罪の子
教会に飼われ、秘密裏に異端を始末する任を負った暗殺者、聖なる殺人者。
その役目に就いているグロリアとストレイは、ある日の任務で一人の少女を拾う。
その少女――シンは、次の任務に帯同することになり……
深夜。カタリアの町はごく一部の歓楽街を除き、しんと静まりかえっていた。町で一二を争う金持ちのヘンベルグ氏宅も例外ではない。主人から召使いまで皆眠りにつき、暖炉の火さえ眠たげだった。
不意に、その暖炉の前を黒衣の影が横切る。その風体は、明らかにこの家の者ではない。黒い髪に、紺碧の瞳。整った顔をした青年らしいが、その表情はよくわからない。影は暖炉の前からすぐに奥の廊下へ消えた。その奥はこの屋敷の、一人娘が使っている部屋だ。
年頃の娘の部屋である。もちろん鍵ぐらいはかけてあったのだろうが、黒衣の影には関係のないことだったようだ。彼はあっという間に鍵をはずし、部屋の中へ滑り込んだ。
柔らかそうなベッドの上に、月明かりに照らされた白い肢体が横たわっている。髪の色は透き通るような金。はっきり言って、美少女だった。
「眠り姫は回収……か。クレリックは洒落てるつもりなのか?たちの悪い冗談だ」
彼が呟いたところで、少女が目を開いた。美しい紫紺の双眸がぼんやりと彼を見――大きく見開かれた。
「あ、あなた……」
「あー……賢いなお嬢さん。わかってらっしゃるワケね」
黒衣は困ったように少女から一瞬視線を逸らし――すぐに鋭く彼女を見据えた。
「わ、私を殺すの……?」
おびえた目で問う彼女に、黒衣の視線が呆れとも哀れみともつかない緩んだものになった。
「いんや。『粛正』の対象になったのは……君の父親だ。君のことは保護するように、上から指示されてる」
「お、お父様……!」
はじかれたように部屋から駆け出そうとする少女の腕を、黒衣が掴んだ。それをふりほどこうとする少女に、黒衣はかぶりを振って見せた。
「駄目だ。行かない方がいい……君の父親はグロリアの獲物だ。行けば……きっと、君も父親も浮かばれない」
「で、でもお父様が……」
紫紺から涙をあふれさせる少女を見て、黒衣は目を伏せ、小さくため息をついた。
「教会の命令は絶対。君だってわかってるだろ? それにグロリアは……情とか金で動くような、甘い人間じゃねーからな」
「ひ、ひぃ……! お前は……異端殺し(ペイゲンキラー)……わ、ワシは異端者では……」
「言い訳? まったく……全然美しくない。あと、僕はその呼び名が好きじゃないんだ」
黒衣が少女を止めていたその頃、同じ屋敷の二階、主人の部屋。太った男が床に転がり、恐怖に顔をゆがめている。それと対峙していたのは――美しい青年だった。
服装は先ほどの黒衣と同じ、上から下まで黒の衣装だ。しかし、その長い髪は白金で、月明かりにきらめきながら黒にまとわりつくそれは、まるで光の海のようだった。琥珀色をした双眸は、狂気を含んだ笑みをたたえ、足下の男を見下ろしている。左目にはモノクル。そして右手には――銃。
「しかも異端者じゃないなんてさ。嘘をつくのは良くない。しかもすぐばれる、美しくない嘘ならなおさら、ね」
がちゃり、と音を立てて、青年の腕が持ち上げられる。それはぴたりと、男の額を狙っていた。
「わ、私が……何をしたと……」
「とぼけちゃって、しょうがないおじさんだなぁ。言わないと駄目? スマートじゃないなぁ……おじさんの娘。シン・ヘンベルグ。十六歳だっけ……あの子、おじさんの奥さんの子供じゃないよね」
男の肩がびくりと震える。この国の国教では、誰かとの間に正式な婚姻関係がある場合、それ以外の相手との姦淫は異端とされていた。そしてその罪は、過去までさかのぼって裁かれる。
「たしかに、シンが生まれてすぐ奥さんが亡くなってるから、隠せると思うのも無理ないかもねぇ……おじさんみたいな、あまぁい民間人だと。それでもまあ、教会も一応カミサマを崇める場所だからさ。今までは見逃してあげてたんだけど……おじさん、シンにも手を出そうとしてたよね? 確かにあの子はそれだけの美しさを持ってる。だけどね……教会に二度はないよ」
男の顔が狼狽から蒼白になる。それを見て、青年は呆れたように鼻で笑った。
「さあ、最期の瞬間だよ、おじさん。何か言うことは?」
「た……助けてくれ! 金ならいくらでも出す。だから殺さないで……」
男の命乞いを聞き、青年は逆に、男の額に銃口を押し当てた。その目は相変わらず、狂った笑みを湛えている。
「もうぜんっぜん美しくないね。僕が見たいのは、死を前にした人間の覚悟なんだ……興ざめだ。左目を使うまでもない。こういう輩を始末するのは、君の役目だよ、イル。交代だ。冥土のみやげに教えてあげるよ、おじさん。僕はグロリア。美しい世界を祝福する者。そして……」
青年の目が不愉快げにすがめられた。笑みが消え、青年の瞳が狂気を含んだ琥珀色から、憎しみに彩られた緋色へと変わる。
「俺はイル。醜い世界を憎む者。死にやがれ、ゲス豚」
乾いた銃声が響き、青年の足下にはもはや動くことのない「男だったもの」がころがった。それから飛び散った血と脳漿が、鮮やかに混じり合って、毛足の長い絨毯を彩る。
「やれやれ。こんな醜い輩でも、血は美しい……これだから人殺しはやめられないんだ、ねえ、イル」
