「運命の糸」
「じゃ、行ってくるニャ」
「うん。元気でね」
エカテリーナがディロンを紹介したところ、アクリアはあっさりと学校を休むことに決めた。どこか飽きっぽいところがある彼女のことだ。新しい刺激が欲しかったのだろう。
突然訪ねても意味不明なので、彼女にはエカテリーナ直筆の手紙を持たせてある。こんなことになると最初からわかっていたら、郵便として手紙を出したりはしなかったのだが。考えても仕方のないたらればだ。
アクリアを乗せた馬車がどんどん遠ざかっていく。しかし、子どもだけで決めたのに誰からも何も言われないのもどうなんだろう。エカテリーナの感覚では疑問がつきない。
それはそれとして、彼女にもまたやらねばならないことがある。ディロンに手紙は書いたが、他にも頼れそうな大人はいるのだ。
「……なんか私、ずっと何かしてる気がする」
休んでいないというか、休んではいけないという気がしていた。……でも、足を止めたら追いつけるものも追いつけなくなってしまう。うん、間違っていないはずだ。
そうして彼女は今日も新しい知識や経験を得るために足を動かす。本来は、休日だというのに。
彼女が向かったのは学校の保健室だった。
基本的に大人が頼りにならないのはわかりきっている。両親が自分に実は愛をくれていたように、情があれば力を貸してくれるかもしれない。けれど、まだエカテリーナは入学して1ヵ月そこら。そんな浅い時間で気にかけてくれる者が現れるはずもなく、ましてや彼女は不良候補の生徒の1人。関わりたくないと思われているのは感じられた。
その辺り、魔族は素直で助かる。
じゃあどうしたら大人に協力してもらえるかと考え、真っ先に報酬と引き換えというのが浮かび、即座に却下。そこまでの時間的余裕はない。そうなると、ある程度利害が一致する……例えばヤードとスローヴィアのような関係にあれば助けてくれるのではないか。そう考えた。
で、あの真性の子供好きの男の下を訪れるに至ったのである。
「おじゃまします」
「……ん? エカテリーナか。どうした? ケガでも?」
保健室の主、ヴァイオラスは眉尻を下げた表情で寄ってきた。心配そうな顔と言うのは、魔界では実に珍しい。屈んで目線を合わせた彼は、幼女の腕やら足やらを触る。心配であるゆえの行動だが、傍から見たら普通に変態行為である。
そうとは気づかないエカテリーナ。
「違うんです」
「じゃあ、心か。何か悩みがあるんだな?」
「えっと……そんな感じです」
「よし、俺が聞いてやろう。そして解決してやろう。俺は子供の味方だからな」
どこか鼻息荒くまくし立てた彼は、茶を淹れて振る舞った。
「熱いから気を付けてな」
「はい」
湯気が立っていて、見るからに熱そうだ。温度から言って、どうやらちょうど自分用に入れたところに偶然訪れてしまったのだろうと推測を立てた。
言われたのに無警戒に喉に通して熱がるのが1番恥ずかしい。エカテリーナは子供なりに羞恥を晒すまいと考え、1つの結論に達した。
カップの淵に小さく柔らかな唇をゆっくり寄せる。
「ふー、ふー」
「…………そ、そうだな、よく冷ましてからの方がいい」
何故か力んで緊張している声音だったが、目の前のお茶に集中しているエカテリーナは気づかない。数度に渡って息を吹きかけ、適温になるよう頑張った。そう、幼女が一生懸命頑張っていた。ロリコン野郎の前で。
眺める彼はぷるぷると震え、自分の身体をつねって表情をごまかしている。
……もうそろそろ冷めたかな?
