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エンゲージ 2

 その後、半ば唐突にお茶の時間は打ち切られ、わたし達はそれぞれ別行動を取ることとなった。

 イスラさんは面倒と言いながらも結局はホテルの人に生気を飲みに出かけ、イレクくんは珍しくイスラさんに同行した。どうやら生気を飲みに行くことだけが目的ではないみたい。長い間会っていなかったようだから、親子の語らいがあるのかも。

「いや、そんなあらたまって語るようなことはありませんよ」

 なんてイレクくんはそっけないことを言ってたけど、やはり何か話したいことがあるような雰囲気だった。イスラさんはといえば、わざとらしく肩をすくめて、「たまに会って、イレクが俺に話すことと言ったら、たいていお説教だからなぁ」と苦笑していた。

 アリアさんも生気を飲みに行くと言っていたけれど、ついでにショッピングも楽しんでくると浮かれていた。わたし達が今いるホテルから多少離れてはいるのだけど、かなり大規模なアウトレットモールがあるらしく、そこへ行くべく、タクシーを手配していた。

「ユエルが用意してるミズカちゃんのお洋服、質はいいんだけど、ちょっとシンプルすぎなんだもの。もっとこう……ふわっふわして可愛いって感じのモノが欲しいわ。そうそう、それにコスメも揃えてあげなくっちゃね。ミズカちゃんと一緒行って、お洋服もコスメもミズカちゃんに合ったものを選びたいんだけど、それはまた後日の楽しみにしておくわね」

 次の約束ができるのは、やはり嬉しい。ユエル様と三人でお出かけしましょうねとアリアさんは楽しげな様子で提案してきたけれど、ユエル様のとアリアさんが並んで歩くとかなり目立ちそう。それだけがちょっと気がかりだったりする。

 ユエル様も何か用事があるようで、お出かけするとのこと。ただ「すぐに戻る」と心配そうな口調で言い添えた。

「ミズカ、今日一日は安静にしていなさい」

「……はい」

「だが、部屋にこもりっぱなしでは退屈だろう。……そうだな、ホテルの中庭を散策してみるのもいい。凝った造りの庭ではないが、自然な感じがいい。森林浴を堪能できるだろう」

 ユエル様の提案はとっても魅力的で、わたしは即座に「そうします」と応じた。

 緑の中の散策は大好きだし、きっといい気晴らしになる。眠り続けて凝っているだろう身体もほぐしたい。ユエル様には「くれぐれも無理はしないように」と念は押されてしまったけれど。


 ユエル様達をフロアで見送ってから、わたしはそのままホテルの中庭へ足を向けた。念のためにホテルのパンフレットをカーディガンのポケットに忍ばせておいた。

 中庭、というよりもはや森の中だ。遊歩道が敷かれ、ベンチがまばらに設置してある。苔むしたレンガの道の他にも脇道が至る所にある。案内板があるから迷うことはなさそう。

 パンフレットによると、結婚式が挙げられる教会もホテルの敷地内あるみたい。全体が石造りのモダンな建物で、一見すると「教会」には見えない。屋根にもどこにも十字架が見当たらないからかもしれない。

 ――観に行ってみようかな。せっかくだもの、建物の外観を眺めるだけでも。

 パンフレットや遊歩道の案内板を確かめてみると、どうやら今わたしがいる場所からそんなに離れてはいなさそうだ。

 でも。

 なんとなく、足を止めてしまった。

「教会」が怖いわけじゃない。十字架も聖水も、基本的には平気。聖水を浴びせられたことはないけど、もしかしたら聖水に触れたら灰になってしまう……可能性もあるのかな? そんな機会はまずないと思うから、心配することもないんだろうけど。

 そもそもわたしは「カソリック」と「プロテスタント」の違いもちゃんとわかってないくらいで。畏怖してしまうほどの「知識」がわたしには足りてない。……ユエル様からいろいろ教わってはきたけど、そのユエル様だって十字架を怖れたりはしなかった。敬虔な信徒は怖ろしい、というようなことは言っていたけれど。

 だからわたしも教会や十字架を怖がる必要はないんだと、そう思ってきた。実際、怖い思いをしたことはない。

 だから、教会へ足を向けるのをためらってしまったのは、きっと別の理由だ。

 焦りや恥しさ、そんな気持ちが理由なのかもしれない。

「…………」

 ため息をついてから踵を返し、別の道へ足を進めた。


 風がすがすがしいな。

 ゆったり歩きながら森林の清澄な空気を堪能する。

 時々立ち止まって深呼吸したり、軽くストレッチしてみたりした。全身に爽やかな気がめぐっていくようだ。心も体もゆっくりほぐれていく。

 目線を上にあげると、木漏れ日が踊るようにきらめいている。ことにハルニレとカラマツの明るい緑の葉が美しい。風が木々の隙間をまるで流れるようにして渡り、小鳥のさえずりや小川のせせらぎも耳に心地よい。時折は、わたし同じように中庭を散策する人たちとすれ違った。軽くお辞儀をして挨拶をする。観光シーズンだからもっとたくさんの人とすれ違うかなと思ったけれど、そうでもなかった。人気のなさにも、安堵した。