そう言いながら、青年は頬に飛んだ返り血を舐め、途端顔をしかめた。
「……美しいのは見た目だけだ」
*
「……ご存じ、だったんですね」
あの一件から数日後。カタリアの教会で、少女――シンと、あの夜の黒衣二人が向かい合っていた。礼拝堂に他の人影はなく、ただ聖母だけが静かに三人を見下ろしていた。
「ああ。俺が言うのも何だが、教会の情報力は尋常じゃない。あの男が、君の父親でありながら君をなぶりものにしようとしていたことぐらい、わけなく把握していた」
少女を捕まえた方の黒衣が言うと、もう一人――グロリア・サーベントが後を引き継ぐ。
「あの男は、君のことですでに教会からマークされてたから、余計に、ね。東洋のホトケサマってやつは三回まで罪を許してくれるらしいけど、我らが崇めるカミサマは二回目を許しはしない。君が父親に犯されずに済んだのは、ある意味君が異端の子だったからかもしれな……」
「グロリア。口を慎め」
黒衣がそう言って遮ると、グロリアは大げさに両手を広げ、肩をすくめてかぶりを振って見せた。
「はいはい。全く、相変わらず女性には甘いんだね、ストレイ・S・ブレス殿は」
そう言われて、黒衣――ストレイは不機嫌な顔でグロリアをにらんだ。それを見てグロリアが、おおこわ、と呟く。
「で、お嬢さん。君はこれから、道を選ぶことができるわけだけど……身寄りは?」
ストレイが尋ねたが、シンは暗い顔をしてかぶりを振るだけだった。
「母は……どこにいるのか解りません。生きているのか、死んでいるのかも。父は半ば母から取り上げるようにして、私を手に入れたんです。だから、母方の親戚もわかりません。父方の親戚は、異端者として粛正された父の娘である私を……受け入れてはくれないでしょう」
彼女がそう言うと、グロリアがにやりと笑みを浮かべながら口を開いた。
「それじゃあ、君に残された道は三つ。一つは、僕たちの事を絶対他言しないと誓った上で、一人で生きていくこと。その美貌と若さだ。食べていくのはわけないよ。もう一つは、この教会で修道女になること。カミサマに身も心も捧げることになるから、厳しい道っちゃ厳しい道かな。で、最後は……」
「俺たちと同じ、聖なる殺人者になること……か。グロリア、お前それはないんじゃないか?」
そう言って難しい顔をしたストレイに、グロリアはにこにこと笑顔を崩さないまま言い放った。
「僕たちだって似たような形でこうなったじゃない。もしお嬢さんに父親を憎む気持ちがあるなら、この役につくことは最適じゃないかと思うんだけどね」
「まあ間違っちゃいないけどよ……こんな若い女の子に、人殺しの道具になれっていうのか、お前は」
グロリアはニタ、と笑っていたが、その表情が何の前触れもなく冷えた。目の色があの時と同じように、緋色に変わる。
「憎しみに年齢も性別もない。俺がこの任に着いたのは四年前、十四の時だ。以来ずっと俺は……いや、俺とグロリアは、異端殺しを続けている。ほとんど、例外なく」
様子の変化と発言に、シンが困惑顔でストレイを見た。どうやら何が起こっているのか解らないようだ。ストレイはシンを見て苦笑を返し、すぐにグロリアに目を向けた。
「イル、出てくるならそう言え。こちらさんは慣れてないんだ」
「俺が知るかよ、そんなこと。その辺の社交はグロリアの仕事だ。イル・サーベントは、ただの教会に忠実な異端殺し(ペイゲンキラー)だよ」
そう言って、イルはシンに目を向けた。厳しい表情が一瞬だけ、哀しげに歪む。が、イルはすぐに無表情に戻り、言った。
「グロリア、この子は駄目じゃないか? 全然憎しみを感じない。無垢って言っても良いぐらいだ。あの頃の俺たちとは違……わかったよ。全て仰せのままに」
イルの表情が変わり、瞳は琥珀色に戻る。口元に、先ほどまであった厳しさはなく、代わりにニタニタ笑いが戻ってきた。
「グロリア、説明もなしに交代ってのはどうかと思うぜ。お嬢さんが困ってんじゃねーか」
「あはは……いや、イルがどうしても自分の口から言いたいって言うモンだから。僕は優しい主人格だからね。彼も、僕を消してこの体を乗っ取ろうって気は無いらしいし。ま、そうだよね。イルは明らかに社会不適合者だから。本当は僕の方が狂ってるとしても、ね」
シンはまだ、困惑したまま口を閉ざしている。それに気づいたストレイが、申し訳ないね、と言った。
「こいつは二重人格なんだ。主人格が……」
「美しい世界を祝福する者、琥珀色のグロリア。それが僕。で、さっきまで居たのが、醜い世界を憎む者、緋色のイル。二重人格ってよく、性格が合わなくて憎み合うとか、お互いを消そうとするとかそういう話聞くけどさ。僕らは目的が一致してるから。僕は美しい世界のために、醜いものは極力排除したい。イルはそもそも、醜く歪んだ世界を憎んでいるからね。だから僕たちは、正しく美しい世界を求めて、カタリアの聖なる殺人者を勤めてるってワケ」
詳しく教えてあげるよ、と言って、グロリアは説明を始めた。自らの、職務について。
聖なる殺人者、またの名を、異端殺し(ペイゲンキラー)。グロリアとイル、そしてストレイは、こう呼ばれる職に従事している。主な仕事は異端者の暗殺。教会の秘密組織であり、教会の裏を多少知っている民間人には、「異端殺しの黒衣」として怖れられている存在だ。
