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夏の宵 4

 風船釣りの店を離れてすぐ、今度はユエル様が「次はあれをやろう」と、広いスペースをとっている屋台を指差した。そこは「射的」の屋台。風船釣りと同じくらい賑わってた。

「ミズカもやってみる?」と訊かれたけれど、これは辞退した。ユエル様は大いに興味を引かれたようで、いつになくやる気満々の様子。

「ライフル系はあまり得意ではないのだが」

 と、ユエル様は言う。どちらかといえば拳銃の方が得意らしい。

 そういえばユエル様は、たまにダーツで遊ぶことがある。退屈しのぎにしてるだけかと思ったら、けっこう本格的にやりこんでいた時期があって、なんと「ダーツバー」なるお店に、一度、二度連れていったもらったことがあった。そんなお店があること自体にも驚いたけれど、お店にわざわざ出向いてまでダーツをしようとするユエル様にも驚いたっけ。

 もしかしてユエル様は、こうした「射撃」的なゲームがお好きなんだろうか?

「まぁ、もう長いことやっていないから、腕はなまっているかもしれないが」

「はぁ……」

 長くやってないのはダーツではなく、銃の方だ。なんと応えてよいやら、間の抜けた声で「そうですか」と返した。

 射的の銃は当然玩具で、コルク栓式の銃。「射的」は、そのコルクが飛び出す銃で棚に載っている様々な物(的)を当てて倒す、という遊戯。男の子が好きそうなゲームといえるかもしれない。

 撃つ場所から的までの距離はそんなに離れていないし、狙い撃つのは簡単そうに見える。だけど実際やってみると、けっこう難しいみたい。挑戦している男の子が何人かいたけど、なかなか的に当たらず、当たっても倒れなければダメというルールのようで、失敗しては口惜しげに地団駄を踏んでいた。

 いつの間にやら料金を支払い、銃を構えながら、ユエル様が「欲しいものはある?」と訊いてきた。

 四段の棚にずらりと並んでいる品は、プラモデルだったりラジコンだったり、テレビアニメのキャラクターの何がしかだったり、子供向けのおもちゃがほとんど。お菓子やジュースもあった。

 並べてある景品をざっと眺め、その中で欲しいと思ったのは、ドリップコーヒーの詰め合わせと、もこもこした熊さんのスリッパ。それを伝えると、ユエル様は「分かった」と気軽に応じ、その二つを取ってくれた。

 短時間で取れてしまうあたりは、さすがユエル様。

 といっても、一発目であっさりと取れたわけではなく、失敗もあった。

 ユエル様は、銃が本物なら一発で仕留められたんだがと、ほんのちょっと言い訳じみたことを言った。的をはずしてしまった時なんか、眉をしかめ、いかにも口惜しげな顔をしてた。

 珍しい光景だった。

 ユエル様が子供達の中に入っていって、その上同じようにはしゃいでるなんて。「はしゃぐ」といったって、表面的には沈着で声の調子も常とそんなに変わらない。けれど、ユエル様も縁日を満喫している様子が見られて、ホッとしたし、嬉しかった。

 来てよかった。

 わたしだけじゃなく、ユエル様にも楽しんでもらえてよかった。

 ほどなくして、思わず頬を緩ませているわたしの元にユエル様が戻ってきた。そして取った景品を差し出した。

「ほら、ミズカ。ご所望のものだ」

「は、はい。ありがとうございます、ユエル様」

 ビニール袋に入った景品をユエル様から受け取り、改めてお礼を言った。スリッパはいかにも冬用ですぐには使えなさそうだけど、コーヒーは明日の朝にでも、早速淹れよう。

 ユエル様がクスッと小さく笑った。

「実用的な物を欲しがるあたり、ミズカらしいね。まぁ、陳列されている物のほとんどが男の子向けだから、仕方ないかな」

 射的というゲーム自体が男の子向けだしね、と。

 ユエル様は他にも幾つか打ち当てたのだけど、得た景品はすべて、たまたま傍にいた男の子達にあげていた。見知らぬ外人さんから景品を渡され、男の子達はおっかなびっくりといった様子だった。それでも断ったりはせず喜んで受け取り、感謝していた。だけど、ほんのちょっと口惜しそうにも見えた。さっきのわたし……風船釣りでムキになってたわたしの気持ちと同じなのかもしれない。自分で撃ちとりたかったのにって、そんな風に思ったのかも。

