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天恵 〜自由への黙示録〜  作者: 吾田文弱
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9. 談じるはぐれ者


「突然! 前方から、台風が来たのかと思うくらいの突風が吹きこんできたんだよ! 忘れもしないさ……その風こそが……僕の身体を制服ごとズタズタに引き裂いたのさ!」


「………………は?」


――え? 何だって? 


 黙って聞こうと言った傍からなんだが、これは流石に声を出して困惑せずにはいられなかった。


 ——『風』? 自然的にも人為的にも起こすことの出来るあの『風』のことか? 


 風などによって皮膚が切れるという、かまいたち現象というのを聞いた事があるが、コイツの身体の状態は明らかにそれによるものではなかった。それが台風並みの突風であったとしても、あそこまで血をダラダラに流すほどの傷がつくのはどう考えてもおかしい。


「おいおいおい、さっき現実的に話すって言ったそばから滅茶苦茶な超現実的な話してんじゃねぇよ! お前ちょっと風力の事を買い被り過ぎじゃねぇのか?」


「やっぱりね……。だから話したくなかったんだよ。信じてくれないから」


「いやいやいや! そりゃいくら何でも突拍子過ぎんだろ? 俺も多少は心構えをしていたつもりだったが、まさかお前をそんな満身創痍にしたのが人間でも動物でもなく自然現象だって? そんな馬鹿な話を信じろって方が難しいだろ」


「……そうだよね。自分でも馬鹿な話だとは解っていたよ。けれど、言わせてもらうけれどね、僕はあの時起こった事は今でも鮮明に憶えているよ。嘘なんかついちゃいない」


 と、賽子は先程までの穏やかだった表情を険しく一変させながらそう言ってきた。


 そんな顔を向けられたところで、俺は一体どういう反応をしてやればいいんだよ。さっきも言ったが俺は人の心を読む事なんて出来ん、だからコイツが嘘を吐いているかどうかなんて解りゃしねぇ。

 だがコイツの話を鵜呑みにする訳にもいかん。何故なら俺にはまだ、コイツの言い分が正しくないという証拠があるからだ。このだ


「実はな賽子。お前の話を信じることが出来ねぇ訳がもう一つあるんだよ」


「…………何だい?」


「お前、あの道を通り切る前に突風が前方から襲ってきたって言ったよな? 実はその突風――俺もあの道を通っていた途中で受けたかもしれないんだ」


「え! 本当かい⁉」


「ああ、ドえらい勢いのある突風だったんで倒れそうになっちまったんだが……もし仮にだぞ? 仮に俺の受けたあの風がお前の受けた風と同じものだったとしようか? だったら何で俺は平気でお前は傷だらけなんだ?」


「え……、そ、それは……」


 俺の意見を聞き賽子は明らかに言葉を詰まらせた。別に追い詰めるつもりで意見した訳じゃなかったんだが、俺が体験したこの紛れもない事実がある以上は言わざるを得なかったんだ。


 拳銃で放った銃弾(に限った話ではない)が、飛距離をのばす毎に空気抵抗により速度が落ちていくという原理があり、仮に風という自然現象もその法則に則って、賽子が受けた時の風が人体を切り裂く程の威力があり、俺が受けた時の風が失速しており、人体をのけ反らせる程度の威力しかなかったとしてもだ――有り得ない。


 アイツが倒れていた――即ち賽子があの突風を受けた位置と、俺が突風を受けた位置を思い返すと、それ程離れていなかったと思う。精々五十メートルくらいか。

 その程度の距離差で風が失速するとは思えない。あの時受けた風速がそう物語っていた。


 などという、俺としては珍しく中々筋の通った持論を頭の中で展開させ、それを賽子に語ってやった訳だが、それでも賽子は食い下がってきた。


「それはおかしいよ。そんなに距離が離れていなかったという事は、風速には何の変化も無く君に当たった事になる。だったら君も傷だらけの筈じゃないか」


「それが付いていなんだっつの」


「そこなんだよねぇ不思議なのは。君と僕は同じ人間、自然治癒力も同じはずなんだけどねぇ……」


 と、今度は俺の身体の不思議について疑問を持ち始めてしまった。まるで俺を世界びっくり人間だとでも言いたそうに、ヒジキみてぇに細い目つきで俺を凝視する。


 そんな相変わらず開いているのか開いていないのか解らねぇ目で睨むように凝視されたところで俺は無傷で、お前は満身創痍――それはこの場に居る全員が解っている事だ。


 一旦食い下がっては来たものの、結局はまたその謎に行き渡るのが関の山だ。つーか、食い下がられたところで、ただの負け惜しみにしか感じられん。


「ああ! もういくら考えたところで答えなんて出やしねぇよ! いいじゃねぇかよ、生きてたんだから。路上で倒れてるお前見た時、ありゃ死んでてもおかしくないと思ったくらいだ」


