っている。
すると、一分と経たないうちに西の空から空飛ぶ集団がやって来るのが見えてくる。しかも、まるで渡り鳥のようにV字型の統制された一糸乱れぬ隊列を組んで空気抵抗をなるべく低減させようとしているのが良く分かる。おそらく普段からよく訓練しているのだろう。
「シン君、相手は合計十六騎いるよ」
「分かった。今は相手の能力が分からないから様子を見ながら隙を見て攻撃をかけよう」
「うん」
おれは箒から手を離すと両手で木刀の束を握って先頭を飛ぶ相手を迎える。このスピードで突っ込んでくるなら、その勢いを利用してこの木刀で叩き落とすまでのことだ。
おれが全速力で先鋒に向かって木刀を振り上げたその刹那、ヘッドセットから「アイツ、何かブツブツ言ってる! 避けて!」という声が聞こえてくる。おれは咄嗟に箒を軸に一八〇度回転させて逆さまになった状態のまま特殊部隊と上下でニアミスすると、先頭の魔法使いの手から雷のようなものが発せられ、おれを直撃するはずだった雷は109ビルの尖塔部分とまだ完成間もない東急百貨店東横店の壁を貫き粉々に砕く。すると、ようやく上空の様子がおかしいと気付いた人々が一斉に各々のスマートフォンを取り出し動画の撮影を始めるが、急遽駆けつけた警官たちが人々を強制的に宮益坂方面と西武百貨店方面の二手に分けて誘導し始める。
その一方で雷を撃ち放った魔法兵の箒の動きが鈍りはじめ、やがて地上へとするする落ちていく。そしてスクランブル交差点の真ん中に着地するとすぐさま警官たちに囲まれ、あさってのほうに引きずり込まれていく。
「ミチ、助かったぞ。ありがとな」
「うん。これで分かったことがあるわね」
「ああ。今の流れで彼等はこの世界では魔力の充填ができないことを知ったと思う。これで彼等もおいそれとは魔法を使うことができなくなった。何しろ既に直線距離にして七十キロ以上、フォヴァロスの兵站からの分を含めれば軽く百キロ以上は飛んでいるんだからな」
仲間が墜ちていく姿を目の当たりにした魔法兵たちは一斉に剣を抜き始める。どうやら魔力をセーブするよう作戦を変更したらしい。だが、そんな彼等の前に立ちはだかるのは木刀を持った女剣士ソフィ・シグルーン大尉である。
彼女は箒の操作をメルに任せるといういわば『二人羽織』状態を強いられながらも一人、また一人と木刀で真剣を持った相手を次々と打ち落とし、ある者はQFRONTのガラスの壁面を突き破って書店の中へと突っ込み、またある者は高架を走る東京メトロ銀座線の車両とともに地下へと吸い込まれていく。
「うわぁ、まるでピンボールだな。『ボールがターゲットにヒットすれば何点』みたいな」
「シン君……それはあまり良い喩えじゃないよ」
ミチは少し呆れたような声色でおれを諭す。
「今のは悪い冗談だったな。兎に角おれたちはソフィをサポートするぞ」
「うんっ」
おれたちは再び魔法兵たちが飛び交う空に突入し、高層建築に慣れていない彼等を挑発してはいたずらに魔力を消耗させ、弱り切ったところで木刀をフルスイングしてはヒカリエや渋谷ストリームの窓ガラスに叩き込んだり、大型ビジョンに突っ込ませて自爆させたりする。
勝てる。このまま行けばおれたちは勝てるぞ。
そう思った刹那、突然ミチの箒が失速し、地面に向かって急降下を始める。
ミチの異変に気付いたおれは一旦魔法兵との戦いを切り上げると全速力でミチを追いかけ、そのまま彼女の胴体を掴み取る。すると、主を失った箒と木刀が地面に強く打ち付けられ粉々に砕け散る。
すんでのところで彼女をすくい上げることができたことにおれは安堵するが、おれたちが箒の上で互いに向き合いながら抱っこをしている状態であることに気付いた瞬間、おれの身体が一気に熱くなる。
おれはセルリアンタワーの屋上にあるヘリポートにミチを降ろすと、再び箒にまたがって空を飛ぼうと強く念じ始めるが、どんなに強く念じても箒はうんともすんとも言わなくなっていた。どうやらミチだけでなくおれの魔力もすっかりなくなってしまったらしい。
ふと周囲を見渡すと、ヘリポートの中心に立つおれたちを多くの警察官が取り囲んでいることに気付く。
「ねぇシン君。今までこーゆー経験したことないから分からないんだけど、三六〇度おまわりさんに囲まれたとき、一体どうすればいいと思う?」
