私は国王第三夫人。
――昔々、死ぬほど退屈していた王様がおりまして、いつもそこらをふらふらするのが習慣でした。
王妃様も宰相もお仕事中、王子はお勉強中です。第二夫人もいますが、怖くてちょっと近づきたくない。
人はいいけど脳みそポンコツな王様には手伝えることがありません。たまに彼らのために美味しい紅茶を入れてあげるぐらい。でも、そんなことをするなと大抵怒られてしまいます。だって王様ですものね。
仕方がないので城をふらふら、庭園をふらふら、城下をふらふらするのが日常です。王様は王冠かぶってふんぞり返っているわけではないので、誰にもばれません。昼間から町のオヤジたちと酒を飲んで語らうことも平気でしてしまいます。町にいる王様はどこからどう見ても地味で無害そうなおじーちゃんにしか見えないのでした。
だからでしょう。彼女はただ純粋に、親切そうなおじーちゃんの好意にすがろうとしたのです。
「私、落し物なんです。拾ってくださいな」
ある時、道端にあった落し物を抱え、王様は城へと帰って行きました。
こうして、「落し物」は第三夫人と呼ばれるようになったのです。
「おじーちゃん、今日何する?」
「何しようかのー」
ちんまりとした少女と輝ける頭をお持ちの老人は二人で顔を突き合わせた。
今日何する?
何しよう?
二人の朝の会話はこんなことから始まる。おはようよりも先に、今日も何もすることないから暇なんだーと宣言しあっているわけ。どちらかに用事があるなら、ある方についていく。そんなことも決まっている。暇つぶしは二人で分かち合おう。
ちなみにその場はこの二人だけじゃない。二人を見張っている衛兵さんがいる。直立不動。
見張っているのは別に二人が犯罪者とかじゃない。ただ単にそこが持ち場であるというだけ。
「なんだかあらかた城でできることやりつくした感じはするよねー」
「そうだなぁー。鬼ごっこじゃろ、あと隠れんぼに缶けり、人間チェス、ブランコ一回転対決といったアウトドア系もやったし、一日職業体験も、王妃、王子、大臣、官僚、騎士、衛兵、果ては使用人まであらかたやっちまったなぁ。わし、洗濯物畳みの達人になれそうだった」
「うん、家事も一通りできるようになれたよねー。あ、あと庭の造園も楽しかったー。あれ自分の好きな模様になるように作って、自分の部屋から眺めたときの達成感はなによりも代え難い宝物なのねー。あ、そうだ」
少女は黒い目でぐるりと周囲を見渡す。二人がいるのは中に何もない殺風景な小屋だった。しかもすきま風が吹くようなボロさはなはだしいものである。だが二人ともこの小屋の出来栄えにいとも満足そうな顔をするのだ。
「この小屋を作ったのも楽しかったよね。もうわたしが知る中でも難工事中の難工事だった! ここしか手がけたことがないけど! 大工ルゥの第一歩はここから始まったのであった……!」
「その傍らには偉大なる相棒オルトンの姿もあった……!」
「「いえーい!」」
少女の名はルゥ。本職、ヘイワダナ国王第三夫人。
老人の名はオルトン。本職、ヘイワダナ国王陛下。
……間違っても大工二人組ではない。
衛兵さんは訂正を挟むことなく、戸口で直立不動。彼は何も見聞きしていない。少なくとも本人はそのつもり。
「じゃ、とりあえず外にいこうよ、何かあるかも」
「そうだな、町に出れば何か楽しいことあるかも」
二人はいつものように着陸した結論を引っさげて、よっこらせと立ち上がる。
衛兵さんはさりげなく二人の進路を塞いだ。
「じゃま」
ルゥの拳が唸ったと思えば、衛兵さんの鳩尾に入る。
身体が傾ぐ彼の横を通り過ぎ、二人はいつものように町に出る。
便利なことにお城にはお忍び用の抜け道がある。勝手知ったるその道を抜けると、いい具合に町中の建物の中に出るのだ。最後に待ち構えている古い扉を開けば、そこはもう町の喧騒の渦中。
誰も二人を見つけられない。
「お、お待ちを……」
いやいた。二人を見張っていた衛兵さんが。
ぜいぜい、と息を切らしている。追いかけてきたらしい。
二人は顎に手を当て、目配せしあった。
「仕方がないの……」
「仕方がないわね……」
少女と老人は衛兵さんに飛びついた。
「あっ? あァ―――!!」
服を脱がされる衛兵さんの叫び声は恥じらう乙女よりも色っぽかった。
十分後。ようやく満足いく出来に。
「よし、これでどう見てもこの人は平民。派手さの欠片もない地味な顔! ちょっとセンス外した感じのちょいださな服! そして漂う平々凡々なオーラ! 適度に幸不幸を経験して、他人から見れば無味乾燥な人生を送ってきたなと一目でわかるよね!」
「うむ。いつもながら見事なものだ。これで誰もお城の仰々しい衛兵さんとは思うまい! いい地味っぷりだぞ! お前には庶民の才能がある!」
衛兵さんは代々衛兵の家系である。
彼は「庶民らしい」と評された服装のまま直立不動。
「あとの問題はこの姿勢だけかしらねー」
「それはいつものごとくで構わんだろ」
おじーさんはおもむろに手に持っていた杖の持ち手をねじった。
ジャキン!
