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夏の宵 3

 ゆるゆると歩き、縁日が開かれている神社に辿り着いたころには空もとっぷりと暮れて、吹く風も夜のにおいを含ませていた。神社の境内は明るい。いつもは点されることのない石灯籠にも明かりが入り、吊るされた提灯や屋台の蛍光灯が、笑いさざめく人達の気持ちを高揚させているようだった。様々な屋台が鳥居の手前にも向こう側にもずらりと並び、客寄せの声が威勢よく飛び交っている。いつもは閑静であろう神社の境内は大いに賑わい、活気に満ちていた。

 縁日の賑々しい雰囲気に当てられて、わたしもついそわそわとしてしまう。

 落ち着かなげにきょろきょろあたりを見回していると、横でユエル様は可笑しそうに微笑している。

 コンクリート造りの大きな鳥居をくぐったところで、ユエル様は足を止めた。

「思いの外賑わってるね。熱気にてられそうだ」

「本当に」

「浴衣を着ている子も存外多いね。――浴衣といってよいものやら、だが」

 見回すと、浴衣姿の女の子達も多く見受けられた。十代と二十代前半と思われる年頃の女の子達で、その着こなしはバラエティに富んでいた。

 ユエル様が苦笑するほどには、個性的な着こなしをしている女の子達が多い。着崩している、というよりデコレーション具合が実に派手やかで、とにもかくにも目を惹く。大きな造花で髪を飾っていたり、レースたっぷりの差し帯をしていたり、和洋折衷とでもいうのだろうか。もちろんスタンダードな着付けに落ち着いている子達もいる。年齢層によるのかもしれない。

 ああいった個性的な浴衣も、わたしはそんなに嫌いじゃない。自分が着たいかは別として、自分流にアレンジして着るのは楽しいだろうから。だらしなく着崩れているのは論外だけど。

 そういえば、甚平姿の男性は少数ながら見かけるものの、浴衣を着てる男性はほとんど見かけない。

 だから、というだけではないけれど……――

「…………」

 周りに向けていた目線をユエル様に戻した。そしてまた周囲に目をやる。

 この場において、ユエル様の目立ちようときたら、当然のこととはいえ、尋常ではない。

 すれ違う人達はみな一様にユエル様を振り返り見、その煌めく美貌に息を飲み、一瞬の沈黙が生まれる。

 浴衣姿の異人さん、というだけでも注目を集めるのに、目の醒めるような卓逸した麗姿の持ち主なのだ。田舎町の小さな神社には不釣り合いな光彩を、ユエル様はその身から放っている。人目をひかないわけがない。

 好奇のまなざしが注がれ、ひそやかなどよめきが方々で起こっている。きっと様々な憶測が飛び交っているんだろう。たんに、類い稀なる美貌に対し感嘆のため息をこぼし合ってるのかもしれない。

 佇むだけで、ユエル様が場に与える影響は大きい。

 大きいのだけど、大きく波打った空気を、ユエル様は無言のまま鎮めてしまう。

 ざわめきを鎮静させる何らかの術を施行してはいない、……はず。

 それでも、ユエル様の近寄りがたい雰囲気は、水面に落とされた一粒の雫のように波紋をひろげ、周囲に伝播していく。おかげで不躾に近寄ってくる人達はいない。たとえばこっそりカメラを向けてくるような、そういった行動もとらせない。ちょっと不思議なほどだった。

 ――ううん、不思議じゃないかもしれない。

 ユエル様の麗容は、近づいたら儚く消えてしまうのでないかという現実味のなさがある。だから皆、凝視することも控え、遠巻きに眺めるだけにとどめる。妖異を目の当たりにしたような感覚になるのかもしれない。事実、ユエル様は「吸血鬼」という人ならぬ存在……妖魔、なのだ。

 近寄りがたい存在ではあるけれど、同時に好奇心をそそられる存在でもあるのだろう。

 ユエル様は、周囲の視線などとくには気にかけていないようだった。いつものことと割り切っているのかもしれない。実際いつものことで、ユエル様はどこにいても人の目を惹き、それを煩わしげな表情を少なからず見せつつも、当然のことと受け入れていた。