 そう思い至った自分自身に、ちょっと驚いた。

 欲しい物は、やっぱり自力で手に入れたい。

 そう思い願う……僅かなりでも強い意志が自分にあったなんて。

 ふと、ユエル様を見やった。ユエル様はわたしの視線に気づき、緑色の瞳を優しく細めて、微笑み返してくれる。

 どきりと、鼓動が跳ねた。慌てて顔を逸らし、気を紛らわせるように、目線を余所へ流した。


 欲しい物といえば……。実は、さっきから気になっている物があった。

 それは射的の棚にあるものではなく、射的の屋台のすぐ隣の駄菓子屋さんの商品。駄菓子屋の屋台に、お菓子と一緒に並べられている、とある物に目がいった。

 それは、水鉄砲やヨーヨー、竹トンボなど、懐かしい玩具の一つとしてそれも棚に置かれてた。

 網目のネットに入れられているガラスの玉、……ビー玉だ。

 懐かしさにひかれるようにして、無意識的に駄菓子屋さんに足を向けていた。

 おぼろげな記憶の欠片が、脳裏で小さくきらめいた。

 ビー玉……ビードロの玉を初めて目にしたのは、遠い昔。ずっとずっと、昔のこと。ユエル様に出逢うより前、わたしがまだ子爵家の奉公人だった頃のことだ。

 子爵様は舶来品をお好みだったようで、時々もの珍しい品物を取り寄せては、屋敷内に飾ったり家人に贈ったりしていた。そんな中に、「ビードロ玉」もあった。

 しがない奉公人のわたしがそれを目にできたのは、ほんの偶然からだった。

 子爵家のお嬢様がそれを庭先でうっかりと落としてしまい、探して集めるよう命じられた。這いつくばって、地面に転がり落ちたガラス玉を探した。幸いすぐに見つかって、それらはすべてお嬢様の手元に戻った。

 わたしがそれを手の上に乗せ、見つめていられたのはほんのわずかな時間だった。

 やや緑がかった、透明なガラスの玉。すべすべとした手触りが心地よかった。陽の光を弾かせていた小さなそれは、手の中で温もりをこもらせていた。

 見つかったことに安堵して、それと同時に手の中のガラス玉の美しさに、息を呑んだ。

 なんてキレイなんだろうと、当時まだ幼かったわたしは、どきどきしながら手の中のガラス玉に見入っていた。

 あまりに遠い昔のことで記憶も曖昧になっているけど、なぜなのか、忘れられず記憶に残ってた。

 何かを「きれい」だと思ったのは、あれが初めてだったからかもしれない。何かに心を引かれたり動かされたりするなんて、あの頃のわたしにはなかったから。

 その数年後にユエル様と出逢った。ガラス玉よりも、もっと美しく儚く、「拾う」のに躊躇いすら覚えた人。けれど見捨ててはおけなかった。

 ユエル様に出逢わなければ、美しいものや優しいものを何一つ知らずに一生を終えていただろう。

 拾われ、救われたのは、むしろわたしの方だった……――

「ミズカ」

 名を呼ばわれ、はっとして振り返った。ユエル様は、突然傍から離れたわたしを探していたようだった。心配げな緑の瞳がわたしを見つけるや、安堵したようにやわらいだ。

 ユエル様と目があった。それだけで鼓動が速まる。

「ミズカ、神楽がもう始まるようだから」

 そろそろここから移動しようかとユエル様が促し、わたしは頷いて応じた。そしてユエル様の後をついていく。

 一度、肩越しにお店を振り返った。

 ビー玉は、棚の上でひっそりと白熱電球の光を受けている。少しだけ後ろ髪を引かれる思いがしたけれど、今はともかくユエル様について行かなくてはと早足で歩き、二度は振り返らず、店から離れた。


