第二章その11(東京都目黒区駒場・教養学部)
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翌月曜日の朝。夜明け前の薄暗い中、おれたちはソフィが手綱を引く荷馬車に乗り込み、メルの住まいである象牙の塔をあとにすると森の中にある隧道の入口でソフィと別れ、ミチそしてメルとともに中へと歩みを進め、『国境』の長いトンネルを抜けて日本に『入国』する。そして朝七時過ぎにビジターセンターを出発するバス、小田急線の快速急行そして井の頭線と乗り継ぎ、大学にあるカフェテリアに到着したのは午前十時少し前だった。
「で、どうするの? 五日後に枢密院議会が招集されて、そこで発表みたいなやつをやるんでしょ?」
ミチは朝食代わりのアップルパイとミルクティに手を付けながらおれに問いかけてくる。
「ざっくりとした考えはあることはあるんだけど、どうすれば彼等がおれたちの言うことを信じてくれるかというのがまったく見当がつかないよな。少なくとも顧問官たちに資料を配ってプレゼンするだけじゃ『嘘つけこの大法螺吹きめ! 引っ捕らえい!』みたいなことを言われるのは目に見えているし――」
おれは小さくため息をつくとブラックコーヒーを一口飲む。温かい液体が食道を経由し、空になった胃袋に注ぎ込まれるようすが手に取るように分かる。
分かっている。彼等の戦意を削ぎたいのであれば、この世界のオーバーテクノロジーぶりを嫌と言うほど見せつけ、ある程度の恐怖を植え付ければいい。だが、闇雲にテクノロジーを見せつければいいというものでもない。なぜなら彼等にとって最新テクノロジーと魔法は紙一重であり、彼等の中で『魔法』と定義されてしまったら恐れるに足らずとかえって変な自信を付ける結果となり何の意味もなくなってしまうからだ。
「シン、もしかしたら君は彼等に何を見せれば効果的なのかを考えているのか?」
「まぁ、そんなところだ」
メルは口元にショートケーキの生クリームを付け、首をかしげたままおれに尋ねてくる。今回彼女が帯同しているのは、枢密院でのプレゼンテーションのマテリアルづくりに参加してもらうためである。
「だったらこの世界の者たちを本気で怒らせるとどうなるかを知らしめるものを作ればいい。できれば言葉ではなく、あのジジイどもの五感に訴えかけるもののほうが印象も強く残るだろう。そうだ。以前君が見せてくれた調査団のようすのアレがあるだろう? 確かテレ何とか……そう、テレビジョンだ。あれを持って行って彼等に見せればいいだろう?」
今回メルがおれたちに同行したのは、おれとミチが作る資料に意見してもらうためだ。受け手である異世界の為政者たちが何を考え、何を信じ、何を畏れているのかを知った上で彼等の急所を突くようなものを見せつけることによって危機感を与え、パラダイムシフトを生み出さなければならないのだ。
「確かに、どこの馬の骨だか分からないような奴がやって来て、説教臭く押しつけがましい感じで主張しても反発されるのは必至だろうから、楽しみながら、時には面白おかしいものにしていつの間にか深層心理に刷り込まれているみたいな感じにするというのはうっすらと考えていて、それを実現するにはテレビは有効な手段だとは思うけど、議場の大きさを考えるとちょっとインパクトに欠けるしそもそも電気が無ければ……いや、待てよ。数時間だけであれば何とかなるか……」
「シン君、何をブツブツ言ってるの?」
「ちょっと大がかりになると思うけど、多分ここにあるやつをかき集めれば何とかなるかも知れないぞ」
「はあ?」
ミチはおれの言葉が意味不明と言わんばかりに首をかしげている。
「ええっと、アンプにスピーカー、プロジェクターにスクリーン……って、これを担いで持っていくの? 取扱説明書に書かれている情報によればスクリーンだけでも三〇キロはあるみたいだけど」
ミチは半分呆れながら台車を押すおれに声を掛ける。
月曜日の夕方。一旦自宅に戻り、段ボールやハンドキャリーを用意した上で大学の備品倉庫に忍び込んだおれとミチそしてメルは、今週いっぱい借りるだけと自分自身に言い訳しながら枢密院顧問官の招集に備え必要と思しき品々を次々と集めていく。
「この赤い物体は何だ?」
「小型発電機といって、電気を発生させるための装置だ。電気はもう分かるよな」
「ああ。目に見えるものではないから概念を理解するには少々難儀したが、雷や衣服の摩擦で起きる現象と同じで、その力を人為的に作り、金属を媒体として明かりを灯したり、料理を作ったり、テレビジョンを観たりするのだろう? 小型があるということは、大型もあるということか?」
「もちろん。海沿いや山あいにこの発電機の何万倍ものの規模のものがたくさんあるぞ。さすがに今は中に入るのは難しいと思うが、外から見る分には問題ないから今度時間ができたら外観を観に連れて行ってやるよ……って、意外と重たいなこれ」