衛兵さんにつきつけられる杖の先の刃。
「ほれ。命令じゃ」
青くなる衛兵さん。こくこくと頷く。
「か、かしこまりました……」
そうして凝り固まった背中や腰、肩を適度に動かす。
ごほんごほん、と軽く咳払いをして―――。
「おじいさん、ルゥ。町に行くのでしょう。早く行きましょう」
衛兵さんの演技は国宝級です。
「そうじゃのー。そんな約束もしとったかのー」
近頃、忘れっぽくてなーとおじーさんは意地悪げに返し、
「うん! 行こう行こう、おじーちゃんに! おにーちゃん!」
少女はノリよく先を促した。
国王、第三夫人、衛兵の三人。
今はおじーちゃん、孫娘、孫息子の「家族」。奇妙な三人組の珍道中、開幕。
あっと言う間に雑踏に埋もれてしまったほど違和感がないという奇妙な三人組は、まずはうち揃って《年寄りの冷や水亭》に向かった。そこはいわゆるオヤジ達の溜まり場だ。街の色んな話を聞ける。遊びのネタを仕入れるのも大体ココから調達している。
店の看板に描かれた水のしたたっている半裸の老人がなんともシュール。
日替わりで今にも桶の中の水をぶっかけようとしている恰幅のいいご婦人の姿に裏返されます。
「ビール三つー!」
「あいよ」
三人で野外のテーブルに座ると、注文した飲み物がやってくる。
もちろん少女の前にもジョッキに入った液体が置かれた。
「……」
何も言わずにぐびっと一口。ビールにあるべからざる酸味が舌に広がった。
少女の注文はいつもレモネードに変わるのだ。
「……む」
彼女の頬が子リスのように膨らむ。
「わりぃな。嫁さんから言われてるんだ」
「むむ」
店主からそう言われて、ふてくされたまま首肯。
こうしてフラストレーションは溜まる。爆発は後ほど。
おじーちゃんとおにーちゃんはグビグビと酒を飲んでいた。
「うめぇなぁ」
「うまいですねぇ」
すでに仕事終わりの家飲みの風体をなしている。
ルゥにはわからない大人の世界だった。
しょうがないのでちびちびとレモネードを飲むことにする。
「今日は空が青いなぁ」
「あ、鳥が飛んでらぁ」
「何を当たり前のこと言ってんだよ、ばーか」
一番騒がしいテーブルで交わされた会話が少女の耳に入った。
彼女たちがついたテーブルも屋外にあったので、自然とそのまま空を仰ぐ。
ピィヒョロロロー。
茶色い鳥が、低空で飛行している。羽音まで聞こえそうなほど、意外に距離が近かった。
そのことが、少女の黒い瞳にひどく焼き付いた。
彼女は傍らにいた二人の袖をぐいぐいと引っ張った。
「ねえねえ」
「ん、なんぞ思いついたか」
衛兵さんは黙って見守りながら、少女の言葉を待っている。
少女はいまにも山の稜線に消えて行きそうな鳥を指差した。
「空を飛びたい」
「いざ、空へと飛び立たん」
遊びのスタート地点にて、おじーさんは朗らかに宣言した。
スタート地点とは《年寄りの冷や水亭》である。
「おー」
「おー……」
おじーさんと仲良く手をつないだ少女は元気に拳を振り上げて、それに並ぶ衛兵さんはこりゃ困ったと言いたげな顔で申し訳程度に賛同している。なぜならこの先の展開が見えているから。
街で遊ぶ時に寄る場所が二つある。
一つは《年寄りの冷や水亭》。ここはすでに済。
今から向かうのはもう一つの場所。
でもその前に、と、少女はその場できょろきょろと辺りを見渡して、目が合っただけの平凡なおっちゃんを引っ立てた。おっちゃんは顔を真っ青にして嫌がった。
