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第一章その12(神奈川県足柄上郡山北町中川・玄倉)

 翌朝五時。おれとメルはマンションの前でミチと落ち合うと、徒歩で神泉駅へと向かう。おれとミチがアウトドア用のウェアを着用しているのはもちろんのこと、メルは昨日渋谷の直営店でミチが選んだ子ども用のアンダーアーマーのインナーとウェアに身を纏い、背中にはマムートの小さなリュックを背負っている。


 まずは井の頭線に乗って下北沢まで行き、地下にある小田急線のホームに繋がる下りエスカレーターに乗るタイミングが掴めず、どうしていいのか分からない様子を隠そうとしないメルの手を引きつつようやく小田急線の急行に乗り換え、地上の複々線区間で各駅停車を追い越したり、ロマンスカーとすれ違ったり様子を興味深そうに眺めるメルの姿にミチが目を輝かせているうちに急行が山間部に差し掛かると、いつの間にか不安そうな表情が消えているメルは車窓に映る山々をじっと見つめていた。


 新松田駅に到着したおれたちは跨線橋を渡って駅前広場に出ると、丹沢山系の山々に登ると思しき登山客に交じって出発間近の富士急行バスに乗り込み座席の最後列を陣取る。


 駅を出発したバスはしばらく渋谷区を通るバスとはまったく趣を異とする国道二四六号を道なりに走っていたが、右折して県道七十六号に入るとディーゼルエンジンの回転数を上げながら左側に渓流をのぞみつつ、曲がりくねった坂道を登っていく。


 おれもまた、車窓に夢中な二人の様子を窺いながらも狭窄した道路で対向車とのすれ違いに難儀しつつも無事にすり抜けるさまに非日常感を覚えつつ、耳への違和感が標高の高さを示唆していた。


 やがてバスが太陽の光が水面でキラキラと反射させている丹沢湖の湖畔に差し掛かり、多くの登山客やキャンプ場を訪れる客の大半が玄倉というバス停で降りるのを見送ると、そこから先はバス停のたびに一人、また一人と乗客が降車し、最終的に乗客はおれたちだけになってしまった。


「ねぇ、ホントにこっちで合ってるの?」


「分からん。北のほうだとおれは睨んでいるけど、丹沢湖から先はもう勘だな」


「ええーっ、ホントに大丈夫かなぁ」


「大丈夫かどうかと言うか、ここまで来たらメルの記憶力に頼るしかないだろう」


 バスが県道沿いに並んだ小さな温泉宿を抜けると、そこはもう終点・西丹沢ビジターセンターである。おれとミチはカードリーダーにPASMOをかざして引かれた料金に驚愕を覚える。


 メルもまた、二人に倣ってカードリーダーにおれが買い与えたPASMOをかざしてバスのステップをぴょんぴょん飛び跳ねながら降りるとバスは行先表示を『回送』へと変え、麓の町へと帰っていった。


 バス停の目の前にはそのバス停の名前にあるように神奈川県が運営している登山者用のビジターセンターが置かれており、目の前を流れる川沿いにはいくつかのキャンプ場が点在し、SUVやミニバンで乗りつけたアウトドア派の人々が建てたテントや貸しコテージが並び、連休ということもあり多くの人々で賑わっている。


 三人してしばしその様子を眺めていると、ビジターセンターの職員と思しき中年女性がおもむろに近付き、「登山届の提出は済んでる?」と訊いてくる。


「ええっと、そのっ、今日は川遊びをしに来ただけなので……」


「その格好で?」


 マムートの登山用のウェアを身に纏い、リュックを背負っているおれとミチそしてアンダーアーマーの黒いウェア姿のメルをまじまじと見つめながら訝しげな表情を隠そうとはしない。別の見方をすれば遭難を未然に防止するという職務に忠実とも取れるが、おれたちの課題はこの仕事熱心な職員を適当にはぐらかすことだろう。


