第二章その12(東京都渋谷区猿楽町)
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「ほう、ここは書肆と……商店か何かか? 確かに『知』を売る店ではあるだろうが、わざわざ斯様な言い方をしたのだ?」
旧山手通り沿い。おれやミチが三月まで、会長が去年まで通っていた高校の並びに建つ二棟の直方体の建物を目にしたメルは素朴な疑問をぶつける。
「確かにこの建物の一階は書肆だが、二階は少々趣が変わっているんだ」
おれたちは建物の中に入り、高級万年筆の売り場を抜けるとエスカレーターに乗って二階を目指す。おれの後を追うメルは少し戸惑いの表情を見せながらも両足で跳躍して踏み板の上に飛び乗る。
「改めて思うが、乗るときよりも降りるときのほうが時機を合わせるのが難しいよな」
「そうか? おれはそんなことあまり考えたことはないが」
「それは君の場合、物心ついたときから動く階段に馴染んできたからだろう。それより、ここは一見すると書棚に数多の本が収められているように見えるが、よくよく近付いてみると収められているのはそれとは違う何かみたいだな。これは一体何だ?」
「この中にはDVDやブルーレイディスクと呼ばれている丸くて光る物体が収められ、そこには主にドラマや映画、アニメ……と言っても分からないか。簡単に言えば、芝居がそのまま動画……ええっと、『動く写真』で記録されていて、専用の装置でこれらの丸くて光る物体を読み取ることによってテレビジョンの中に芝居が再現される仕組みになっている」
「テレビジョンとは、我々の住まいの応接に立ててある黒い板状の物体で、玻璃の部分に絵や動く写真を出す仕掛けのある装置であろう? それではまるで小さな劇場――そうか。これで君の目論見が分かった。だが、君の考えをフォヴァロスで実現するには東京で同じことをするのに比べて少々大がかりになってしまうということだと睨んでいるのだが」
「まったくもってそのとおりだ。で、いい考えが浮かばないから一旦考えるのはやめてこうやってレンタルDVDのコーナーで作品を吟味しているというわけだ」
「なるほどな。何か考えようとすると、却って何も考えが浮かばないことは多々あるからな」
おれはメルと話をしながらフロアを縦横無尽に移動し、黒いプラスチックのバスケットに数多のディスクを入れていく。確かスマートフォンのアプリに旧作が一週間百円でレンタルできる割引クーポンがあったはずだから大した出費にはならないだろう。
メルとともにマンションに戻ったおれは、メルが風呂に入っている間にブルーレイディスクドライブをUSBケーブルで接続したノートPCを起動し、レンタルしてきたディスクに記録されている映像を同じくUSBケーブルで接続した外付けハードディスクドライブに取り込んでいく。個人として楽しむための複製ではないため、地球上では確実に著作権法違反であるが、これは別に地球人を対象に行っているのではないのだからセーフ――という屁理屈という名の謎理論を頭に描きながら流れ作業のように読み取りを終えたディスクを取り出し、新たなディスクを挿入する作業を繰り返した。おそらく作業そのものはノートPCを大学に持参し、空いている時間をうまく活用すればそんなに時間がかからず、金曜までには完成することだろう。ただ、これが役に立つのは山積する荷物をどうするかという問題を根本的に解決させることが前提なのだが。
「あれっ? 講義始まっちゃうけど大丈夫なの?」
金曜日の十二時五十分。カフェテリアで昼食を食べ終えるや否やノートPCを開いたおれにミチが怪訝そうな表情で尋ねてくる。
「三限は急遽休講になったんだ。せっかくだからこの時間を使って最後の仕上げをやっておきたい」
「そっか。ワタシは講義があるから行くけど、メルちゃんも一緒に来る? みんなメルちゃんが来るのを楽しみにしてるし」
「いや、悪いがちょっと行ってみたいところがあるんだ。明日フォヴァロスに戻る前に色々と気になることがあって、それを自分なりに調べてみたくなってな」
「大丈夫? 図書館までなら一緒に行ってあげようか?」
ミチの申し出にメルはゆっくりとかぶりを振る。
「それには及ばんよ。少なくともこのアカデミアに建つすべての建物の配置は把握したからな」
「へぇーっ、ワタシがまだ行ったことがない場所や、存在は知ってても中で何やってるかさっぱり分からない場所がたくさんあるのに……」
「何というか、君には色々思うところはあるがそれは一旦置いておくとして、おそらくこの世界の十五の刻より前には調べは終わるだろうから、またここに戻れば良いな」
「ああ」「うん」
おれはカフェテリアのテーブルで引き続き作業を続け、ミチとメルは各々の目的地へと向かうべく建物の外へと出て行った。
「で、行き着いた結果が『一人二往復』ってこと?」
「ああ、不本意だがマンパワーが足りないからな。仕方無えよ」
その日の夜。結局抜本的な解決策を思いつくことができなかったおれは、リビングに並ぶ四個の大型スーツケースとプロジェクター用スクリーンを目の前に小さくため息をつく。
大型スーツケースにはキャスターがついており、乗り降りするすべての駅にはエレベーターがあるため、電車やバスでこれらを運ぶことは辛うじて不可能ではないだろう。問題はバスの終点である西丹沢ビジターセンターから犬越路隧道までの道のりである。
県道へ移行される前提であったため舗装されているとはいえ、ほぼ登り坂しかないつづら折れの林道――しかもところどころに落石の痕があり、人通りもまったくなく、ほとんどメンテナンスされていないあの道を一人あたり二個の大型スーツケースとともに登っていくのはほぼ不可能であり、無理して二個いっぺんに運ぼうとした場合、キャスターが痛んでスーツケースそのものが使い物にならなくなったり、一瞬手を離した隙にスーツケースがゴロゴロ転がって勝手に拝借した大学の備品が谷底へと消えていったりする危険性があった。
そこでおれは苦肉の策としてミチとともに一人一個のスーツケースを途中まで運び、再び下に降りて各々でもうひとつのスーツケースを途中まで運ぶ――というやり方を繰り返して犬越路隧道を目指すことにしたのだ。