「まあ、命あっての物種って言うしね……だけどねぇ――」


 と俺が強引に水掛け論を終わらそうとし、それに対して未だ不服そうに言葉を紡ごうとしたところで、賽子は自分が傷だらけである事を思い出したかのように腰部の辺りを抑えて痛がり出したんだ。


「痛たたた! 痛い痛い! 急に腰の辺りがぁ! ――ってむう……⁉」


 激痛が走った原因がわかったのか、痛がりながらではあったが賽子は、学校指定の制服のズボンのポケットに手を突っ込み取り出したのは、激しいバイブレーションを響かせていた最新型のスマートフォンだった。


 俺が持っている携帯は所謂ガラケーだ。だから最新型に限らずスマホを生で見ること自体初めてだったし、バイブレーション機能が付いている事にも驚きだった。ていうかバイブ如きで傷が痛むなんて、よく上半身を起こした後その状態で話が出来ていたもんだ。


「電話だ……げ⁉ ちょっとごめん!」


 スマホの画面を見るなり、あれだけ細かった目を目一杯見開く程形相を変え、その一言を添えて奴は画面をタッチして電話に出た。


 そして、その相手に向かってひたすら謝罪の言葉を繰り返しながら、まるで目の前にその相手がいるかのように頭を激しく何度も何度も下げていた。今、奴の頭部には相当な激痛が走っている筈だ。だが賽子はそういった素振りを一切見せない。

 そう言った態度が許されない程の相手からの電話だったのか?


「……はい! ……はっ、申し訳ありません! 直ぐに帰りますので! ……いや、勘弁して下さい……帰宅してから幾らでも御聞きいたしますし話しますので、今はご容赦を……! ……何故……と言われましても……」


 言いながら賽子は俺に向かって一瞥する。あれだけ釣り上っていた目がとろける様に垂れ下がり助けを求めているような眼差しだった。


 いやいや……電話の相手が誰だか知らんが(まあ、『帰宅』というワードが出ていたんで恐らく相手は親だろう)、俺が替わったところで一体何になる? 血だらけで倒れていたコイツを助けてあげたんですと見たままの事を説明すればいいのか? 

 余計話をややこしくするだけだと思うがな。


「…………! と、とにかく! 今は話す事は出来ません! 早急に帰りますので! …………はい! 恐れ入ります! …………はっ! ではまた、後ほど……!」


 失礼致します! と最後に今まで以上に深いお辞儀をして、電話を切った。終わってみれば、賽子は大きく深呼吸をし、顔に巻いた包帯にはうっすらと所々染みが出来ていた。大量の脂汗でもかいたんだろう。それ程賽子にとっては緊張する相手だったんだろうな――などとしみじみ思っていた矢先、賽子は顔に巻いていた包帯を強引に引っぺがし、枕元に置いてあったボロボロのワイシャツと学ランを着て立ちあがったんだ。勿論傷はまだ癒えていない。顔全体には中途半端に瘡蓋になり切れていない生々しい血液が痛々しい傷痕に蓋をするような形で残っている。


「おいおい、てめぇまだ怪我が治ってねぇんだ! 無茶すんじゃねぇよ!」


「ぐう……! でも、あの人の命令は絶対なんだよ……! この傷の事だって話さなくちゃならないんだ! それに……いつまでもここに居座る訳にはいかないよ。大丈夫だ……自分の身体の事は自分が一番解っている。家に帰るくらいの力はある……!」


 出て行ってくれるのはこちらとしてもありがたいが、しかしそれが怪我人じゃなければの話だ。今の賽子は立っていることも辛い筈だ。あれだけ震えていれば解る。


 コイツの家が何処にあるかなんて解らんが、とても歩いて帰れるような状態ではない事は医療素人の俺でも分かる。


「だったら俺が送ってってやるよ。途中で倒れられても困るしな」


「それもいいよ。第一それだと寝ている結文くんを置いていく形になっちゃうよ? だから君はここに居なければならない――フフッ」


 と、最後に賽子は俺の顔を見ながらそう意味深に微笑んだ。そして一言――、


「今日君と初めて話をすることが出来て楽しかったよ。そして解った事がある――君は僕が想像していたような人じゃなかった、という事が……ね」


「…………?」


 率直に俺は賽子の言った事の意味が解らなかった。あのたった数十分程度の会話で俺のどんな人となりを理解できたというんだ? コイツの考えている事はよく解らん……読心術さえ心得ていれば、一発でコイツの言葉の真意を確かめることが出来たんだが。


