「求めよ、さらば与えられん」 1
本編よりちょっとはずれたお遊びの小話です
ある種の信仰かもしれないと、時々思う。
ユエル様を想うこの気持ちは。
だけど、信仰のように純粋な気持ちばかりではなくて……――
この想いは、なんなのだろう。
* * *
アリアさんがわたしを呼び、手招きをした。
「ミズカちゃん、こっちに来て」
何か用事でもあるのだろうかと、アリアさんの傍に早足で近寄った。
「何でしょう、アリアさん」
「ここにいてちょうだい、ミズカちゃん」
「はい」
夜、まだ寝るには早い時間帯で、アリアさんはどうやら暇を持て余していたらしい。何やら楽しいことを思いついたようで、青色の瞳を嬉々と輝かせて、「ちょっと付き合ってちょうだいね」とわたしに微笑みかけてきた。
それからすぐに、アリアさんはちょうど廊下を通りかかったイスラさんとイレクくんを目敏く見つけて呼び寄せた。
イスラさんとイレクくんは迷惑げな顔一つせず、気楽な面持ちでわたしとアリアさんのいるリビングに入ってきた。イスラさんもイレクくんも、そういえばユエル様もだけど、アリアさんの言うことは無条件で従うのだから、アリアさんってすごい方だって改めて思う。
「さ、二人とも、ちょっと協力して」
ソファーに腰かけていたアリアさんはおもむろに立ち上がり、イスラさんとイレクくんに、それぞれ一枚ずつ白い紙を手渡し、にこりと笑って言った。
「そこに書いてあること、ミズカちゃんに向かって言ってちょうだい。心をこめてよ?」
え、わたし? わたしに、何……?
思わず、イスラさんとイレクくんと顔を見合わせ、三人そろって首を傾げた。
「なんだよ、突然? 読めっていうけど、なにこれ?」
怪訝そうに訊き返したイスラさんに、アリアさんは「いいから、読んで」とだけ言って応えない。
「ミズカちゃんはここに立ってて。そして真剣に聞いてあげてね」
「え、あの……」
首を捻るわたしに、アリアさんは「ねっ?」と微笑みかけてくる。説明を求める隙もなく、わたしは訳も分からないまま点頭した。
「さ、まずはイスラから」
教科書の朗読を言いつける教師のようなアリアさんだ。イスラさんは眉をひそめつつも、わたしと手渡された紙とを見やって、そこに書かれている文面を読み上げた。
「――君を、誰よりも深く想っている。俺なら絶対に君を泣かせたりしない。君を幸せにすると誓う。だから、俺を選んでほしい」
「……っ!?」
なっ、なに、イスラさんの口から、なんだかとんでもない台詞が……っ!
いったい、なにごと?
あ然ぼう然、硬直するわたしをよそに、「はい、次はイレクよ」とアリアさんは素早く指示をだした。
イレクくんは戸惑い顔をしながら、けれどアリアさんに逆らう気はないようで、ため息をついた後、紙に書かれた文句を口にした。
「初めて会った時からずっとあなたに惹かれ、恋焦がれていました。僕はもうあなた無しでは生きられない。どうか一生、僕の傍にいてください」
「えっ、えぇっ!?」
イレクくんまで……!
思わずのけ反り、素っ頓狂な声をあげてしまった。
二人とも、ものすごく等閑な棒読みなのだけど、面と向かってそんな歯の浮くような台詞を……あ、愛の告白みたいなこと言われると、経験のない身としては、やっぱり気恥ずかしいし照れるし、緊張してしまう。
真っ赤になって硬直しているわたしの横から、即座にアリアさんのダメ出しが入った。
「もう二人とも! もうちょっと情感を込めて言えないの? そんなんじゃミズカちゃんのハートに全然届かないわ。心をこめてって言ったでしょ?」
「いや、情感こめてとか急に言われても……。てゆーか、いきなりなんだよ、アリア? 何が目的なわけ? 芝居やるってんじゃないんだろ?」
呆れ顔でイスラさんが訊く。
そう! わたしもそれが訊きたいです、アリアさん!
わたしも首を巡らしてアリアさんを見つめた。
「お芝居じゃないわ。まぁ、それでもいいけど。目的は……そうねぇ、なくもないわね」
くすっと、アリアさんは目を細め、意味深な笑みを浮かべた。
「それよりも、単純にミズカちゃんを口説き落とすゲームがしたかったの。もちろん、お遊びといっても真剣勝負よ?」
アリアさんは白い指を唇にあて、ちょっと小首をかしげて微笑みを浮かべる。豪奢な金の髪が肩から流れ落ち、その所作の妖艶なことといったら、同性にもかかわらずドギマギしてしまうくらい。オフホワイトの夜着に透け感のあるコーラルピンクのナイトガウンロープをさらりと羽織った姿がいかにも艶めかしい。
え、でも、今……アリアさん、なんて言ったの?
口説き落とすとか……? いっ、意味が、分からないのだけど?
