第一章その1(東京都渋谷区南平台町)
『続いては、連日のように姿を現わす《あの集団》の話題です』
『突如として神奈川県内を起点に、夜中に国道二四六号を練り歩いては朝にはその姿を消す黒いローブに身を纏った仮面の集団が今夜は川崎市高津区の溝口付近にあらわれ、いよいよ多摩川に架かる新二子橋を越えて東京都に入り、引き続き国号二四六号を東に渋谷方面へゆっくりと、そして確実にその歩みを進めています』
話題の転換を意味する、ニュース・アンカーが発する短いフレーズとサウンドステッカーとともに映像がスタジオから中継先に切り替わり、テレビ局の記者が新二子橋の車道を渡る黒いローブの集団をバックに彼等の一挙手一投足を報じている。
『連日のように深夜にあらわれ、明け方には忽然と姿を消す黒いローブの集団が初めて神奈川県山北町の山中で確認されてから約一ヶ月。丹沢湖畔を経由したのち国道二四六号に入ると徐々に東へと移動し、明日から明後日にかけて三軒茶屋から三宿、池尻大橋を経由して渋谷付近を、来週前半には赤坂あるいは溜池付近に到達するものと思われます。なお、この集団は警察や我々報道陣の呼びかけには一切答えず、どこからともなく夜九時前後に昨日の到達点にあらわれ、夜明け前に姿を消すという行為を繰り返すだけで、今のところ代表者からいかなる声明は発表されておらず、現在もなお、この団体の素性や目的は一切明らかとなっておりません』
『ではここで、現場からのレポートです。貫井さん?』
最初の中継が終わり、画面が一旦スタジオに切り替わると、ニュース・アンカーは貫井なる中継先の報道記者を呼び出す。
『はい。私は今、都県境を越えて東京都に入った黒いローブの集団が歩いております国道二四六号沿いの東急田園都市線・大井町線二子玉川駅付近におります。警戒する警察官そして彼等を一目見ようと集まってきた野次馬で埋め尽くされている中、黒いローブの集団は車道の左側を一般的な歩行速度とされる時速四キロよりも若干遅いスピードで移動を続けています』
『貫井さん、黒いローブの集団は特定の宗教団体や政治団体との繋がりを指摘する声もあるようですが、そのあたりはどのようになっているのでしょうか?』
ニュース・アンカーが画面右下のワイプから貫井記者に質問を投げかける。
「……はい。主要な新興宗教団体はいずれもウェブサイトやTwitterといったインターネット上や広報を通じて黒いローブの集団との関係を否定しており、声明を発表していない団体もYNNの取材に対し、集団との関与を認めていません』
『では、経路を管轄している警視庁および神奈川県警はどのような動きを取っているのでしょうか?』
『関係筋によれば、警察は車道ではなく歩道を通行するよう誘導しようとしているものの、人数が多いためままならない状態となっており、しかも黒いローブの集団は徒歩にて少しずつ移動していることから道路交通法に基づく道路占有にあたらないため、今のところは静観するしかない状況のようです』
『貫井さん、ありがとうございました。ということで、この問題について日本報道通信の羽沢論説委員にお越し頂いております。羽沢さん、結局のところ彼等は何を伝えようとしているのでしょうか?』
『現在のところ彼等は一切の声明や主張、あるいは何らかの意思表示を行なっていないため――』
「ねえねえシン君っ。今二子玉川を通ってるってことは、朝までには用賀あたりに着くだろうから明日の夜にはこの辺を通るってことだよね。一緒に見に行こうよ!」
幼馴染の倉永花はテレビ画面を指差しながらおれに声をかける。
「ダメだ。先月『この時期に業者テストがE判定だったから何とかしてくれ』って泣きついてきたのはミチのほうだろ。それに、今のおれたちにそんな時間なんて無いどころか一日が三十時間あったとしても足りない状態ってことぐらい自覚しろよ」
おれはミチの誘いを一蹴しながら第一志望の過去問を解いている。
「えーっ! ここ一ヶ月毎日のようにシン君の家で受験勉強に勤しんでたんだからちょっとぐらい息抜きしたっていいでしょ! こんな面白……じゃなかった、貴重な機会なんて滅多に無いよ!」
数学の問題を中断したミチは授業中や勉強中のときのみかけている眼鏡を外しながらおれへの説得を試みる。
「うーん……。確かにミチの言うとおり黒いローブを纏った集団が国道二四六号を練り歩くなんていうシュールな状況は滅多に無いよな」
「だったら……」
曇りかけたミチの表情がみるみるうちに明るくなっていく。しかし――。
「受験勉強して少しでも合格に近付くか、黒ローブ集団を観て無駄な時間を過ごすのか、どっちを選ぶんだ?」
過去問に目を通したままミチのほうを見ることなく彼女の言い分をあっさり論破したおれは引き続き解答の記入に勤しんでいる。
「うぐぅ……。おにー! あくまー! 仕事と自分を選ばせる面倒臭い彼女じゃないんだからぁ! この成績成金!」
何でも思い通りにできるというそのふざけた幻想をぶち殺されたミチが必死に食い下がるが、おれは心を鬼にして彼女の分かりにくい喩えを用いた抗議を無視する。
「何とでも言え。さっきも言ったがそんな寝言は業者テストでA判定を取ってから言うんだな。それにおれはおばさんにもちょっと目を離すとすぐ『息抜き』を始めるからお前を監視してくれって頼まれているしな。あと、『成績成金』ってどういう意味だ?」
「もともと成績なんかワタシと似たり寄ったりだったくせに中二の年度末テストからいきなり高得点を連発しまくるからさぁ……」
「いつの頃の話をしてるんだよ。それに、成績が上がる前の時点でもお前の成績より良かったけどな」
「ああんもぅ、悔しいっ! 試合だったら絶対負けないのにぃ!」
耳が出るほど短い髪型のミチは頭を抱えながら両足をばたつかせている。
大学入試センター試験まであと一ヶ月半。おれは数学の証明問題にミチが記した『ABとCDは定規で測ったら長さが同じだったので等しい』という衝撃的な解答にため息をつくと、解説兼説教タイムに突入したのだった。