第二章その4(エストザーク王国・ヘサックの丘)
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「ったく、脅かすなよ……」
「ああよかった。変な人じゃなくてホント良かったよ……」
「人を散々待たせておいてその言い草はないだろう。暗い中、どれだけ待ったと思っているのだ。まずはこれを羽織って荷馬車に乗り込め」
メルはおれたちに黒い布のようなものを手渡す。
「これってあの時の黒装束じゃないか」
「いかにも。君たちとしては『まともな格好』で来たつもりかも知れないが、街中では悪目立ちする。ひとまずはこれを纏って誤魔化せ。心配するな。洗濯はしてある」
「アレが臭かったという自覚はあるんだな」
メルの言葉におれたちは黒装束に身を纏うと、事前に用意された小さな荷馬車の荷台に乗り込む。
「ねぇ、この格好すんごくダサダサなんだけど」
「そんなことおれに言うなよ。それにこの世界でおれたちは完全にアウェーだし、エストザーク王国のファッションセンスがどんなものかも分からない。だからひとまずはコイツの言うことを受け入れようぜ」
「うん……」
「何ゴチャゴチャ話してるんだ? 出発するぞ」
御者台で手綱を持ったメルが後ろの荷台に座るおれたちに声を掛ける。
「ああ。動かしていいぞ」
おれの合図とともにメルが手綱を打つと、暗闇の中を荷馬車がゆっくりと動き出す。
走り始めてから数分後に森を抜けると、数多の星が輝く満天の夜空が広がり、衛星と思しき上限の月のような大きな星が、眼前に広がる麦畑と少し離れた場所にある大きな入り江そして城壁に囲まれた王都フォヴァロスを件の衛星が放つ光でほんのりと照らしている風景が二人の視界に入る。そしていつの間にか荷馬車は麦畑に挟まれた砂利道に入り、徐々に王都フォヴァロスへと近付いていく。
「星が……違うな……」
「星が違う?」
まるでプラネタリウムにでも来たかのような満天の夜空を眺めながらボソリとつぶやくと、ミチがおれの言葉に反応する。
「正確な言い方をすれば、五月上旬の北半球の夜空じゃないんだ。別におれは天文学が専攻なわけじゃないけど、知ってる星座が一つも存在していない」
「もしかしてここはオーストラリアかニュージーランドだったみたいなオチ?」
「いや、南半球の星の配置でもないみたいだ」
「じゃあ、ワタシたちは空間のねじれか何かで違う惑星に来ちゃったってこと? だったら星の見え方が地球と違うのは当然なんだろうけど」
「ここが地球とよく似た惑星である可能性も捨てきれないけど、断定はできないと思う」
「どーして?」
「バタフライエフェクトって分かるか? 『ブラジルで一羽の蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起きる』みたいなやつ」
「うん。ほんの些細な出来事が因果関係の末にまったく違った結末を迎えるってやつでしょ。でもそれって『北京で蝶が羽化するとニューヨークでハリケーンが起きる』じゃなかった?」
「いや、喩えの細かい部分はどうだっていいんだ。ここが並行世界上の地球と仮定した場合、おれたちの住むほうの地球では小さな偶然が重なって産業革命や二度にわたる世界大戦そして戦後の経済成長にともなって今のような世界になったけど、この世界ではそれがまったく起きなかった、あるいは起きたとしても違う方向に転がっていったからあまり大きな変化が起きなかったという可能性がある」
「あっ、そう言えば普通に息はできてるけど空気ってどうなってるのかな? あと、この世界の一日ってワタシたちの世界の一日と同じなのかな?」
「それはおれも考えたけど、この惑星の空気や時間は若干の誤差はあるにせよ地球とほぼ同じと考えていいと思う」
「その根拠は?」
「まず、今おれたちは息苦しく感じてるか?」
「ううん。普通に息できてるよ」
「ああ。逆におれたちの世界にいるときのメルが息苦しそうにしていなかったしな。となると、ここの気体も地球同様七十八パーセント前後が窒素、二十一パーセント前後が酸素、残りが二酸化炭素にアルゴンやネオン、ヘリウムといった希ガスで構成されているとみていいだろう。次に一日の長さだけど、結論から言えばここに来てまだそんなに時間が経っていないからまだ分からない。だけど少なくともこの惑星の大きさも地球と同じか、無視していいほどの誤差しか無いよ」
「どうしてそう言い切れるの?」
「そうだな……。座ったままでいいから、おれたちが持ってきたトロリーケースをちょっと持ち上げてみな」
