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雷鳴

 夜半、俄かに風が強まり、湿り気を帯びてきた。

 すこしだけ開けていた小窓を閉めようと取っ手に手をかけたところで、ぽつぽつと雨が降り出した。昼間は暑いくらいの陽気だったのに、今はちょっとだけ肌寒い。

 雨が降るとは思いもしなかった。そういえば天気予報を、今日は見てなかった。昼間は洗濯日和の好いお天気で、気温も高かった。ここ最近は晴天続きで、雨音に懐かしさを感じてしまう。

「雨ですね」と、何気なく言って振り返る。

 ソファーにゆったりと身を委ね、読書に耽っているユエル様は、「そのようだね」と生返事。少しだけ気だるそうなのは、昼の暑さに負けてしまったせいかもしれない。お風呂上がりはいつも気だるげなユエル様だけど。銀の長い髪は、まだちょっと湿ってるっぽかった。

「吸血鬼」だからといって「流水」に弱いわけではないけれど、わたしはちょっとだけ湿気に弱いみたい。背中の傷が疼いたりもする。

 それに、わたしの癖のある髪は、湿度が高くなるとさらに癖が出で、まとまりがわるくなる。ひきかえ、ユエル様の形状記憶美髪は、湿度が高かろうが低かろうが、変わらずつやつやさらさらだ。雨の日はとくに羨ましくなる。雨自体は好きなのだけど。

 ……と、そんなことをぼんやり思ってたら、窓の外から、何やら不穏な音が聴こえてきた。

 ゴロゴロと、低い音が響く。ややあって、今度は蒼白く空が光った。

「……っ」

 ひゃっと、肩をすぼませる。 

 小窓にはカーテンが無いから、稲光をシャットアウトできない。雨も強まってきたし、慌てて窓を閉めた。

「ああ、そういえばミズカは雷が苦手だったか」

「ううっ、これ以上近づいてこなければいいですけど」

「こちらへきて座りなさい、ミズカ」

 ユエル様の言葉に従い、ユエル様の隣のソファーに腰かける。

 ビクビクしてるわたしをユエル様は可笑しそうに笑う。「落ちやしないよ」とユエル様は笑みを含んで言う。

「まだ遠雷だ。……雨は強まってきたようだが」

 ユエル様の語尾に、雷鳴が重なった。思わず「ひゃっ」と漏らし、体を縮こまらせる。

「怖がりだね、ミズカは」

 いつの間にかユエル様はわたしの傍に立っていて、そこから窓を眺めやっていた。滴が窓ガラスを打って、流れる。また蒼白い閃光が走った。

「雷って、どうしても……慣れなくって。音も光も……なんだか、びっくりするのもあるんですけど、怖くて、不安になる……みたいな……落ちたらどうしようって」

「罪人でもあるまいに」

 くすくすとユエル様は笑う。端正な顔は、まだ窓の方に向けられていた。けれどわたしのことを気にかけてくれているのは、なんとなく分かる。

「罪人って……」

「例えばだよ、ミズカ」

「でも、……――」

「ミズカが罪人だなんて言ってもいないし、思ってもいないよ。まぁ、そうだね……、このマンションの一室を不法に占拠している罪はないでもないが。私の共犯と言えなくもないね?」

 ユエル様は微笑を湛えたままこちらに顔を向けた。冗談を言ってるのに、冗談めかした目をしてない。空気がひんやりとして、七分袖から出ている腕がわずかに粟立った。

 また、空が光った。蒼白いような、紫帯びたような、鋭い光がきらめく。

「雷は、私はわりと好きだよ。空気を切り裂く光も音も、美しく、ゾッとする感じがいい」

 僅かの間をおいてから、雷鳴が轟いた。どんどん近くなってるみたい。風雨も次第に強まってきた。

 ユエル様の白皙の面貌がさらに白く、透明さを増す。綺麗で思わず見惚れてしまうけれど、同時に、ひどく不安にもなった。

「ユエル様」

 手を伸ばし、ユエル様の腕を掴もうとしたその瞬間。

 再び窓の外が光り、すぐに空気の振動を感じるほどの雷鳴が轟いた。

「きゃぁっ」

 堪らず声を上げ、両手で耳を塞ぎ、目を瞑った。

 どこかに落ちたのかもしれない。それくらいすごい音と振動だった。

「ミズカ」

 いたわるような声と同時に、甘い薔薇の香りが、ふんわりと優しくわたしを包んだ。

 ソファーの横から、ユエル様はわたしの頭部を抱えてくれている。雷鳴からわたしを守ってくれてるみたいだ。

「ちょっと遅かったかな?」

「…………」

 首を横に振って応える。突然のことで、言葉が出てこない。雷にも驚いたけれど、今のこの状態にも、ものすごく驚いて、雷のせいだけじゃなくて、心臓がバクバク鳴ってる。ユエル様の手に触れられている。それだけで、こんなにも動揺してしまうなんて。