カタリアが属す巨大な帝国、ガイアの国教は、へリオン教と呼ばれる。その教義は大変厳しく、異端とされる行為も数多い。
ただ、時代を追うごとに少しずつ、その教義は緩められ、近年ではよっぽどひどい異端でなければ、表だって捕らえられたり、処刑されたりすることは減ってきた。これは教会側の、民意が離れていくことを怖れたが故の策である。
しかし、教会としては異端者を野放しにしておくわけにはいかない。だから教会は裏で、行き場をなくした孤児や訳ありの流れ者を集めて、私設の暗殺集団を作り、各地の教会に配属した。彼らは生活の全てを教会に保障され、さらに幾ばくかの報酬を与えられる代わりに、教会から指定された異端者を秘密裏に「粛正」する。この命令には逆らえない。
「逆らったら……」
「自分が異端者として裁かれることになるな。これは、教会を根底から揺るがすような大失態を犯した時も同様だ。俺たちは教会に飼われてる犬なんだよ。いざとなりゃ、トカゲのしっぽみたいに切られる存在だ」
そう言ったストレイの目は、あきらめを含んで遠い場所をにらんでいた。グロリアは相変わらず、ニヤニヤ笑ったままだ。どうやらこの笑顔が標準らしい。
「でもまあ……生活はできてるし、文句は言わない。結局俺たちみたいな輩は、どこに属したってやることは一緒だし、たどる運命もそんなに変わらない。なら……」
「寄らば大樹の陰、ってやつだね。教会は力がある。僕たちはしくじらない限り、生活していけるって寸法さ。まあ、僕とイルの場合は、非常に個人的で崇高な目的があるわけだけどね」
グロリアがそう言ってけたけたと笑った時だった。奥の扉が開き、女性が一人現れた。彼女は修道服に身を包み、背筋を凛と伸ばして二人に近寄ってきた。
「クレリック……何か用事ですか」
「二人に、新たな異端狩りの仕事です。今度はヘンベルグのような小物ではありません。一級異端者です」
突然現れた修道女――クレリックの言葉に、グロリアがひゅう、と口笛を吹いた。これは彼なりの、おもしろくなってきた、の合図だ。
「しかしクレリック……なぜ一級異端を秘密裏に殺す必要が? 一級なら捕まえて火あぶりにでもすればいいでしょう」
ストレイが怪訝な顔つきでそう言うと、クレリックはふう、とため息をついた。
「捕まらないのです……相手は証拠が残らないように動いています。近頃、カタリアで起こっている少年少女の失踪事件はご存じですか?」
クレリックの問いに、ストレイはかぶりを振った。シンももちろん動かない。ただ、グロリアだけが琥珀色の目を細めた。
「知ってます。町の人たちが噂してました。なんでも、身寄りのない子や貧乏な家の子ばかり居なくなるとか」
クレリックは頷いた。そして、一枚の紙切れを取り出す。そこには似顔絵が描かれていた。
「この人……!」
「そうね、シン。あなたなら知っているでしょう。ヘンベルグと並ぶこの町の大富豪、クレジィ・カニバル。彼が今回の標的です。罪状は一級異端、少年少女の誘拐と買収、強姦と殺害、そして……食人行為です」
ストレイの表情が一気に厳しくなった。グロリアも不機嫌に顔をしかめている。シンはその恐ろしい事実に呆然としていた。そんな三人の様子を見、クレリックは一つため息をついてから口を開いた。
「彼は町の孤児をさらう、もしくは貧乏な家に多額のお金を渡して子供を引き取り、さんざんいたぶった後……殺して食べる行為に及んでいます。教会の『使徒』の調べですから間違いありません。ただ彼は、身寄りのない子供や、大金を前にすれば子供を売らざるを得ない家庭の子供を狙って行為に及んでいますので……足がつかないのです。彼はあくまで、平穏な金持ちの仮面を崩しません。ですから、教会でも一級異端としてあげることができないのです。ストレイ、グロリア、やってもらえますね」
ストレイとグロリアが、ほぼ同時に頷いた。シンは困ったような顔をしたまま沈黙している。
「子供を殺して食べる……人のやる事じゃないね。全く美しくない。憎むべき穢れだ。そうだよね、イル」
「……気にいらねえな。俺は、弱者を蹂躙する輩が一番嫌いだ」
二人が一気に好戦的な態度になったところで、クレリックがシンに目を向けた。
「どうしますか、シン。あなたは選ぶことができる。グロリアが言ったとおり、三つの道を」
シンはおろおろと視線を泳がせた後、うつむいてしまった。そこへ、グロリアが口を挟む。
「ねえクレリック、彼女も迷ってるみたいだしさ、こういうのはどうかな? 今回だけ、特別に任務に彼女を同行させる。で、その上でどうするかを彼女自身が決める。いわばお試しってわけ。もちろん、危険が及ばないように守るよ。主にストレイが」
お前勝手なことを、とストレイが言う前に、シンが顔を上げた。
「あの……そうさせてもらっても……かまわないですか?」
「私はかまいませんが……いいのですか、シン。今回の異端狩りは、おそらくあなたを傷付けることになる」
シンは静かに微笑んだ。それは、彼女がここに来てから初めて見せた笑みだった。
「大丈夫です。覚悟は……しています。解った上で考えたいんです。自分が、どう生きるべきなのかを」
*
「なあ、グロリア」
「なあに、ストレイ」