「お、おいおいおい。俺はただの一般人だぜ? なんも悪いことしてないぞ? あれだ、女神様に誓ってたっていいぜ。俺はしょみん……」
「何を言っているの、あなた野良魔法使いでしょ」
「違……」
「私が見間違えるわけがないじゃないのー」
魔法使いは諦めたように変装を解いた。一瞬で太ったおっちゃんがうだつのあがらなさそうなガリガリのおっちゃんになった。
街の人たちもびっくりして、その場で立ち尽くしていた。でもおっちゃんが指を鳴らせば白けたように散っていく。少女は魔法使いを見上げたままだったけれど。
「ど、どどどうしてわかったんだよ。今日は物陰に隠れて、日光に当たってないんだぞ」
「そんなことはどうでもいいのよ」
「よくない!」
ここで説明しておくと、この魔法使いには影がなかった。姿を変えても影がないまま。国一番の魔法使いと呼ばれ、国王付き魔法使いだった時のおっちゃんには当時ちゃんと影があったのだが。
なぜ影がなくなってしまったかは本筋に関係ないので省略。敢えて言うなら自業自得。
何はともあれ、今のおっちゃんはただの「野良」魔法使い。飼い主探してにゃーにゃー啼く……要は就活中みたいなもの。
「俺はもうあんたと関わるのはごめんだっ。なんだよ、影で見破っているんじゃないのかよ、嘘だろ、何なんだよ、俺をどうしたいんだよっ。もう勘弁してくれよぉ~!」
がっちり腕を取られたままおいおいと泣き出す魔法使い。シュール。
老人はかつての臣下の肩に手を置き、しみじみと慰め……なかった。
「ほれほれ泣くな。汚い泣き顔さらしおって。泣く前にさっさとわしらを連れて行け」
ジャキン。
宙に舞う木の葉をも両断できるという噂のある「つえー杖」が本領発揮した。
衛兵さんは見ないふり。脅迫、ヨクアリマセン。
「行きますよぉー。それで、今回は何をしたいんですかぁ? ドラゴン退治ですか、グリフォンの飼育ですか、それともマンドラゴラにダンスを教えるんですかぁー」
「どれも全部終わったじゃないのー」
ドラゴン退治は衛兵さんと野良魔法使いの華麗な活躍により。
グリフォンの飼育は衛兵さんと野良魔法使いが玩具になることにより。
マンドラゴラのダンスは衛兵さんと野良魔法使いの文献調査が功を奏することにより。
ありがたく美味しいところだけを老人と少女だけでぶんどっていた。
少女は胸を張る。
「今日はね、空を飛ぶのよ!」
「はぁ? そんなことですか? それなら魔法でちょちょいっと」
「違う。そうじゃない」
少女の顔は無意味な決意に満ち満ちている。
「いや、だって空、飛びたいんですよね」
「そう、飛びたい」
「だったら飛行術で……」
「それは認めない」
「……意味がわからんのですが」
「つまりはそういう意味なのよー」
「だから! ちっともわかりませんがっ! だから俺にどうしようっていうんですかっ!」
「魔法使いは物知りなんでしょ、どうにかして」
「なんだよ、むちゃぶりかよ……」
魔法使いは頭を抱えた。誰かこの子止めて。
「だったらドラゴンかグリフォンの背にでも乗るのは? 捕まえてくるの面倒デスケド」
ちなみにドラゴンは害獣、グリフォンは幻獣。もちろんどちらも珍獣。
つまり一日ごときでちょちょいと用意できるものじゃなかった。いかな魔法使いでも無理だ。
「えぇー?」
「えぇー?」
少女と老人がそれぞれ不満げな声をあげる。少女はともかく老人の「えぇー?」には苛々する野良魔法使い。だが所詮下っ端は手足のように動かなければならない。
(だって、いつか再就職先を見つけてくれるかもしれんからなっ!)