 ユエル様の手は冷たいけれど、不思議に心地好い感触で、それはきっとわたしの耳や首が、火がついたみたいに熱いからなんだろう。

「まだ怖い?」

「…………ちょっ、ちょっと、だけ……」

 顔を俯かせたまま、小声で答えた。ユエル様の視線は、稲妻の走る窓の外に注がれているんだろうか。それとも、縮こまってるわたしを……?

「ミズカに落ちたりはしないよ」

「……そ、そうでしょうか」

 建物の中にいるのだからとユエル様は笑みを含んだ声で言う。けれど、笑っていないような声でもあった。顔をあげられなくて、いま、ユエル様がどんな表情をしているのかは分からない。憂えた顔をしているかもしれない。声の調子があまりに静かで、手も冷たいままだから。

「もし落ちるとしたら、私にだろう。だから私がミズカのために避雷針になろう。……ああ、だが避雷針の傍にいては危険だ。離れた方がいいかな」

 そう言って、ユエル様はわたしから手を離した。

「ユエル様!」

 とっさにユエル様の腕を掴んでひきとめた。

 だって、ユエル様がどこかに行ってしまう気がして。

 雷は、もうおさまりつつあって、遠くでゴロゴロ鳴っているだけだ。雷は遠ざかってもいい。むしろ遠ざかってほしい。だけど、ユエル様は……――

「避雷針なんて、そんなの、だめです、ユエル様!」

 冗談でも、ユエル様が「避雷針」なんて嫌だ。ユエル様が痛い思いをするのは、辛い目に合わせるのは……!

「たとえユエル様が避雷針になっても、わたし、離れませんから! え、縁起でもないこと言わないでください」

「ミズカ」

 ユエル様の緑の瞳がわたしを見つめる。微苦笑をその双眸にひそませて、ちょっと嘆息してから、「分かった」と言ってくれた。何を「分かって」くれたのか、それをユエル様は言わない。わたし自身、何を「分かって」欲しいのか、はっきりとは言えなかったし、自身の気持ちも「分かって」ない気がした。

 それでも、ユエル様はここにいて、微笑んでくれている。それだけでホッとした。もう雷も遠い。雨も、少しずつ弱まってきてるみたいだ。ほんの僅かの間の通り雨。ちょっとだけあっけないな、なんて思ったりもした。

「避雷針の必要もないようだ。雷は遠のいてしまったしね」

 ユエル様は残念そうに言う。わたしは少し複雑な気分で、ユエル様を見上げた。

「さあ、ミズカ。夜も更けた。そろそろ寝んだ方がいい。眠れそうかな?」

「…………」

 わたしはそっとユエル様の腕から手を離した。ひどく心残りで、だけど掴んだままでいるのも落ち着かなかった。

「……はい、なんとか眠れそうです」

 そう言って、立ちあがった。

 眠気なんてちっともなかったけれど、ユエル様を心配させたくなかったから、そう答えるよりなかった。

 未だ、遠雷は続いていた。けれど稲光は見えない。

「ユエル様も、あまり夜更かしなさらないでくださいね」

「ああ、そうしよう。が、私はもうしばらくここにいるから、もし怖くなったら、いつでも来なさい」

「はい」

 本当はまだ一人になりたくなかった。けれど、早く一人になった方がいいって気もしてた。

 胸の動悸はおさまってきていたけど、小さな痛みは続いている。雷のせいなんかじゃない。雨のせいでも。

 ユエル様は再びソファーに腰をおろした。

「おやすみ、ミズカ」

「……おやすみなさい、ユエル様」

 わたしは後ろ髪を引かれる思いで、部屋を出た。

 ドアを閉める前にもう一度「おやすみなさい」とユエル様に声をかけた。ユエル様は微笑で応じてくれた。

 ユエル様の微笑に安堵し、そして胸に風穴が開いたみたいに、冷たく切なくもなった。

 何故なのかは、自分でも分からない。

 ただ、すぐに就寝できはしないだろうなってことだけは分かって、ため息が無意識に零れ落ちた。


キリスト教の俗信で、雷は罪人の上に落ちるといわれています

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