「ふふっ、そしてもちろんあたしも挑戦者」
言うやいなや、アリアさんはいきなりぎゅぅぅっとわたしを抱きしめた。
「……っ」
アリアさんの豊満な胸に顔を押し付けられ、頬の熱りがさらに増した。
柔らかくて温かくていい匂いがして、アリアさんの胸の感触は、とっても気持ちがいいのだけど、なんというか、そのっ、恥ずかしくって、非常に落ち着かないです、アリアさんっ! それに、息が……!
窒息しそうになってるわたしに気づいて、アリアさんはすぐにその腕の中から解放してくれたけど、わたしはもう、今にも卒倒しそうなくらいのぼせあがってた。
――だというのに、……――
状況を把握したらしいイスラさんは、不平を漏らした。
「それならそうと先に言ってくれよ、アリア。だいたい、何だよあの台詞。俺ならもっと気の利いた台詞言うっての。――ミズカちゃん」
「は、はい……っ?」
やにわに、イスラさんがわたしの手を取った。
イスラさんは大輪の花が咲き綻ぶような、明るくあでやかな笑みを満面に浮かべた。艶めかしいブラウンの双眸をまっすぐわたしに向け、そして普段より若干低い声を、恭しげに発した。
「ミズカちゃん。君という一輪の薔薇に触れ、手折るのを、どうか赦してほしい」
「……っ」
「花びらに口づける僥倖を、どうか俺に」
「……あ、あのっ、……わっ……わた……っ」
イスラさんの甘い声音に、眩暈がした。
どう対応していいかなんてわかるはずもなく、ただただ硬直するばかりだ。
どっ、どうしてこんなことに……!?
自分の身にいったい何が起きてるのか、さっぱりわからない……というかこれはもしかして夢なの? 夢なら早く覚めてほしい!
嫌とかじゃなくて、心臓に悪すぎるもの!
「父さん、それのどこが気の利いた台詞だというんです。まったくもって陳腐極まりない。ミズカさんが困ってるじゃないですか。まずはその手を離してください」
パニック状態に陥ってるわたしに助け船をだしてくれたのは、イレクくんだ。
父親であるイスラさんの手をぴしゃりと叩いて、窘める。
――ああ、よかった。
イレクくんは真面目な性格だし、こんな悪ふざけにはのらないだろう。
ホッと胸を撫でおろしたのも束の間、イレクくんはさっきまでイスラさんがそうしていたようにわたしの手を取り、大人びた微笑をこちらに向けてきた。
「え、イ、イレクくん……?」
ぎょっとして、身を強張らせた。
イレクくんは上目遣いにわたしを見やる。薄茶色の双眸に妖しげな光が孕んでいた。
「大丈夫です、ミズカさん。イスラのような不埒な輩からは僕が守ります。ミズカさんのためなら、……僕は何を失っても構わない」
「……っ」
待ってっ! 待って待って、イレクくんっ!? 全然大丈夫じゃないから!
イレクくんまでいったいどうしちゃったの? もしかして何かヘンなものでも飲まされたんじゃぁ……?
イレクくんの表情は真剣そのもので、わたしをからかって面白がってる風には見えない。少なくともわたしの目には。
それはイスラさんも同じだ。じりじりと距離を詰めて近寄ってくるイレクくんの肩を掴んで押しのけようとし、わたしとイレクくんの間に割り込もうとしてくる。イレクくんも負けじと応戦し、わたしはもうおたおたするばかりで、対処のしようがない。
イスラさんとイレクくんの攻防をアリアさんは静観しているかと思いきや、僅かの隙を狙って、二人を出し抜いた。
「だめよ。ミズカちゃんはあたしのもの。渡さないわ」
腕を引っ張られたかと思ったら、次の瞬間、わたしはまたしてもアリアさんに抱きしめられていた。豊満な胸の弾力の心地よさをうっとり堪能する余裕なんて当然ない。抵抗もできず、狼狽しきって泡を食ってるわたしの顎を、アリアさんはほっそりと長い指で抓んで持ち上げ、顔を上向かせた。
「……っ」
かっ、顔がっ! 顔が近いんですけど、アリアさんっ!?
「かわいいかわいい、ミズカちゃん。ね、あたしとイイコト、しましょ?」
「あっ、あっ、あの……っ」
アリアさんの蠱惑的なまなざしに絡め捕られ、金縛り状態だ。
心臓の鳴り方が尋常じゃなくなってきてる。このまま心臓発作を起こして卒倒しそうだ。
同性だからなのか、怖いとか嫌悪とか、そんなのはないけれど、どうしたらいいのか分からなくて、もうパニック状態。ありえない状況に陥って抗う術もない。心の中で、ひたすら救いを求めるばかりだった。
――たすけて、ユエル様!
「くだらぬ戯れ事はそこまでにして、いい加減にミズカを離せ、アリア」
わたしの心の声を聞きつけて、としか思えないほどのタイミングで、ユエル様は現れ、救いの御手を差し伸べてくれた。