魔法使いにボランティア精神は皆無。むしろ下心がなければここまでついてこれなかったかもしれない。それだけ、魔法使い――と、衛兵さん――の歩んできた道は壮絶なものだったからである。だがその詳細も割愛。
「もっと考えよーよ、魔法使いー」
「そうじゃ、エリートめー」
揃って魔法使いの周りにまとわりつく悪ガキ二人。
本当に悪ガキだったらいいのに、肩書きだけが仰々しいのが問題だ。唯一にして最大の問題なのだ。
「ほら、おじいさんに妹。先生が困っているじゃないか」
ガキ二人が衛兵さんにぺろっと引き剥がされた。街に出ている間、彼が「兄」であり、「孫息子」だからこそできる芸当である。これがまた、違和感を感じさせないほど自然にやってのけるのだ。
野良魔法使いはひそかに衛兵さんを不可視の絆で結ばれた同志だと思っている。最近は不可視の魂の友に格上げしようかとさえ考えていた。そのうち不可視な運命になるかもしれない。
ちょっとだけ気分が上昇した野良魔法使いは実はそれなりに優秀だったりする。
ガキ二人がわーわー騒ぎ、大人一人がなだめている間に、パチン、と指を鳴らす。
四人以外が闇になる。
パチン。もう一度鳴らす。
すると分厚いカーテンがめくられるように、魔法使いの隠れ家が現れた。
優秀な魔法使いの条件。それは自分の隠れ家を「創る」ことだと言われている。
ここは野良魔法使いによって異空間に作られた隠れ家なのだ。
ちなみに中がとっちらかっているのはご愛嬌。奥さんに逃げられた男やもめってこんなものである。
「前より汚くなってんじゃないのー。前掃除してあげたのにー」
少女には「デリカシー」とか「オブラートに包む」ことを知らない。
「掃除してあげたのに」というのは、以前二人が家事に凝っていた時に「実験」と称されて部屋を大掃除した時のことである。その時に「魔窟」は姿を消したが、日に日に増えていく物を眺めている身としてはこんな発言が出てくるもの当然だろう。昨日と今日でとうとう足の踏み場がなくなった。
彼女はペロンと足元に積み上がっていたものを両手に持った。
右手には巨乳のアハンな雑誌。
左手には使用済みと思われる女性用下着(どちらとは言わない、どちらもヤバイ)。
「相変わらずスケベよねー」
あははー、と彼女はそれらをぶんなげて、自分の立ち位置を確保した。
「ホント、やらしーのう」
少なくとも未成年の少女を名目上の妻に持つ老人はニヤニヤとして、男性向け官能小説の山の上に腰掛け、
「……」
衛兵さんは視線を彷徨わせながら、貧乳のアハンな雑誌を踏んだ。頬を赤らめているのは彼が童て……純情を大事にしているからである。
「なんなんだよ、あんたら……。文句あるなら来るなよ……っ」
野良魔法使いは男一人の寂しさに、ついつい手を出してしまったのだ。
妄想。それだけが彼を癒してくれる日常のスパイス。
他はひどいものだ。ほぼ毎日、恐喝犯に押し入られているのだから。
「だってご飯食べたいもん。肉だー、肉を出せー!」
「野菜だー、野菜も必要じゃあ~」
案の定、恐喝(注文)が始まる。実は野良魔法使いは副業で「完全会員制レストラン」を経営 (しているようなもの)。営業場所は隠れ家。会員は三名。魔法使いである野良魔法使いにとってははなはだ不本意である。が、お城からお金が振り込まれているので逆らえないという。
別に食事だけならば《年寄りの冷や水亭》でも構わないのだが、遊びのための作戦会議のためだとか言って、隠れ家にやってくる。たまに私物を置いて帰って行くことから鑑みるに、彼らはそこを第二の秘密基地と認識しているようであった。魔法使い自身は認めた覚えはない。
野良魔法使いは二人と付き合い始めてから何千回ともなる諦めという言葉を胸に刻みつけ、パチン、と指を鳴らす。
するとあら不思議。
雑然としていたものが綺麗さっぱりなくなって、白いテーブルクロスの敷かれたテーブルの上にほかほかと湯気の立っているビーフシチューとサラダ、パンが乗っているではありませんか。
「わーい」
完全に食事目的できている彼女はパタパタと指定席に向かった。……いわゆるお誕生日席であった。
「うむ」
