第二章その18(神奈川県足柄上郡山北町中川・玄倉)
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「ねぇ! 一体どーゆーことなの!」
控え室に戻ったミチは両手でおれの肩を握ると前後に強く揺らす。
「いやちょっと待て。違うんだ。誤解だ!」
「何が違うのよこのロリコン色欲魔! こんなに小っちゃくてカワイイメルちゃんにアンタ何をしたのよ!」
「別にお前が想像しているようなことなんかしてねぇよ!」
「ワタシが一体何の想像をしてるって言うのよ! 言ってみなさいよ!」
ミチはおれの身体を前後させるだけでは飽き足らず、右手でおれの胸倉を掴んでいる。
「エストザーク王国や周辺の国々では同じ釜の飯を食べ、同じ風呂に入り、そして同衾したら男女の契りを交わしたものと見做される。貴殿のことをメル殿がそんなに慕っていたとは、知らぬ事とは言え剣を向けてしまって申し訳なかった」
メルの秘書兼護衛役の女剣士ソフィ・シグルーンはミチに胸倉を掴まれているおれに向かって頭を下げるが、その言葉が火に油を注ぐこととなり、おれの胸倉を掴んだミチの右手にさらに強い力がかかる。
「話がややこしくなるからアンタはちょっと黙っててくれ。確かに一緒に風呂に入ったがコイツがあまりに臭かったからで、おれは着衣のままだ。それに同じベッドに入ったというのは『おれのベッドで勝手に眠った』という意味で同時に同じベッドに入ったという意味じゃない。コイツがいる間おれがリビングのソファで寝てたことを忘れたのか!」
おれは首を圧迫されつつもミチの身体にタップしながら辛うじて声を絞り出す。
「君は何をむきになっているのだミチ。私はシンと同じ飯を食べ、一糸纏わぬ姿もさらけ出したが、まだ女にしてもらった覚えはない。それとも、もしかしたら君たちは私よりも先に男女の契りを交わしたのか?」
「「交わしてない!」」「ってゆーかメルちゃんにそんな話は早い!」
いつの間にかおれを解放したミチと、ミチから開放されたおれはメルの問いに大きくかぶりを振ると同時にミチはメルを諫める。
「確かに私は男とまぐわったことはないが、それは君とて同じだろう。それに、ここまで話を意図的に誘導しなければこの案件は否決されるとともに最悪君たちは捕虜として捕らえられ、我が軍勢が日本国へ攻め入ることにもなりかねなかったのだ。とにかく、これから非常に忙しくなるだろうし、これからのことについて君たちから数多の知恵を借りなければなるまい。君たちには大いに期待しているぞ」
エストザーク王国王都フォヴァロス城下にあるメルの住まいである象牙の塔で一泊し、日曜の午後に『帰国の途』についたおれたち四人と引き続き東京に滞在することとなったメルとソフィは山北町の西丹沢ビジターセンターまでたどり着く。キャンパーや登山客たちの好奇の目にさらされながら、二トントラックで大学や自宅に送る荷物を集荷しにやって来た宅配便のお兄さんに荷物を引き渡し、山と渓谷には似合わぬローダー車にボディ全体がボコボコに凹み、ミラーやフォグランプ、テールランプが破壊され、フロントガラスが傷だらけになって日本の公道を走ることができなくなった大型SUVが手際よく積み込まれ、ベルトで動かないようしっかりと固定すると、宅配便と陸送業者のお兄さんはそれぞれ「それではお預かりします」と言い残してビジターセンターから去って行く。
「あの車、どうするんですか?」
ビジターセンター傍のベンチに腰を下ろしたおれは、隣に座る会長ことマーガレット・ワドルに尋ねる。
「ああ。ディーラーで修理できないから研究開発センターで修理することになると思う」
「ちなみにそのセンターってどこなんですか?」
「愛甲石田だ」
「何かすみません……って、案外近いですね」
「まぁそんなに謝るな。これは私がしたくてしたことだし、そもそも並行輸入車だからディーラーでは手に負えない代物だしな」
「ちなみに保険って使えるんですかね?」
「多分無理だろうな。異世界で事故った車の修理代を保険会社にクレームするわけにもいかないだろう。もし状況説明の段で保険会社にそんなことを言おうものなら彼等は車よりも先に私自身の修理を勧めてくるだろうからな」
「ホントすみません……」
「だから謝るなって。それより、これから君はどうするんだ?」
「『どうする』って、どう言う意味ですか?」
「ほら、幼女だけではなくもう一人増えてしまったじゃないか」
隣のベンチにはメルが座り、おれに買わせたアクエリアスを飲んでいる。傍では不満そうな表情を隠そうとしない秘書兼護衛役である女剣士ソフィ・シグルーンが立っているが、その理由として出発前にこの世界ではコスプレか何かと解釈されるであろうビキニアーマーからミチが部屋着として持ち込んだ高校時代の濃紺のジャージに無理矢理着替えさせられた上、本来彼女の左脇についていた剣を、日本の銃刀法に触れるという理由で象牙の塔に置いていく羽目になったからに他ならない。しかしその一方でジャージの丈夫さと伸縮性に驚いていたことから、案外慣れるのも時間の問題なのかも知れない。