おれはダンボールの中に小型発電機と空のガソリン携行缶を詰め込む。駅構内や電車の中にガソリンを持ち込むことはできないため、あとで新松田駅近くにガソリンスタンドがあるかどうか調べておかなくては。
「でもさぁ、あんな山道にこんなたくさん運べるの? あと二泊分の着替えとかも必要なんだよ」
「そこはまぁ……元体育会系ならではの気合いとガッツで乗り越えるとか?」
「いつもは屁理屈にも思えるほど結構ロジカルなことばかり言うくせに、珍しくそんなこと言うんだね」
「他に術がないからなぁ。おれもお前も免許持ってないし……ちょっと待て。お前おれのことそんな風に思ってたのか?」
「高校卒業したら免許取ろうとは思わなかったの?」
ミチはおれの問いには答えず、別の質問で返してくる。この女、さては図星だな。
「入学の準備もあったし、別に急いでなかったから夏休みになったら取ろうと思ってたから、こんなに早く必要な場面に出くわすとは思わなかったんだよ。って言うかその言葉そっくりそのまま返してやるよ」
「それよりもこれで全部揃った?」
「うん。これで全部だ。それより、あまり長居してると誰かが来て怪しまれるぞ」
おれはこくこくと首肯しながら持ち出すアイテムの数々をひとつひとつ確認すると、備品倉庫のドアを引いてミチやメルとともに廊下に出る。
「その誰かとは一体誰かな?」
台車とともに廊下に出た刹那、正確な発音の標準語で話しかける女性の声が聞こえてくる。おそるおそる振り返ると、そこには高校時代からの先輩であるマーガレット・ワドル元生徒会長と去年の春、クアラルンプールからこの大学にやって来たアイシャ・ビンティ・ハフィス先輩の姿があった。
「あ、あれ? きょ、今日はISWCじゃないんですね?」
「ああ、我々は別に四六時中あそこにいるわけではないぞ」
「そりゃそうですよね。講義受けなきゃいけないんだし……」
「ところで、こんなところで何をしていたんだい?」
「ええっと……」
「少々頼まれごとをしていたのだ」
言いよどんでいたおれに代わり、メルが会長に答える。
「頼まれごと?」
「運悪く少々人使いの荒い人物と出会ってしまってな。ただ言われたものを用意しただけで、これらの道具を一体何に使うのやら皆目見当がつかない」
「ああ、そうだ。アイシャ先輩! 実は見てもらいたいものがあるんですけど」
「えっ、なぁに?」
おれはバックから小さなビニール袋に入れた子どもの握りこぶし大の黄土色の石を取り出し、アイシャ先輩に手渡す。
「実はあるところで手に入れた石なんですけど、これが何なのかを知りたいんです。先輩って確か理系ですよね」
「うん。そうだけど、地質学は専門じゃないから詳しいことはよく分からないんだけどこれは……パッと見銅か何かが含まれているような気がするね」
「実は私も最初はそう思ったのだが、どうやら違うらしいのだ」
メルは少し残念そうな表情を浮かべながらアイシャ先輩に補足する。
「そうか……銅じゃないのか。あっ、そうだ。だったら一旦私でこの石を預からせて。本郷の地質学教室に同じマレーシアから来たポストグラデュエイトの先輩に訊いてみようか? どうせ明日行く用事があるし、先輩だったらたぶん分かると思うし」
「いいんですか? 助かります」
おれはアイシャ先輩に向かって頭を下げ、『悪魔の石』を彼女に託す。
「それじゃ、おれたちはこれを届けたらすぐにでも家に帰りますんで」
「ああ。気をつけて帰れよ」
「三人ともお疲れ様ね」
逃げるように二人のもとを去ったおれたちは、すぐさま駅から井の頭線の電車に乗り込む。だが、あれもこれもと選んだ結果恐ろしいほど荷物が増えてしまい、大学から家までなら何とかなるかも知れないが、丹沢のビジターセンターから隧道までの林道を歩ききるのは少々厳しいかも知れない。それどころか発電機と予備のガソリン携行缶にガソリンを給油するのだから確実にこれよりも重たくなるのだ。家に帰ったら運び方をある程度工夫する作業が必要になるだろう。おれは自宅マンションに戻るや否やクローゼットから大型スーツケースを引っ張り出してはみたもののそこから先は一向に進まず、まるで次の一手を長考する棋士の如く周囲に散らばるプロジェクターやミキサー、スピーカーをじっと腕を組みながら見つめている。
メルはそんなおれのようすをじっと腕を組みながら見つめている。
おそらくつい先ほどおれと別れて自宅に戻ったミチもまた同じようにまるでパズルのような荷物の並べ方に苦心していることだろう。
だめだ。何もアイディアが出てこない。
こういうときは梱包から一旦離れて別のことに取り組むことにしよう。
「メル、出かけるぞ。一緒に付き合え」
「出かけるって、一体どこに行くというのだ?」
「この近所だ」
「近所? 何かを売る店か何かにでもいくのか?」
メルは怪訝そうな表情でおれに尋ねる。
「ああ。あらゆる『知』を売る店だ」




