8. 再会のはぐれ者
ふと手元の携帯で時間を確認すると、七時九分。かなりの時間が経過していたことに今しがた気が付いた。
いつもなら飯は既に食い終わっており、風呂に入り、下手すりゃ寝落ちしている時間帯だ。我ながら今どきの老人もびっくりな夕方を送っているもんだ。
だがそれは今はできねぇ。何故なら二枚敷かれた布団の上には二人の小柄な男女が揃って寝息を立てて寝ているからだ。人の気も知らずにな。
別に心配というわけではないんだが、ツヅが寝ているのであれば話は別だ。実を言うとコイツは寝相が非常に悪い。コイツの家族に世話になっていた時一緒に寝ていたんだが何度コイツに叩き起こされたことか……。
もしツヅが寝惚けて寝返りかなんか打って隣に寝ているケガ人――サイ(仮名)に当たろうものなら更なる被害を被ることになりそうだから見張っておかなければならんというわけなんだ。
もしツヅが寝返りを打ったら……こう……腕を……こうして、そんでもってああして……。運悪くああなってしまった場合は……不可抗力だと嘯いて――ま、後はなんとかなるだろう。
それにしても……ツヅの寝顔を見たのはいつ振りだろうか……。さっきまで白目むいて気絶してた奴の寝顔じゃねぇだろコレ。
昔っから――餓鬼ん時から変わんねぇなあ……コイツの寝顔……、凛々しく整った眉尻が下がりハの字になり、口角もやや下がり気味になり物悲しげな表情を浮かべて寝るんだが、これは気持ちよく寝入っている証拠だ……。寝息もスースーと静かだし、両手を鎖骨に当てて寝ているから間違いない。
綺麗な山形に膨らんだ胸の拍動もサイ(仮名)が寝ている布団を挟んだこの位置にいても視認出来る。
「ん……んん……、イチ兄ぃ……。大好きだよぉ……むにゃむにゃ……」
「…………!」
なんちゅう事を寝言で言いやがるんだこの女は。寝言とは言え動揺しちまったじゃねぇか!
それは何だ? どっちの意味だ? 俺の予想ではその言い方だと二通りの解釈が出来るんだが――まあ、それは一応腐れ縁……いや、幼馴染として、という事で取っておいてやるが……。実際コイツは本当にどう思っているんだ?
気にはなっていた。あれだけの仕打ちを俺から受けたというのに、帰り際に親の仇を見るような睨みを利かせていたというのに、それでも懲りずにコイツはまたしても俺の家に這入りこんでいたんだ。
ツヅが俺を嫌いになりそうな事は全部やった。実際今日学校でも俺と目を合わせようともしなかったんだ(その代わりと言っちゃあ何だが隣からの視線は凄かった)。
なのにコイツは再び俺の家に現れやがった。しつこ過ぎるという一言で終わらせるには流石にこの俺も何だか、悔しい気持ちもあるんだが、惜しく思い始めてきてしまった。
寝言だったとは言え……『大好き』……か。もしかして……本当に、ツヅ――、
「はッ! ぼ……僕は一体……何を……?」
「⁉」
「何だ……明るいぞ……。身体中もなんだか妙に暖かいし、もしかして……ここは天国かい……?」
と、何の前触れもなくサイ(仮名)が若干の長い眠りから覚め、包帯から覗く開けているのか開けていないのか解らないくらい細い目から涙を流してそう言ってきたんだ。
何故だ……水を差された気がしてならない。
だが逆に考えればこいつがこのタイミングで起きてくれたことは僥倖と言ってもいいだろう。あと数秒起きるのが遅かったら俺は柄にもないことを考えだしてしまうところだったからな。
「明るいのは当たり前だろう。電気を煌々と付けてんだからな。身体中が暖けぇのも、暫く布団に入っていたからだ。残念だったな、ここは天国でもなけりゃあ、俺は天使でもねぇってわけさ」
「ん? ほ~……そうだったのかあ。確かに冷静になって周りを確認したら確かにそうだねえ。いやいや、早とちりしちゃったよお。……ってあれ? 君はあ……確かあ……」
つい数十分前の狂気に満ちた叫び声とは一変、妙にゆったりと落ち着いた口調で話す男は、相変わらず開いているのかどうか解らない目を俺に向け(ているのか? それすらも解らない……)、まじまじと顔を確認し始めた。そして、思い出したのか、わざとらしく片手で握り拳を作り、もう片方の掌に打ち付けながら、
「ああ! 君は一くんじゃないか! 重傷だった僕を助けてくれたんだね? って痛たた!」
と、案の定その行為が身体に響いたようだ。自分がケガ人だという事を解った上で行ったのかはどうかさて置き――俺の名を知っている?
