第1話
入学式当日――――新しい学生生活への期待より、憂鬱な気分が強かった。もとより、私は環境の変化がとても苦手だ。その原因は人づきあいが苦手だからにほかならない。
そもそも、昨日桑慈さんと初対面にもかかわらずあんなに話すことができたことが異例だった。
駅のホームで列に並び、電車に乗る。
通勤・通学ラッシュは大変だと聞いてはいたが、噂に聞くのと実際に体験するのとでは大きな違いだった。スーツを着て、ヒールを履いて、電車に乗っているというより、人と人、荷物と荷物の間に挟まっているという印象である。切符の入った定期入れをしまう暇もなく、ホームに停まっていた電車に乗ったため、まだ手に持ったままだ。電車の揺れ、ブレーキに伴う周りの動きの中で平然と文庫本を片手に読書をしている女子高生が不思議で仕方がない。
乗り換えの駅で何とか抜け出してホームを移動する。様々な路線が接続する駅で、私の通う学校へ行くためには必ず経由しなければならない。周りの人たちは迷いもせずに速足で目当てのホームへと進むため、私はその流されるようにホームへ向かった。人が多いため、歩くためにぶつかりそうになる。それを避けていくうちに気づけば極限まで身を小さくしながら歩いていた。階段を上って看板を見ながらホームへ辿り着いた。電車待ちの列に並ぼうとした瞬間。人の多さに煽られてまだ手に持っていた定期入れがスルリと手から滑り落ちたのが分かった。
「あ――――」
乗り換えをする人の波に押されて落した場所から遠ざかった。慌てて体を反転させて、流れに逆行するように歩く。あれは切符が入っている。もし落としたとあればまた降りるときにお金を払いなおさなければならない。なんとか落としたところまで戻ろうとしたところで、不意に、誰かが私の定期入れを拾い上げた。
拾い上げた人――――同じ年くらいの青年の動作はとてもゆっくりだった。掛け声こそなかったものの、身体の負担に気を払い、細心の注意を払って拾っているようにも見える。若い人のはずなのに、やたら細い手首とやたら白い肌を見れば、その動作も頷けた。しかし、このラッシュの中ではとてもシュールな光景だった。この人だけ、流れる時間が違うようだ。じっと私の定期入れを見て、青年は顔を上げた。私と目が合い、一瞬、定期入れに目を落としてもう一度私を見る。私が定期入れの持ち主かどうか量りかねているようだった。
初対面の人を凝視してしまった事実に内心焦りながら急いで駆け寄る。その時に出た「それ、私のです」という声は焦ったためか酷く裏声になってしまって恥ずかしい。
「すみません」
そう言って手を伸ばすが、青年はなかなか私に渡そうとしない。なんだろう。もしかして、何かとても失礼なことをしてしまったのだろうか。
恐る恐る青年の顔を見ると、ラッシュ時に不釣り合いなゆっくりとした動き、静かな雰囲気とは裏腹に赤茶色の髪という酷く派手な髪色に感情を読みづらい目をしていることに気づく。怒っているとはまた違う。けれど決して穏やかな雰囲気ではない目つきである。
本当に、何かをしでかしてしまったのだろうか。
そう思うが、どうしようもない。私は本当に初対面の人と話すことが苦手なのだ。
「あの、」
勇気を出したところで、ピクリと青年が動き、定期入れに――――正しくは定期入れの透明なカバーから見える切符に目をやりながら言う。
「ホーム、間違えてる」
「え?」
「たぶんだけど、ホーム間違えてる。切符に書かれている駅名はこの沿線にないよ」
「えっ!?」
嘘だ。乗換案内のアプリも使って確認したのに。下見だってきたし、受験だって大学で実施されたから行ったことがあるのに。
「同じ名前の沿線で〇〇線①、〇〇線②って分けられているだけだから間違えたのかも」
「そ、そんな」
「反対方向の奥――――今丁度たくさん人が上ってきた階段を降りたところにあるホームが正解」
