わたしには役不足です…なんて
「13.過現」後のティータイム
キッチンの収納棚に並べられている紅茶や日本茶の茶葉とにらめっこすること、数秒。
稀少なファーストラッシュの茶葉を用いたダージリンの紅茶を、淹れることにした。
青アーモンドのような爽やかな芳香をもつこの紅茶は、いつもとちょっと淹れ方が違う。少しだけお湯の温度を下げたほうが美味しいって説明がパッケージに書かれてあった。お湯の温度は、九十度前後。
紅茶に限らないけれど、お茶って、美味しく淹れるにはいろいろとルールがあって難しい。
けど、固形物を食べられない分、せめて飲み物は「美味しい」と心から思えるものを摂取したい。
だから頑張って、美味しいお茶の淹れ方を勉強をしてきた。
些細なことだけど、役立つことがしたかった。
――ユエル様のために。
* * *
大急ぎでお茶の支度をし、リビングに戻ったわたしを見るや、アリアさんはしみじみと嘆息した。
「その服、違和感ないわねぇ、ミズカちゃん」
頬に指をあて、ちょっと小首を傾げる。
アリアさんの瞳に映っているわたしは、「メイド服」とかいうらしい衣服を着用している。イスラさんからいただいたもので、着てみてほしいという要望に応えて、早速着替え、ついでながら、メイドらしく給仕をしている、という次第だ。
こげ茶色のワンピースは、どちらかといえばクラシカルなデザインで、可愛らしくはあるけれど、仕事着にしては実用的ではないと思う。レースたっぷりの白いエプロンも、えび茶色のハーフブーツも。付加されたレースのカチューシャも。
「メイド姿が板についちゃってるっていうのかしら。本物のメイドさんみたいね?」
子供っぽくすら感じる仕草や舌足らずな声は、アリアさんの美貌を損なわせることはない。むしろ、親しみやすさを感じて、気安さにほっとする。
「ものすごぉく似合ってて可愛いんだけど、似合いすぎてるっていうか……」
「は、はぁ……」
アリアさんの薄く開かれた朱唇から、か細いため息がこぼれでた。その様子の美妙さは、ユエル様に勝るとも劣らない。というより、別種の美しさだ。
美女のため息は、薔薇の芳香がするに違いない。
「あ~、言えてるな。似合いすぎて違和感ないってのは、ちょい問題かもな?」
イスラさんがアリアさんの言葉を継いだ。深刻ぶった顔をして腕を組み、横目でちらりとユエル様を見やった。ユエル様はというと、流れてくるアリアさんとイスラさんの視線などさらりと無視して、黙ってお茶を飲んでいる。
窓際に立っていたイスラさんはわたしからお茶を受け取るため、三人掛けのソファーに腰をおろした。「うん、美味しい」と、まずは紅茶の味を褒め、それからさらに言葉を続けた。
「メイド姿に違和感がないっていうのはつまり、メイド的な仕事を、長いことユエルにさせられてるってことだよな? それでだんだんとメイドっぽく振舞えるようになっちゃった、てとこか」
「そうねぇ、環境が人を作るって言うものね。また悪いことに、ユエルがごく自然に、当たり前のごとく人を使える“主人”体質なのよ」
「ユエルは我侭で尊大で怠け者だから、ミズカちゃん、いろいろと扱き使われてるんじゃない?」
「人のことはとやかく言えないと思いますよ、父さん?」
間髪いれずに突っ込んだのはイレクくんだ。口数少なく、おとなしく控えているイレクくんだけど、父であるイスラさんの言動を逐一見張っているようだ。礼を失したまねはしないでくださいねと、薄茶色の瞳をやや細めて、釘を刺すように睨んでいる。
身内に対しての気安さが、イレクくんの口を軽くしてしまうみたいだ。イスラさんに口うるさく説教めいたことを言うのは、もしかしたら照れ隠しなのかもしれないなんて、……ちょっと穿って考え過ぎかしら?