老人は「孫息子」に椅子を引いてもらって座った。……「つえー杖」は没収された。
「孫息子」は老人の隣に座る。魔法使いはその向かい側に座った。
「いい匂いー」
「魔法はすごいのう」
この時の「魔法」は別に今までなかった料理をパッと出したわけではない。
あくまで作り置きしておいたビーフシチューに状態保存の魔法をかけていただけで、白いテーブルクロスも元々隣室に用意していたもので、見られたらヤバイものも隣室にある……と、いうよりかは彼ら自身を用意してあった部屋に移動させたというのが正しい。
四人は食事を取り始めた。時刻としては昼食。飾り窓の外の景色も昼間に設定してあった。異空間は現実世界にも隣接させることができるのである。つまり、窓の外の景色は実際に「どこかの窓から見える景色」なのだった。
「今日は海辺なのねー。ほら、カモメが飛んでるー」
少女は楽しそうに告げれば、老人もほう、と声をあげた。
「いいのう。海、行きたいのう」
ヘイワダナ王国には海がない。海に行くのなら隣国のオダヤカヨ共和国に行く必要があった。
もちろん、魔法使いの隠れ家から行けません。
「空飛べたらあっという間じゃない?」
陸地よりは早く着くに違いない。「空を飛べたら」。課題はブーメランのように返ってくる。
食事を終えれば作戦会議だ。
魔法使いはふりふりエプロンをつけ、皿洗いをしながらの参加である。
「そもそも注文多すぎるんですよ、あなたたちは!」
背後に向ける強い口調に合わせて食器を洗う手にも力が入る。フン、フン!
「飛行術でいいでしょう、いいじゃないですか、いいに決まってる! 他に実現可能な方法はありません!これは元王室付き筆頭魔法使いの俺が断言する!」
「それだと飛ばせてもらったってことじゃないの。そうじゃなくて、自分の力で飛びたいの!」
少女は食卓から立ち上がらんばかりに強固な主張を繰り返した。
「魔法使いなら、なんでも知ってるじゃない! 別名『物静かな賢者』って言われているらしいじゃないの」
「違う、それはそういう意味じゃないんだ!」
なぜか猛烈に首を横に振っている魔法使い。皿洗いを一旦中断するほどの慌てっぷりである。
「あー、あれは……」
と、老人ニヤニヤ。衛兵さんは慎ましく黙りこくっている。
「そ、それは、いいことにしようそうしよう。……それで、あなたがたはこれからどうするんですかね」
「うむ。野良魔法使い次第じゃな」
彼はとうとう元雇い主にまで野良魔法使い呼ばわりされるようになってしまった。一体誰が「野良」にしたのやら。
「つまりね、あなたが何かやってくれない限り動けない!」
つまり、丸投げであった。よくある。そーだろーなーと薄々気づきながら、視線を逸らしていただけだったのである。いつも、知恵を出して実験台になるのは彼。……危険手当も請求させていただきたい。ストレスでハゲ散らかしてしまうじゃないか。
野良魔法使いは現在、城からの謝礼という名の臨時収入で糊口をしのいでいます。
「……あんまりオススメしないですけどね」
しぶしぶ、国一番の知恵者は心当たりを話始めた。
「いざゆかん、空へ」
国王第三夫人(推定年齢十代前半)はびゅーびゅー吹きすさぶ塔の上にいた。
へりに片足をかけ、眼下の街を見下ろしている。塔はちょっとした崖の上に建ち、ただの塔より高さがある。だが少女の口許には笑みさえ浮かぶ。
空を飛ぶ。それだけしか頭にない。彼女は常に全力で遊ぶのだ。
「魔法使いたちが魔法の研究のために閉じこもっていた象牙の塔だったものです。今はもう、場所が不便だったり、老朽化が進んだといった理由から城の一角に移りました……。もちろん誰もいません……」
「景色もいいし、すばらしいわ、野良魔法使い!」
「オホメイタダキコウエイデス」
「じゃ、行ってくるわ」
手をスチャ、と上げてから、彼女は何のためらいもなく空中に身を躍らせた。
「アーアアーーー!」
悲鳴が段々と下へと降りていく。……と、同時に近くの床でとぐろを巻いていた命綱用のロープがするするするっと引かれていく。それはやがてむき出しの柱に繋がっていた。反対側は少女の腰に繋がっている。長さと収縮性に関しては魔法使いがどうにかした。どーにかさせられたとも言う。魔法で。