 神社の祭礼として行われる巫女の神楽舞いを見終えた後、神社に参拝して、そのまま帰途につくことにした。

 夜更けた頃になっても境内はまだ賑わっていて、店じまいをする屋台はほとんどない。それでも神楽舞いの終了を機に帰途につく人達は多く、わたしとユエル様もその流れに沿った。

 屋台で取った“戦利品”はビニール袋にひとまとめに入れてあり、その中に水風船も入っている。重たくはないのだけどいささかかさばって、ずっと持って歩くには邪魔になってきた。それもあって、そろそろ帰ろうかと、ユエル様の方から促してくれたのだと思う。

 それに、人いきれに酔ったのか、のぼせたように顔が熱っていた。そんなわたしを気遣ってくれたのだろう。

「大丈夫、ミズカ?」

 心配そうに訊くユエル様に、「大丈夫です」と笑顔で応じた。

「暑くて、ちょっとのぼせただけですから。ユエル様こそ、慣れない浴衣で、疲れたりしてませんか?」

「ああ、そうだね、少し。疲れたというほどではないが、何度も下駄が脱げそうになって、まいったよ」

 ユエル様はそう言って苦笑した。

 初めての下駄に慣れず、歩き始めは、何度も足元を気にして、爪先をトントンと軽く地面に打ち付けたり、指先を動かしてたりしてたユエル様だけど、さすがの適応力というか器用さで、すぐにコツを覚えたようだった。

 かえってわたしの方が履きなれない下駄に戸惑って、何度か脱げそうになってた。歩いているうちにだいぶ慣れてはきたものの、やっぱり足の裏や脹脛がちょっと痛くなってきてた。

「ミズカ」

 鳥居をくぐり出たところで、ふいにユエル様が足を止めた。何かを思いだしたかのような顔で、ユエル様は肩越しに屋台の並ぶ参道を振り返り見た。

「ミズカ、すまないがここで少し待っていて。……用を思いだした」

「あ、はい」

 分かりましたとわたしが応じると、ユエル様は「すぐに戻る」と告げ、再び鳥居をくぐって境内へ戻っていった。

 用ってなんだろう?

 と、首を捻った。けれどすぐに、「ああ」と思い至った。

 生気を飲むのも、ここに来た目的の一つだった。人ごみに紛れ、さり気なく人間の生気を飲んでこようと、ユエル様が言ってた。

 生気を飲みに行ったんだろう。もしかしたら渇きを覚えていたのかもしれない。

 ちっとも気がつかなかった自分の迂闊さが情けない。

 そういえば、暑さのせいだけではなく、わたしも……ちょっとだけ、渇いてる……かも。喉も渇いているけれど、それだけではない。水分以外のモノを、喉が、身体が欲してる。それを意識してしまうと、さらに渇感が上がってくるようだった。

 ユエル様が傍にいない。渇きは、その不安感と似てる。

 ユエル様の姿を見ていないというだけで、こんなにも不安で、寂然とした心持ちになってしまうなんて。

「…………」

 時々肌をなぶる微風は生暖かい。汗で湿り、首にはりついた髪を払った。

 それから、ふっと息をつき、空を仰いだ。

 紺青の夜空には、ところどころに雲がかかっていて、その隙間に、さすがに天の川は確認できなかったものの、夏の大三角形の星が見えた。大三角形を作る星は、たしかこと座のベガとはくちょう座のデネブ、あともう一つはなんだったろう? アルタイル……だったかな? 何座だったか、思いだせない。

