第二章その8(エストザーク王国王都フォヴァロス・王国軍フォヴァロス兵站)
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「この子たちと少し話をしていいか? ミス・シグルーン」
「ソフィで構わない」
おれの問いに女剣士ソフィ・シグルーンはこくこくと頷きながら答える。
「そうか。ならばソフィ。改めて訊くが、この子たちと少し話をしていいか?」
「ああ。構わない」
闇市をあとにし、王都から少し離れた王国軍の兵站を訪れたおれたちは、木製の盾と矛で鍛練を積む、まだ年端も行かぬ子どもたちに近づくと、おれたちの姿に気付いた子どもたちが一斉に駆け寄ってくる。子どもたちの八割近くが男の子だが、中には女の子も交じっている。
「あっ、ソフィねえちゃんだ!」「ホントだ!」「バカ! たいいって呼ばないと怒られるぞ」「賢者様もいるぞ!」「でも、一緒にいる変な奴は誰なんだ?」「新世界から来た蛮族なのか?」
子どもたちは顔見知りと思しきメルとソフィに破顔するが、その一方でおれとミチへの警戒を緩めようとしない。
「この人たちは王国が呼んだ客人だ。この御仁は是非君たちのことを知りたいと言っているから答えてやってくれ」
「そっか。ソフィねぇちゃん……じゃなかった、たいいがそう言うなら仕方ねぇな。特別に答えてやるよ」
子どもたちの中のリーダー格と思しき男の子が前に出てソフィの求めを快諾する。
「君たちは、王国の兵士なのか?」
「ああ。まだ戦には出たことはないけど、いつでも前線に出られるようにこうやって鍛錬を重ねてるんだ。早く功名を挙げて上官になって、腹いっぱいメシを食うんだ! ねぇソフィ。前線で何人の首を刈ったら上官になれるの?」
男の子の穏やかではない質問に当のソフィは苦笑いをしている。
「歳はいくつだ?」
「年初でおれは十になった。他の奴らも九つとか十一とか、似たようなもんだ」
「えっ、まだ十歳なの!」
「いや、『年初で十』ということはおそらく数えで十歳なんだろうから、満年齢は八歳か九歳だよ」
驚きを隠そうとしないミチにおれは耳打ちで補足する。
「だったら学校には行ってないの? お父さんとお母さんは?」
「ガッコー? それって新世界の料理か? うまいのか?」「うちの親は隣国で出稼ぎしてる!」「仕事が無いからって昼間から安酒飲んで母ちゃん殴ってる!」「うちは炭鉱の事故で死んじゃって、借金あったから身売りするか軍に入るしかなかったんだよね。新兵だからタダみたいな報酬だけど、メシだけは肉や魚が三食食べられるしね」
「ええっと……、あの……その……だったら文字の読み書きとか、計算……数を数えたり、加えたり引いたりみたいなことは誰に教わってるの?」
子どもたちの想像を超える答えに面食らったと思しきミチは辛うじて違う質問をする。
「読み書き? 別に習ってないよ。こうやっておはなしできれば問題ないしね。字なんか読めなくても普通にやってけるよ」
子どもたちの言葉に信は、そう言えば街中や闇市でもあまり文字を見かけることがなかったことを思い出す。
「ケイサン? はよく分からないけど、数の数え方は整列して点呼するときに覚えたかな。間違えると上官にブン殴られるから嫌でも覚えるよ。一、二、三、五……」
「四が抜けてるだろうこのアホンダラ!」
「「「ハハハハハ……」」」
おそらく低い声色の『四が抜けてるだろうこのアホンダラ!』と、頭をピシャリと叩く動きは上官の物真似なのだろう。子どもたちはキャッキャと笑い声を上げるが、反応に困ったおれたちは口を真一文字にしたままただただその様子を見つめるしかなくなっていた。
「それでは、食べるとしようか」
「「いただきます」」
象牙の塔に戻り四人で夕食を囲う中、おれとミチの唱和をソフィが不思議そうな目で見ている。
「そう言えば君たちの家でも同じようなことをしていたな。それは宗教的な習慣か何かか?」
「うーん、それは半分正解かな? そう言えばどうしてなんだろう。子どものときからの習慣だったからよく考えたことはなかったけど」
