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プロローグ(東京都千代田区紀尾井町)

 五月三十一日午後三時。おれは東京都千代田区紀尾井町にある高級ホテルの宴会場に設営された記者会見室の下手の袖で自分たちの出番を待っていた。


「当ホテルにて行なわれておりました、我が国とエストザーク王国代表団との交渉におきまして、本日両国は休戦協定への締結と翌六月一日午前零時の発効に合意し、これより調印式と記者会見をさせていただく運びとなりましたことを皆様方にご報告申し上げる次第であります。本協定成立の証として日本国からは内閣より全権委員の任を拝命いたしましたわたくし、衆議院議員・真島のどかおよび防衛事務次官・鬼越典靖、エストザーク王国のカウンターパートとしてエストザーク王国特別全権委任代表であられますメルキオーレ・ワイズマン閣下および渡瀬真特別顧問の四名により協定書への署名を実施いたします。なお、渡瀬特別顧問は日本国籍を有する日本国民でございますが、エストザーク王国と顧問契約を締結した代理人であり、過去および現在において日本政府といかなる特別な利害関係が無いことを併せてご報告いたします。それでは鬼越次官およびエストザーク王国のお二方は壇上へおあがりください」


 四つある司会卓のうち、最も上手側にある司会卓に立つ、つい先月まで名前すら知らなかった地元選挙区出身の若手代議士の言葉を皮切りにシャッター音が室内を反響する。おれは目配せをする彼女に向かって小さくこくりと頷く。


「さぁ、いよいよ出番だ」「どうやらそのようだな」「行くぞ」「ああ」


 おれは左隣で出番を待つメルに声を掛けると、上手側から登壇する鬼越防衛事務次官と同じタイミングで二人して登壇し、メルは下手中央寄りの司会卓の裏に置かれた階段式の踏み台の一番上に立って記者たちを一瞥する。


「ここで頭を下げてくれ。深さは……そうだな、かねざしの半分くらいだ」


 最も下手側の司会卓から一時的にメルの傍に近付いたおれがマイクの位置を確かめながら耳打ちすると、彼女はうやうやしく頭を下げ、自分の司会卓に戻ったおれもまた深々と頭を下げる。それと同時におれとメルは日本側の二人以上にカメラマンたちによる数多のフラッシュと記者たちのざわめきのシャワーを一斉に浴びる。


 よし。紛うことなきペッコリ四十五度だ。記者団の後ろで見守るミチ、会長、アイシャ先輩そしてソフィの四人は心配そうな顔つきをしながらもこくこくと頷いている。


「××××××××Melchioré Wiseman、×××××Estzark××××××××××Noriyasu Onigoe――」


「ただいま日本国政府全権委員・真島のどか閣下よりご紹介にあずかりましたエストザーク王国特別全権委任代表・メルキオーレ・ワイズマンでございます。そしてわたくしが特別顧問を務める渡瀬真でございます――」


 おれは王国の言葉で話し始める彼女から遅れること十秒後に日本語への同時通訳を始める――否。正確には同時通訳をするふりを始める。


「真島閣下よりお話しがありましたように我が国エストザーク王国と日本国は『渋谷インシデント』収束直後より協議を重ね、本日日本標準時十二時十七分に休戦協定締結に合意し、この場にて調印する運びとなりましたことを皆様にご報告申し上げます」


 舞台中央には二台の机と四脚の椅子が並べられ、それぞれの机の上には三ヶ国語で記された休戦協定の批准書と万年筆が置かれている。すぐ後ろには旗立台に据え置かれ、国際的な慣例に基づき上手に日章旗、下手に王国旗が並べられている。


 机の後ろに回り込んだおれは子ども用ハイチェアを引き、無言のままメルへ着席を促す。彼女は慎重に踏み台から降りると日本側の二人と同じタイミングでハイチェアに座り、署名欄のあるページを開いて自署を書き入れ、おれもまた自分のために用意された署名欄にクレジットカードと同じ署名を書き入れる。


「書き終えたら次官と批准書を交換して彼の右手を握れ。そして身体を前に向けてにっこり笑うんだ。さぁ、事務次官殿がお待ちかねだ。行って来い」


 おれは左手でメルの背中をポンと叩いて起立を促す。メルは少しだけ腑に落ちないと言わんばかりの表情を見せるも、座っていたハイチェアから降りると署名済の原本を携えて舞台中央で待つ鬼越防衛事務次官のもとへと近寄り、中腰になった次官と批准書を交換すると互いの右手を握る。そのまま前方を向くや否や、先ほどよりも多くのフラッシュが焚かれ、報道各社のカメラに歴史的瞬間が刻まれていくとともに、「この姿勢はさすがに腰を痛めてしまいそうだな」という次官の冗談に報道陣がどっと湧く。


 このあとは報道陣を対象とした質疑応答が予定され、それを終えたらおれたちは交渉中の間ずっと宿泊していたこのホテルの部屋に戻ることになっている。これで一つの大きな山を越えることはできたが、翌週からは王都フォヴァロスへと赴き、枢密院そして元老院への報告と事後承諾を目的とした女王陛下への謁見が行なわれることになっている。そして休戦協定で決定した内容を滞りなく実行するとともに、日本政府との国交樹立を前提とした暫定協定の起草と締結に向けた本格的な協議が始まることとなる。



 そもそもどうして地球上のいかなる国がその存在を認識することができなかった、おそらくおれたちから見て並行世界上に存在するエストザーク王国そして王国の賢者たるメルことメルキオーレ・ワイズマン女史と邂逅し、しかも日本人の一大学生でしかないおれが王国側の人間として日本政府を相手に交渉のテーブルにつくことになったのか。それを説明するには、時間の流れをまだおれが受験生で、センター試験直前の追い込み真っ最中だった昨年の十二月まで戻さなければならない。

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