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Merrily

 普段は気にせず、見ることも稀なカレンダーを久しぶりに見た。月は十二月、今年も残りわずかの、とある日のこと。


 ふと、不思議に思う事柄があってそれをユエル様に尋ねてみた。とっても今更なことだったのだけど。

「明日の二十四日と明後日の二十五日は、祭日じゃないんですね」

 問われて、ユエル様は顔をあげた。唐突過ぎる質問に、ユエル様は一瞬とまどい顔をしたけれど、すぐに表情を緩めて「突然何を言い出すのかと思えば」と微苦笑した。

 わたしの向かい側に座っているユエル様は珍しく長い銀の髪を一つに束ねている。編み込まず、軽くまとめてゴム紐でまとめて左肩に流している。

 わたしのおさまりの悪いくせっ毛と違い、ユエル様の髪は柔らかくてつやつやしているから、結い方次第ではすぐにほどけてしまう。今もすでにほどけかかって、後れ毛が背に流れ落ちている。

 頭の隅っこで、無造作にしていてもユエル様の美麗さは崩れないどころか、かえって艶めいて見えて、どきどきして、落ち着かないなんてことを考えつつ、話を続けた。

「建国とか憲法とかの記念日や、いろんな名目の祭日があるから……クリスマスも祭日扱いになってるとばかり思い込んでました。でも、祭日指定にはされていないんですね」

 ユエル様はにこりと笑ってテーブルの上のチェス盤を指で小突いた。

「もしかして、雑談で私の気を逸らそうという作戦かな、ミズカ?」

「い、いえ、そんなつもりでは……。ちょっと気になっただけでっ」

 慌ててふるふると首を横に振って否定した。

 だってユエル様の気を逸らしたところで、勝敗はもうついている。

 チェスをユエル様に教えていただいて、やっとひと月。

 習い始めの頃に、「将棋のようなものですか?」と言ったら、笑われてしまった。「そういう先入観は捨ててから覚えた方がいいね」って。

 なにしろまだ習いたてなのだから、チェスのルールも完全には呑み込めていなくて、駒の動かし方すらぎこちない。

 今日は、ユエル様は黒の駒、わたしは白の駒。

 こうして向かい合ってチェスに興じて、もう二時間近くが経っている。興じて……というか、ご教示いただいているというのが正しいのだけど。それに難しくってちっとも頭に入ってこないから、興じる余裕なんてまったくなかった。

 ユエル様は寛いだ姿勢で、紅茶を喫している。憶えの悪いわたしに苛立ったりもせず、それどころか焦って駒を倒しかけたり間違った所に置いたりする様を見ては、可笑しげに笑う始末だ。小馬鹿にしたような笑い方ではなく、おおらかな笑みだった。

 ユエル様はビショップをつまみあげ、とくに思案もせずにコトリと盤に置く。そうしてからわたしの問いに答えてくれた。

「そう、クリスマスは祭日ではないね。一年の内で最もと言っていいほど盛り上がる日だが」

 クリスマスがどんな日なのかは、ずいぶんと前にユエル様から教えていただいた。とても大雑把に、「諸説あるが、イエス・キリストの誕生日ということで定着しているようだ」と。

「クリスマスの語源はラテン語で、クリストゥス・ミサの略。キリストの降誕祭、それが十二月の二十五日なわけだけど、実際にはキリストの誕生日がいつかは分かっていない」

「そうなんですか?」

「二十五日に定められたのは二世紀から四世紀あたりのことらしいからね。あくまで私の憶測だが、キリスト自身、自分の誕生日など知らなかったのではないかな? 正確な暦を知りえる身分ではなかったろうしね」

 ユエル様は別段キリスト教を疎んずるでもなく、淡々と語った。それでも深緑色の瞳はどこか憂いを含んでいるように見えた。

 ユエル様はあえて仰らないけれど、もしかしたら迫害され、退治されかねない目に遭ったことがあるのかもしれない。吸血鬼という異端の存在であるがゆえに。

 キリストだけではないけれどは異端の存在に酷く厳しく、容赦がない。そんなイメージが、宗教全般詳しくない自分にもある。

「あの……っ」

 ポーンをぎゅっと握りしめて、ユエル様を見つめ返した。

「誕生日といえば、ユエル様の誕生日って……日にちは覚えてないって仰ってましたけど、冬なんですよね?」

 唐突に、話を変えた。

 我ながら話の切り替え方がへたで、情けなくて恥ずかしくなるくらい。もう少しさり気ない気の遣い方を覚えたいのに、これもチェスのルールを憶えるのと同じくらいに、わたしには難しい。

