第三章その2(東京都渋谷区南平台町)
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井の頭線神泉駅を降り、国道二四六号を渡ると間もなくおれが住むマンションが見えてくる。だが、そのエントランスの前に何やら黒っぽい物体が見えるなと思った刹那、何かの異常を感じ取ったのかメルとソフィが一斉にその物体の元へ駆け寄る。その穏やかではない様子に驚いたおれは同じく驚いた様子を隠そうとしないミチとともに二人を追いかけ、その物体の正体におれは唖然とする。なぜならそこにいたのは、兵站で見覚えのある手負いのエストザーク王国兵だったからだ。
「どうした! 一体何があった!」
ソフィは兵の上体を起こすと、軽く揺さぶりながら強く声を掛ける。
「シ……シグルーン大尉……申し上げます……本日未明女王陛下が軟禁され、少将スティラー卿率いる歩兵師団一万、メイジア少佐率いる騎兵大隊六百騎が隧道を抜け日本国領内に侵攻中にございます……」
兵は息も絶え絶えになりながらも力を振り絞ってメルとソフィへの報告を終えると、ガクッと力を落とす。
「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
「ソフィ、この人を上に」
「分かってる。一緒に上に運ぼう」
おれとソフィは兵の左右に立ち、彼を支えながらエレベーターへと向かう。
「ところで、この人はどうやってここが分かったの?」
「うむ。言葉で説明するには少々難しいのだが、私の見立てではこの兵はわずかながら魔力を有している。あくまで推測ではあるが、この兵は途中までは以前小隊が調査したルートをたどり、近くまで来たところで魔力を持つものが何もしなくでも放出する微弱な魔力がある方向を見極めてここまでたどり着いたと考えるのが妥当だろう。本来この世界には魔力はないからな。フォヴァロスにいるときと比べて私を見つけるのもそんなに難しい話ではないはずだ」
一緒にエレベーターに乗り込んだミチがメルに素朴な疑問をぶつけると、メルは自身の見立てを述べる。
五階に到着し、自宅に戻ったおれたちはすぐさま王国兵をソファに寝かせると、ソフィとミチは王国兵の装備を解き、傷口に消毒液を掛けてはタオルで拭き取り始める。
おれがテレビの電源を入れると、この時間はどの局も情報番組が放送されている時間というのもあってか七チャンネル以外のすべての放送局がヘリコプターやドローンを使って神奈川県丹沢山系の様子を生中継している。県道沿いのところどころから数多の火の手と煙が上がっているということは、川沿いにあるキャンプ場に建つ数多のコテージや集落が焼き討ちに遭ったのだろう。今おれの目の前で応急処置を受けているこの兵の移動時間を考えると、歩兵師団とはいえもうかなりの距離を稼いでいるはずだ。
畜生! おれは完全に油断していた。もたもたすれば近いうちにこんな日が来るのではないかと懸念していたが、よりにもよって東京に戻った次の日に挙兵してクーデターを起こすということは、彼等は前々から入念な準備をしていたことを意味する。昨日の会議であれだけ警告したにもかかわらずこのような超スピード展開で事が動いていることは即ち、彼等は最初から会議のことなど頭に無かったのだ。クソッタレ! どうしておれは先週兵站を訪れた段階でそこに子どもたちしかいなかったことに何の疑問も抱かなかったのだ!