ツヅも知っていたみたいだし、コイツは一体誰なんだ? 今のところコイツのことは『サイ』というツヅが呼んだ名前の一部らしきものしか分かっていない。後はそうだな……包帯を巻く前のコイツの容姿、その姿もまた衝撃的だった。
髪の毛の毛先がそれぞれ重力に逆らうように逆立ち、眉……目……口……それぞれが人為的に吊り上げられているのかと錯覚してしまうくらいに吊り上がっているという当に尖りきった容姿をしていたんだ。その見た目はまるで某人気漫画の関西弁を話す、銀髪で伸びる刀を自在に操る元三番隊隊長そのものだった。
その尖った容姿とのギャップも相俟ってか口調が妙に優しく穏やかだったから若干度肝を抜かれたんだが、こんな奴が近くにいれば直ぐに気が付きそうなもんだがな……。
一向に思い出せん……マジで冗談抜きで正直に一体全体コイツ誰なんだ?
「あれ? 何だいその難しい顔は? もしかして僕のこと憶えてないのかい?」
「ぐ……!」
顔に出てしまっていたか……! しかも思わず声を漏らしてしまった、これじゃあ図星だと答えているようなもんじゃねぇかよ……。俺の馬鹿野郎。
仕方ない……無い頭で幾ら考えようと答えなんて出てこねぇんだ。ここは素直に解らんと答えておくか。
「悪ぃな。お前は俺のことを知っているようなんだが、俺はお前のことなんて全く知らねぇんだ。ここで会ったのも何かの縁だ。お前の事、名前くらいは教えてくれねぇか?」
すると男は、呆れたと言わんばかりに大きな溜息を吐き、
「君……本気で言っているのかい? 少しは君のことを見直せたと思ったのにまさかこんな短時間でまた元の木阿弥とはね」
と、また再度大きく溜息を吐いたのだった。元の木阿弥だか世阿弥だか何だか知らねぇが、何故見ず知らずの奴に勝手に見直されたり失望されたりしなきゃならねぇんだ。
てめぇの方から質問してきたくせにいざ正直に答えたらその反応かよ。こいつ……有栖川に負けず劣らず失礼な奴だな。
「おいおいそんなに落ち込むなよ。今度から忘れなけりゃいいんだろ?」
「そういう問題じゃないんだよねぇ……。だって忘れようがないじゃないか。席替えをして初めて隣になった人の名前……いや、見た目くらいは憶えておいてくれてもいいんじゃないかな? と僕は思うけれどね」
「何?」
俺が初めて……席替えをして、隣になった奴……だと? むう……俺の隣ということはつまり、前髪に隠れて見えねぇ右側にいた奴のことだよな。今はもうその隣の奴は貫木と有栖川の策謀により替えられてしまったらしいが――。
『サイ』という名前の一部――有栖川がサラリと言っていた俺の隣にいた奴の名前――。
! も……もしかしてコイツ……⁉
「多分思い出したぞ……お前、さ……サイコか? 暁月と席を替わる前まで俺の隣にいた……」
「そうだよ! 賽子だよ! 賽子揃だよ! 因みに賽銭箱の『賽』に馬子にも衣裳の『子』、そして揃い踏みの『揃』って書くんだよ! やっと思い出してくれたのかい?」
マジかよ……一体どういう巡り合わせだ……⁉ 隣にいた奴の名前に関しては有栖川から聞いて初めて知ったんだが、まさか……。
今日偶然遅く帰ってしまい、通りたくもない道を敢えて通り抜けて、そこで大ケガを負って倒れこんでいた男子生徒を成り行きで助けてしまったわけなんだが――。
まさかその相手が、昨日まで俺の隣に在籍していた奴だったなんて!
