16. はぐれ者には楽天家と無縫の衣がよく似合う
その日の昼休みは全く眠気が無く、することもねぇから久し振りに購買にてパンを買って珍しく昼飯を食べたんだが、あんなに不味く感じた昼飯は初めてだった。
後にも先にもあんなにロールパンがパサパサのホットドックや、レタスがしなびたサンドイッチを食うことなんてないだろうな。
朝、鉾崎から開示されたあの話がまだ尾を引いていたってのもあるかも知れねぇが。
――ここに通う生徒なら誰もが恐れ鬱陶しがる鬼教師――貫木盾の突然の事故死……。
俺は普段、経費節約の為にテレビはおろか新聞さえとったことがなく――つまり世間の情報、流行が著しく欠如した状態だった。当然のごとく俺はその日の朝もテレビなんか見てねぇしニュースの情報なんか頭に入っているわけが無かったんだ。でも昨日事故があったのは何となく解っていた。音だけでも耳で聞いていたからな。
でもまさか……それが身近にいる人間が起こしたもんだとは思わねぇじゃねぇかよ……。
有栖川の奴は俺がそのニュースを見ていたという前提で俺の家に訪れたんだろう。それなのにいざ家に訪れてみたらあんな、自分たちに関係している人が死んだというのに『不謹慎』極まりないふざけた態度を取られたら、そりゃあ怒るよなぁ……。
有栖川だったらそのショックは尚更だよな。随分あの野郎に心酔してたみたいだしな……。
実を言うと、俺もそれなりにショックを受けている。いや……よくあるだろ? どんなに鬱陶しがられている迷惑な奴でもさ、いざ目の前から急にいなくなっちまうと、寂しくなっちまう不思議な感覚……今それをじわじわと感じているよ。今もなお、ジワってきてるぜ。
それは他の奴らも同じだったようで、いつもは活気のある男子共も今日はどこか大人しく、女子共といえば一緒に集まって飯を食ったりはしていたが、そこに談笑はなかった。
そいつらの姿を見ていると、あんな奴でも少しは慕われたりしていたんだなってことも、その時に気が付いた。
人ってのは不思議もんだな。有名人なら未だしも一般の人間なら、生きている内は大して目もくれたりしてもらえないもんだが、それが死んだとなると、誰しも例外なく英雄化されちまうんだ。例え忌み嫌われていようが、それでも惜しまれるものなんだ。
貫木の先公も人生色んな事があったと思うが(あの頭を見る限り)、俺の知る限りじゃあ……まあ、少なくとも生徒たちの人気は地の底だったと思うんだが、あの厳しさはきっと、生徒たちを守る立場である教師の信念を重んじていたが故の、あいつなりの愛情の裏返しだったのかも知れねぇな。それに気が付いたのも、あいつが死んでからだった。
あらゆることに気付かされちまったよ。だがもう遅い……その気持ちをもう伝えることはもうできない。あの怒号をこの学校――いや、生きている限り聞くことももうできない。
嗚呼……せめて留年せずに三年間、この学校を卒業した姿を、見せつけてやりたかったぜ。
午後から貫木が担当の授業だったんだが、もちろんその日は自習となった。気持ちを切り替えて自習に取り組む奴もいれば、机に突っ伏して居眠りを決め込む奴もいたが、俺はどっちかと言えば後者だったかな。もちろん隣には有栖川がいるわけだから、そんなに本格的に居眠ることなんてできなかったから、隙を見て目を瞑る程度のもので何とか午後の授業を乗り切ったさ。勉強なんて、やってられる気分じゃなかったからな。
そして気が付きゃもう放課後、帰りのホームルームの最後に、鉾崎の意向でクラス全員で貫木に対して黙祷が捧げられた。人生で初めて行った黙祷は、約一分間行われたそうだが、それ以上に長く感じるものなのだということを知った。
