第一章その14(東京都渋谷区南平台町)
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「そうか、国道二四六号を歩いていた黒装束軍団はこの世界を調査するエストザーク王国の先遣隊だったというわけか……」
「ああ。偶然発見された隧道が二つの世界を結ぶものであるということを知った王国は一小隊を送り、調査を終えて帰還した彼等が私も同席した枢密院会議にて報告と答申を行ったものの、彼等の報告はあくまでこの世界の側面の一つしか見ていないと考えた私はその内容に疑義を呈するとともに最終的な判断を下すのは時期尚早と訴えたため、彼等がこの世界で調査しきれなかった部分を調べ上げ、改めて枢密院会議で報告をすることになっているのだ」
ミチとともに風呂から上がり、彼女からアイスクリームバーを与えられたメルはようやく落ち着きを取り戻し、おれの質問に淀みなく答えると一転して黙り込み、何かを考えるような素振りを見せる。そして再び顔を上げ、おれたちを真っ直ぐ見つめるとある提案をしてきた。
「さすれば――そうだ。私と一緒にエストザーク王国に来て証言してくれないか。日本国から来た者の話であれば彼等も私の話を信用せざるを得ないだろうからな」
「うーん、それは難しいかな。大学行かなきゃいけないし。そんなことなら連休前に言ってくれればいいのに……」
メルの要請にミチは少し困ったような表情を見せながら答える
「ダイガク? それは『メグ』と『アイシャ』なる女どもがいた場所のことか?」
「ああ。ただ、あそこが大学の主たる設備じゃないぞ」
「それでは、ダイガクとは本来どのような場所なのだ?」
「ええっと、そうだな。基礎的な学校の課程を終えた人が行く、高等教育機関かな。古代ギリシアのアカデミア的なやつというか……」
「何だと! あそこがアカデミアだというのか!」
おれの言葉にメルは驚きの表情を隠さず感嘆する。
「あ、ああ。でもそれって驚くことか? 似たような機関ならこの国にはそこら中にあるぞ」
「そんな馬鹿な! そもそもアカデミアとは諸国の王侯貴族や高級役人の子息が政を担うに必要な知識を学ぶような場所だぞ。君たちのような平民が足を踏み入れるような場所ではない。それに我が祖国エストザークにはアカデミアどころか、君たちが言うところのガッコーのような初歩的なことを教えるところすら無いんだぞ!」
「えっ? 学校が無いの?」
「ああ。アカデミアに行くまでの初歩的な学問の類は王族や貴族、あるいは豪商に雇われた教師が彼等の子息につきっきりで個人教授するから、君たちが言うガッコーという施設は存在しないな」
「なら貴族や豪商以外の子どもはどうやって勉強してるの?」
ミチがメルに素朴な疑問をぶつける。
「勉強? そんなものはしていない。百姓の子なら親とともに畑を耕し、牛飼いは牛を育て、鍛冶屋の子なら鋼をきたえる。それだけのことだ。この世界では違うのか?」
「この世界ではある年齢に達したら鍛冶屋だろうが牛飼いだろうがすべての子どもは短くて九年、長くて十数年もの間、学校という場所に行って学問を修める」
「だったら学問を修めている間、仕事はどうしているのだ? 働き手がいなければ商売が成り立たないだろう」
「いや、それが成り立っているんだよ。むしろ学校に行かなければ成り立たないと言っても過言ではない」
「そうか……そういう仕組みが成り立っているからこの世界の街には文字が溢れ、活気に満ちているのか……」
おれとミチの説明にメルは呆然としている。
「ところで、メルちゃんはどこで勉強していたの? もしかしてお姫様?」
「私が王女に見えるか? もともと我がワイズマン家は賢者の家系で、私は偉大なる大賢者であった祖父から知を譲り受けている。その後、さらなる研鑽を積むべく国境を二つ越えた帝国にあるアカデミアで学ぶとエストザークに戻り、この国のために己を捧げるつもりで此度枢密院顧問官の任を拝命した矢先に国の政を揺るがすこの騒ぎが起きて今に至っている。ところで、君たち二人に頼みがあるのだが、もう一度あのアカデミアに連れて行ってはくれぬものだろうか」
「えっ、大学に?」
「そうだ」
ミチの言葉にメルは大きく首肯する。
