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第一章その13(東京都渋谷区南平台町)

よろしければ文章評価・ストーリー評価、ご感想等いただければ幸いに存じます。

 メルを無事に彼女がいるであろう世界に返し、連休の残りを渋谷区内で静かに過ごそうと決め込んだ憲法記念日の深夜――正確にはみどりの日の未明。おれは家中に何度も鳴り響くインターホンの呼び出し音によって無理矢理叩き起こされる。


「……っんだよ……。二時過ぎじゃねぇか。もし変な奴だったらモニターだけ見て無視してやろう。いや、こんな時間にインターホンを何度も鳴らすような変な奴はミチ以外いないはずだ」


 おれはおそるおそるキッチン付近にあるインターホンのモニターを一階オートロックのカメラに切り替えると、そこに映し出された映像に思わず後ずさりしてしまう。


「メ……メルじゃねぇか。一体どうして……」


 鍵を持って寝間着のまま玄関の外に飛び出したおれはエレベーターで一階に降りる。そして自動ドアが開くや否や、メルがまるで獲物を狙うライオンの如くおれに向かって飛びかかり、小さな拳でおれの胸を叩きながら「この軟弱者! 怖じ気づいて踵を返したか!」という訳の分からない叱責を始める。


「ちょっと待て。お前、どうして日本語を……」


「そうか。この言語は『日本語』と呼称するのか。説明は後だ。まずは私をぬいぐるみか人形のような扱いをしたあの女を呼べ。あと、向こうにいる男がお前に用事があるらしいぞ」


 ふと自動ドアの外に目をやると、そこには困惑の表情を浮かべた中年男性が立っている。紺色のジャケットを身に纏い、制帽を被っていることからおそらくタクシー運転手なのだろう。嫌な予感を覚えたおれはマンションの前に停まっているタクシーのルーフを確かめると、そこには『伊豆箱根』の文字が光る行灯が乗っていた。




「うわぁ、メルちゃんが日本語を話してる! えっ、こないだはほとんど何も喋らなかったのにどうして? ねぇ、どうして!」


 ミチはマンションに上がり込むや否や、彼女に指を差しながらお前のせいで散々な目に遭ったとなじるメルの問いかけに答えになっていない言葉を返す。おれがミチのスマートフォンに電話を掛けたとき、当然ながら彼女は布団の中だったためいささか不機嫌そうであったが、メルが戻ってきたいうおれの言葉に、家が斜向かいであるのをいいことに数分後にはパジャマ姿のまますっ飛んできたのだ。


「君は私に何をしでかしたのかまったく分かっていないようだが、そのことについては一旦置いておこう。私が日本語とやらを話せる――正確には『話せるように見える』のは、ひとえに魔法の力によるものが大きい」


「まほー? メルちゃんがいる世界ってもしかして魔法が存在するってことなの? ってゆーことはメルちゃんって魔法使いなの?」


「それは違う。確かに魔法を生業とする魔法使いや魔導師は存在するが、私は単に簡単な魔法が使える賢者に過ぎない。文字に関してはこの部屋の書物や君たちが連れていった場所にある何冊かの本を読み込むことによって覚えたが、いかんせん発音や会話だけはどうにもならなくてな。今は暫定的に魔法の力を借りて言語の壁を越えている」


 確かに、耳から聞こえてくる日本語とメルの口の動きがまるで洋画の吹き替えのように一致していない。信じられない話だが、彼女は本当のことを言っているのだろう。


「すごいなぁ、もしそんな魔法が使えたらもう英語なんか勉強する必要なんてなくなっちゃうよね。ところでシン君、どうしてそんなに元気がないの?」


「そりゃそうなるよ。このクソガキ、よりによってビジターセンターからここまでタクシーで来やがったんだ」


 ミチの問いにおれは力なく答える。


「えっ、そうなの? ちなみにおいくら万円?」


「タクシー代四万一千五十円に大井松田から池尻までの高速代千六百九十円。合わせて四万二千七百四十円だったよ」


「そんな金額どうやって払ったの?」


「手持ちの現金がなかったからひとまずカードで払った。この領収書、税理士にどう説明しようか……」


「何こっそりとマンションの経費にしようとしてるのよ。メルちゃんはどうやってここに来たの? シン君のマンションの住所なんてよく分かったね」


「ああ、そのことだが、御者にこれを見せたら何の問題もなくここまでたどり着くことができた。おそらくこれにはここの地所の地番が記されているのだろう」


 メルは懐から一通の封筒を取り出しておれたちに見せる。


「ああっ、これ探してたんだぞ!」


 おれはメルから少し皺になったケーブルテレビの請求書の入った封筒を取り上げるとテーブルの上に戻す。


「ねぇシン君、ワタシから一つ提案があるんだけど」


「何だ?」


「夜中の急にいろんな事実を突きつけられちゃっているせいか話があちこち飛んじゃってるから一回整理しない?」


「ミチの割には意外とまともなことを言うじゃないか」


「それ、ワタシのことディスってない?」


「ああ、ちょっとな」


「なっ……。とっ、とにかくシン君はメルちゃんへの質問を整理しておいてっ! ワタシたちは目覚ましにお風呂入ってくるから」


「ああ、分かったよ」


「ちょっと待て。『ワタシたち』とは一体どういう意味だ……」


 何か悪い予感を覚えたメルがおそるおそるミチの方を見る。


「ほらぁ、こんな夜中に山道をほっつき歩くからもうこんなに汚れちゃって……お風呂に入らなきゃ汗まみれで気持ち悪いでしょ?」


「待て。風呂くらい一人で入れる!」


 息を荒くしながら両手を広げ、徐々に自分に近づいてくるミチに対しメルは上体を反らす。


「あれぇ? シャワーの使い方が分からなくてワタシに冷や水を浴びせたのはどこの誰だったかなぁ……そんな悪い子が一人でお風呂に入れるのかなぁ……」


「それはだな……その……ってうぎゃああああ!」


 ミチの毒牙にかかったメルは脇に抱えられた状態のまま風呂場へと連れていかれる。おれは体躯の割に腕っ節が強いミチの姿に軽く溜息をつくと、自室の机の引き出しから取り出したレポート用紙とペンをリビングに持ち込み、質問を整理し始めたのだった。

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