「ええ。川遊びをするだけなのにどうにもこの人って形から入っちゃうような残念な人なんで」


「ああ、そうなのね」


 ミチの言葉に職員はようやく破顔すると、上半身を前屈させてメルと同じ高さに視線を合わせ、「今日はどこから来たの? パパとママとお出かけ?」と質問するも、メルは当然のように一切口を開かない。


「あっ、ごめんなさい。この子人見知りが激しくて……ねぇパパ」


 ミチは顔を真っ赤にさせながらもおれに目くばせしながら適当に話を合わせろという意図を持った合図を送っている。


「そ、そうだな。もう小学生なんだから、ちゃんと挨拶できるようにならなきゃダメだぞ……?」


 ミチの意図を理解したおれもまた、大根役者の棒読み台詞のような話し方かつ語尾が半疑問形になりながらも『人見知りが激しい娘の父親』を演出するべくさりげなくメルを自分の後ろに隠す。


「そうですか。ここ最近大きな雨もないので川の水量は安定してるんですけど、くれぐれも事故だけは気をつけて下さいね」


「はい。ところでつかぬことを伺うんですけど、去年の十一月下旬に黒いローブを身に纏った集団がこのあたりを通ってませんでした?」


 おれの質問に職員は再び怪訝そうな表情を浮かべるも、「いっときニュースや情報番組で報道されていたのを思い出しただけなんですけどね」と続けると、またこの話かと言わんばかりの表情をしつつも警戒を解く。


「ああ、黒い格好の人たちね。たまたま宿直してた日の明け方、シーズンオフなのに妙に騒がしかったから外に出てみたら、ちょうど目の前――あそこの『ここから林道』の標識のほうから丹沢湖に向かってぞろぞろ歩いているのが見えて、一体何のことが分からないまま戸惑っているうちにいつの間にか姿が消えちゃって……それから数日後に丹沢湖で騒ぎが起きたのをきっかけに連日報道されてたけど、いつの間にか誰も話題にしなくなって今日ひさびさに話を聞いて思い出したわ」


「ありがとうございます。それじゃ、おれたちもう行きますんで」


「あっ、ごめんなさいね引き留めちゃって……今日は親子三人でいっぱい楽しんでね。バイバイ」


 職員は再び目線をメルに合わせると、笑みを浮かべながら彼女に向かって右手を振りながらビジターセンターの建物の中へと消えていく。


「さてと、それじゃまずは林道を歩いてみるか……って、お前何先に行ってるんだ!」


 いつの間にかおれとミチの傍を離れ、まるで最初からこの道を知っていると言わんばかりに林道を先に歩いているメルを二人が早足で追いかける。


 林道とは言っても、幅五メートルの道はしっかりと舗装されている。ビジターセンターからしばらくの間は左手に川とキャンプ場をのぞみつつ、いくつかの沢に架かる橋を越え、ゆるやかな登り坂が続いていたが、八百メートルほどの地点にある丁字路に到達するとメルは今まで歩いてきた川沿いの道をはずれ、九十九折れの急坂が控える脇道へ右折して登り始める。


「ねぇ、大丈夫なの? 『車両通行禁止』って書いてあるけど通れるのかな?」


 ミチは急坂の手前にある木製の注意書きを指差す。


「『この林道は、森林管理、林業経営のためにつくられたものです。林業関係車両、地元関係車両、工事関係車両以外の通行はできません』か。あくまでこの道は『車両通行禁止』なのであって、歩行者については言及していないだろう? つまり、歩行者はOKってことだよ」


「ホントかなぁ?」


「さっさと行かないとメルに置いてかれるぞ」


「えっ、ちょっと待ってよ!」


 躊躇なくメルの後についていくおれと、おそるおそるおれについていくミチは比較的坂の多い渋谷区ですらあまり見かけない、片側一車線分という幅の広さを確保しておきながら急な勾配を有する舗装された道路を、多少呼吸を乱しながらもメルとともに登っていく。