「誕生日、ね。まぁ、キリストや釈迦ほどではないにしろ、もう遠い昔のことだからね。寒い季節だったらしいが」

「…………」

 不敬ともとれるユエル様の発言に、キリスト教でも仏教徒でもないわたしだけど、さすがにちょっと返答に窮してしまった。もちろんユエル様を窘める気はない。

 ユエル様は額にかかる前髪を押さえつけるようにしてかきあげた。形の良い柳眉と深い緑色の双眸が露わになる。

 何度見ても見慣れることのないユエル様の卓抜した美貌は、それこそ美神のごとくの神々しさで、うっとりと見惚れて、見つめ返されれば心拍数まで上がってくる。

 右手の中のポーンを盤の上に置くこともできず、もうチェスどころではなくなっていた。

「ああ、そうだ。いっそ、今日決めてしまおうか、ミズカ」

「え?」

「誕生日を」

「え……、誕生日を、ですか?」

 わたしは目を瞬かせ、目を細めて笑んでいるユエル様の顔を見やった。

 ユエル様はわたしの代わりに、わたしの駒を進め、また自分の黒駒も進める。そうして、わたしの白のポーンをクイーンへと昇格させた。

「そう。ミズカも自分の誕生日を憶えていないことだし、この際だから……そうだな、クリスマスを、いや、明日のクリスマスイブをミズカの誕生日としようか」

 クリスマス当日より前夜のイブの方が盛り上がる日だからねと、ユエル様は楽しげに言った。

 わたしは、ユエル様とは違う事情で自分の誕生日など知らなかった。誕生日どころか、幼少時のことはほとんど記憶に残っておらず、両親の顔も脳裏を掠めもしない。

 ユエル様は自身のことより、こうしてわたしのことを気遣い、時には優先さえしてくれる。いつも、とてもさり気なく。

「十二月の二十四日。この日ならミズカも忘れないだろう?」

「それなら!」

 思わず身を乗り出した。

「二十五日のクリスマスを、ユエル様のお誕生日にしましょう! 冬生まれだったのなら、きっとそんなにはずれてないはずですし!」

「クリスマスを?」

 ユエル様はちょっと自嘲気味に笑った。吸血鬼の誕生日がクリスマスとは。そう言って眉を下げたけれど、拒んだりはしなかった。

 ユエル様の誕生日は、特別な日であってほしい。

 わたしはユエル様と出逢えたからこそ、今こうしてここに生きている。人並みの以上の生活環境をユエル様に与えられただけではなく、様々な感情を育ませることができた。

 ユエル様が生まれてきたことを感謝したい。わたしと出逢ってくれたことも。こうして傍に居てくれることも。

 だから、祝賀の雰囲気が最も高まるクリスマスの日を、ユエル様の生誕の日にしたい。ユエル様がこうして居てくださる、それを心から祝いたい。そして感謝したい。

 わたしの勝手な願いだけど……――

「ユエル様が嫌でなければ、ですけど……」

 ためらいがちに言うと、ユエル様は微笑みを返してくれた。嫌なはずがないよと、穏やかな緑の瞳が語り、わたしの願いを受け取り、叶えてくれた。

「ならば明日は、早速祝い酒を用意しなければね」


 翌日、ユエル様自ら祝いのシャンパンを買ってきてくれ、真新しいグラスにシャンパンを注いでくれた。

 爽やかな音がグラス内で静かに弾け、それを見ているだけでも幸せな気分になれた。

「乾杯」といってグラスを鳴らし合うのは少し恥ずかしかったけれど、これはユエル様への献杯でもある。

 シャンパンの甘さと酸っぱさのまじりあった爽やかな口当たりに、頬が緩んだ。

「ありがとうございます」と謝辞を述べ、シャンパンを喫した。

 グラスを離したところを見計らって、ユエル様が手を伸ばしてきた。そしてそっとわたしの肩に手を置く。

「ミズカ」

 名を呼ばれて、顔をあげた。

「……っ」

 視線が合い、途端に鼓動が速まった。

 ユエル様の顔が近い。緑色の瞳がまっすぐにわたしを見つめ、優しく細められた。ユエル様は少し腰を屈め、――そして。

「Blessed are the pure in heart.――ミズカ、君にいつまでも幸多からんことを」

 ユエル様はわたしの額に口づけ、静かな声音で言祝いだ。


 直後、わたしは耳まで真っ赤にして硬直したのだけど、ユエル様は追い打ちをかけるように言ったのだ。

「明日は、ミズカからの祝福を楽しみにしているよ」

 同じように、口づけでの祝福を望むと、悪戯っぽく微笑んで。


Blessed are the pure in heart. 心の清き者は幸いなり(聖書より)

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