それから皆は各々部活がある奴らは部活に専念しに、入っていない奴若しくは帰宅部の奴らは帰り道くれぐれも気を付けるよう鉾崎に釘を刺されて家路につくことになった。
無論俺は後者。今日一日、どんな授業を受けても上の空で、何を学んだのか全く頭に入ってなどいなかった。だが精神的にはかなり疲れた。自然と帰る足取りもどこかおぼつかない。
いつもと同じ時間学校に居り同じ時間に帰ることができている筈なのに何故満足に帰宅することができない? ここ数日は本当にろくに家に帰ることができていないぞ。
傷だらけになり、死にかけの状態で道路に横臥していた同級生を見かけたり、ちょっと違う帰り道を選んだら不良に絡まれて、助けられた相手が変な超能力を身に付けた元警官のおっさんだったりと、奇妙なことばかりに巻き込まれもう思考も追い付かねぇし――、
「よおイチ! なにそんな頭項垂れてとぼとぼ歩いてんだよ? 朝っぱらから顔も絆創膏だらけだったしさ。不良は不良でも、やられ役みてえだぞそれじゃあ!」
と、相変わらず面白くない例えを交えつつ、いきなり後ろから俺の肩に腕を回しながらそう絡んできたのは、俺の男の方の幼馴染――リュウこと、昇龍吉だった。
「リュウ……お前部活はどうしたんだ?」
「ああ、部長からよお、今日は休みにするからって連絡があったんだ。でもそれでよかったと俺は思ってる。あんな事があった後だしよ、練習に見に入らねえから休みたいなあって思ってたところにその知らせよ! 今日の晩飯の予想してたら本当にその晩飯が出てきた時と同じくらいの喜びを味わったぜ!」
それは、俺が味わったことのないシチュエーションだから共感することはできねぇが、とにかく嬉しいのだということは伝わった。でもまだ解らん……あんな事があったのを引きずっている割には口調といい態度といい妙に明るい。というか満面の笑みじゃねぇか。
「いやいやイチ。確かに俺もニュースを見た時はびっくりしたぜ? リーマンショック以来の衝撃だった。今でも信じられない……引きずってねえと言ったら嘘になる。だが今俺は! そんな悲しみを霞ませちまうほどの! 部活が休みになった喜びよりも! 喜ばしいことが今現在進行形で起きてんだよお!」
「?」
「お前と一緒に家に帰ることができてんだぜ? 何カ月振りだろうなぁ……」
成る程な。お前はそういう奴だったな……。
よく中学の友人たちからいじられてたな、「お前ら気持ち悪いくらい仲良いな」って。
それくらいリュウは幼稚園から中学時代までの間俺にべったりだったんだ。今でもそうだが、昔は本当に四六時中一緒だった時もあったからな。若干引いてた時期があったのは今でも内緒だ。
「それなのにイチ! そんな風に落ち込んでんじゃねえよ! 死んじまった人間はもう生き返ったりはしねえんだから――あ、悪い……お前にその言葉は禁句だったな……」
「おいおい、何いきなり気分落としてんだ? 塩ぶっかけられた青菜かよ」
「お、出た! 諺を引用した風刺! カッコいい……憧れるわあ……――じゃなくて! お前、気にしてねえみたいだけど……大丈夫なのか?」
「大丈夫も何も、そんなことを俺がいつまでも背負い込んで生きていると思ってんのか? 貫木の件も然り、俺の親友を名乗るんなら、それくらい解ってもらってねぇとなぁ」
「そっか、お前ももう立派な男だし、俺とお前は親友だもんな――え? 親友……?」
俺の口からそんな言葉が出るなんて思ってもみなかったのか、やや芝居がかった動作で、リュウは二度見どころか四度見くらい俺の顔を見開いた眼で見ながらそう驚いた。