青年が指をさす方向には、彼の言葉の通りドッと人が階段を上ってくるところが見えた。その上にぶら下がっている看板を見て、今自分が居るホームの看板を見上げると、確かに沿線名は同じで割り振られている番号だけが違う。乗換案内のアプリをもう一度見ると、今いるホームとアプリが指し示すホームの路線番号が違った。本当に、何回かこの駅で乗り換えをしているにもかかわらず間違えていたみたいだ。血の気が引くのを感じる。危なかった。もう少しで遅れるどころの話ではなく、今日一日慣れない土地でさ迷うところだった。
「す、すみません! ありがとうございます!!」
「いや、別に」
急に大きな声を出したので驚かせてしまったのか、青年は少し戸惑ったように目を逸らした。もう一度念入りにお詫びとお礼を言いたかったけれど、電車が着てしまいそうだ。定期入れを受け取って教えてもらったホームのほうへ向かう。
大きな声でもう一度「ごめんなさい」と言った。
「……そこまで謝らなくても」
私が去ったあと青年は静かにそうこぼした。
*
サークルの勧誘、部活の勧誘、同好会の勧誘大学の近くに行くとたくさんの勧誘を受けたが、私にはどれも同じに見えた。と言うより、いきなり紙を差し出してくるのは止めてもらえないだろうかすごく怖い。学校へ行くにはいろんな勧誘をする人がわきを固めた道を通らねばならず、かといって、避けるためとはいえ真ん中を歩けない私には苦行の道でしかなかった。学校に行く前から心が折れるかと思った。
やっと大学にたどり着けば講堂で学園長からのありがたくも長い話があり、理事長からまたありがたくも長い話があり、在学生代表からのありがたくも長い話があり、それからその学校の合唱部や吹奏楽部などが色々出し物をして、ようやく入学式はお開きとなり、そこから学部別のオリエンテーションが始まる。
教材の話、一週間の必修講義の時間割。空いた時間に取れる必修以外の講義の話。大学生活を送るうえでの注意事項エトセトラエトセトラ。
正直言おう。すごく眠たかった。
それでもなんとかやり過ごし、やたら重い必修科目の教科書を持って元来た道を帰る。
初日だというのに周りの人たちは友達ができたのか居残って何か話をしていたが、私は気まずくてそそくさとその場を出てしまった。早く家に帰りたかった。
わかっている。馴染むためには自分から話しかけたりすることも大切なのだろう。けれど、ハードルが高い。
家の最寄駅に降りる。まだ数回しか使用していない駅のはずなのに、なんだかとてもなじみ深い場所のように思えた。春の温かさは健在で、桜もまだ見ごろを過ぎていない。
昨日の桑慈さんとの出会いを思い出しながら歩いていると、桜の木の前で見覚えのある人を見つけた――――噂をすれば影、本人がそこにいた。
「…………」
相変わらず桜の似合う人だった。昨日と違ってスーツを着ていて、その分さらに大人に見える。ひょっとしたら彼も入学式だったのかもしれない。今日の朝、私の定期入れを拾ってくれた人もそうだったけれど、どこか浮世離れした雰囲気がある。
私の視線に気づいたのか、桑慈さんが此方を向き、目が合うとにこりと微笑んだ。
「こんにちは、倉敷さん。入学式の帰り?」
「は、はい」
「俺もだよ。入学おめでとう」
「い、いえ、こちらこそ……桑慈さんも、おめでとうございます」
「ありがとう」
さわやかな笑顔だった。正面から見ると恥ずかしい。気まずくなって立ち去ろうとすると、遠くから「ユヅ~!」と叫ぶ声が聞こえて桑慈さんがバッと声のほうを見る。立ち去るタイミングを失った。「ユヅ」というのは、おそらく桑慈さんのことだ。声の主であろう男の子がこちらに走ってやってきた。桑慈さん同様にスーツを着ている。茶髪の元気な男の――――――子? 否、普通に近くで見ると桑慈さんと同じ歳なら成人まじかのはずなのに、笑った顔が少年のようにあどけない。
「声がでかい」
呆れたように桑慈さんが言った。
「ごめんって。でも見て見て! おばちゃんにリンゴ飴と一緒にイチゴ飴おまけでもらえた」
「あーはいはい、よかったね」
「イチゴ飴はユヅにあげる!」
「俺、イチゴ苦手」
「え~……」
せっかくもらったのに……と茶髪の彼は困ったようにイチゴ飴を見た。
「二つ食べればいいだろ」