「う、うん……」
ミチは怪訝そうな表情で自分のトロリーケースを持ち上げる。
「で、それがどーしたの?」
「家で荷造りしていたときよりも軽かったか? それとも重たかったか?」
「う~ん、変わらないかな」
「そうだよな。それは惑星の中心から同じ距離にある地点の重力は、その惑星そのものの質量に比例するという前提でトロリーケースの重さが東京とここで変わらないのなら、大きさも、質量も、地球とほとんど変わらないということだ。地球では数十センチしか飛べない人間が直径で四分の一強、質量で八十一分の一しかない月に行くと数メートルもジャンプできるのと同じ論理だよ。あとトンネルの中にいるとき、風は吹いていたか?」
「いや、吹いてない。それどころか無風だった」
「そうだな。気体は気圧以外の条件が同じなら高い気圧から低い気圧へ流れる性質がある。なぁ、昔東京ドームへ野球を観に行ったことを覚えてるか?」
「うん。でもどうして野球の話?」
ミチは怪訝そうに首を傾げている。
「別に唐突に野球の話をするつもりはない。試合が終わって外に出るとき、強烈な追い風に押し出されてなかったか?」
「ああ、そうだった。あの時急に風が吹いてくるから前に転びそうになって……シン君が受け止めてくれたんだよね」
「いや違う。回転ドアから出た途端ミチがいきなりおれに激突してきて、そのまま馬乗りになっておれを潰したんだろ。記憶を捏造するな」
「えーっ、そうだったかな? ああ、そうか。東京ドームは空気で屋根を膨らませるために中の気圧を少し上げてるから、外に向かって空気が流れちゃうんだよね。となると二つの世界の間の気圧もほとんど変わらないってことか……。ワタシ、学校の勉強って一体何の役に立つんだろうって思ってただいたずらに暗記しまくってたけど、こーゆーところで使えるもんなんだね」
メルと落ち合ってからスマートフォンの時計で一時間半を過ぎた頃、荷馬車はようやく王都入口の門の前までたどり着くことができたが、あいにく門は固く閉ざされている。メルは手綱を引いて荷馬車を停めると、その場でおもむろに立ち上がる。
「某は枢密院顧問官、メルキオーレ・ワイズマンである。此度枢密院議会の命の一環により下男下女とともにヘサックの丘および聖なる森にて検見を行ない、本日の分を終えて帰還するものである。ゆえに、門を開けよ!」
メルは門の向こうにいると思しき誰かに向かって声をあげると、門のほうから閂を外すような音が聞こえるとともに、左右の門扉がゆっくりと内側へと開いていく。
門自体は開いたものの、門番と思しき二人の槍を持った哨戒兵が緊張したような面持ちのまま荷馬車に向かって駆け寄ってくる。
「×××××、×××××!」
「×××××××! ××××××××××?」
「すまない。閉門までに戻るつもりだったが、つい検見に夢中になってしまってな」
メルの言葉に哨戒兵たちは破顔する。
哨戒兵たちが現地語と思しき言葉で話し、メルが日本語で話しているように聞こえるのはおそらくメルがおれたちのために自身に言葉の壁を越える魔法か何かを用いたからなのだろう。
「××××、×××××××××××××××××?」
哨戒兵たちが黒装束を纏ったおれたちを一瞥しながらメルに話しかけている。語尾の発音が上がっているということは疑問形――おそらく自分たちが何者かを尋ねているのだろうとおれは推察する。
「彼等は私の下男下女で、調子に乗って聖なる森で少々痛い目に遭ったのだ。大目に見てやってくれ」
メルの言葉に哨戒兵は少し考える素振りを見せると、メルに向かってこくこくと首肯する。
「ご苦労だったな。寝ずの番、頑張ってくれたまえ」
哨戒兵たちの敬礼を合図にメルが手綱を打つと、荷馬車がゆっくりと動き出して門を通過すると、再び門が閉ざされ、閂がかけられる。
「ねぇねぇ、どうして街の中に入るのに門限なんかあるの?」
件のやり取りを不思議に思ったミチが素朴な疑問をぶつける。
「ああ。基本的に勅令状を持った役人や軍人以外は日没から日出まで出入りができない」
「そうじゃなくて、どうしてなのかって聞いてるの」
「防御のためだよ」
メルに代わっておれが答える。
「堀こそ無いみたいだけど、おそらく外敵から街を守るために戦があるたびに城壁が強固になって、今ではあれだけ高くなったんだろう。ここがどうなのかは分からないけど、中世ヨーロッパの要塞都市ではここと同じように夜襲を防ぐために夜は門を閉ざしてたんだ」
「どうして? 二十四時間営業すればいいじゃん」