背中合わせの状態でヘリポートの中心に立つおれに、ミチは背後から声を掛ける。
「そうだな。生憎おれもこういう経験は生まれて初めてなんだけど、まずは手に持っている木刀と箒をゆっくり丁寧に地面に置くことにするよ」
「うん」
おれはおもむろに箒と木刀を右側に置く。
「で、次は?」
「面と手拭いを外そうか。外すときはなるべくセクシーにな。髪が長かったら手拭いを外すときよりセクシーさが際立つんだけど、それは無理な相談だな」
「こんなときによくそんなふざけたことが言えるよね」
「ふざけてなんかいない。本当にそうだったらいいなって本気で思ってた」
「やっぱりシン君っておバカさんだよね」
「学年ビリの前生徒会長に言われたくねぇよ」
紐をほどき、面を外した瞬間、おれたちを囲む警官の半数以上が驚きの表情を浮かべている。
「みんなドン引きしてるじゃん。どーするの?」
「そりゃそうだろ。生まれて初めて箒で空飛ぶ奴らを見たんだからな。そういうときはあわてず騒がずおもむろに両手を挙げる」
「うん」
「そして彼等に向かってこう言う」
おれは大きく息を吸い込むと、彼等に向かって声高に言い放つ。
「おれたち丸腰なんで、くれぐれもお手柔らかにね」
数秒の静寂ののち、警官たちは「確保!」の合図とともに一斉におれたちに飛びかかり、『任意』とは名ばかりの任意同行を求めたのだった。
気がつけば、空には私たちふたりと最後の一騎以外誰もいなくなっていた。ついさっきまで一緒に戦ってくれたシン殿とミチ殿は一体どこに行ってしまったのだろう。我々三騎に対し精鋭部隊十六騎という圧倒的不利な状況の中、彼等はよく戦ってくれた。もし可能であれば職業軍人として我が王国軍に迎え入れたいくらいだ。だが、ふたりのことだし、ここはふたりが生まれ育った街なのだから何があってもきっと大丈夫だろう。
だから信じよう。ふたりのことを。
そして今、我が王国の生ける良心たる賢者であるメル様は魔法を使えぬ私に代わってあまり得意とは言えない箒にともにまたがり、まさに人馬一体となって東京の空を駆け抜けてくださった。
「メル様、お身体のほうは大丈夫ですか」
「そんなこと、君が気にする話ではない。それよりも目の前の敵に意識を集中しろ。足下をすくわれるぞ」
メル様の強気な言葉とは裏腹に、後ろで密着している私には手に取るように分かる。肩で息をしているメル様に限界が近づきつつあることを。
「それよりも、初めて呼んでくれたな」
「はい?」
私はメル様の言葉に首を傾げる。
「私のことをファーストネームでな」
「あっ、そう言えば……」
「いよいよ彼奴が来るぞ。気を引き締めろ」
「あっ、はい!」
「こういう形で君とは対峙したくなかったよ。ミス・シグルーン」
「何を言っているのだ。このような事態になったのは君たちが蒔いた種だろう」
「下を見てごらんよ。王都フォヴァロスを凌駕するほど栄華を極めたこの街も、ちょっと騒ぎが起きれば人っ子一人いなくなってしまう。私にとっては脆い張りぼてにしか見えないがね」
「そうか? 私には張りぼてにはは見えないがな。むしろ私は地に足付けて日々を生きる彼等を敵には回したくないね。ところで素朴な疑問なのだが、君たちはこんなバカなことをしたその先に何があると思ったんだ?」
「バカなこと……だと?」
イリハンは私たちを力強く睨み付け、そして続ける。
「お前も王国の軍人ならよく分かっているはずだろう! 新世界はおれたち王国の希望だ! その希望に貪欲になって何が悪いというのだ!」
「イリハン、貴様も分かっていないな。この国やこの世界は何千年にもわたって領土や資源に対する野心を露わにして血で血を塗るようなおイタを繰り返してきたのだ。そんな血塗られた歴史の上に生きている人たちに何もかも知らない私たちが勝てるわけがないだろう。私は無知というのがどんなに恐ろしいことか、この身をもって思い知ったよ」
「このバカ女! 調子乗ってんじゃねぇぞ!」
怒りを露わにしたイリハンが程度の低い貧弱な悪口とともに私たちに向かって襲いかからんとすると同時に私は以前シン殿と対峙したときの彼の動きを思い出す。
私はメル様に合図を送ると、シン殿から貰った木刀を振り上げ、イリハンに向かって一直線に彼のみぞおちを突いたのだった。




