第二章その2(東京都目黒区駒場・ISWC)
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「おおっ、また会ったなカワイイ幼女よ。さっ、再会を祝しておねーさんとほっぺたすりすりしよう!」
「うわっ! やめろっ! 何をするっ!」
翌朝。再開された大学のウェルフェア・センターを訪れたおれたちだったが、自称英国貴族の血を引く南アフリカ人の元生徒会長マーガレット・ワドルはメルの姿を見るや嫌がる彼女を持ち上げ、否応なしに互いの頬をすり合わせる。
「で、早速本題なんですけど、実は今週いっぱいまでこいつを預かることになってしまいましてなるべく図書館とかで大人しくさせますから、おれたちが講義を受けている間、こいつもここに居させてやってくれませんか?」
おれはダメ元で会長に伺いを立てる。すると会長はゆっくりとメルを地面に降ろすと、最奥にある備え付けのレザーで覆われたソファに座り、しばし何かを考える素振りを見せる。
「ふむ……そうか。ところでこの幼女は先日と違って日本語を話しているようだが……そうか。ならば図書館にずっといるのはこの幼女も寂しかろう。教授や講師たちには私から話しておくから、君たちと帯同させればいい」
「「へっ?」」
会長の意外な言葉におれとミチは脱力するが、おれはすぐさま身体を立て直すと「図書館じゃダメなんですか?」と訊き直す。
「ダメだな。日本では特に定義は無いようだが、多くの国では子どもを独りにするのは虐待とされ、警察の厄介になりかねない行為だ。まさかコンプライアンスに対し高い意識を持っている本学の学生たる君たちは斯様な真似はしないと思っているが」
彼女の言葉におれとミチは黙って首肯するしかなかった。
履修している講義が行なわれる講堂に入るや否や、二人の学生と一人の幼女は一気に他の受講者たち注目を集めることとなった。
「うわぁ、カワイイ! まるでビスクドールみたい」
「ほっぺも真っ白でぷにぷにしてるぅ!」
「渡瀬! もしかしてお前、高校のとき既に倉永さんと赤ちゃん作ってたのか!」
「いや、ちょっと待て。計算が合わな――」
「このリア充め! うらやまけしからんぞ!」
「中三か高一で中に出してたらギリ辻褄がくぁwせdrftgyふじこlp!」
おれとミチは不謹慎なことを口にする男子学生のみぞおちを同じタイミングで殴りつけて黙らせると、おれは「とにかく、この子は知り合いから預かっただけで、それ以上でも以下でもない。そもそも顔が似てないだろ」と言って全力で否定する。
「ああ、言われてみればそうだよね。ハナちゃんってビッチと言うよりも部活だけは一生懸命やりましたって感じだもんね」
「そーだよね。いかにも『部活ショート』な感じって言うのかな?」
「良かったぁ……倉永さんってまだ処女なETAOINSHRDLUっ!」
ミチは、件の男子学生が付き合っている彼女から二度目のみぞおちへの攻撃を食らって膝から崩れ落ちるのを冷めた目で見ながら、「疑いが晴れたのは良かったんだけど、気分としては微妙だなぁ。もうっ!」と言いつつ、最後部の机と椅子におれたち三人が座るのと同じタイミングで教授が教室に入り出欠確認が始まる。そして、オブザーバーとして講義に参加したメルが講義前とは異なる意味で学生たちを騒がせるのにあまり時間はかからなかった。
なぜならメルは数学の証明問題において模範解答とは異なる複数の解答を提示し、哲学ではおれたちですら難解であるカントの純粋理性批判について教授と対等に意見を交わし、奇しくも世界のグローバル化がテーマとして取り上げられていた社会の講義では気弱そうなポストグラデュエイトの女性講師に次々と質問を投げつけることにより彼女を混乱に陥れ、オープンスペースに置かれていたグランドピアノと楽譜に興味を持つとすぐさま楽譜を『指定された時機に指定された音を指定された長さで出すことを指示した記号の集合体』、ピアノを『奏者である人間によって楽譜に記載された情報を音に変換する装置』と解し、確かめるように八十八鍵あるピアノの音を一つずつ出すと、初見で楽器経験者顔負けの演奏をやってのけ、極めつけは英語の授業では担当のカナダ人講師相手に、少々馬鹿丁寧な言い方ではあるものの、クラスの日本人生徒の中では最も英語を解すると自負するおれを凌駕する高度な会話を展開して見せたからだ。もっとも英語に限って言えばチートの可能性も否定はできないが。