「二十四時間営業は人的資源が揃ってはじめてできるんだ。どっかの牛丼チェーンみたいにワンオペツーオペでまともな人物の入国審査なんかやってる時に山賊や追い剥ぎ、いるかどうか分からないけどモンスターの類が共連れで中に入ってきたらすぐさま突破されて大変なことになりかねない。今でも都市部以外のアメリカとカナダの国境が夜に閉鎖されるのと同じ論理なんだろう。となれば本当なら土曜日の朝に来たほうが良かったか? もし理由がそうだとしたら、済まないことをした」
「君の推察はおおよそ合ってはいるが別に気にするな。あの哨戒兵たちは顔見知りでな。時折研究で日没を過ぎてしまったとき、こうやってこっそり開けてもらっているのだ。それに、君たちには少しでも長く、この国を見てもらいたいと思っている。となれば早朝に君たちの世界の都であるトウキョウを発つよりも前乗りしたほうが効率的というものだ」
「そうか。ならいいんだが」
「それにしても大したものだ。あの城壁と兵たちとのやり取りを見ただけでここまで考えを巡らせることができるとはな。君の言うとおり夜間の出入りを制限することによって他国の間諜やモンスター、クリーチャーの類の侵入を未然に防いでいるのだ。さぁ、着いたぞ。ここが代々賢者を輩出しているワイズマン家の邸宅、『象牙の塔』だ」
メルは手綱を引いて一旦荷馬車を停めると、慣れた手つきで馬を荷車から切り離して馬小屋へと連れて行く。
「本当に象牙のような形をしているなぁ……」
荷台から降りたおれは、月明かり――いや、この世界の衛星の光で青白く照らされ、天に向かって白い牙を向けている変わった建物を見上げながらつぶやく。
「我がワイズマン家が代々根城にしている屋敷と私的研究所を兼ねている建物だ。この象牙を模した奇抜な形は『知識は書のみに非ず。蟄居で実検はならず』という数代前の大賢者からの戒めが含まれているのだ」
おれの隣でメルは建物の由来を教える。
「なるほど。ご先祖様は皮肉屋だったということか」
「まぁ、君の言葉は強ち間違いではないかな。それより今日はもう遅い。寝る支度を整えて明日に備えよう。とにかく中に入りたまえ」
おれの指摘にメルは苦笑を浮かべながらドアを開けると、一定の間隔で壁に取り付けられた燭台の蝋燭に魔法で火を灯しながら二人を迎え入れる。
「うわぁ、まるで東急ハンズみたいね」
ミチは螺旋階段とスキップフロアを組み合わせた内部構造に思わず感嘆する。
象牙の塔は円弧型の部屋と半階分の階段が時計廻りで交互に繰り返され、象牙のような形状のため上に行くにしたがって部屋と階段は徐々に狭くなっていく。壁面にこしらえられた本棚には見たことがない文字で記された数多の書物や様々な道具、何かの液体が入っている硝子瓶等が収められ、円弧型の部屋のすべてに暖房用と思しきラジエーターが備わっており、下からそれぞれ三和土、応接間、客間、食堂、仕事部屋そしてロッキングチェアとベッドが置かれたメルのプライヴェート・スペースとしての役割が与えられていた。
「すっごーい! メルちゃんのお部屋、超カワイイ! ベッドもミニサイズだし椅子もメルちゃんのサイズだぁ! 見て見て! シン君、ここからお城見えるよ。すごいなぁ。海に面してるんだねぇ!」
ミチは最奥最上階のメルの部屋を見るなり興奮の色を隠すことなくそのすべてに食いつく。一方おれは中に入ってから何も言葉を発さぬまま、何かを確認するかのように建物の造りや備え付けられていたり、置かれていたりする様々な設備や家具、道具の類を見ながら階段を上がり、最上階へとたどり着くと、木枠に嵌められた分厚い窓硝子の向こうに城がそびえ立っているのが塔の上や壁の上に等間隔に置かれたかがり火によってうっすらと視認することができる。
「で、これからの予定はどうなってる?」
おれは仕事部屋のデスクチェアに座るメルに声をかける。デスクの上には見たことがない文字で記された数多の書物が積まれ、亜麻紙には傍にある羽根ペンでしたためられたと思しき書きかけの文章が並んでいる。
「ああ。明日は王城の枢密院を皮切りに中心部に立つ市を二つ回ってからここから一番近い王国の兵站を見てもらおうと思って手筈を整えている。ただ、道すがらで我々にとっては当たり前でも、君たちが何かしら興味を引く事柄にも出くわすだろうから、明後日の行き先は君たちの要望をもとに明日考えることにしよう。それで異存は無いか?」
「ああ。それで構わない」
メルの提案におれは首肯しながら答える。
「なら今日は明日に備えて寝るとするか。寝床ならかつて家人が使っていたものを引っ張り出せばいいだろう。悪いが出すのを手伝ってくれるか?」