カニバルの屋敷からほど近い茂みの中――カニバルの屋敷は町はずれの丘の上に建っている――グロリアとストレイ、そしてシンは、隠れて様子をうかがっていた。グロリアの手にはライフル、ストレイのベルトには無数の改造ダガー――柄の先が輪になっており、指で引っかけて取り出せるようになっている――と、両腰にはそれよりも少し大振りなナイフが下げられている。茂みの中は湿っていて虫が多く、グロリアはさっきからずっと不機嫌そうだ。もっとも、顔に張り付いた笑顔は全く動かないのだが。
「俺、この前いいとこほとんど全部お前に譲ったよな? 姫回収は俺、殺しは全部お前」
「手を汚さなくて済んだ分、感謝してもらいたいね」
グロリアはあくまで笑顔を崩さない。そのにこにこ笑いに拳を叩き込みたい気持ちを抑えつけて、ストレイも笑顔を返す。
「じゃあさあ、今回は俺が手を汚してやるから、お前が姫の護衛を……」
「じゃあストレイ、君はここから、クレジィを狙い撃てるワケ?」
ストレイが舌打ちをして黙り込む。こうなってしまうと逆らうことはできない。
「あの……」
「ん? どうした、お嬢さん」
「ここから、カニバルさんを……?」
首を傾げるシンに、ストレイがああそれね、という笑みを見せた。
「こいつ、モノクル付けてるだろ。普通モノクルを付けてる人間ってのは、かっこつけたいか、片目だけ視力が悪いかのどっちかだ。でも、こいつは違う」
そう言われてグロリアが振り返り、そこから先は自分が、とでも言うように、ストレイに右手をかざした。
「僕の右目の視力は一と半分。まあ普通レベルだよね。でも左目は……六。四倍あるんだよね、左の方が。だから普段は、こいつでわざと視力を落としてるの。さすがに四倍も違うと生活できないし、かといって片方を四倍も矯正したらレンズの厚さも僕の頭痛も尋常じゃない感じになっちゃうし」
でもまあ、今回もこいつの出番はなさそうだね、と、グロリアはつまらなさそうにそう言った。そして、まるで興味を無くしたおもちゃを捨てるように、ライフルを足下へ放った。
「今の状態で見たって明らかだ。窓が半分以上磨りガラスになってて中が見えない。おまけに今夜は月が明るすぎて、他の窓も反射しちゃって中が見えない。こりゃ、いくら僕の視力が良くたってお手上げだよ。こっちに切り替えだ」
彼はそう言って、懐から先日使ったのと同じ短銃を取り出し、茂みの中で立ち上がった。
「ならさあグロリア、今回は俺が……」
「いーやーだ。おもりはストレイの方が向いてるよ。僕の場合、いつイルと交代してもおかしくないからね。イルは護衛には向かない。もちろん僕もだ。ストレイはお嬢さんの護衛。僕がクレジィを殺す。それが適材適所ってもんだよ。なんなら、ここで待ってる?」
グロリアの問いにストレイはかぶりを振りかけて――シンを振り返った。はたして、シンを戦場に連れて行くべきなのか――ストレイの視線だけの問いに、シンは頷いた。
「行きます。いえ……行かせてください」
そう言った彼女の目は、意志に満ちていた。彼女には確かめなければならないことがあった。自分がどう生きるべきか。そして――もう一つだけ、この二人にも言っていないことを。
*
「それじゃあ、二人はここで待ってると良いよ。僕が全部片づけてきてあげるから。偉そうにお試しとか言ったけど、たいした仕事じゃなかったなぁ……相手がちょっと大物なだけでさ」
愛用の短銃を無造作にポケットにつっこみながら、グロリアはそう言った。二人には、玄関の角、召使い部屋で隠れていて貰う手はずになっている。この日に限って、なぜか召使いは一人も居なかった。
じゃあね、と二人に手を振り、召使い部屋を出る。それと同時に、ストレイが内側から鍵をかけた音が聞こえた。これで、もしここがばれても、鍵で多少の時間が稼げる。召使い部屋には勝手口があり、もしもの時はシンがそこから逃げる予定だ。ストレイは残って戦う。まあ、たかが田舎の富豪ごときが雇えるガードマンや傭兵には限りがあるだろうし、なんだかんだ言いつつも、ストレイは戦闘のプロだ。それは、ここ三年間ずっと、ストレイがグロリアのパートナーを勤めていることで証明されている。
暗い廊下を、底の分厚いブーツで踏みしめながら、グロリアはストレイと出会った日のことを思い出していた。三年前の春。グロリアが四人目のパートナーに死なれた、その二ヶ月後の事だった。
この仕事は、はっきり言って過酷だ。聖なる殺人者は基本的に二人一組のチームで動くが、このチームが長期間、固定されていることは滅多にない。大抵、任務をこなすうちにどちらかが死んでしまうか、異端者を殺すことや異端者たちの行為に耐えきれず、心を病んで自らが異端者と成り下がるか。グロリアが死なず狂わずに異端者を殺し続けられたのは、その卓越した戦闘能力と、イルと二人で崇高な目的を成し遂げるというその意思があったからだった。
しかし、三年で四人は多すぎた。いつしか、グロリアにはありがたくないあだ名が付いた。銀色のヴァンプ。異端者だけでなく、パートナーまで食い尽くす、白金の吸血鬼。四人目に死なれた時点で、もうパートナーはつかないだろうと思っていた。それでも良かった。グロリアには、異端者を殺すほかに、道がなかった。
『いいの? 僕はグロリア・サーベント。またの名を……』
『知ってるよ。銀色のヴァンプ。パートナーを食う、吸血鬼』
『なら……』
ストレイはぐしゃぐしゃとグロリアの頭を撫で、そして右手を差し出し、言った。