「人のことを扱き使うのは、父さんこそでは? 自分のことは棚の上にあげて、よく言えますね?」
「おまえはホント、相変わらずいちいち煩いなぁ。たまには父親を敬えよ」
「敬えるような父親であるのなら、いくらでも。だいたい、こんな時だけ父親ぶるのは都合が良すぎるというものですよ」
「あーっ、なんでこんな小うるさいヤツに育っちゃったかな、イレクは! ちっちぇー頃はもちっと可愛げがあったのによぉっ!」
嘆かわしいと不平をもらしながら、イスラさんは茶褐色の髪をくしゃくしゃとかきまわした。
イレクくんはというと、困り顔でおろおろしているわたしににっこりと笑いかけ、「反面教師ですよ、典型的な」と述懐した。その後すぐ、アリアさんに顔を向けなおして、話の腰を折ったことを、軽く頭を下げて謝った。
「あら、気にしないで、イレク。なかなか楽しいやりとりだったわ」
アリアさんはくすくす笑いながら応えた。律儀なイレクくんをからかっている風でもあったし、懐かしんでいる風でもあった。アリアさんの海色をした双眸は、広やかで深みがある。
「ということで話を元に戻すけれど」
半ば強引に話を戻したアリアさんは、今度はわたしにとびきり美しい笑みを向けた。
「実のところ、どうなのかしら、ミズカちゃん? ユエルに扱き使われて疲れてるなんてこと、なくて?」
「いえ、そんなことは」
わたしはぶんぶんと横に首を振って否定した。けれど、アリアさんはともかく、イスラさんは信じてくれない。というより、わたしの反応を見て楽しんでるみたいだ。
「ユエルを前にして、はいそうです、なんて言えっこないよなぁ」
「そうですね、たしかに」
イレクくんまでが、イスラさんに同調した。
あげくに、今の今まで沈黙を保っていたユエル様が、口を挟んできたのだ。
花も恥じらってしおれてしまうくらいの美麗な微笑を湛え、
「そうだな。この際だ。心意を聞きたいものだが、ミズカ?」
と、深緑色の眼差しをまっすぐにわたしに向けて。
冷や汗が、どっと出た。動悸も激しくなり、それを抑えるために(抑えられっこないのだけど)胸元で両手を組んだ。
「ほんとに、そんなことは全然ありませんから!」
本当に? と問い返してくる色とりどりの八つの視線が、わたしに注がれる。
「扱き使われてるなんて、思ったこともありませんから! というか、ユエル様のお世話をさせていただくのは当然と思ってて! いえ、あの……お世話なんて、偉そうなことはできてないんですけど」
「お世話っていうより、面倒見てる、の方が正しいんじゃね?」
イスラさんは鼻先でフッと笑って、ゆったりとした姿勢でソファーに腰を落ち着けているユエル様に、皮肉のこもった視線を向けた。詰るような口調ではなく、ちょっと呆れたような口ぶりだった。
「おまえ、昔っからぐーたらしてばっかで、生活能力なかったもんなぁ」
「そうねぇ。今こうして人間っぽい……というか人並みの生活が保てるのは、ミズカちゃんのおかげよね? その点は否定できないでしょ、ユエル?」
「…………」
ユエル様は苦虫を噛み潰したような顔をし、また黙り込んでしまった。
わたしは視線の端でユエル様の挙措を窺い、もしかしたら余計なお節介かもしれないと思いつつ、弁明した。
「そんなことありません。むしろわたしの方がユエル様に面倒を見てもらっていることの方が多いくらいなんです! めんどくさがりで、気紛れで、怠け者で、横柄なところも無きにしもあらずのユエル様ですけど、わたしのことは、いつも色々と気遣ってくれてます!」
「あらあら」
口元に指をあて、アリアさんは愉快そうに笑っている。その横で、イレクくんは失笑していた。
「やぁ、いいね、ミズカちゃん! さっすが、よく分かってるね、ユエルの性格!」
小気味よさそうに笑いだしたイスラさんは、わたしに向けて親指を立て、片目を瞑ってみせた。
……あ、あれ……? 今わたし、何か変なこと言った?
勢いあまっての弁明だったから、何を口走っちゃったのか、反芻できない。
ユエル様は、噛み潰した苦虫を飲み込めないといった風な渋い顔をし、テーブルに戻していたカップに、再び手を伸ばし、ぽつりと、
「……まぁ、あえて訂正はしないが」
そう言った。
ユエル様は紅茶を一口飲むと、またすぐにソーサーにカップを戻した。それから典雅な仕草で前髪をかきあげ、ため息をついた。細く長い銀の髪が、浅瀬を流れる清い水のようにさらりと、肩にかかる。あらわになった白く秀でた額と、艶帯びた常葉の色をした双眸は、目が眩むほどに、美しい。
うっかり直視してしまったものだから、せっかく動悸の治まりつつあった胸が、再び早鐘のように鳴り出した。頬まで熱りだして、始末におえない。
わたしはほとんど反射的に「すみません」と謝って、頭を下げた。失礼なことを言っちゃったのかなと焦ったし、ユエル様の眼差しを避けるためでもあった。
「謝ることなんてないよ、ミズカちゃん? なぁ、ユエル?」
「…………」
イスラさんに同意を求められ、ユエル様は不機嫌そうな顔を返した。
代わって応えたのは、アリアさんだった。
「ミズカちゃんは真面目なのね。美点ではあるけれど、ちょっぴり損な性分でもあるわね」
「ですが、誰かのように始終不真面目な性格より、ずっといいですよ。アリアさんが言うように、それで気疲れしてしまうこともあるかもしれませんが」
息子のイレクくんに、不真面目とあてこすりをされたイスラさんは、拗ねたような、ムッとしたような顔をしたけれど、いちいち突っかかったりはせず、さらりと受け流して、それかかった話を戻した。
「ミズカちゃんさ、いっそユエルの我侭っぷりを見習って、たまには文句つけちゃえばいいんだよ。今の状況っていうか、やってる仕事は、わたしには役不足だって」
「え……」
わたしは返答に窮し、声を詰まらせた。
や、やだ、イスラさん、急に何を言い出すんだろう!?
