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天翔ける飛竜機  作者: 天見ひつじ
三章 アレーニアの飛竜
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診問

ブランカ

1928年 6月21日 ヴァレリアナの竜巣にて

――なつかしい匂い。


 清潔で柔らかな、陽の匂いのする寝藁に包まれて、ブランカは覚醒した。


――不愉快な痛み。身体がひどく重い。


 身じろぎするたびに、疼痛が走る。それでもようやく首を巡らせ、自分が帰ってきた場所を確認する。竜の膂力や体重をもってしても容易に破壊できないよう、2メートルを超える厚さのコンクリートを円筒形に巡らせた、コロッセウムに似た構造の建築物。その底面に敷き詰められた滑らかな石畳には、巨大な爪で引き裂かれたような傷がいくつも付けられている。ブランカがつけたものではない。過去にこの竜巣が竜を閉じこめる牢獄として使われていた時代の名残。


「おやおや、わたくしのかわいい白竜さんは、ずいぶんと寝ぼすけですのね?」


 かつん、かつんと靴音を響かせながら竜巣に足を踏み入れたのは、純白のモスリンで仕立てられたサマードレスをその身にまとう、端然とした佇まいの老婦人だった。そのドレスには、レースや刺繍によって草や花、そして竜のモチーフがあしらわれている。彼女こそ、この竜巣の主、アレーニア家の前当主にして当代一の竜医であるヴァレリアナ・アレーニアその人に他ならない。


「構わないから、まだ楽にしていらっしゃいな、ちっちゃな白竜さん。わたくしのかわいいおてんばさん、貴方の愛しいご主人さまもじきに帰ってきますからね」


 誰もが自分の姿に注目し、自らの美声を傾聴すると信じて疑わぬ、蒼き血の流るる血統。かつては竜檻とも呼ばれた血塗られし建造物の屋根を『竜は空の下にあるものです』の一言であっさりとぶち抜き、竜の治療と繁殖の場へと変ぜしめた希代の竜医は、ただそこにいるだけで人と竜の心を掴み、場の空気を穏やかに、柔らかに、そして完璧に支配する。


「そうそう、貴方の容体について説明しておきましょう」


 彼女は、至極当然のように竜へ話しかける。


「背中から侵入した銃弾は、幸いなことに重要な臓器を外していたわ。けれど、貴方、あの子を守るためにそのまま全力で飛んだでしょう? 無理に動かしたせいで肩甲骨が折れて、飛翔に必要な筋肉を傷つけてしまっているわ。回復には少なくとも数か月を要するでしょうけど、わたくしの言う通りにしていれば再び空を飛ぶことも夢ではありません」


 ブランカは首肯する。竜は基本的に人間の言葉を解さないが、いくつかの例外が存在することを竜医の家系であるアレーニアの人間は知っている。ブランカが、その例外に当たる存在であることも。実際のところ、ヴァレリアナが人の言葉で竜に話しかけるのは、一部の竜が人間の言葉を理解していることを隠すためでもあるのだ。


「ここまでは理解できたかしら? その上で、貴方に告げることがあります」

 ヴァレリアナはブランカの白翼に触れて、そっと言葉を紡ぐ。

「貴方の翼は、もう空戦には耐えられません」

「…………」


 その言葉は確かに衝撃的ではあったが、ブランカは衝動的に暴れることもなければ、憤怒に突き動かされて咆哮することもなかった。ただかすかに唸り声を上げるに留め、リーチェが戻らぬままにあえてブランカへそれを告げたヴァレリアナの意図を、冷静に推し量る。


「……いい子ね。貴方はわたくしが診てきた中でも、とりわけ賢いわ」


 ブランカが次の言葉を待っているのを見て取ったヴァレリアナは目を細め、愛おしむようにブランカの身体を撫でる。ひんやりとした手の感触は、自らの数倍の体長と数十倍の質量を誇る巨大な生物に触れているとは思えないほど恐れがなく、興味本位で竜に触れたがる者に特有のべたべたとした嫌な感じを残さない。彼女がリーチェの血縁である証だとブランカは思う。


「健気な白騎士さんにわたくしが用意してあげられる道はふたつ。ひとつは、今後は遊覧飛行をする程度に留めて、天寿を全うする道。わたくしとしては、ぜひこちらをお勧めしたいところだわ。もうひとつは、このままあのおてんばさんの道具であり続けて、いつか共に海か大地へと墜ちる道。どうか怒らないでほしいのだけど、これはそう遠くない未来に実現するような気がしているの」


 アドリア海での竜と空賊との空戦が頭をよぎる。相手側の竜に奇襲を受けたのが痛かったとは言え、リーチェを命の危険に晒したのもまた確か。あのとき、ブランカとリーチェ、双方が命を落とさず生き延びられたのは、ただ運がよかったからに過ぎない。ブランカ自身そう考えているのを、ヴァレリアナのどこまでも深く澄んだ眼差しは、全て見通しているかのようだった。


「……ブランカ。もうひとつ、貴方へ言っておくことがあります」

 かつかつと靴音を響かせ、ブランカの正面へと回りながら彼女が言う。

「本来、貴方にはリーチェを乗せて飛ぶ義務はありません。操竜規定とは、あくまで人が竜を管理するために決めたルールに過ぎません。空の支配者たる竜族の一員である貴方が自由を望むのなら、わたくしはその意志と権利を尊重し、貴方を鎖から解き放って自由にして差し上げます」

 ヴァレリアナの真摯な眼差しをしっかりと見返し、ブランカは首を横に振る。

「……そう。では、いつか空を墜ちる貴方へ、最後の質問を」

 感情を隠すように、にこりと微笑んだヴァレリアナが問う。

「それでも貴方は、リーチェの道具たらんと願うのかしら?」


 わずかでも迷えば、全て見透かされそうなその瞳を静かに見返し、竜は答える。その答えを聞いたヴァレリアナが浮かべた優しくも悲しげな微笑にどのような意味が込められていたのか、人の言葉を解する人にあらざる者であるブランカには知れようはずもなかった。

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