第二章その10(エストザーク王国・塩の台地・悪魔の山)
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「うわぁ、すっごーい。まるで大きな鏡みたいだ」
最初の目的地に到着するや否や、ミチは目の前に広がる風景に思わず声を上げながらスマートフォンで写真を撮り、おれもまた不覚にも息をのんでしまっている。
翌朝。スマートフォンの時計で七時前にソフィが手綱を引く荷馬車で象牙の塔を発ってから三時間ほど山道を登り続けると、目の前には遠く地平線まで続く真っ平らな台地が広がっている。
しかもただの真っ平らな台地ではない。そのほとんどは僅か数センチから十センチ程度の深さの水が冠水しており、まるで鏡のように青空と雲を映し出しているのだ。
そしておれたちがいる、水が干上がった部分のところどころにはいくつもの白い塚が等間隔に並んでいる。
「あれって、もしかして塩じゃないのか?」
「その通り。ここは海から離れていながら塩が採れるんだ。ここの住人はああやって小さな塚を作っては塩を乾燥させ、袋詰めしたものを時々王都フォヴァロスや他の町に行っては市場で売り現金収入を得て暮らしてるんだ。だがな……」
メルは少し寂しそうな顔をしながら話を続く。
「君たちの住む世界ではどうかは知らないが、この世界で塩なんてものは大して珍しい物ではない。広大な砂浜を持つ諸外国では巨大な塩田を整備して組織的に良質な塩を安く大量に生産しているから値段では完全に敵わなくて、安く買い叩かれまくっているという残念な状態が続いている。さりとて植物が育つような場所ではないから転作もままならないしな」
おれはメルにある質問を投げかけてみることにする。
「なぁ。ここだけの話、この塩の平原はどうやってできたんだと思う?」
おれの質問にメルの目の色が変わる。
「これはあくまで私の見立てに過ぎないが、大昔――それこそ数万年や数十万年前このあたりは遠浅の海で、王都フォヴァロスの沖あたりの水底よりもさらに地の下から水底が押し上げられ、大量の海水が残って台地の上にある巨大な塩の湖となり、やがてその湖も付近の土から溶け出す塩分そして徐々に干上がるようになるにつれ魚や生物が生きることができなくなるほど塩が濃くなり、そのまま斯様な真っ平らな台地ができた。今となっては時折降り注ぐ雨によって台地が空と同化している――といったところだろう」
「ああ、おそらくそうだろうな」
「君は私の考えを笑わないのだな。この国では多くの者が『むかしむかし巨大な鏡が欲しいという女神の我が儘により巨人をこき使って土を盛り、両手ですくった海の水を流し込みました。タダ働きをされ激怒した巨人はその土地に草の一本も生えぬよう呪いをかけましたとさ』みたいな話が最有力だと信じて疑わない。どうして君は私の話に同意したんだ?」
メルは意外だと言わんばかりの表情をおれに向けている。
「単純な話だ。おれたちの世界では少しでも神かそれに近い存在が関わっている言い伝えは疑ってかかれという考えが一般的だからだよ」
「なるほどな。それは言い得て妙だ。そろそろここは後にすることにして、次の場所へと向かうことにしよう」
メルは少しだけ機嫌良さげにソフィに向かって次の目的地に向かうよう指示する。おれたちを乗せた荷馬車はどこまでも続く鏡の上をただただ走り続けていた。
「何だかシャッター商店街を通り越してゴーストタウンって感じだよね」
ミチは気持ち悪いものを見たかのような表情のまま荷馬車の上からあたりを見渡している。
塩の台地を抜け、高度が少し下がった場所にその集落は存在していた。
集落には数十数件ものあばら屋や商店が建ってはいるが、そのいずれも窓や扉が固く閉ざされており、ここに人が住んでいるのかどうかも判断できかねるような状態である。
かつては何かで栄え、そして今は衰退して朽ち果てた町なのだろうか。
荷馬車は何の躊躇もなく集落の中の薄暗い横道に入り、しばし曲がりくねった山道を道なりに走っている。
ただ、山道とはいえど樹木の類いはほとんど自生しておらず、周囲の山々の一部が雑草で覆われている以外は赤茶けた山肌が露出しており、その山々の形状も左右非対称なものではなく、自然美とはほど遠い人工的に作られたような円錐の形をしている。
「なぁ、さっきの町といいこの山道といい、何だか気持ち悪いな」
「そういう感性は我々とあまり変わりないのだな」
「どういう意味だ?」
意味ありげなメルの言葉におれはその意味を質す。
「ここは俗に『悪魔の山』と呼ばれているからな」
「「悪魔?」」
「心配するな。名前こそ『悪魔の山』だが、別に悪魔が住んでいるわけではない。さぁ、もうすぐ着くぞ」
やがて荷馬車は周囲を円錐の山々に囲まれた開けた場所に到着する。
荷馬車から降りたおれたちはあたり一帯を一瞥する。
赤茶色の山肌に沿って建つ朽ちかけた木造の廃屋、途中で真っ二つに折れた石造りの煙突そして開けた場所の最奥に基礎だけが残る何かの建物の跡――。