「わたしには役不足だ」って、それは、つまりわたしが現状に満足してないって意味、よね?
わたしはまたしても、大仰に否定した。
「そっ、そんなっ! 役不足だなんてちっとも思ってませんし、文句は……そりゃぁ、時々言うこともありますけど、でも、不満足とかそんなのはなくて! えぇっと、その……、今のままで十分、満足してます、から」
なぜだか、はっきり断言できなかった。「今のままで満足です」、と。
どうして? 満足しているはずなのに。それ以上を望むなんて考えられないはずにのに。……はずなのに。
「…………」
ユエル様は口を閉ざしている。すっと上げた目線が、一瞬だけわたしをとらえ、けれどすぐに逸らされた。
物言いたげな様子だったけれど、尋ねる勇気はなかった。
わたしは叱られた子供が言い訳をするように、俯き、小声で繰り返した。
「ほんとです。役不足だなんて、思ってません……」
眷族の役割すら知らなかったわたしが、役不足だと嘆いて文句を言うなんて、許されることじゃない。
「ミズカ」
ユエル様が、わたしの名を呼んだ。
優しく諭しかけてるくるような声音だった。
わたしはそろりと顔を上げた。ユエル様は穏やかに微笑んでいる。
「私はミズカを使用人と思ったことはないよ。前々から言っているが」
「…………」
そう、だ。わたしを買い取った時ですら、ユエル様はわたしを使用人扱いしなかった。
ユエル様は、孤児で、学も取り得もない、ただ命じられるままに働く道具でしかなかったわたしを、初めて一人の人間として扱ってくれた、唯一の人だった。
ユエル様は、いつでもわたしを「ミズカ」として見てくれる。名を呼んでくれる。
「身の回りの世話をしてもらっていることは、否定できないけれどね。ミズカがそれを不快に思っているのなら……」
「いえっ! そんなことは全然ないですから! こうしてお茶を用意するのも、わたしがしたくてしてるんです。動いていないと気が落ち着かない性分なんです! だから役不足だとか不快だなんて思うことはなくて!」
「そう」
ユエル様は口元に小さな微笑を浮かべた。それから視線をさっと流し、わたしだけでなく、アリアさん、イスラさん、イレクくんと、目を合わせた。制圧的と言ってもいい、強い眼力だった。
「では、そのメイド姿はあくまでコスプレということ、ミズカも心得ていなさい。それから、改めて言うが、ミズカがしたいと思うことを、これからもずっと、していればいい。余計なことは思い煩わずに」
はい、と一応は頷いたものの、「こすぷれ」といういま一つ単語が分からず、首をかしげた。
ミズカ「も」と、「も」の部分に念を押したように聞こえたのは、気のせい……?
そんなわたしとユエル様のやりとりを見て、アリアさんは「あてられちゃうわね」とにこやかに言って嘆息し、イレクくんは何事もなかったかのような落ち着きぶりで紅茶を飲み、イスラさんは得心がいったような、だけどどこがまだ物足りなげな顔をしていた。
だからと言うわけでもないと思うけど。
イスラさんは、
「コスプレはOKってことか」
と、ひとりごちた。ユエル様に対し、聞こえよがしに。
すぐ後、「こすぷれ」意味をイスラさんに訊いた。「萌え」という言葉と繋がっているらしい略語だと判明したのだけど。
ユエル様にしろイスラさんにしろ、どうしてそんな現代語―しかも特殊な単語―を知っているんだろう?
不可解のあまり、わたしは何度か首を捻った。
本当に「吸血鬼」って存在は、不可思議なことが多すぎる。ユエル様やイスラさんが特別なのかもしれないけど。
ユエル様は泰然とし、不思議がるわたしを見つめている。
僅かな翳りを白皙に落とし、美しすぎる微笑をたたえて。