 人の目に慣れないのは、わたしの方。

 なんともいえず居た堪らない心持ちで、つい肩をすぼませ、縮こまってしまう。四方八方から注がれる視線がチクチクと痛い。

 わたしが思うほど、わたしの方には目を向けられてはいないだろうって頭では分かっているのだけど、やっぱり気にかかってしまう。

「さあ、ミズカ。ここで突っ立っていてもしようがない。神社に来たのだから、まずは参拝した方がいいのかな?」

 わたしの内心の動揺を知ってか知らずか、ユエル様は鷹揚な微笑をこちらに向け、尋ねてきた。

「あ、いえ、参拝は後でも……」

「そういえば、神楽舞いがあるんだったね?」

「はい。それは観たいです。たぶん、それがメインのイベントのはずですし」

「神楽舞いが始まるのは、まだ先だね」

 鳥居に立てかけてある看板に神楽舞いの上演時間が書かれてあった。始まるまで、まだ一時間弱はある。

「露店には手軽なゲームのようなものもあるようだし、いろいろと見て回って時間を潰そうか」

「はい」

 応えてから、屋台を見ながら練り歩くのが縁日の醍醐味なんですよと、小生意気にも言い添えた。ユエル様は「なるほど」と小さく笑う。

 醍醐味を語れるほど縁日に詳しくはないのだけど。なんとなく、縁日といえば「屋台」なのだ。

「それじゃぁ縁日を堪能すべく、屋台を見て、練り歩こうか」

「はいっ」

 わたしは大きく頷き、ユエル様は緑の瞳を細めて笑みを深める。

 ユエル様の穏やかな微笑に、わたしは安堵し、周囲の目など気にせぬよう、心を切り替えた。

 そしてわたし達は雑踏の中へと進んでいった。


 参道を挟み、様々な屋台が所狭しと並んでいる。

 それにしても沢山の屋台があるなぁと、感心しながらわたしは首を左右に振って、ひとつひとつの店を確かめて歩いた。ユエル様はわたしの遅すぎる歩調に合わせてくれて、足を止めれば同じように足を止めて店先を一緒に覗いてくれた。

 ユエル様も、多少は興味があるみたい。もの珍しげに屋台の売り物を眺めやる。

 屋台の多くは食べ物系で、焼そば、たこ焼き、フランクフルト、チョコバナナ、リンゴ飴、綿菓子、かき氷、クレープ等、当然のことながら食べ歩きのできる手軽なものがほとんど。そんな中、金魚すくいや輪投げ、射的といった店もあり、ほかにお面やプラモデル等を置いている玩具屋さんもある。お面をはじめとして、造花やビーズのアクセサリー、朝顔の鉢物を売っている店もあって、まさしく種々雑多。

 それでもやっぱり一番幅をきかせているのは食べ物系の屋台のようだ。焼け焦げたような、甘いような、独特のにおいが参道に充満している。

 わたし達「吸血鬼」は、「食べる」ことができない。どういう身体の仕組みなのか、固形物は受け付けない。口にできるのは液体……つまり「飲み物」だけ。かき氷は大丈夫。口内で溶けてしまうから。つまり、たとえこの目に美味しそうに映っても、リンゴ飴は食せないのだ。チョコバナナもクレープも。この点ちょっと残念だったりする。綿菓子なんかは、なんとか食べられそうなものだけど……。

 食べられないのが残念な気もしているけれど、「空腹」という感覚がないから、食べたいと思うのは、たんに味覚を知りたいせい。あと、食感と。

 そんなわけで食べ物関係の店は極力視線を定めないよう流し見るに留めた。代わりに遊具系の店に目を向ける。

 なんといっても、一番に興味を引かれたのは、「風船釣り」。水槽内で浮き、回ってる水風船を釣り上げるというゲームで、金魚すくいと同じくらいに、縁日では定番の遊戯だと思う。

 ユエル様に「やってみたいです」と告げると、ユエル様も「私もやろう」と乗り気の姿勢を見せた。

 店番のおじさんに二人分の料金を支払い、いざ、初めての「風船釣り」!

 長方形の水槽の前に屈み、袖が水に濡れないよう左手で押さえながら手渡された小さな釣り針を持つ。釣針は和紙のこよりの先に金具のついたもの。水槽に浮き、流れている水風船のゴム紐をひっかけて釣り上げるという一見簡単そうに見える遊戯なのだけど、これがやってみるとなかなかむつかしい。

 一度目は釣り上げようとした途端に、こよりが水に濡れて千切れてしまった。ユエル様も同様に、一度目は失敗した。けれど、それでコツを掴んだようで、二度目で難なく釣り上げるのに成功した。ユエル様が取ったのは、水色に緑の縞模様の水風船。

 わたしはというと、二度目もあえなく失敗してしまった。

「……っ」

 むぅぅっ、口惜しいっ!

 あとちょっとで取れそうだったのに……っ!

 一回の料金で、釣り針は二本渡される。残念……と項垂れていると、ユエル様はすぐさま店のおじさんに再び料金を支払い、わたしに釣り針を渡してくれた。

 三度目まで失敗したわたしに、ユエル様は気の毒がって、「私が取ってあげようか」と言ってくれたけど、首を横に振って応えた。

 だって、やっぱり自分で釣りあげたい。取れないままじゃ引き下がれないし!

 ユエル様もわたしの意を得、横で待っていてくれた。

「ミズカは存外負けず嫌いなところがあるね」と、ちょっと笑って。

 ともあれ、焦る気持ちを抑え慎重に、けれども和紙の部分をあまり水に浸さぬよう素早く、釣り針にゴムの輪っかをひっかけて持ち上げる。四度目にしてようやく、狙っていたピンク色の水風船を釣りあげられた。

「取れた!」

 思わず声をあげ、ホッと胸を撫でおろした。

 横にいるユエル様を見上げると、緑の双眸を細めて微笑んでいる。つられてわたしも口元をほころばせた。屋台のおじさんまで、「よかったよかった」と笑ってくれた。

「その釣り針、まだ使えそうだね。もう少し頑張ってみる?」

 そうユエル様に訊かれたけど、わたしとユエル様、それぞれ一つずつ持っているのだし、ちょっと勿体ない気もしたけれど、これで終わりにすることにした。

 ぽしゃんと、ピンク色の風船の中で水が揺れる音がした。ちょっとこもった、水の跳ねる音。なんだかとても儚げな音に聞こえた。落として割ってしまわないよう、気をつけなくちゃ。

 ユエル様が釣った水風船もわたしが持ち、そしてわたし達は風船釣りの屋台を後にした。

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