「あっ、これは……」
ある局の丹沢湖・三保ダム付近を映し出した映像の中に、洪水吐と呼ばれる放流設備を中心に王国兵……いや、王国の指示系統を離脱した反乱兵がいたるところに小隊を展開している様子を窺うことができる。
「シン殿、ここは昨日バスとかいう大きな乗りものに乗ったときに見た、大きな堤で水を堰き止めて作った湖ではないのか?」
生まれて初めて見るテレビに驚きの表情を浮かべつつも、努めて冷静を装うソフィがおれに尋ねてくる。
「ああ。そんなところにあれだけの兵を配置するということは、もしかしたら……」
テレビの映像が空撮からスタジオに切り替わり、アナウンサーが東海道新幹線東京・名古屋間、東海道線国府津・熱海間、御殿場線全線といった鉄道の運転見合わせと、東名高速道路海老名JCT・御殿場IC間、新東名高速道路海老名南JCT・新御殿場IC間、小田原厚木道路全線の通行止と周辺の国道や県道の通行規制そして御殿場市や小田原市といった神奈川県西部の町や市に避難勧告が発せられたことを報じている。つまりこれは彼等の目論見を日本政府は既に理解しているということを意味する。
「あの大きな堤を破壊して、下流の街を根こそぎ洗い流すつもりだ」
もしそんなことが起きようものならただ単に神奈川県西部に壊滅的な被害が及ぼされるだけではない。ヒトとモノの流れが遮断され、長期にわたり日本の経済に大きなダメージが与えられることは必至だ。テレビでは急遽呼ばれたであろう軍事評論家が自衛隊史上初の防衛出動の可能性についてあれこれ述べているが、仮にそれができたとしても間接的とはいえ数十万人もの人々が人質となっている以上、おいそれと武力を行使することは難しいはずだ。それに映像という形で天を覆い尽くすような宇宙船から発せられるレーザー光線や東京湾に上陸する巨大怪獣の姿を目にしたスティラー卿やメイジア少佐も自分たちの持つ武器で日本政府とまともに戦おうと思うほど愚かではないことは昨日の会議で十分理解している。だからこそ彼等はこのようなゲリラ的な作戦に打って出たのだ。
だがおれは彼等の行動についてある違和感を抱いていた。いや、違和感というより何かが足りない感じだ。おれは昨日の会議の様子を脳内で反芻するとともに、メイジア少佐をエロジジイよばわりしたミチに対し、儀礼用のサーベルに手をかけたある男のことを思い出す。
「なあアンタ、イリハン大尉はこの企てに参加しているのか!」
おれは手当を受けている王国兵の両肩を掴み、強く揺さぶりをかける。
「うぐ……ああ……」
「ハッキリ言え! YesなのかNoなのか!」
「痛ぇ……あぁ……」
おれに掴まれた王国兵はうめき声を上げる。
「シン君、そんな強くしちゃ死んじゃうよ!」
おれの言葉に驚いた様子のミチがキッチンからすっ飛び、おれを王国兵から引き剥がす。
「悪い。だが教えてくれ。イリハンはいるのかいないのか!」
「い……る……」
王国兵は力を振り絞りおれへの問いに答えると、そのまま脱力する。
「分かった。もうこれで十分だ。あとはゆっくり休んでくれ。ソフィ、イリハン大尉というのは一体どういう奴なんだ?」
「ああ、彼は所属していた部隊こそ違うが私の同期で、その中でも出世頭といわれている男だ」
出世頭か。ということは、階級が同じソフィとはいわばライバル関係にあるということだし、彼女もまた軍では優秀と見做されているのだろう。
「だが魔力を持たない私は今、顧問官殿の護衛という尉官でありながら部下が一人もいないという微妙な立場である一方、あの男は未来の将官候補として軍から嘱望されている」
「ということは、逆に言えばあの男やあの男が率いる部隊の連中は皆、魔法か何かが使えるということなのか!」
「そうだ。彼が率いているのは二個飛行中隊……箒にまたがるエリート中のエリート――」
『ああっ、あれは一体何でしょうか! 山の北側から突如として複数の小さな飛行物体が見えています! すみません、もう少しドローンを近付けることは可能ですか?』
テレビのスピーカーから突如としてレポーターの絶叫が聞こえてくる。思わず画面に目をやると、未確認飛行物体に向かって徐々に近付いたドローンが、段々と近付いてくる箒にまたがった集団の映像を捉えるが、集団の先頭から発せられた光のようなものを浴びた刹那映像が乱れ、そのまま地上へと墜落して映像が途絶える。
となるとダムの占拠は陽動作戦で、本当の目的は魔力を使った特殊部隊による東京の制圧ということか。あの箒の速さならおそらく十数分で都心に到達するだろう。おれたちはこの有様を目の前にしてただただ指をくわえるしか術がないのか。
いや、待て。
もしかしたらおれたちにも事態収拾のために何かできるかも知れない。