 首を伸ばし、空を眺めているうちに、ユエル様が戻ってきた。

「ミズカ」と声を掛けられ、反射的にユエル様の方に顔を向け、それから「夏の大三角形の星って、なんでしたっけ?」と、唐突に質問を投げかけた。

「こと座のベガ、はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイルだが」

 ユエル様は唐突な質問にも関わらず、不快な顔ひとつせず、答えてくれた。

「えぇっと、……織姫星がベガで彦星がアルタイル、でしたっけ?」

「そう。――ミズカ、少し下の、あそこに見える赤い星がさそり座のアンタレス」

「あ、あれですね」

 ユエル様が指差した南の空に目をやると、ちらちらと瞬く赤っぽい星があった。さそり座ははくちょう座同様に目視しやすい星座だ。薄雲のちょうど上にあって、見つけやすかった。

 ユエル様は小さく笑った。

「待たせたね、ミズカ」

「あ、いえ。……あの、ユエル様、ちゃんと飲んでこられましたか?」

「うん?」

 ユエル様は何のことだと不思議そうな顔をしている。

 あれ……? 違うのかな? わたしの勘違い?

「ユエル様、……生気を、飲みに行ったんじゃないんですか?」

「……ああ、いや、それはもう済ませていた。さっき、神楽を観てる時、適当にね」

「え? でも、それじゃぁ用って? てっきり飲みに行ったのだと……」

「ああ」

 ユエル様は得心がいったような顔をした。それから、「ほら」と言って、手を差し出すよう促してくる。

「これを買いに行ってたんだよ。――ミズカが欲しそうにしていたのを思いだして」

「え……」

 手渡されたそれは、網の袋に入ったビー玉だった。色とりどりの、ガラス玉。

「これ、は……」

 驚きのあまり声が続かない。

 ユエル様……、わざわざ引き返して、買いに行ってくれたの?

 声を詰まらせてユエル様を凝視する。ユエル様はたおやかな微笑をその美しい容貌に湛える。

「欲しそうに見ていただろう? 私の思い違いかな? 要らないようなら返してくるが」

「いえっ、要らないなんて、そんな!」

 編み袋の中にぎゅうぎゅうに詰まっているビー玉に視線を落とした。

 ――そう、だ。

 欲しかった。あの時も……遠い昔のあの時も、光を弾くガラスの玉を、キレイだと思ったのと同時に、「欲しい」とも思ったんだ。だけどあの頃はそこまで思い至らなかった。「欲しい」と望む心を、あの頃のわたしは知らなかったから。

 わたしの手の中にあるビー玉は、記憶の中のビー玉とはちょっと違っている。赤や青、黄色といった模様が入っている玉もあるし、単色の玉もある。

 記憶の中のビー玉は単色だった。大きさは同じくらいだったかもしれない。気泡が入ってて、やわらかな緑色をしていて……。

「ユエル様」

 顔を上げて、再びユエル様を見やった。ユエル様のまなざしとぶつかった。緑の双眸がわたしを見つめている。温かな光をこもらせる常磐木色の瞳。とても綺麗な、――記憶の中のそれよりも、もっと美しく優しい透明な緑のまなざし。


 欲しかったのは……、わたしが欲しいと望んだもの、それは……――


「あ、あのっ、ありがとうございます、ユエル様! 欲しかったんです。だからすごく嬉しい。大事にします」

 こころにじんわりと温かいものが広がっていく。

 お礼を言うと、ユエル様は満足げな笑みを浮かべた。「大袈裟だね」と。そして表情を和らげる。その優しい微笑が、艶めいた緑の双眸が、わたしの心をときめかせてくる。

 引いていた頬の熱りがまたぶり返してきた。

 わたし、そんなに物欲しげな顔をしてたんでしょうかと、なんだか恥ずかしくなって訊いてみたら、ユエル様は「ミズカは顔に出やすいからね」と、からかうような口調で応えた。