「ふーっ、ふーっ…………あちゅっ」
「かはっ!?」
口内にお茶を落とした彼女は、ビクッと肩を震わせて舌を出した。同時に、男に対してクリティカルダメージが入る。
「あの、もう少し冷ましておいてもいいですか……?」
恥ずかしそうに頬を染めるサキュバスの娘。無論ヴァイオラスなんぞに惚れたわけではなく、お茶の温度に結局勝てなかったという羞恥からくるものなのだが、そんなもの、言われる側には関係ない。
再びのダメージ。なんとか大人の気合で持ち堪え、平静を装ってカップを受け取った。
「あ、ああ。そこに置いておくといい……ちょっと舌を見せろ」
「ひゃい」
「……火傷はなさそうだな」
余計な一幕はあったものの、茶が冷めるのを待ちながら本題を切り出していくことにする。
もちろん、彼に訊きたいことは決まっている。
「先生……好きなことってどうしたら見つかりますか?」
「……好きなこと? 妙なことを訊くんだな」
子供にしては。彼の感覚では、子供と言うのは往々にして楽しいことが好きな生き物だ。それはもちろん大人であっても同じことではあるが、子供は素直な分、ありふれた日常に「楽しさ」を見出すことが上手い。
とはいえ。エカテリーナにはそんなことが当てはまりそうにないこともヴァイオラスは理解していたし、それは口にしない。
そうとは知らず、少し沈んだテンションでエカテリーナは言う。
「私、もっと強くなりたいんです。いつか、みんなが平和に暮らせる世の中にしたい。その為に、色んなことを勉強して、強くならなきゃいけないんです」
「それは……君にとって楽しくないことなのか?」
「うーん……新しいことを知るのとか、強くなれたなって感じられるのは楽しいんですけど……」
彼女は迷った。この先を言うべきか。待ったをかけたのは、彼女の羞恥心。訊きに来ておいてどうなんだとも思っていたが、自分の無知を晒すのがどこか恥ずかしく感じた。
言葉の続きを待つヴァイオラスに、無理強いしようという空気はない。きっとこのまま翻っても、明日には普通に接してくれるだろうと思う。実際、そうしたかった。
でも、負けず嫌いな彼女のが、それを許さなかった。……踏みとどまらせた。
「……けど、それが好きなことなのか……よくわからないんです」
「む……つまり、やりたいことはハッキリしているが、好きなことはよくわからない、と」
「……はい」
言ってしまえば、なんてことのない話。何事も最初の1歩だけが酷く重たい。そこを越えた今、エカテリーナの中には恥ずかしさはない。
幼い彼女はまだ、それには気づけていなかったが。
ヴァイオラスはイスに座り直した。
「一般的な話をしよう。魔族が思う「楽しいこと」「好きなこと」というのは大抵、他の誰かを傷つけたり、下に見ることだ」
それは重々理解している。それをどこか不快に思う自分自身の方が変わっているということも。
「が、それらは本人にとって大したことじゃない。ほんの軽い気持ちで行われている」
「そんなの……悲しいです」
「まあ、続きを聞け。そいつらの真似をしろとは言わないが、気持ちの面でエカテリーナが見習える点、教えられるべき点はある」
「見習える点……ですか? 私が?」
どうだろう。多くの魔族には毛嫌いされているし、こちらも向こうの気持ちはあまりわからない。本当にあるのかな。
むしろ逆だからこそ多くを学べるのだが、それはヴァイオラスも話題がズレてしまいそうだったから言わなかった。
「軽い気持ちで考えてみることだ」
「軽い気持ち……」
ヴァイオラスが一層微笑みを濃くしたのは、オウム返しを連発してしまったからなのか。
「頭で考えるな。楽しいと思ったことがあれば、それはもう「好きなこと」として胸を張っていい。気持ちが楽になる」
「で、でも。私、そういうよくわからなくて……」
「色んなことに手を出してみればいい。その中にはもしかしたら、気が合う何かがあるかもしれん」
ちょっと変わった君にも、友達がいるようにな。と加え、ヴァイオラスはシンキングタイムだと言わんばかりに優雅に茶を飲み始めた。
深く考えずに色んなことに手を出す、かあ……。そう考えると、意外とあっさり行動の指針は見えてきた。もしかしたらそれは、今まで頑張ってきたからこそすんなり出た答えなのかもしれない。
じゃあ、手始めに。
「せんせっ」
「ん?」
「先生の知ってること、教えてください!」
エカテリーナ・テレサの運命は、少しずつ糸を紡いでいく。やがて運命の車輪を回すその糸は、今はまだ、細く頼りない。