「いや、さすがにそれは晩御飯が食べられなくなる。今日は家族全員が揃う日だからみんなで晩ご飯を食べなきゃいけない」
「知るか」
テンポの良い会話が目の前で繰り広げられる。意外にも、桑慈さんは親しい人の前では口が悪くなるらしかった。少し驚いていると、申し訳なさそうに茶髪の男の子が私の方を見た。
「あ、ごめんね。ユヅと話してたのに。ユヅの友達?」
「い、いえ違います。最近、近所に引っ越して来たばかりで道に迷っていたところに声をかけていただいて、助けてもらったんです」
「なるほど、へ~、ユヅが知らない人に声をかけるなんてあるんだね、意外」
「悪かったな意外で」
棘のある言葉が気に障ったのか、桑慈さんが少し不貞腐れたように言った。
「お二人は昔からの友人なんですか?」
「いや、違うよ。ユヅとは数週間前の事前オリで初めて会った」
「へ、へぇ……」
それにしては息がぴったりだ。事前オリと言うことはまだ出会って数日みたいなところだろう。その数日だけでこれだけ仲良くなれるなんてコミュニケーション能力の高さが羨ましい。
「今日は花見に来たはずなんだけど、花より団子だなお前」
「だって目に入ったものだから、つい」
「食い意地を張るな。……本当は高校の時からの友達をもう一人呼んだんだけど、さっさと帰っちゃったんだよな……『一回見たことあるからもういい』とか何とか言って」
「まあ、気持ちはわからなくもない。有名な桜の名所だけど、一回見たら――――特にサエみたいな人は飽きるでしょ」
それよりも、と茶髪の男の子は微笑んだ。
「よかったらイチゴ飴いる? ユヅは食べてくれないし、もったいないからあげるよ」
「え? は、はい。ありがとうございます」
急に差し出されたイチゴ飴を受け取る。
「あ、自己紹介してなかったね。僕の名前は、柿花真琴。カッキーでもハナでもマコトでも好きに呼んでね」
よろしく、という彼に慌ててよろしくお願いしますと頷いた。
「私は、倉敷優紀です」
「よろしく。同じ歳だよね? どこの学校? もしかして、僕らと同じ学校?」
「い、いえ、違います。私の通っている学校は――――」
大学の名前を告げると、あー、あそこと柿花さんはうなずいた。桑慈さんと同じ反応だ。
「僕はユヅと一緒だよ。でも学部は一緒だけど学科は違う。僕は文学部教育学科」
「そういえば、言ってなかったな。俺は文学部考古学科。ちなみにさっき言った来るはずだった友達っていうのは文学部日本文学科。学科は違えど、学部内でのグループワーク……ほら、あるでしょ? 交流会みたいに違う学科同士で組まされるやつ――――あれでハナと知り合ったんだ」
「そうなんですね、すごい……」
たった一回のコンタクトでそんなに仲良くなれることが。世の中不公平だ。
柿花さんからもらったイチゴ飴を舐める。久しぶりに舐めた飴はとても甘かった。
「結局、先生の話が長すぎて、グループワークらしいグループワークも出来なかったんだけどね、僕笑っちゃったよ。先生、自分で作った企画を自分で破綻させてる」
「小中高大と進むにつれて先生の話は長くてまとまりが無くなるって言いますしね」
「そのわりに出席しないと単位に関わるから困るよな」
三人三様にため息をついた。やっぱり、どこの大学でも事情は同じらしい。
ガリと音がして、柿花さんは飴の部分を突破してリンゴの部分に到達したようだった。私は依然、イチゴをコーティングしている飴を舐めている。
「でも、ま、こうしてユヅやサエとも知り合えたわけだし、悪いことばかりじゃないよ!」
「…………お前のそういうポジティブなところ、ホント尊敬する」
「てへ☆」
二人のやり取りが面白くて、思わず笑ってしまう。本当に、会って数日とは思えないほどの仲の良さだ。
「倉敷さんは? 学校どうだった?」
「どうもこうも……。先生の話は長いし、途中で眠たくなるし、渡された教科書は重たいし、友達も――できませんでした……」
「ふ~ん。まあ、案外何とかなるよ」
「無責任なアドバイスをするんじゃない」
「え~、じゃあユヅは倉敷さんに友達ができないと思ってるの?」