 やがておれたちの行く手を阻まんとする『お知らせ これから先の林道は一般車両通行止です』のボードがくくりつけてある、錠前で施錠されたゲートが道なりの途中に設置されているが、おれたちはゲートの脇を抜けてさらに前へと歩みを進める。


 どれだけの時間歩き続けただろうか。何度もヘアピンカーブを曲がり、途中の東屋で水を飲み、以前落石があったのがそのままになっているものと思しき道路に転がる大きな石を避け、渓流に作られた段々畑を連想させる砂防ダムを望みながらメルの後を追って道なりに進むと、人や車が通るには大きく、高速道路にあるものより直径が小さい、具体的にはドライバンのボディを載せた二トントラックが対面通行できるくらいの直径を有するトンネルの坑口がおれたちの眼前に現われる。


「『犬越路隧道』か……使われていない道の先にこんなトンネルがあるとはね……」


 ミチはトンネル坑口のアーチ部分のすぐ上に埋め込まれている扁額の文字を読むと、驚いた表情を隠さぬまま思わず声をあげる。


「おそらくだけど、元々は県道として整備するつもりだったのが、地盤が弱いせいか落石とか土砂崩れが相次いだ上に、開通しても費用対効果が薄いと判断されてこうなっちゃったんだろうな。見てみろよ、完成の記念碑が土砂に埋まってるぜ」


 おれはトンネルの傍にある、下半分が埋まっている記念碑を指差す。


「でもどうするの? たぶんトンネルの中は真っ暗だよ」


 本来トンネル内には照明が、仮に長さが短かったとしても壁に反射材が設置されたり地面に道路鋲が打たれていたりするものだが、このトンネルにはそのような類のものが見当たらない。


「分かってるよ。何かあったときのためにこんなものを持ってきたんだ。LEDランタン~!」


「シン君、寄せる気のない物真似はやめようよ……って言うか、よくそれを持ってきたね」


 おれはリュックから取り出したLEDランタンに電源を入れると、「さぁ、これを持っておれたちを案内してくれよ」と言いながらLEDランタンに興味を抱いたと思しきメルに手渡す。するとメルはそれを右手に持ったままトンネルの中へと足を踏み入れる。


 トンネルの中は外の林道とは対照的に真っ直ぐ掘られており、坑口付近に落ち葉や木の枝が溜まっていることと、水銀灯が使われていないことを除けば一般的なトンネルと何ら変わりはなかった。確かに変わりはなかったのだが、外よりも低い気温と高い湿度に加え、昔テレビの怪談特集か何かで知ったトンネルの中に出現する少女の亡霊の話が脳裏をよぎったことも相まっておれはある種の気味悪さを覚えていたが、メルが自分たちに何を見せてくれるのかという興味が気味悪さを上回ることによって足を前へ前へと向かわせる原動力となっていた。


 徐々に大きくなっていく光を目指して歩くこと十分。距離にして七百五十メートルほど歩き、出口まで残り五十メートルのあたりでおれとミチは互いのある異変に気付く。


「ねぇシン君。もしかしてシン君の手や顔、何だかうっすら光ってない?」


「そういうミチだって肌の部分が青白いぞ。どうかしたのか?」


「ええっ、ワタシもそうなってるの? メルちゃん、ちょっと待って!」


 自分の名前に反応したと思しきメルがLEDランタンを手にしたまま後ろを振り返ると、興味深そうにおもむろに二人に近付き、「×××××! ××××××××××××、×××××××××××××。××××××××××」とだけ言うと再び前を向いて残り五十メートルを歩き出す。


「結局何を言いたかったのかなぁ?」


「さぁな。色々突っ込みたいことはあるけど、何が起きても驚かない準備はしなきゃいけないのかもな」


 ミチの素朴な疑問におれは自分でも驚くほど妙に落ち着いた受け答えをする。


 やがて出口からメルとともに外に出たおれとミチは木々の間からこぼれ落ちる太陽の光のまぶしさに一瞬目が眩み、そして瞳孔が徐々に小さくなるにつれ、木もれ日溢れる広葉樹が生い茂った森の中であることを認識するとともに、いつの間にかメルは山道の割に比較的幅の広い道の数十メートル先を独り歩いている。