「なぁメル。竹箒で空を飛ぶことはできるか?」
「竹箒か。王国には竹が無いので私は試したことはないが、他国で実用例があるからできなくはないと思う」
「分かった。ミチ、今から道着に着替えてスマートフォンとBluetoothヘッドセットを装着した上で防具と面をつけてくれ。おれも同じように準備する」
「ええっ、いきなり何をおっ始める気なの?」
「今は説明する暇はないんだ。王国を救うと思って言うとおりに動いてくれ」
「分かった。防具は家にあるからワタシの部屋で着替えてくるね」
「ああ。着替え終わったら一階の駐車場で待っていてくれ」
おれの指示に怪訝そうな表情を浮かべながらもミチは部屋を出て一旦自宅へと戻る。こんな支離滅裂にも見える指示に何の疑いもなくおれを信用して受け入れてくれるのは本当にありがたい。
おれもまた、自分の部屋のクローゼットから数ヶ月ぶりに道着を取り出し、消臭スプレーをかけながら防具を装着する。頭に手拭いを巻き、面を装着した瞬間、久しぶりにおれの身体が一気に引き締まる感覚を得る。
「メル、お前箒の二人乗りはできるか?」
「多少動きは鈍くなるができなくはない――って、箒なんてここにあるのか?」
「当たり前だろ。マンション管理の仕事をしてるんだから。さぁ、下に降りるぞ」
竹刀を持ったおれはメルやソフィとともに一階に降りると、駐車場で待機していた防具姿に竹刀を持ったミチと合流する。おれは倉庫から竹箒を三本取り出すと、メルとミチに一本ずつ手渡す。
「メル。箒で空を飛ぶのに必要最低限のことだけを教えてくれ」
「まさか君たちも空を……そうか。そういうことか」
「えっ、一体どんな話になっちゃってるの?」
一人だけ意味を理解していないミチが面の上にクエスチョンマークを立てている。
「メルによればどうやらおれとミチは自分自身に魔力を溜め込むことができる体質らしい」
「えぇーっ! どういうこと?」
「君たちと一緒にあの隧道に入ったとき、私のみならず君たちふたりの身体が青白く光ったのを見て、もしかしたらと思ったんだ」
「でも、ワタシ特に魔法らしい魔法を使った覚えはないんだけど。日曜朝のアニメの、ぬいぐるみみたいな生き物に言いくるめられて散々な目に遭う魔法少女みたいなやつとか……」
「なぁ、気付いてないのか。受験のときとか入学当初は講義中メガネをかけていたのにどうして今はかけてないんだ?」
「あっ、そう言えばメガネかけなくても遠くまで見渡せるようになったからいつの間にかかけなくなってた。無意識って恐ろしいなぁ! そう言うシン君は何かあったの?」
「動体視力が異常に発達してたのと肩がプロ野球選手並み――いや、それ以上に強くなってた。飛んでくる矢がまるでスローモーションのように見えて、あっさりと手づかみできるようになってたよ。時間もないから本題に戻ろう。メル、箒で空を飛ぶコツみたいなのはあるのか?」
「そうだな……強いて言うなら『飛べ』と念じるのはもちろんだが、上下左右そして前後にどう動くかを頭の中に強く描くんだ。あと一番大事なのは『箒に乗って空を飛ぶ』のではなく、『箒とともに空を飛ぶ』という意識を持ち続けることだな」
「うーん、分かったような分からないような……とにかくやってみるけど」
ミチは怪訝そうな表情のまま箒にまたがる。おれもまた箒にまたがり、メルとソフィは一本の箒にふたりでまたがっている。
「それでは、いくぞ」
メルの言葉におれたち三人はこくりと頷く。
まずは『飛べ』と念じる。
次にゆっくり上昇しろ、上昇しろと頭の中で思い描く。
すると箒に強い力がかかり、ゆっくりと垂直に上昇し始める。
ところが自分の全体重が股下にかかり、股間に痛みが走り始める。
そうか。『箒とともに空を飛ぶ』という意識を持つというのはこういうことがあるからなのか。
箒とともに自分自身の身体も浮かび上がれと念じると重力が分散し、次第に股間への痛みが和らいでいくのが分かる。そうか。そういう感じなのか。分かってきた。分かってきたぞ。
あたりを見渡すと、マンションの高さを超える地上十数メートルの高さで防具姿のミチそして後ろに木刀を持ったソフィを乗せたメルの姿が見える。
「いいか。この世界では魔力は消耗される一方で補充することはできない。だからくれぐれも無理はするな。私も魔力切れによる墜落を防ぐため、今から言葉の壁を越える魔法を解除する。君たちと言葉は通じなくなるが、我々の意思は一緒だ! 王国と日本国に刃を向けた馬鹿どもを成敗するぞ!」
「「「おーっ!」」」
おれたちは三本の木刀を高々に上げると、イリハン大尉率いる特殊部隊を迎え撃つべく一気に高度を上げたのだった。