「ねえねえ、もう少しでバス来るみたいだよ。このバスを逃したら今日はもう無いみたいだから、この時間に戻れて良かったよ」
バス停で時刻表を確認していたミチが小走りでベンチまで駆け寄り、その結果をおれと会長に報告する。
「そうか。ところでこの二人のアコモデーションはどうするつもりなんだ?」
会長は隣のベンチで佇んでいる二人の異世界人を一瞥する。
「結局はおれのマンションに連れて行くことになると思います。幸い部屋がひとつ空いてますし」
「いや、スペースの問題ではなく、親御さんはこのことを知っているのか?」
「実はメルと会ってからまだ親と顔を合わせてないんですよ。両親ともに多忙なんで、基本的に中学の頃からマンションの管理も任されてるんです」
「あっ、バスが来たよ!」
ミチが新松田駅からやって来る富士急行バスを指さしながら声を上げると、おれたちはおもむろに立ち上がり、バス停近くで転回するバスに近付く。『初来日』であるソフィもまた周囲をキョロキョロと見回しながらおれたちについていく。
十分ほどのインターバルののち、乗客はおれたちしかいないバスは沢沿いの県道を新松田駅に向かって走り始める。メルとソフィは自分たち以外に乗客がいないのをいいことに左右の一番前の席に座って暮れなずむ前方の景色を眺め、ミチはすぐ後ろの席で心配そうに二人の様子を窺っている。一方おれと会長は座席の最後部から三人の姿を俯瞰している。
「マコト。何というか、Suitableな発言ではないとは思うが、君は……優しいのだな」
「何言ってるんですか。基本的におれは自分さえ良ければいいって考えてますよ」
「嘘だな」
「どうしてそう思うんです?」
「君も見ただろう。フォヴァロス……だったか。あの街のようすを見れば分かる。あそこは、死に体のような街だったな。枢密院や元老院はちゃんと機能しているのか? それにメルは賢者なのだろう。彼女の知識や知恵が政策に反映されていなかったのか?」
「ええ。あの王国の臣民たちは本来であればする必要のない苦労と、受ける必要のない理不尽を強いられ、まるでそれを自身の運命であるかのようにそれらを受け入れていました。おそらくアイツらはこの状況を何とかしたいんだと思い、偶然発見したおれたちのいる世界に活路を見出したんだと思います。メルの話によれば枢密院顧問官や元老院議員たちは様々な既得権益を持っていて、アイツがどんな提言をしてもことごとく潰されてしまうそうです。そんな折、日本へ繋がるルートが偶然発見され、調査隊を派遣したことを変革のチャンスと捉え色々と動いていたみたいですが、多くを占める、好戦的な軍隊出身の顧問官たちを抑えることができず、それどころかアイツに無理難題を言って護衛であるソフィを付けることを禁じて東京へと送り込んだ。この道のりを考えたら死地へ追いやるようなものだったにもかかわらずですよ。政敵への粛正を試みた結果アイツがうちのマンションに転がり込んでホントいい迷惑ですよ」
「こんな愚策というか、失政がまかり通っていながら、どうして民衆たちは立ち上がらないんだ? 既得権益を享受している役人とか、贅の限りを尽くしている豪商とか、牙を剥く対象はいくらでもいると思うが」
「これはあくまでおれの推測ですけど……」
「続けてくれ」
「一種の『諦め』があると思うんですよ。自分みたいな力の無い存在が行動を起こしても何も変わらないとか、下手に動いたら却って悪化する可能性もあるとか」
「だったら彼等は最初から何も抵抗せずに諦めたと言うことか? 私はそうは思わないが」
「いや、最初はおそらく何らかの抵抗はしたと思うんですよ。だけども抵抗によって役人から嫌がらせを受けて不利益――具体的には裏切り者扱いされたり、ちょっとしたことで拘束されたり脅されたりすることによって、それが周囲の人々への見せしめになるじゃないですか。『逆らったらお前もこうなるんだぞ』みたいな。あと、それ以前の問題として日々の糧を得るために朝から晩まで仕事して、家に戻ったら家事をして――みたいに、日々の生活に忙殺されてしまうと、明日の自由より今日のメシのほうが重要になっちゃって、知らず知らずに思考が奪われているような気がするんですよね」
「そうか。ある意味あの国民たちは洗脳させられているというわけか。となるとかなり闇は深いな。で、そんな状況下で君は一体どんなことを企てているんだい?」
「ノーアイデアですよ。まったくもって何も考えついてません。まぁ、まずはどうやって日本の役人をおれたちの交渉のテーブルに引きずり込むかが課題なんでしょうけど、今の段階でメルやソフィと一緒に外務省とか内閣府に乗り込んでも『コスプレは他所でやってね』とか言われて追い返されるのがオチでしょうからね」
おれはため息をつきながら背もたれに寄りかかると、全身を大きく伸ばす。すると身体のいたるところからポキポキと骨が鳴る音が発せられる。
ひとまず枢密院顧問官顧問官たちの不安を煽るような映像を使って彼等を黙らせることはできたがその一方で、次の一手までの持ち時間があまり残されていないこともおれたちは理解している。果たして、次の一手はどう打つべきなのだろうか。
次回より第三章になります。




