技術を高めるには海外修行しかない
オヤジさんが澤村選手の海外移籍に納得したわけではない。釜谷にしても、澤村選手のからだの状態が100%大丈夫だ、という確信があるわけではない。
澤村選手は、うちの球団に入る前、高校生の頃から、大リーグへの挑戦を夢見て来た。だからパワーを身に着けるため、筋力アップにつながるタンパク質の摂取方法については、食事で肉類を摂る以外にも、タンパク質補充のためのサプリメントを試したりもしてきた。
しかし、食事とサプリメント摂取の両方で筋力が付き、体重が増えるにつれて、足首への負担が増し、それが右足首関節故障の遠因にもなったのではないか、と釜谷は個人的に思うことがある。
やはり、タンパク質が豊富な肉類等を摂取するという栄養管理と、筋力アップのトレーニングとを調和させるなど、バランスの取れた中で、体力増強を考えていかなくてはならないだろう。ピッチングにしろ、バッティングにしろ、結局のところは、下半身の強化、膂力の増強しかないのだろうと思わざるを得ない。
そうすれば、当然ながら、東洋系・農耕系のスリムな体型でもって、西洋系・狩猟系の筋肉隆々体型のスラッガーたちと、どう戦うのかが澤村選手の課題となる。
釜谷の個人的な見解からすれば、しなやかさ、やわらかさ、そういう肉体的な特徴を持った澤村選手には、「柔よく剛を制す」という東洋的な武術の会得を望まざるを得ない。
釜谷がそういう発想を持ったのには、多少理由がある。
彼のバッティングフォームの特徴から感じたものがあるのだ。
彼はバッターの時、投手の投げた球を捕らえた瞬間、口をしっかり閉じている時がある。空気を口から吐かないで、体の中に溜めている。そして、その溜めた空気は一気にバットを通してボールに伝わっている、という感じなのだ。
民謡のプロ歌手が歌っている時、口元の近くにろうそくの炎を置く。普通、その炎は口から吐き出される息によって揺らぐのだが。その民謡のプロ歌手の場合は、炎がびくともしない。つまり、それは息がすべて無駄なく音声になっている、という証拠なのだ。
澤村選手の場合は、吐く息がなく、溜められた息は、無駄なくすべてがパワーとなって、ボールに伝わっていくのであろう。確かに、澤村選手は普通の選手より腕が長く、バットを振っても、その遠心力は、他の選手より大きいけれども、そのほか、空気のパワーというか、「氣」のパワーがバットに伝わるため、打った打球の飛距離は並みのものではないように、釜谷には思われるのだった。
10月5日の朝のことだ。釜谷は社長室に呼ばれた。
「昨日の試合は勝ったな。澤村君が完投・完封勝利を飾ってくれた。今朝の新聞には楽に勝ったように書いてあるけれども、わしにはハラハラしどおしだった」
釜谷は苦笑いした。昨日は、澤村選手にとって、今シーズン最後の登板だと、新聞には出ていた。自分も見たが、オヤジさんも昨日の試合は、テレビ中継で見ていたらしい。確かにオヤジさんが言う通り、5回は無死一・二塁、6回は一死一・二塁、9回は相手に2四球を与えて一死一・二塁になるなど、かなりの数のピンチがあり、ランナーを背負った時、マウンドに立つ澤村選手は、顔にびっしりと汗を噴き出させていた。
この試合、澤村選手のお父さんもⅠ県のO市から見に来ておられたというが、オヤジさんも、そのお父さんの気持ちに近いほど、『どうか、怪我なく、できるだけ長いイニングを投げられますように』と心の中で、祈っていたにちがいない。
しかし、オヤジさんだって、色々な困難を乗り越えて、経営者としての手腕をみがいてきたのではなかっただろうか。ぬるま湯にじっと浸かっているというより、新しい困難な事業に当たっていってこそ、オヤジさんは成長してきたような気がする。だとすれば、やはり、ここは澤村選手にも、大リーグに行かせてやり、困難なことに挑戦させてやることが親心ではないかとも、釜谷には思える。
「困難であればあるほど、力を発揮する人間がいますよね。そういう厳しい環境に自らを置く、というのが社長の信条でもあるはずですよね」
「おまえは何が言いたいのだ?」
むずかしい顔をしていたオヤジさんが、ニヤッと笑っている。
「社長も、どでかい140メートル級のホームランが見たいでしょう?」
「まぁな」
「それに加え、時速165キロ、168キロの速いストレートが見てみたいでしょ?」
「まぁな」
「野球はやはり、打者と投手との戦いです。すごい球を投げるピッチャーがいるから打者もそのバッティング能力を高められます。すごい振りをするバッターがいるからこそ、ピッチャーもストレートや変化球に磨きをかけ、打たれまいとするでしょう。江戸のはじめ頃でしょうか、二刀流の剣豪であったという宮本武蔵は、自らの剣の道を究めるために、武者修行をしたと言われています。澤村選手にも、海外に強打者や剛腕投手を求め、彼らと対することで、自らの能力を高めたいという欲求があるのではないでしょうか」
「そういうものかな?」
「ボール・パーク構想は、今の市内ではなく、市外に。食品工場は、今の道内ではなく、道外の島に。それが社長の今のお考えでしょう。それは、困難であればあるほど、社長の心が燃えるからではないのですか?」
「そうか。やはり、すごいライバルがいてこそ、ファイトが出て来るということか」
オヤジさんの目にやる気が出はじめた。オヤジさんは、回転椅子を回し、こちらに背を向けた。窓の外を見ているという感じだった。いつもの瞑想にふける時間になったようだ。釜谷はそっと社長室を出る。廊下で立ち止まり、考える。
『オヤジさんも、澤村選手に負けないよう、新しいプロジェクト構想を練っているのかもしれない……。でも、ああ見えて、オヤジさんは、肝っ玉が細いところもある。もう少し、オヤジさんのそばに居て、オヤジさんを支えていかねばなるまい』と、釜谷はつぶやいている。
秘書室に戻る。釜谷は、球団事務所の事務局長に電話を入れる。吉田事務局長は釜谷が出た大学の後輩に当たる。
「うちの社長は、残念がったとしても、澤村選手の大リーグ行きについては反対しないだろう。だから、球団側が大リーグ行きを認める記者発表をする前には、事前にうちの社長に電話を入れるよう、おまえの方から球団社長にお願いをしておいてくれないか?」
「わかりました。うちの球団は決して彼の選手を追い出すわけではありませんから。向こうへ行っても、アフターケアはうちの球団としても十分にやりますから……」
「うん、頼む」
釜谷は、受話器を置いた。頭の中には、極寒の中、船で本土から離島に向い、上陸してからは徒歩で、工場の建設予定地に向かう社長と自分の姿があった。(おわり)