「まぁ、メルちゃんの希望ならそうしてあげたいんだけど……」
「けど?」
「今ちょうど祝日が重なって数日間の休みになっちゃてるんだよね。授業やってないから敷地には入れるかも知れないけど、建物の中には入れないんじゃないかなぁ……。ごめんね」
「そうか。なら仕方あるまい。さすればアカデミアの代わりに街に連れて行ってはもらえぬだろうか。この先には多くの人々が行き交い、地の中に市が立っているのだろう? 私はこの目でそれを見てみたい」
地の中の市? おれは一瞬首を傾げるも、それが地下街や百貨店の地下を指しているものと理解する。
「ああ、別に構わないが、それだけでいいのか?」
「『それだけでいいのか』などという言い方をするということは、それ以外にも見るべき場所があるとでも言わんばかりにも聞こえるが」
おれの言葉の真意を汲み取ったと思しきメルがおれにそれを質そうとしている。言葉を額面通りに受け取るのではなく、言葉に含まれた裏の意味を読み取るとはやはり本当に賢者なのだろう。
「で、メルちゃんはどこに行きたい? ランド? シー?」
「ミチ、おそらくメルはこの国の本当の姿が見たいと言ってるんだ。そんな中世ヨーロッパの世界観の上澄みだけのような場所に連れて行ってもしょうがないだろ。それに連れて行ったところでキャラクターか何かに間違われてもみくちゃにされるのがオチだ」
「土地と海? 言っている意味はよく分からんが、仮にこの国の田舎に住む世間知らずな娘か故郷に住む年老いた母親あたりが都を見物するときに行くような場所に連れて行ってくれればそれでいい」
「分かった。場所はおれたちで考えておこう」
「そうと決まれば明日に備えてひとまず寝ても構わないか? 途中から馬のない馬車に乗れたものの、暗闇の中を歩くのは昼間以上に体力を使うものでな。だが君たちが渡してくれた火を使わぬランプが大いに役に立った。時間があるときにでも是非仕組みを知りたいものだ」
メルは小さな欠伸をしながらおもむろに立ち上がるおれの部屋のドアノブに手をかける。
「ちょっと待て。一つ大事な質問をする。おれたちと最初に出会っでからの五日間、どうしてお前は言葉の壁をなくす魔法を使わなかったんだ?」
おれの質問にメルは軽い笑みを浮かべながらおもむろに振り返る。
「理由は二つある。一つはそのときの私には既にいかなる魔法を使う力が残されていなかったこと。もう一つは、この世界で邂逅した者たちが私に対してどのような反応をするか見てみたかったからだ」
「ならば、もし魔力が残っていたら魔法を使っていたか? いや、それは愚問だったな」
「どうやら君たちは分かっているようだな。試すような真似をして済まなかった。くれぐれも悪く思わないでくれ」
「そうか……分かったよ。ちなみにその魔法とやらはどれくらい持ちそうなんだ?」
「そうだな。今までの私の学習状況を鑑みて、他の魔法を使わなければあと十数日は維持できそうだな。だが、それまでに君たちの言葉を完全に覚えてみせるさ」
「たった十数日で?」
「私は賢者だぞ。その程度のことくらい造作でもないな」
「何だこのチートぶりは。数年かけてある程度英語が使えるようになった自分がアホらしくなるな」
「ねーねーメルちゃん、どーせ寝るんだったら……ワタシと一緒のお布団に入らない? ここのお布団はふかふかしてあったかいよ」
ミチは下心丸出しの表情とともにゆっくりかつそれとなくメルの右隣に移動すると、左腕を回してメルの頭を撫でる。あと、家の布団がいつもふかふかなのはおれが高い頻度で干したり乾燥機にかけていたりしているからであってこの女の手柄ではない。
「却下だ。あと、頭を撫でるな」
「そんなぁ……」
メルは最後の質問に答えると独りおれの部屋に入り、ドアを閉める。
「ちょっと待て。そこはおれの部屋だ! ミチ、お前帰るのか?」
「うん。メルちゃんと一緒に寝れないなら意味ないもん。じゃ、朝になったらまた来るから。出かけるならもう少し寝たほうがいいでしょ?」
閉められたドアの向こうからの返事はない。
ミチは寝間着姿のまま玄関でサンダルに足を引っ掛け、自宅へと帰っていく。おれは仕方なく先日と同様ソファで寝るべくクローゼットから客用の掛け布団を引っ張り出したのだった。