 ユエル様はいつだってさり気なく、わたしのことを見ていてくれてる。

 改めてそれに気づかされた。

 ユエル様にはなんだってお見通しで、わたし以上にわたしのことを理解してくれているような、そんな気がする。

 それが嬉しいような恥ずかしいような、……少しだけ複雑な気持ちだった。

 ユエル様に買っていただいたビー玉を両手で包むようにして持ち、胸に押し当てた。と、同時に、腕に通して提げているビニール袋の中で、水風船がポシャンと音をたてた。

「さあ、帰ろうか、ミズカ。喉も渇いたことだし、帰って、何か冷たいものでも飲もう」

「あ、はいっ。……っと、きゃっ」

 足を踏み出した途端、石畳のへりに足を取られ、その拍子に膝ががくんと折れて、蹴躓いてしまった。

「ミズカ」

 ユエル様が手を差し伸べ、身体を支えてくれたおかげで転ばずに済んだ。

「大丈夫、ミズカ?」

「あ、は……はい、すみません」

 ユエル様がわたしの右手を握った。

 大丈夫ですからと手を離そうとすると、ユエル様はさらに強くわたしの手を握りしめてくる。ユエル様の白い手は、見かけの細さからは想像もつかない程に力強い。

 ユエル様は優しく微笑み、「このまま行こう」と言って歩きだした。

「えっ、まっ、待ってくださいっ、ユエル様、あの……っ」

「袋を貸しなさい、ミズカ」

「えっ、あ……」

 断る間もなく、ユエル様はわたしの手からビニール袋を取った。わたしの左手に、ビー玉だけが残った。

 ユエル様の手から熱が伝わってくる。じわりと沁み込んで体中に伝わり、巡ってゆくそれは、――生気。

 ユエル様は何も訊かない。だけど、わたしが渇いているのに気がついた。だからこうして握った手を通して生気を与えてくれるんだ。

 何重にも申し訳ないって気分で、言葉も出ない。

 ユエル様に手を引かれ、わたしは後ろをついて歩いた。

 視線を落として、ユエル様の手を見ながら歩いた。繋がれたままの手を、ずっと見続けた。

 神社から離れ、喧騒も遠くなっていく。人通りの少ない裏道に入ると夜の静寂が押し迫ってくるようだった。

 ユエル様とわたしの足音が重なり、小さく響いていた。

 速まってる鼓動がユエル様に聴こえてたらどうしよう。そんなことを考えていると、ユエル様が穏やかな声音で尋ねてきた。

「ミズカ、今日は楽しめたかな?」

 顔を上げるとユエル様と目が合った。途端、さらに心臓が高鳴りだした。

「は、はい、すごく、楽しかったです」

「それはよかった。私も楽しめたし、たまにはこうした遊びもいいものだね」

「そう……ですね。あ、あの、……っ」

 わたしに合わせ、ゆったりとした歩調で歩くユエル様は、さっきからわたしの手を握ったままだ。

「ん? なに、ミズカ? まだ何か物足りない?」

「いえっ、そんなことは! 十分に堪能しましたからっ! えっと、……そうじゃなくて」

 いつまで手を握ってるんですかって、言いたかった。だって今はもう生気は流れ込んできてない。ユエル様はただわたしの手を握ってるだけだ。

 手が熱い。でも、顔はもっと熱くなってた。……ううん、体中が熱い。心臓が炙られてるみたいで。苦しくて、なのに安心してて。

 だから言えなかった。手を離してくださいって。もういいですからって。

「ユエル様」

「うん?」

「……えっと、……――」

 ユエル様がわたしの顔を覗き込んでくる。

 わたしはふるふると首を振った。それからちょっと俯いて、わたしの手を握るユエル様の手を見た。わたしの手を離さない、ユエル様の手。わたしの命を繋いでくれる、優しい手。

「……なんでもないです」

 そしてわたしは、そっとユエル様の手を握り返した。



 ユエル様は察してるのだろうか。気がついていて、だけど何も言わずにいてくれているんだろうか。

 わたしが欲しいと望むものを。わたし自身、分からないそれを。

 わたしが真に欲するもの。わたしの心が求めるもの。


 ――たとえばそれは、繋がれた手と手、それから……――

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