「天才だ! 本物の天才が現われたぞ!」
「おれは田舎じゃ『神童』って呼ばれてたのに東京マジ怖えよ!」
「すげー! 天才幼女なんて二次元にしかいないと思ってたけど、ホントにいたんだ!」
「私たちは今、奇跡を目の当たりにしてるんだね」
帯同三日目にもなると噂を聞きつけた数多の学生たちがメルのまわりを囲い込む。当のメルは涼しい顔で「知っていたこともあったが知らなかったこともあって実に興味深い」などと言っている。
「ところでメルちゃんって出身どこなの? 本名?」
「日本人じゃないように見えるけど、英語圏から来たの?」
「否。我が名はメルキオーレ・ワイズマン。エストザーク王国の賢者であり、陛下の命により枢密院顧問官を務めているのだ」
「うわぁ、見た目小二なのに設定が中二だ! まぢウケるぅ!」
真面目に答えたメルの言葉に女子学生たちは手を叩いて喜んでいる。
「スーミツインって何? 蜜? 甘味処?」
「そうだメルちゃん、一緒に学食行かない?」
「お菓子もあるよー。クッキーとかチョコとか」
女子学生たちがメルを誘い出そうとしたその時、おれとミチは互いの顔を見合わせ、「まずいな」「うん」という短い会話を交わすとおもむろにメルに近付き、「ごめんねぇ、実はウェルフェア・センターに呼ばれてるんだ。悪いな」と言い訳しながら、「えーっ、いーじゃんワタセっち! うちらにもカワイイ成分補給させてよ!」などといったちょっとした非難を囂々と受けながらメルの手を引き、一旦教室の外へと出て、誰もいない別の教室の中へと入る。
「どうした? 何か問題でもあったか?」
「何暢気のことを言ってる。問題大アリだ!」
「もし今の段階でエストザーク王国の存在が皆にバレたら多くの暢気な日本人がパスポートなしであの森を通って王都フォヴァロスを観光し始めるぞ!」
「パスポート? 観光?」
「パスポートは国境を越えるのに使う手形のことで、観光は物見遊山のことだ」
「なるほど。確かに言われてみればそれはまずい。もしかしたらそれを口実に君たちの為政者たちが王国は領土の一部であると主張しかねないからな。シン、ミチ。君たちの言わんとすることは分かった。私の出自についてはひとまず彼等に内緒にしておこう。だが二人とも分かっているとは思うが、私はこのままでいいとは考えていない。君たちと行動を共にしているのは、王国を一枚岩にし、この国の為政者や上級の役人との橋渡しを期待しているからだ」
「だったら頼むから日本政府とコンタクトを取るまでは大人しくしてくれないか。お前さんは戸籍上、この世界には存在しないことになっているからな。くれぐれも今はおれの遠戚ということになっているのを忘れないでくれ」
「うん。わかったよ、おにーちゃんっ!」
おれの言葉にメルは両手を広げ、今まで見せたことのない満面の笑みを浮かべながら一オクターブ高い声で答える。
「「ええっ!」」
おれとミチはメルの変わり身の早さに思わずひっくり返りそうになる。
「何を言っているのだ。この世界では君たちくらいの年齢の男は『兄に迎合し媚びてセックスシンボルと化した従順な妹』に欲情するのだろう?」
元の口調に戻ったメルはステレオタイプにまみれた見解をさらっと言ってみせる。
「そんな知識どこから手に入れたんだ!」
「君たちの世界で言うところの『ライトノベル』と呼ばれる絵物語の本からだよ」
「あれはフィクションといって現実に起きていることじゃなくて書いた人間の妄想に基づいて作られた架空の話だ!」
おれはメルの言葉に頭を抱える。この賢者様に極力バイアスのかからない適切な情報を受け取ってもらうには一体どうすれば良いのだろう。
「だったらこうしないか。私は今日の夕方、一旦エストザーク王国に戻る。そして君たちが王国を訪れる二日後……この世界の暦で言うところの金曜日の夕方までに君たちを受け入れる手筈を整えることにしよう」
「でもここから王国までの戻り方は分かるの? 電車やバスを乗り継ぐだけじゃなくて、山道も歩くんだよ?」
「心配するな。行き方はもう覚えた」
「いや、この国には様々な乗りものが網の目のように走っているんだぞ。一つでも間違えたらまったく違うところに言ってしまいかねないし、不本意かも知れないがこの世界では夕方以降の子ども――あるいは子どもに見える人物の一人歩きは周囲から怪しまれる。講義が終わったら途中まで一緒に行くからな」