『俺は死なねーよ。安心しろ、グロリア』
最初に手を取ったとき、涙が出そうになったことを、グロリアは秘密にしている。誰にも言わなかったが、パートナーを失うことで一番傷ついていたのは、グロリア自身だったのだ。仲間を失うのは、もう嫌だった。
かくして、そのときの約束は、今をもって守り続けられている。だからこそ、グロリアはストレイを誰よりも信用していた。
そんなことをぼんやりと思い出していた時だ。背後から爆発音がした。それは明らかに、召使い部屋の方から響いてきた。
「まさか……ハメられた!」
グロリアがきびすを返した瞬間、いくつもの影が彼を囲んだ。
「へえ……この僕をハメた上に……足止めしようってつもりなんだ……どうなってもしらねぇぞ。俺は……イラついてんだ!」
短銃から一発目を放ったグロリアの瞳は、すでに緋へとその色を変えていた。
*
爆発音の数分前。ストレイとシンは、召使い部屋で様子をうかがっていた。その時点で、屋敷の中に音はない。あえて言うならば、グロリアのブーツが立てるこつこつという足音以外なにも聞こえない。その音もごくかすかなものであり、とりたてて気にするようなことは何もなかった。
「あの……ブレス、さん」
「何でセカンドネーム? 別にストレイでかまわないよ」
どうやら何も起こらないと踏んだストレイは、シンの問いかけにごく普通の様子で答えた。
「じゃあ……ストレイさんは、どうして聖なる殺人者に?」
「お、それ聞いちゃう?」
「い、いえ……別に、言いたくなければかまわないんです。ただ私自身、これから自分がどうしたらいいのか……迷っていて」
参考にしたいということだろう。別に、話して減る過去でもない。ついでに言えば、グロリアのそれほどハードでもない。ただ――この無垢な少女の参考になるほど、お綺麗な過去でもない、とストレイは思った。
「俺の父親は傭兵だった。とある傭兵組織に属してて、大道芸人みたいに旅をしながら、いろんな国に雇われて戦ってた。母親は、その組織付きの娼婦。で、生まれたのが俺。物心ついたころから武器と火器に囲まれて暮らしてた。親父もお袋も、なんだかんだ言いながら、俺を可愛がって育ててくれたよ。でも……傭兵の最後なんざ、たかが知れてんのさ」
「たかが……?」
「親父の属してる傭兵組織が、以前に仕事で滅ぼした国の残党の報復攻撃に遭った。俺はそんとき十六で、一緒に戦ったけど……組織は壊滅。親父は死んで、お袋はそいつらに連れていかれて行方が解らなくなった。残された俺たち傭兵の孤児を拾ったのが……教会だった。教会は、俺たちの才能を見込んで、聖職者の道を選ぶか、こっちに来るか選択を迫った。俺は……こっちを選んだ」
今更、神など信じられるはずがなかった。神がいるなら、なぜ父は死んだ、なぜ母はいなくなった、なぜ仲間たちは殺された、なぜ――しかし、ストレイには教会に助けられる他、道が無かった。だからこそ、傭兵だった父と同じように――雇われて人を殺す道を選んだ。
「それからもう六年になるな……お嬢さん」
ストレイが言うと、シンが真っ直ぐ、その目を見返してきた。紫紺の双眸。無垢な瞳。悲しくなった。
「君に信じるものがあるなら……信じられる神がいるなら、こっちに来るべきじゃない。ここは信じられる神を失った、昏い聖職者たちの居場所だ。俺にも……グロリアにも、神はいない。だから殺せる。だから……」
そのときだ。爆発音が響き、召使い部屋のドアが、外側から吹っ飛んだ。ストレイはとっさにシンをかばい、床に転がった。飛び散った木くずがいくらか背に当たったが、そんなのはどうでも良いことだった。すぐさま起きあがって振り返り、敵を目視する。相手は三人。全員火器を所持している。
「逃げろ、シン! 走れ!」
走り出したシンに一人が反応し、引き金を引こうとしたその瞬間、ストレイは腰に付けているダガーを指で引っかけ、すぐさま投げつけた。ダガーは男の胸を貫き、彼はそのまま仰向けに倒れた。生命を失った指が小さく痙攣し、鉛の玉が天井を撃ち抜く。それを見て、残りの二人がストレイの方へ向いた。
「そうだ……お前らの相手は、俺だ!」
*
シンはかけていた。その屋敷の広大な庭を。たくさんの木が植えられたそこは、もはや庭と言うよりも屋敷付きの森だった。下草に足を取られ、転びそうになりながらも、シンは足を止めなかった。せっかく逃がしてくれたストレイのためにも、死ぬわけにはいかない。捕まるわけにはいかない。それでも――シンには確かめたいことがあった。それが心に引っかかってはいたが、ともかく今は、逃げなければ――
がつ、と何かが足を捕らえた。悲鳴を上げる間もなく、体が傾ぎ、地面へ投げ出される。ずざあ、と、シンは湿った地面に転がった。金髪がふわりと、地面を覆う。痛い。足をひねったかもしれない。それでも今は、立ち上がらなければ――地面に手をつき、顔を上げて――シンは言葉を失った。
目の前に人の顔があった。栗色の髪をした少年の顔だ。年の頃はおそらく、シンより少し年下。目は伏せられており、色白なその少年はまるで眠っているようだった。しかし――その少年の首の下にあったのは、森の黒い土だった。彼の背後にある白樺が、どす黒い血の色に染まっている。首だ。これは、少年の首だ―――!