メルの質問にミチは答えになっているのかなっていないのかよく分からない言葉を返す。
「今の言葉を補足するけど、食べるということは穿った見方をすれば生き物の命を奪い、その命を己の血や肉に変えていくということだ。『いただきます』には人間のために犠牲になった肉や魚のような動物のみならず、野菜や果物といった植物に対する感謝の意味が込められている。特におれたちのような日本人は同じ世界に住む他の民族と比べ食べ物に関するこだわりが強い傾向があるんだ」
「そうか。だから夕食づくりの手伝いを申し出たというわけだな」
メルはおれとミチの説明に納得したと言わんばかりの表情を見せると、湯通ししたキャベツに似た野菜を口にし、何らかの肉の骨から出汁を取ったスープをすする。実物はまだ見たことないが、できればスープとなったこの動物の生きているときの姿がグロテスクなものでなければいいな。だが、そのスープはおれがほのかに抱く恐怖すら軽く凌駕するほどコクがある。
ダイニングテーブルとチェアはおれの家にあるそれと比べて一回り以上も小さく、膝と腰にちょっとした負担がかかっているが、この国では特権階級であるメルの家の食卓にはたくさんの食べ物が並んでいる。この塔に独りで住むメルの食事は朝晩ここに通うソフィが作っており、これよりスマートフォンの時計で一時間ほど前、おれとミチはソフィに手伝うことを申し出たが、彼女は客人を働かせるわけにはいかないという理由でその申し出を断った。ならば調理の様子を見せて欲しいとリクエストしたところ、一階階段下にあるキッチン――言ってしまえば土間とかまどに連れて行かれ、手際よく数品の料理を作るソフィのようすをミチと二人で眺めていた。
電気がないため冷蔵庫や電子レンジといった白物家電はないが、昔の日本の家と異なるのは土間のかまどの横に井戸が掘られているため効率よく水汲みができるのと、その井戸も時代劇で見るつるべ井戸ではなく、手回しハンドルによる回転運動を利用したポンプにより水が汲み上げられる、おそらくこの世界において先進的なものであろう装置が備え付けられており、ソフィの話によれば案の定王城か貴族の屋敷といった高貴な家の厨房にしかしつらえていないのだという。
ソフィは手際よくライ麦で作られたと思しき黒いパンを何枚も薄くスライスし、何らかの肉の骨を寸胴に沈め、野菜を切り、塩漬けされた肉の塩抜きをしている。
「シン殿、ミチ殿。さっきは手伝わなくても良いといったが申し訳ない。悪いが外の給湯タンクのようすを見てはもらえぬだろうか」
「分かった。ちょっと見てくる」
給湯タンク? そんなものが存在するのか? おれとミチは一旦塔の外に出て裏手に回ると、そこにはおそらく防錆対策で建てられた小さな東屋によって護られた直径、高さともに一.五メートルほどの鋼鉄製の円筒形のタンクと、キッチンにあったものよりも直径が大きい手回しハンドルがついた井戸が並んでおり、タンクの一番上の部分と井戸が一本の鋼管で繋がっている。また、タンクの胴の部分からももう一本の鋼管が伸びており、そのまま塔の中へと続いているのが分かる。ここで熱せられたお湯が塔の中にあるキッチンや風呂場そして冬場は各部屋のラジエーターに送られるのだろう。
「ねぇ、底の方で何か燃えてるみたいだよ」
タンクの底は巨大なかまどのような構造になっており、ミチが指差した先では石炭が燃えている。
「どうやらソフィは水の補給ともっと薪をくべて欲しいと思ってるみたいだな」
おれとミチは東屋に積まれている石炭をかまどの中にくまなく投入すると、次に手回し式のハンドルのグリップを二人で握ってくるくると回す。すると、タンクの中から断続的にドボドボという反響音が聞こえてくるのが分かる。
「ねぇ、どこまで入れたら満タンなのかな?」
思った以上に重労働だと感じたのか、ミチは顔と腕を真っ赤にしている。
「そうだな。今のドボドボという音が分かるか?」
「う、うん。レの♯だね。ということは、音が低くなっていけば満タンに近付くってことだね」
「さすが絶対音感の持ち主だな。大変だろうけどさっさと終わらせようぜ」