「もしかしたらここは廃鉱……なのか?」
「廃鉱か……まぁ正解といえば正解だが、正しくは『廃鉱にすらなれなかった』とでも言うべきだろうか」
メルは力なく玉虫色の答えを返す。
彼女の言う『廃鉱にすらなれなかった』とは一体どういう意味なのだろうか。
おれはおそるおそる山肌に近付き、外から廃屋の中を覗き込む。
板張りの仕切りは崩れ落ち、もはや本来の目的が何なのかが分からない複数の金属片が転がり、椅子やテーブルには苔がむしている。
「ソフィ、LEDランタンを持ってきてくれるか」
「かしこまりました」
ソフィは馬車からLEDランタンを取って来るとメルに手渡す。
「少しだけ中に入ってみようか。是非君たちに見せたいものがあるんだ」
メルは何の躊躇もなく廃屋の中へと足を踏み入れ、おれ、ミチ、ソフィの順番で続く。
木造の廃屋はそのまま坑口へとつながっており、おれたちはメルを先頭に坑道を道なりに進んでいく。
坑口から十数分歩いただろうか。おれは坑内の構造にある違和感を覚える。
「なぁ、この坑道は一本道しか無いのか?」
おれが素朴な疑問をメルにぶつけると、前方から「ああ。あと十数ヤルドで行き止まりだ」という答えが返ってくると同時に『廃鉱にすらなれなかった』という言葉の意味を理解する。
おれがこの目で見た限りにおいて、この山には他の露天掘り以外の鉱山には必ずと言っていいほど存在する迷路のように複雑な縦坑や横坑というものが存在せず、おれたちが歩いている一キロメートルほどの真っ直ぐな坑道しか存在していない。つまり試掘まではしたものの、採算が合わないと判断されたか、掘っても掘っても何も出てこなかったという理由で採掘どころか試掘そのものが中止され、何年ものの月日が経過し今に至るという感じだろうか。
「そうか。周囲の円錐形の山々はボタ山だったのか」
「ねぇ、ボタ山って?」
「一言で言えば石捨て場のことだよ」
「イシステバ?」
ミチは頭上にクエスチョンマークを浮かべながら首をかしげている。
「鉱山って、そこに埋まっている石炭とか、金属や宝石を含んだ鉱石を採掘するためにあるだろ?」
「うん。それを工場――確か精錬所で金属を取り出すんだよね。小学校の修学旅行で行った足尾銅山で見たことがある……って言うかシン君も同じ班だったよね」
「同じ班だったか? 今それは本題じゃないからどうこう言わないけど、掘り出されるものの多くは資源として使えない岩や土砂だから、それを捨てる場所が必要になるだろ」
「ということは、掘り出した岩や土砂が積み重なってあんなに大きな山になっちゃったってこと?」
「ああ。だから日本にも九州北部や北海道の、昔炭鉱があったあたりにはこういう形の山が残っているんだ」
「じゃあさメルちゃん、この鉱山って何が取れたの?」
「残念ながら何も取れなかった。何も無かったんだ……」
メルはミチの問いに力なく答える。
「じゃあどうしてこんな大がかりな採掘なんかやってたの?」
「これは私が生まれるよりもだいぶ昔、何十年もの前の話だ。王国は昔も今も資源に乏しい農業国だが、一度だけ人々が慢性的な貧しさから抜けられるのではないかという淡い期待を抱いた時期があったのだ。それはこのあたりで銅の鉱脈が発見され、小規模ながらも試掘と精錬に成功したことから、数少ない新たな輸出産業として国中の注目を浴び、王国は国家予算の何倍もの金をかけて次々と採掘施設を建て、一攫千金の夢を見た若者が集まり、集まった若者相手の商売人や商売女が山あいの小さな町に集まり町は急速に発展していった。
ところがある時期を境に採れた銅鉱石から銅が精錬しにくくなるという原因不明の事態が頻発するようになり、ついにはまったく銅の精錬ができなくなってしまったのだ。
我が祖父を含めた国内外の知己を集めて原因を探っては見たものの、結局原因は分からぬまま銅山は閉鎖され、数十年もの間の利益を見込んで投資に投資を重ねた王国は多額の負債を抱えてしまったのだ。
それからというもの、人が消えた町は寂れ、この中途半端な銅山も朽ち果て、いつの間にか人々はこの場所を『悪魔の山』と呼ぶようになったのだ」
「悪魔、ねぇ……。なぁメル、その悪魔の石を一つおれにくれないかな」
「そんな石ころ、一体何に使うんだ?」
「まぁ、あくまで後学のためというか、サンプルだな。ここに来た記念みたいな」
「まったく君は変わった奴だな。まあいい。ソフィ、悪いがこの男にひとかけら採取してくれないか」
「御意にございますメルキオーレ様」
ソフィは懐から取り出したハンマーで岩石を叩き、その黄土色のかけらをおれに手渡す。
「それはそうと、帰りのバスに間に合うかな」
スマートフォン片手にミチがおれにたずねる。
「ビジターセンターを出る終バスが七時前だから……どう足掻いても間に合わないな」
「ねぇメルちゃん、お願いがあるんだけど」
「分かっている。もう一泊家に泊まっていくといい」