「お前……、なあんだよお! 新手のツンデレかあ⁉ 悪いが流石の俺でもそれは引くぜイチい!」
「そんなんじゃねぇわバーカ。俺は言いたいことを言っただけだ。お前こそ気色悪い解釈すんじゃねぇよ」
「何だとこの野郎? 高いところから物言いやがって! こうしてやる!」
「あっはははははは……! 馬鹿……! 脇腹は止めろ脇腹は……! ははは……!」
脇腹くすぐるって……、今時の小学生でも今更こんなアホみたいなダル絡みしないぞ。
でも何でかな……こんな道のど真ん中でそんな事をしていても、その相手がリュウだと不思議と嫌だとか恥ずかしいとかの羞恥心は感じねぇな。
――そうか……一人暮らし始めてリュウとあまり一緒にいる事が少なくなってきて、しばらく記憶から消えていたが、俺はリュウと昔こんな感じのやり取りを、よくやっていたな。一番新しい記憶だと……中学一年くらいだったっけな。
こいつ自身ももう高校生だからと理由から、こんなじゃれ合いをしなくなったと思うんだが、それを今になってしてきやがったってことは、よっぽど俺と一緒にいられる時間が楽しみだったんだろうな。そんなリュウの嬉しそうな顔を見てると、さっきまで帰りがどうとかってぐらいのことで悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきた。
今の俺に必要なのは、家に帰ってからの休息なんかじゃねぇ。心のゆとりだったんだ。
精神的に疲れていた俺にとって、リュウとのこの一見どうでもいい時間が気付け薬的な役割となったんだ。お陰ですっかり、わだかまりがとけちまったよ。
余談だがもう一つ思い出した。確かこんな風にリュウとじゃれ合っていた時、遠くからその様子を眺めていたツヅが、喧嘩してると勘違いして、よく間に入られたなぁ……。
「イチ兄! リュウ兄! けんかしたら駄目だよ! 仲良くしなきゃツヅ怒っちゃうから!」
そうそう、こんな風に力強い細腕で、俺たちの脇腹を切り開くように間に入ってな――、
「――ってツヅ⁉ お前いつからここに?」
「そうだぜツヅ、全然気付かなかった。お前は忍者か何かか?」
「もう! 酷いよ二人とも! ツヅはさっきからずっと後ろにいたんだよ⁉」
もしそうなのだとしたら、きっとお前の身長が低すぎるからだろう。その分俺たちは高いから必然的に目線は高くなる。恨むんなら自分の発育パラメータの振り分けが偏り過ぎたことを恨むんだな。後ろに付いて歩いていたら尚更だ。何故声を掛けなかった?
「いやあ……、久し振りにイチ兄とリュウ兄が仲良く話し始めたから、何だか微笑ましくて見惚れちゃってたんだ」
はにかみながらツヅは言う。あんな恥ずかしい姿を見られたのがツヅだけでよかったと思えた一方で、思えばツヅにとっても、俺たち二人がこうして絡んでいる姿を見るのも久し振りのことであったのだと感じた。やはり幼馴染。感じ、思うことは一緒か。
「それなのにいきなりけんか始めちゃって! せっかくこうして仲良くしてたのに!」
「あのなツヅ、お前がどれだけ離れた位置から俺たちの様子を見守ってたのか知らねぇが、いい加減学習しやがれ。俺たちは別に喧嘩してたわけじゃ――」
「まあまあまあイチ、元はと言えばお前に仕掛けた俺が悪かったんだ。ツヅは悪くない。悪かったなツヅ、俺たちはただ仲良くじゃれ合ってだけなんだよ。盛りのついた猫みたいにな」
おいやめろ。例えツヅに通じなくてもその風刺はもう面白い面白くない以前の問題だ。
「ふーん……。じゃあイチ兄とリュウ兄は、とにかく仲良くしてただけなんだね? 猫ちゃんみたいに!」
「そうだ! 猫みたいに! 猫は可愛いよなあツヅ!」