全身が粟立つ感覚に身震いしながら、シンははっとして振り返った。自分が蹴躓いたものの正体、それは――やはりシンの思った通りだった。
地面から、たおやかな足が生えていた。成熟しきっていない少年の、生白く、細い足。それだけではない。その向こうには、同じ人間の――首の少年のものと思われる手が、生えていた。
「―――ッ!」
声にならない悲鳴がほとばしる。人体への、想像もつかないような、おぞましい冒涜。涙さえ出ない。ただただ、嫌悪感と恐怖だけが、胸を掴む。
「……おや、ヘンベルグの娘じゃないか……なんてなぁ。来ると思ってたんだよ。君はここへ、ね。自らを知るために。だから罠をはったのさ……私は出し抜いたんだ! あの教会の犬どもを! 血に飢えた異端殺しどもをなぁ!」
声がした。シンは息を呑んで立ち上がる。そこには、ストレイとグロリアが今回の標的としている――クレジィ・カニバルその人が立っていた。クレジィはニタニタと笑いながら、シンを見ている。
「か、カニバルさん……なんでこんなこと……」
「なんで? もちろん、楽しいからに決まってるじゃないか。若いというのは良いことだよ。何をしても美しいし……とても、濃厚だ」
少年を見つけたとき以上の悪寒が、全身を駆け抜けた。目の前の男は――壊れている。完全に。
「この子は、この森が好きだと言ったからねぇ……この森の一部にしてあげたんだ。どうだね。美しいだろう」
「う……美しくなんか……こ、これは、冒涜……」
「黙れ小娘えぇッ!」
男の目が歪んだ。足がすくむ。シンはその場に縫い止められたように、動けなくなった。
「私はねぇ……君が欲しかったのだよ、ヘンベルグの娘。いや、この言い方は正しくないか?」
男の口から、シンが知りたかったことが語られようとしている。シンは震える足を、どうにかその場でとどめた。
「どういう……こと」
「やはり知らぬか……教会の調べというのも杜撰なものだ……シン・ヘンベルグ。お前はあの汚らしいヘンベルグの娘ではない。ヘンベルグが姦淫の異端を犯していたのは事実だがなぁ……ククク」
そう言いながら、クレジィはシンへと近づいてくる。一歩、また一歩。ねたり、ねたりと歩が進められる。
「ヘンベルグは卑しい男だった。しかし、話のわかる男でもあった……」
後ずさるシンの肩を、クレジィの手が掴む。クレジィはそのままシンを突き飛ばし、馬乗りになった。
「いやあっ!」
「そうだ! その悲鳴だ! 若い啼き声だ! あははは! ヘンベルグは死んでなお約束を守ってくれたぞ!」
クレジィがシンの服に手をかける。両腕に力を込め、その胸元を左右に裂こうとして――ふと、動きを止め、シンに顔を寄せてきた。
「私は、少女の絶望が好きでねぇ……教えてあげよう。ヘンベルグは最初から、君を手込めにするつもりで引き取った。町の娼婦からなぁ……そして、こうも言っていたよ……飽きたら、私に譲ってくれると、ね」
それはまさに、絶望だった。自分を手込めにしたがっているそぶりが見えても、信じたかった。父と慕った人を。でもその希望は無惨にうち砕かれた。やはりあの男は、父ではなかった。自分を屠る、獣だった。目からはただ、涙がだらだらと流れ落ちる。やはり自分は、自分は――
「ふふふ……いい……その表情だよ、私が欲しかったのは……美しき少女の絶望。なんてすばらしい! さて、ではまず君の乙女を……があっ!」
一発の銃声と、クレジィの悲鳴はほぼ同時だった。クレジィの肩から飛び散ったなま温かい血が、シンの頬を汚す。肩を撃ち抜かれたクレジィはシンの上から転げ落ち、地面をのたうち回った。
「何をしようとしていたのかな……このウジ虫」
シンは体を起こした。そこに立っていたのは――グロリアだった。右手には銃。辺りに、硝煙の匂いが蔓延する。
そんな中、グロリアが歩きだした。月を背に、その白金を輝かせながら。その姿は彼自身の黒衣と相まって、美しい堕天使を思わせた。
グロリアはのたうち回るクレジィのそばまでやってくると、先ほど自らで穴を開けたクレジィの肩を――分厚いブーツで、思いっきり踏みつけた。
「あがああ!」
クレジィが獣の咆哮にも似た声を上げる。ばたばたと転げ回る彼を一発蹴り飛ばしてから、グロリアはシンを振り返った。
「グ、グロリア……さん」
グロリアは笑っていた。しかしその目からは、止めどなく涙があふれ出している。そしてその目は、シンが見たグロリアでも、イルでもなく――右が琥珀、左が緋の、オッドアイ。
「さあ、お嬢さん、お逃げなさい。ここからは……君が見るような、美しい光景じゃないよ。屋敷のどこかにストレイがいるから……彼と一緒に、教会へ帰るといい。安心して。もう多分、屋敷の中に生きてるものはストレイしかいないから」
シンは萎えそうになる足を奮い立たせ、立ち上がりそして――走り出した。
*
ストレイは走っていた。少し手傷を負ったものの、なんなく先ほどの二人を倒し、屋敷の中にいるであろう、新手を探して。途中、頭を撃ち抜かれた死体を三つ見つけたが、他に人影はなかった。新手はいない。そして、グロリアも。ついでに言うならば、標的も見つからない。
「まさか……!」
ストレイはきびすを返した。シンは美しい少女だ。そして、クレジィと顔見知りだった。まさかクレジィは、教会に保護されたシンがここへ来ると踏んで――?