通りでツヅもコイツのことを知っていた筈だ。同じクラスの奴だからな。
「でもよくよく考えれば、せっかく隣同士になったっていうのに、君は結局一度も話しかけてくれることなんて無かったしね……、見向きさえもしてくれなかった。憶えてくれてなくて当然かもね……」
恐らくそれは俺の視界の右半分が遮られていたからだろうな。そして何よりてめえの身長の低さ、多分座高的な問題もあって余計気にかけることなんてなかったんだ。
「だからそんなに落ち込むなって。名前だけでも思い出したんだからいいじゃねぇかよ」
我ながらなんてあからさまな嘘を吐きやがる。思い出すも何も、有栖川が言っていた名前をそのまま引用しただけじゃねぇか。
だが賽子は「まあ、確かにね」と納得した風にそう言った。うむ……鈍感なのかどうかは知らんが、この話がうまく正当化されてよかった。
「助けてくれたことに関しては本当に感謝してもしきれないよ。あの時は本当に死んじゃうんじゃないかと思ったからね」
それだ。もっとも気になり、不可解な懸念事項は。
色々衝撃的なことが断続的に起こり過ぎて危うく忘れかけそうになっていたが、一番こいつから訊いておかなければならん事があったじゃねぇか。
コイツは見た目はどうかと思うがそれを除けば性格はそれ程悪い奴じゃねぇと俺は見た。
そんな奴がだ……何故生死の境を彷徨うほどの大ケガを負う羽目になってしまったのか……、俺には無関係な話だとはこいつを助ける前から承知済みなんだが、何故だかそれを訊かずにはいられねぇ。質問しようと思った時には、既に俺の口は勝手に動いていた。
「なあ賽子。お前あそこで一体誰にやられたんだ? お前とほとんど話したことはねぇが、俺はお前みたいな優良な奴が誰かに恨みを持たれるとは思えん。これは誰がどう見ても犯罪だぞ⁉ 明らかに殺意を持った行動だ! 警察に通報した方がいい」
「…………」
賽子は黙ってしまった。包帯で隠れて見えないが恐らく眉はハの字に曲がって難しい顔をしている事だろう。何故そんな顔をする? 言いたくないのか? まるで加害者を庇っているような、そんな感じの顔をしている。
い草の香りが漂う和室に漂う暫しの沈黙……それを破ったのは、他でもない――賽子自身だった。漸く話してくれる気になったかと思ったんだが、コイツは不可解な事を言い出しやがったんだ。その内容が、
「信じてもらえないかもしれないけれど、僕はあの道を歩いていて起こったありのままの事を憶えている限り、より現実的に話すつもりだからよく聞いててほしい」
「?」
現実的? 意味が解らなかった。現実的とはいったいどういう事だ? これから話す内容、事柄に現実も非現実も糞もないだろうに。何を言っているんだコイツは?
その為に念を押して「信じてもらえないかも」と言ったんだろうが、話を聞かない限りではまだ解らんわけだ。未だに怪訝そうな表情を浮かべているが、取り敢えず話を聞く事にしようか……。最後まで聞いてから、信じる信じない云々の話をすればいいんだ。
「解った。とにかくお前の話を聞こうか」
「そうかい、そう言ってくれて何よりだ。じゃあ話すけれど、僕はね……いつもより遅い時間での帰宅になってしまったんだけれど、僕が一刻も早く家路につく為には、君も当然ご存知の通り、夜になると暗~くなるあの道を渡らなければならなかったんだ」
俺とほぼ同じ理由であの道を渡ろうと思ったのか。意外とガッツもある奴だ。
「街灯も何もないあの道を僕は勇気を振り絞って歩き出したんだ。足に神経をどれだけ集中させたことか……やっとの思いで僕はあの怖い道を渡りきろうとしたんだけれど……」
ここからだな。奴が襲われたのは…一語一句聞き逃さないよう、ここからは黙って聞く事にしようか。