「うん! ツヅ、猫ちゃんだあい好き!」
高校生が道のど真ん中で猫猫と大声で連呼するんじゃねぇよ。なんの宗教だよ……嫌いじゃねぇけどさ。
「それによイチ! こうして三人揃うなんてこれまた久し振りじゃねえか⁉ お前ん家まで一緒に帰ろうぜえ?」
「丁度よかった! ツヅもイチ兄の家に今日は寄ろうかなあって思ってたところだったんだあ!」
「ああん? 別にいいが、ツヅはともかく、お前まで俺ん家に居座るつもりじゃねぇだろうなぁ?」
「お、そうだな。せっかく部活が休みになって早く帰れてるわけだし、お前ん家に寄って遊ぶってのもいいかもな」
言わなければそのまま帰るつもりだったなコイツ。くそ、また俺は余計なことを……。またこれで疲れるじゃねぇかよ。
――だが考えようによっては、たまにはそんな疲れ方をするのもいいかもしれねぇな。ここ数日の疲れ方とは違って、清々しい――新鮮な気分を味わえる気がする。
「分かったよ。但してめぇら二人とも、六時までに帰ってもらうからな」
「朝の?」
「今日の夕方のだよ!」
「冗談だよ。解れよ兄弟」
「きょーだい!」
「ったく、ほら、サッサと帰るぞ」
適当な口約束なため、守ってくれんのかどうかはさて置き、俺たちは一路、俺の生家へと向かい、幼馴染として久し振りに、三人揃って共に過ごすことになった。
さっきも言ったが、今の俺に必要なのは心のゆとりなんだ。こいつらと短い時間だけでも共に過ごすことで、心に収納スペースを作り、悩んでいたことを整理することができれば、何か新しい解決策が見つかる可能性がある。場合によっては、こいつらに相談すりゃいいんだ――まあ、とても相談できるような内容ではないがな。いくら幼馴染と言えど。
ともあれ俺たちは、かつて在りし日のように道中で他愛ない談笑を交わしながら、俺の家へと順調に向かっていた。こうして話している間の時間だけでも、十分楽しいもんだ。
普通に歩いたら十分ほどで帰れる距離を少し長い時間かけて歩いたが、話しながらだと苦にはならん。相手にもよるが、話が盛り上がっている間は、人間は疲れを忘れる。
そう考えると、やはり俺は、友人は捨てたもんじゃねぇなって……それを捨てようとした俺が言えた立場じゃねぇけど、しみじみと思うぜ。
「ん? おいイチ、お前ん家の玄関の扉の前に誰かいるぜ? 知り合いか?」
と、俺ん家までもう目前に迫ったところで、リュウがそんなことを言い出しやがった。知り合い? 俺の知り合いだったら数がかなり限られるが、一体誰だ?
「大人の人みたいだよ? パパでもないしママでもないし……ツヅ、何だか怖いよ……」
ツヅまでそんなことを言い出した。それもリュウよりもハッキリとした特徴まで交えて。
――大人の人……それでツヅんとこの両親でもないとなると――もしかして!
「おいイチ! 待てよ! 得体の知れねえ奴に安易に近づくんじゃねえよ!」
「ツ、ツヅはパパやママに連絡してみた方が良いと思うのです!」
そんな二人の制止の声が聞こえてきたのは、俺が家の前まで一人でその人物の元へ向かった後だった。心配する二人をよそに俺にはその人物に心当たりがあった――たった二つのヒントだけで辿り着けるような知り合いにだ。
家の前まで来た時、その人物の姿を片目だけでも鮮明に捉えることができた。というよりは、そこまで来た時に奴さんの方から気付いて話し掛けてきたんだ。その人物とは――、
「おお、ようやく帰ってきたか一! 待ちくたびれたぞ!」
「もしやと思ったが、やっぱりあんただったのか。おっさん」
昨日俺を不良どもとの喧嘩から救ってくれた後、わざわざ家まで送り届けてくれた名も知らぬ元警官のおっさんだった。