「じゃあ……ありがとう一くん。また明日……学校で会えたら……」


「なっ……ちょ……!」


 奴の歩みは決して速かった訳じゃねぇ。むしろ遅いくらいだった。だが俺はそれ以上賽子を制止させるための言葉を発することが出来なかった。俺はただただフラフラとした足取りで玄関へ向かって歩いて行く賽子の後ろ姿を見届けることしか出来なかった。


 そしてアイツは廊下の角を曲がり、玄関の扉が開く音と、ガチャリと閉まる音が聞こえたのだった。

 これで良かったのだと思いつつも、恥ずかしい事に俺は心の何処かで不安の念があった。

 

このままアイツを見送ってしまって良かったのか? アイツは大丈夫だと言っていたが、あれだけの大ケガを負って立っていただけでも俺は驚いたというのに、剰え、一人で帰ると言ったんだ。事実、アイツはもうここには居ない。さっき出て行ったからな。


 もっと俺が食い下がるべきだったのか? これでアイツが道中で倒れるなりしてしまったら、まるで俺がアイツを殺したみたいじゃねぇか。

 ここまで後悔するのであれば、何故俺はさっき立ち上がってでもアイツを引き戻さなかったんだと責められそうだが、それが出来れば苦労などない。


 何故言葉を発せなかったのか――立ち上がる事が出来なかったのか――。

 賽子が最後に残した言葉の意味をボーっと考えていた訳じゃねぇ……他人の家にいつまでも居て欲しくなくて敢えて声を発さなかった訳でもねぇ……。


 その理由は、俺の腰に纏わりついた両腕を見れば直ぐに解る。それは――、


「むにゃむにゃ……、うわぁ―――い……ツヅはダッコちゃんだぁ……」


 隣の布団で寝ていたツヅが、寝相で俺の身体に纏わりついてきたんだ。今の今までスヤスヤと静かに寝ていたくせに、持ち前の寝相の悪さをこの瞬間に発揮したんだ。そしてまた力が強えこと強えこと――この両腕を離す事が出来なかったんだ。

全くタイミングが悪いのか良かったのか――ていうかどんな夢見てんだよ……ダッコちゃんってあれだろ? 祭りとかで売ってるソフビ人形だろう? 人形が言葉を喋ってたまるか!


「すううう――……、すううう――……」


 まあ……人の気も知らずに可愛い寝顔して寝やがって――、


「…………」


 って違う! このままずっとこの状態では家に帰ってから寝るまでのするべきことが何一つ出来ん! ここは苦肉の策だ……コイツを起こそう……訊きたい事もあるしな。


「おい! 起きろツヅ! 起きろっつってんだよ!」


「…………すうぅぅ――……むにゃむにゃ……

――コイツ……ッ!


 一瞬――ツヅの憎たらしいくらいに気持ちよさそうな寝顔、寝言を聞き、はらわたが煮えくり返り、殴り掛かりたい衝動に駆られたが、いくら腐れ縁といえど相手は女。女をグーで殴るほど落ちぶれてはいない。そしてコイツは全く起きやしない。


そう言えば、コイツは睡眠も深かったんだったな。一度寝入ってしまえば少なくとも数時間は、身体をどれだけ揺さぶろうと起きやしないという事を――たった数ヶ月共に隣同士で寝なくなってしまっただけで忘れてしまっていた。


 くそ……だとしたらどうしような。これでは計画が狂ってくるじゃねぇか……。

 飯も食わなきゃいけねぇし、風呂にだって昨日は入ってねぇからせめてシャワーくらいは浴びてぇのに……。


「………………」


「すううぅぅ――……すううぅぅ――………」


「………………」


――まぁ……飯くらい……一日くらい食わなくても死にやしねぇよな。風呂だって……水道代の節約だと思えば、どうってことはない。


 改めてまじまじと、ツヅの寝顔を眺めていたら、やるべきことがどうでもよく感じられてきて、そんな風なことを思っていた。


 相も変わらず起きる気配もなく俺の身体に両腕を纏わりつかせ眠る――幼馴染。


 その様子を心のどこかで歯痒くも安心した感情を抱きながら見守る――俺。


 この時この瞬間……俺は俺ではなくなっていたような気がする。

 この時の俺に一言物申せるのであれば――「俺を俺のままで貫き通せよ!」って言いたい気分だ。


 そして気が付けば俺は、血塗れになった汚い布団の上で横臥し、眠りについていた。


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