「そんなつもりはないけど、誰だって自分のペースがあるだろ」
「あ、いえ、お構いなく。たぶん、友達、できません」
「いや、君もそんなに早く諦めなくても。まだ入学式じゃん」
桑慈さんが呆れたように笑う。
「私みたいな、陰気な人間、誰も近寄ろうとはしませんよ」
「え~、そうかな? 倉敷さん、結構面白いと思うけど?」
「面白い、ですか?」
「ハナ、それ褒めてるつもりなのか?」
褒めてるよ~と柿花さんは不満げな顔をしてリンゴにかじりついた。私もようやく飴のコーティングを突破してイチゴにかじりつけた。
「まあ、焦らずにゆっくりとすればいいよ。どうせ授業が始まったらグループワークとかで嫌でも他人と関わらなきゃいけないし」
一瞬、桑慈さんが視線を下に落とす。どうしてだろうか。桑慈さんも他人と関わるのが嫌なのだろうかと思っていやいやと否定する。だって、初対面で他人の私を助けてくれたのだし、私みたいに初対面の人と話すのが苦手とかはないだろう。
桑慈さんが視線を下に向けたのはほんの一瞬ですぐに何かを思い出したように「あ」と言って私を見て、柿花さんを見た。
「よく考えたら俺だけ何も食べてない」
「そうだね、ユヅ。今気づいたの?」
「お前、自分の分だけ買ってきたな」
「頼まれてないからね」
「頼んでないけどさ、いいけどさ……」
ジトと半目で柿花さんを見て、桑慈さんは鞄から財布を取り出しながら言う。
「それじゃあ、俺も何か買ってくる」
「いってらっしゃい」
「あ、私はそろそろ帰ります」
丁度いいタイミングなので帰らせてもらうことにした。お二人の邪魔をするのも申し訳ない。
「大丈夫? 今日は一人で帰れる?」
「だ、大丈夫です」
「…………」
「大丈夫です……」
「………………」
「大丈夫――――なはずです」
大丈夫と言う私を見つめる桑慈さんの疑わしそうな目に耐えきれず、目をそらす。そんなに疑われると逆に不安になってくる。でも、朝のことがあるし、前科があるし……。いや、でも……。
「さすがに、昨日の今日なんで、大丈夫です」
「じゃあ、そういう事にしておいてあげる」
なおも疑わしそうな眼をしながら桑慈さんは引き下がってくれた。横では柿花さんがケラケラ笑っている。
「ユヅ、そんなに心配なら連絡先でも交換しといたら?」
「「え?」」
二人でハモってしまい。また柿花さんは笑った。
「ほら、迷ったら電話でナビしてあげればいいじゃん」
名案とばかりに柿花さんが言い、胸を張った。しばらく二人でそんな柿花さんを見ていたが、不意に桑慈さんが「そうだな」と呟いてゴソゴソとポケットからスマホを取り出した。
「このメッセージアプリ、ダウンロードしてる?」
「は、はい」
桑慈さんが提示するスマホの画面にあるメッセージアプリは私のスマホにも入っている。
「じゃあ、はい。ともだち登録して」
「え? いいんですか?」
「うん。だってここで何もしないで迷われたら俺の責任だからね」
「そんなことはないとは思いますけど」
「じゃあ、僕もともだち登録する!」
「なんでだよ」
「僕だけ除け者ってなんか嫌じゃん。せっかくだし、ほら」
言われるがまま、二人を友達登録する。新しくメッセージアプリに登録された二人の名前を見て感動した。
「これで友達だね!」
「…………はい!」
このまま友達もできず周りに迷惑ばかりかけてしまうとばかり思っていたからすごく嬉しかった。
桑慈さんも登録を終えたのかスマホをポケットに戻した。
「それじゃあ、気を付けて。連絡をしなくていいことを願ってるけど、迷ったらどうしようもなくなる前に俺でもハナでもどっちでもいいから連絡しろよ」
「はい……」
ありがとうございました、と言いながら二人と別れる。柿花さんの「またね~」という声が聞こえた。
その日、私は迷うことなく無事に帰れたのだが、二人に連絡を取る理由が無くなって残念に思ってしまったのはここだけの秘密である。
お読みいただきありがとうございます。
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