 メルのあとを追って数百メートルの道のりを歩くと、そこで森が途切れるとともに、眼前に広がる風景におれたちは思わず言葉を失う。


 眼前に広がるのは本来トンネルの向こう側で目にするであろう丹沢の山々ではなく、なだらかで緑豊かな丘陵地帯にどこまでも続く青々とした麦畑そしてその向こうに小さく見える海以外の三方向が高い壁に囲まれた大きな街という、自分たちには見覚えのない風景が広がっていたからだ。


「シン君、ここ、ヨーロッパかな?」


「日本から数百メートルで行けるヨーロッパがどこにあるんだよ。仮にヨーロッパだと仮定しても、あれくらいの規模の街ならあって然るべき高速道路や線路も見当たらないし、今日日前近代的な高い壁があるなんて一体何から守ろうとしてるんだよ。盗賊か? 魔女か? それとも巨人か? もしそうなら……」


「ちょっと待って。これ見てよ! GPSが見つからないって……」


 ミチはおれの言葉を遮ると、自分のスマートフォンの画面をおれに突きつける。画面には地図アプリが起動されているが、画面中央に『GPS signal not found』というエラーメッセージが表示されている。おれもまた、懐からスマートフォンを取り出してスクリーンロックを解除する。


「あれ? 圏外だな」


「そりゃそうでしょ。バスを降りたあたりからずっと圏外だったんだから」


「そういう意味で言ったんじゃない。おかしいと思わないか。今おれたちはなだらかな丘の上にいて、向こうにある城壁と海に囲まれた街を見下ろすような状態だというのに、どうして街のどこかに設置しているはずの基地局からの電波が受信できていないんだ?」


「距離があるからじゃない?」


「いや、あの程度の距離で、しかも丘と街の間は麦畑しかない見通しがいい場所だからバリ三までとは言わなくても一本くらいアンテナが立ってもおかしくないだろう。にもかかわらず電波が捕捉できないというのはどういうことなんだ? もし画面に日本の携帯電話事業者が表示されていたら釜山やサハリンのような日本との国境近くでない限りここは日本ということになるし、見慣れない事業者の名前が表示されていたら端末がローミングしているということだから日本以外のどこかにいるということになる。表示されている事業者の名前が分かればどの国にいるのかの見当もつくかも知れないけど、残念ながら圏外でそれもままならない。今日日田舎ならともかくあんな大きな城がある都市部近郊で圏外そしてGPSすら機能しないということは、これらの状況を鑑みるとあるひとつの仮説が浮かび上がってくる」


「その仮説ってもしかして……」


「ああ、今おれたちがいるのは『異世界』とか『並行世界』みたいな名前で呼ばれている世界かも知れない……ということだ」


「うん。普通だったら思わず笑っちゃうところだけど、これだけの材料が出揃ってる以上シン君の言ってることが妙に現実的に思えるんだよね。何だろう、このふわふわしたような変な感覚は……ってあれ? メルちゃんは?」


 いつの間にか視界からメルの姿が消えていることに気付いた二人があたりを見渡すと、メルが既に麦畑に差し掛かっているのが見える。ミチは後を追うべく丘を下ろうとするが、おれはミチの右肩を掴んで動きを制する。


「ちょっ、なっ何するの?」


 首を右に回しておれを見るミチに向かっておれはゆっくりとかぶりを振り、「今日のことは二人だけの秘密にしような」と言う。その動きですべてを悟ったミチの顔は次第に穏やかになるとともに、「そうだね。ワタシたちも家に帰ろう」と言って踵を返し、再びトンネルの中へと足を踏み入れたのだった。

よろしければ文章評価・ストーリー評価もお願いしたく存じます。

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