「アアアアァー!」
少女の両手には巨大ウチワが装備されていた。力の限り懸命にパタパタとあおぐ。
やがて。その努力が功を奏したのか、落下速度が下がっていく。……強化魔法で揚力が上がったウチワを使って。
「飛んでるっ! 私飛んでるわっ!」
顔を真っ赤にさせながら叫ぶ少女。そして、その横を。
「ヒャッハーーー!」
「うわわわああああああああああっ!」
抱き合った男二人が猛スピードで過ぎ去っていった。タンデムだからウチワ使えないのだそうな。
さて、ここで残された魔法使いはというと。
「うわああああああああっ、いい加減にしろおおおおおおおっ」
予期せぬトラブルにより、切れかかった二本のロープを魔法で懸命に繋ぎ止めていたという。こちらは違う意味で叫んでいた。
四人は崖下で合流した。
心身共に最も疲弊していたのは野良魔法使いである。元々萎んでいるような体つきなのに、ますます萎んでしまっていた。崖下まで移動術を使うのも億劫だった。
少女は興奮気味の「あの時の感動」をまくしたて、おじーちゃんは「もう一回! 今度は一人飛びじゃ!」と人差し指を立て、衛兵さんは顔を青くしながらおじーちゃんを止めている。
そんなわけで一人とタンデムを組み合わせながら、一人二回ずつは空中の人になった。
そして再び。《年寄りの冷や水亭》辺りまで来た。すでに夕刻にさしかかり、親子がおててつないで帰る時間だ。
少女もおじーちゃんとおにーちゃんと仲良くおててつないで帰還した。魔法使いはもう付き合ってらんねえ、と頃合いを見て逃げ出していた。
「さよーならー」
少女は用も済んだので引き留めなかった。
「明日も頼むぞー」
元雇い主はさりげなく鬼畜なことをおっしゃりながら見送った。
「今日も楽しかったの、ルゥ」
「楽しかったね、おじーちゃん」
その横で、本日一人で飛んだり、国王陛下や第三夫人とタンデムさせられた衛兵さんは終始無言を貫いた。悟りとは理不尽な状況下で到達する境地である。
「おにーちゃんはどうだった?」
「タノシカッタヨ」
おにーちゃんは嘘つけません。何よりもその紙のように白い顔色が彼の疲労困憊ぶりをよくあらわしている。お疲れ様です。
「そっかー、よかったー」
「よかったのー」
二人でのほほんと笑っていた。
少女はにっこにこ。おじーちゃんは杖をブンブン振り回している。
「結婚してください!」
街の広場に差し掛かったところで思わず野次馬しに行きたくなるような極上の餌を放り投げられた。
「おおっ!」
「なんと!」
もちろん二人は衛兵さんを引きずって、人生最大の山場の一つが繰り広げられる舞台の観客となった。街の人もパラパラと近寄っているが、一番食いつきのいいハイエナ二匹とその飼育係の勢いほどじゃなかった。
噴水前に跪き、手を差し伸べる男に、手を差し出され、迷っているそぶりを見せる女。
皆が見守る中、女は迷いを振り切るようにキュッと唇を結び………手を取った。
「はい」
抱き合った二人に暖かい拍手が送られた。騒ぎもひと段落したところで三人は群衆から離れる。
「なんにせよ、めでたいことじゃな」
「とても幸せそうだったねー」
ふと彼女は思いついたように口にする。
「天にも昇る気持ち。気持ちとしては空を飛ぶってことかしらねー」
納得、納得。朗らかに笑う。
ただ、その顔には身近な者にしかわからない屈託がある。丸々とした黒い瞳が寂しさに揺れている。だから、老人と衛兵さんは大丈夫だよ、と強く手を握ってやるのだ。せめて仮初めの家族ごっこが終わるまでのほんの刹那の間でも。夕方は人を感傷的にさせる。
国王陛下と第三夫人、衛兵さん。
三人の影が後ろへと長く伸びていく中を、ゆっくりと家路に向かって歩いていく。
老人の頭から後光が差しているのはご愛嬌だ。
――彼女は落し物。行き先がわからない。
おじーちゃんと孫みたいな女の子が仲良くする話といい大人が全力で遊びに走る話が書きたくてやらかしました。魔法使いがあまりにも理不尽じゃないかと思われるかもしれませんが、彼は過去に色々やらかしているので自縄自縛なのです。衛兵さんは……ノーコメントで←気の毒すぎて何も言えない。
セグウェイに乗ってみたい……。