そのときだ。ストレイの体に、突進するように走ってきた誰かがぶつかった。
「うおおっ!」
その誰かを受け止めながら、ストレイは後ろへひっくり返った。新手の敵だったらまずい、この体勢では――
「ストレイさんッ!」
「お、お嬢さん?」
ストレイが受け止めたのは、走ってきたシンだった。屋敷の外へ逃げたわけではなかったようだ。
「お嬢さん、どうした? 大丈夫か?」
「わ、私は……でも、グロリアさんが……!」
そこでストレイは、シンから事情を聞いた。クレジィに襲われたこと。グロリアがクレジィを撃ち、おまけに傷を踏みつけたこと。涙を流すその目が、オッドアイだったこと。
「まずい……お嬢さん、ここにいてくれ。もうこの屋敷に生きてる敵はいない。外からの援護は教会が絶ってくれてるはずだから……」
「ストレイさん、グロリアさんに、何が……」
シンの不安げな目を見て、ストレイは立ち止まった。おそらくグロリアとクレジィは、ちょっと洒落にならないことになっているだろうが、正直なところ、シンを襲い、ここまで憔悴させたクレジィに、同情の余地はない。もはやグロリアを止めることが出来ないとすれば――この少女に、事情を告げる程度の時間は許されるだろう。
「お嬢さんは知らねぇと思うけど……グロリアが一番怖いのはイルに交代したときじゃない。グロリア自身が誰かを憎んだ時なんだ」
「で、でもグロリアさんは……確かに、口は良くなかったけれど、教会でも、私にやさしく……」
「それは君が美しいからだ。もちろん見た目だけじゃない。心の問題だろうな……グロリアはクレジィみたいなゲスじゃねえ。普段はむしろ、俺なんかよりずっと紳士なぐらいだ。でもな……グロリアは、憎しみってその一点において、完全に壊れてる。もともと、イルが生まれたのも憎しみ故だ。だけどイルの憎しみは、正常な人間のそれなんだよ」
そして、正常な憎しみの範囲内で相手を殺し、自分を保つ――それが、グロリアが二重人格になった理由だ。
「だから……今回みたいに、グロリアが誰かを憎んだときが一番やべえんだよ。相手も、グロリアもな……標的は死ぬよりひどい目に遭わされる。あいつは……過去を繰り返す」
走り出そうとするストレイの後ろから、シンの呆然とした声が聞こえた。
「な、なんで……私の……ために……?」
「……あいつの、トラウマなんだ。自分がそうやって苦しんできたから……救われなかったから。だから君を助けたんだ」
それだけ言い残して、ストレイは走り出した。思い出したのは六年前、聖なる殺人者として初めての任務で、異端行為を繰り返していた山賊組織を壊滅させたときのことだ。一番奥の部屋で見つけた、オッドアイの少年。怯えた瞳。白い貌。美しい少年は絶望していた。自分を今まで蹂躙してきた、運命に。
『もう、大丈夫だ』
そう言った時、彼の流した涙。その瞬間から、決まっていたのかも知れない。自分が救わなければいけない、迷える子羊は。
*
「次は右足首……これで手足は全部かなぁ」
「ぎゃあ」
涙が止まり、表情を無くしたグロリアが引き金を引く。無慈悲な銃声とともに、クレジィの右足首が破壊される。もはや彼の手足は、人が持ちうる正常な形を保っていなかった。無理もない。クレジィは両腕と両足の関節を全て撃ち抜かれていた。
醜い。憎らしい。それに――怖い。だから許さない。この悪の具現を、絶対に。簡単に殺してなどやらない。苦しんでのたうち回って、そして――絶望で心を埋め尽くされて、狂って死ね。
繰り返されるのは過去の映像だ。グロリアはジプシーだった。旅芸人の一行の中で、その美貌を買われ、踊り子を勤めていた。裕福ではなかったし、差別を受けることもあったが、楽しかった。幸せだった。しかしその日々は、為すすべもなく刈り取られる。異端者によって、目の前で両親と仲間を殺された。彼らの目的は殺人と金品だったが、グロリアを見て目の色を変えた。自分だけが生き残り、そして――グロリアは彼らに、手込めにされた。今の自分と同じ、聖なる殺人者が彼らを殺すまで、なぶられ、人として最悪の冒涜を受けて生きた。怖かった。つらかった。悲しかった。苦しかった。憎かった。憎かった。憎くて憎くて、たまらなかった。殺してやりたかった。こんな風に歪んだ世界が、憎い――! その気持ちが、イルを生んだ。グロリアの心にに入りきらなかった憎しみを、イルは背負って生まれてきた。憎しみを外へ還元し、実行するための人格。しかし本物の、壊れて歪んだ憎しみは、どろどろに溶けてグロリアの心と癒着した。だから、引き離せなかった。自分さえも燃やし尽くすような、憎しみを――
「さあてと、次はどうしようか。耳をとばしてあげようかな。それとも、目とか撃ち抜くのがいい? あ、でもそれじゃ頭狙うことになるから死んじゃうかもね……」
「ひ……は……もう……死なせて……」
クレジィが濁った目をグロリアに向け、懇願する。もはや意識さえ朦朧としてきているようだ。そんな彼に向かって、グロリアはほほえみかけた。
「それは無理な注文だなぁ……お前には、シンの分も、今までああやって犯されて殺されてきた仲間たちの分も、十分に苦しんで貰わないといけないからね……まだ死んじゃだーめ」
グロリアの唇に、歪んだ笑みが張り付く。遊び足りないおもちゃを弄ぶように、彼はつま先でクレジィの右腕を蹴り飛ばした。クレジィが悲鳴を上げ、意識を覚醒させる。
「でもまあ、殺さずに撃てるところも減ってきちゃったな……どうしよっか……ね? 聞いてる? そう……聞いてないなら、それは必要ないよね」
乾いた銃声。クレジィの片方の耳が、飛んだ。クレジィの口からは、もはや悲鳴とも言えないような音しか出てこない。
「さあ、次はもう片方を……いただこうかな」
銃声はどこまでも無慈悲に、人体を破壊していく。無骨な鉄の兵器。繰り返される記憶。目の前で、人としての尊厳を奪われ、壊されていった母。父。仲間達。広がるのは血の海と、命だったはずの欠片。そんな冒涜が許されるなら、神などこの世界にはいない。ならば――自らが裁く。居ない神が裁かない罪人を、自らの手で。同じ目に遭わせてやる。同じ苦しみを、味わえばいい。