 静かすぎず、絶えず何らかの音が周りにあって、心細さは感じない。

 ひとりでいるからなのか、いろいろと考えを巡らせてしまう。

 ほんのちょっとだけ……心にうっすらと靄がかかっている。

 眠る前に起こった出来事。あれらが本当にあったのか、今があまりに安穏としてるから、「夢だったんじゃないか」って、まだ少し不安になってしまう。

 亜矢子さんの計略、それによって起こった騒動。

 亜矢子さんのことが気にかかってるのじゃない。気にかからないといえばそれはそれで嘘になるかもだけど、亜矢子さんのことよりももっと気にかかるのは、ユエル様のことだから。

 ユエル様の「想い」。本当なんだろうかって疑ってるわけじゃない。だけど、不安になってしまう。

 ユエル様のわたしに対する態度は、いままでとさほど変わらない。いつもの優しいユエル様だから。

 目覚めた時、ユエル様がわたしに伝えてくれたこと、あれは本当にあったことなのかなって不安になってしまう。

 ……もどかしく思ってるのかな、わたし。

 そう思うと恥しいやらおこがましいやら、胸が苦しくなってしまう。

 もどかしい、だなんて。

 わたしは、ユエル様に何を求めてるんだろう。どうしたいんだろう。……どうして欲しいんだろう。

「……ふぅ……」

 ちょうど木陰になってるベンチに腰かけて、ひと休憩することにした。まだ一時間ほどしか歩いてないけれど、ほんの少しだけ気だるい。……渇きは、感じない。だけどやっぱり渇いてる気もした。

 両の掌を、じっと見つめる。

 ここからいつもユエル様の"生気"をもらってた。手のひらの窪や、指先。そこから全身へと巡っていく。ユエル様から与えられる生気は熱くて、与えられるたび、ドキドキした。

 生気を飲まなければわたしは存在し続けていけない。ユエル様から与えられる生気だけがわたしの生きる"糧"。今まで生気を飲むときはたいてい"手"からだった。でも、……イスラさんが言ってた「手っ取り早い方法」もあって、それは、……――

「ミズカ」

 いきなり背後から名を呼ばれ、思わず「きゃぁっ」と声をあげてしまった。

「すまないミズカ。驚かせてしまったかな?」

 振り返るとそこには美麗な笑みを湛えたユエル様が立っていた。

「ゆ、ゆえ、る様」

 もうっ! ユエル様はどうしてこうタイミングを見計らったかのような現れ方するんだろう。ちょうどユエル様のこと考えてた……しかも……手からではなく生気を与えてもらった時のこと思いだしてた最中にっ。

 ユエル様はベンチの背後からわたしの前へと回り、何気ないしぐさで頬に触れてきた。

「暑気あたり? 顔が赤いね、ミズカ?」

「……っ、ち、ちがいますっ」

 絶対わざとだ! わざとそんなこと言って、からかって!

 ユエル様のからかうような笑顔がちょっとにくらしくて、眉をしかめて見せた。それすらユエル様にはおかしいらしくて、ユエル様は楽しげに笑んだまま。

 からかわれたのはちょっぴり悔しいけれど、心の緊張はほどけたみたい。だからやっぱりユエル様はわざとからかってくれたんだ……。

 ユエル様のそういう"優しさ"は変わらない。

 ユエル様の深緑の双眸に見つめられて、胸の鼓動はどうしたって高まっていく。けれど、それが不思議と心地好い。

「ここは程よい木陰になってて気持ちがいいね。とはいえ、高原の直射日光は存外きつい。気をつけるにこしたことはないよ」

「……はい」

 ユエル様は名残惜しげにわたしの頬から手を離してから、わたしの隣に腰かけた。

「ところでミズカ、このあたりの散策はだいたい済んだのかな?」

「いえ、かなり広いから、奥までは行ってないんです」

「なるほど」

 ユエル様はわたしの膝に乗っていたホテルのパンフレットを手に取り、ぱらりと開ける。

「ユエル様は歩かれたんですか?」

「ミズカが眠ってる間に、少しね。……ここは、観に行ったかな?」

 ユエル様がパンフレットのとある箇所を指差した。そこはさっきまでわたしも見ていたところ。……「教会」だった。わたしは首を横に振って応える。

「そう」

 ユエル様は小首を傾げ、何かを思いめぐらすように視線を上向かせた。

 ユエル様の秀麗な容貌をさらに引き立たせる長い銀の髪が、さらりと肩から流れ落ちる。

 ユエル様は立ちあがり、わたしの方に体を向けて、手を差し伸べた。

「せっかくだから行ってみようか」

「えっ」

「教会の近くまで行こう。なかなか見ごたえのある建物だからね。それとも、今日はもう歩き疲れたかな、ミズカ?」

「いえ、そんなことは……」

 差し出された手を取り、わたしも立ちあがる。けれど、とまどって言葉が詰まってしまう。

 ユエル様も、吸血鬼だからって「教会」を怖れてはいない。けれどあまり近寄りたくはないと、ずうっと昔にだけど、言っていたような憶えがある。なのに、どうして?

 ……ううん。わたしが戸惑ってるのは、そういうことじゃない。

 なぜ、教会に?

 どうして?

 なぜわたしは、「どうして」って思ってしまうの? まるで何かを期待してる、みたいな。

 わたしの心の内の疑問や戸惑いは声にならず、ただユエル様の横顔を見つめるばかりだった。

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