「さてと。次はどこがいい? 目? まだ殺しはしないよ。ぼくは……」
そのときだった。ひゅ、と音がして、グロリアの横を何かが通った。続いて、肉を裂く嫌な音。グロリアの目の前で、クレジィの喉にダガーが突き刺さり、血を噴いた。
「あ……」
元々両手足からの出血がひどかったため、血はそうたくさんは出なかったが――クレジィは、びくびくと痙攣しながら、絶命した。
その血を浴びたまま、グロリアが振り返った。その目は琥珀色に戻っていたが、感情の一切が感じられない。
「グロリア……」
「スト……レイ? 僕は……」
グロリアは首を傾げ、そして足下に目をやって――息を呑んだ。
体が震え出す。喉が引きつって、息ができない。怖い。ぐちゃぐちゃにつぶれた死体。人間としての尊厳を、奪われ冒涜された人体。囲まれて、震えていた自分。異端者たちの野卑な瞳。やめてくれ、それは、僕の――
これは記憶ではない。目の前にある現実は、グロリアの暴走を、他の誰でもない、グロリア自身の前にさらけ出していた。
「また、僕は……僕は……」
力無くその場に崩れ落ちそうになるグロリアを、ストレイが受け止める。細い肩は震え、さっきまでの狂気はもう、その目にはない。そこにいるのは、泣きじゃくり、怯え続ける――少年。
『あなたは……ぼくを、すくってくれるの?』
少年の瞳。それは、まるで神を見るような――
「グロリア……すまん。俺はまた……」
その腕の中にグロリアを抱きながら、ストレイが口にしたのは――謝罪だった。
*
「申し訳ないことをしましたね、ストレイ」
「……クレリック、あんた解ってただろ。懺悔ならグロリアにしてくれ」
クレジィの一件から数日。ストレイは、クレリックの部屋を訪れていた。
あれ以来、徐々に回復してきてはいるものの、グロリアのダメージは大きく、しばらく教会を出ない日が続いていた。今は礼拝堂で、一人本でも読んでいるはずだ。シンはあの日以来、少し考えると言って教会を出たまま、戻っていない。
「教会の情報収集力をもってすれば、お嬢さんがヘンベルグの娘でないことも、カニバルがお嬢さんを狙ってたことも解ってたはずだ。ああいう展開になることも読めてたはず……他人の傷をえぐって何が楽しい」
「……本当に、申し訳なかったと思っています。ただ私は、あの男には天の裁きが必要だと思った。とても、残酷な」
クレリックの言葉を聞いて、ストレイは大きく舌打ちした。だからグロリアを利用したというのか。それが、聖職者の行為だとでも言うのだろうか。ふざけるな。
グロリアの心は、憎しみで壊れ、歪んでいた。普段は彼自身の自制心によって、それは隠されている。いざとなればイルとの交代を行い、相手を粛正することでその憎しみの開放を防いでいる。しかし彼の場合、昔の自分と重なるものを見たとき、それがトリガーとなってイルと同調、人格が統合されてしまう。憎しみはふくれあがり、彼は過去を繰り返す――つまり、過去に自分の目の前で繰り広げられたのと、同じ行為に及ぶのだ。相手を生かしたままでの、絶望的な人体の破壊。
「グロリアは……また傷を深くした」
「それを癒すために、あなたというパートナーがいるのです、ストレイ」
うるせえ、と怒鳴る代わりに、ストレイは机に拳をたたきつけて、クレリックの部屋を出た。解っている。彼女に当たったところでどうしようもないことぐらい。
礼拝堂に戻ると、やはりそこで本を読んでいたグロリアが顔を上げた。
「あら、ストレイ、どうしたの? クレリックと密会? あの人、立場を利用してストレイに手ぇ出すとか相当……」
「馬鹿。そんなんじゃねーよ」
「……わかってるよ。ありがとうストレイ」
グロリアは徐々に元の調子に戻りつつあったが、まだその笑顔にはかげりがある。
「礼なんかいらねーよ。俺は俺が気に入らないから、クレリックに文句を……」
「グロリアさん、ストレイさん!」
礼拝堂の扉がめいっぱい開けられた。そこに立つ人影を見て、グロリアとストレイの動きが止まる。
「ちょ……お嬢さん、その髪……!」
そこにいたのはシンだった。今まで長く伸ばされていた金髪が、肩までで短く切られている。紫紺の瞳は、決意に満ちて二人を見ていた。
「私……決めました。私は……聖なる殺人者になります」
彼女は礼拝堂に足を踏み入れ、二人の近くにすとんと腰を下ろした。
「お嬢さん……それでいいのか?」
ストレイが尋ねると、シンは確かに、頷いた。
「ストレイさん、言いましたよね。信じるべき神がいるなら、こちらに来るべきではないと。だから私、考えました……でももう、信じるべき神はどこにも居なかった。あの夜に……神様は死んだんです」
シン――罪の子の名を背負った娘は、二人を見据えた。その目に、涙をためて。
「だから私は……」
「もういいよ、お嬢さん。なら祝福しよう、この名の下に」
迷い込んだ羊の、悲しくつらい道のり。それでも、祝福を。ストレイ・シープ・ブレス――迷える子羊に、祝福を。
「じゃあまあ、がんばってね。次会うときがいつになるかは知らないけど……僕らはちゃんと生きてるから。次に協力するときも、大船に乗ったつもりでいてよ。ちゃんと守るから。主にストレイが」
「ちょ、グロリア、お前はまた勝手なことを……!」
果てない血の道に、栄光などない。あるのは憎しみばかりだ。それでも彼らは――歩みを止めることなど、ないだろう。その道の先に、神など、存在しなくても。
終
私こんなのも書けたんだね! もう設定を八割ぐらい忘れてる気がしますが……
当時何にハマっていたかが如実に解るんですけど、グロリアが気に入りすぎたしストレイもうわーいいなーってなったし、続き書こうと思いますハイ。
もうあれかな、多分十年近く前の作品……でも時を超えて萌えられるなんてさすが私(自画自賛