「堕とす価値」
無害な青年を装う堕天使は、かつて魔界が始まることとなったその経緯を脳裏に描き、初めて敗者となったエカテリーナを眺める。
彼女が刹那見せた愉悦の表情は紛うことなき魔族のそれ。いくら異様な存在として生まれようとも、彼女も所詮は魔族の一員でしかない。
「そうか……初めての命もサキュバスだったね」
あれから、莫大な魔力(と、生命力もだ)を消費して月を開き、それによって繋がった人間界の文化やノブナガの案をどんどん採り入れ、そのほとんどを彼が管理してきた。頓挫した計画や、放置されている施設なども数多く存在している。
学校というシステムはよかった。普及してしまえば子どもを1ヵ所に集められるし、ある程度のスキルを身につけさせることも可能だ。
問題は教職員の報酬だったが……それも彼にとってはさほど大きな障害ではない。貴金属や宝石に類するモノは、遥か昔に回収済み。値の付きそうなモノは市場を先読みして収集した……端的に言えば、金を稼ぐ手段などいくらでもあったのだ。
傍に赤いローブの男が控えていることにも構わず、ルシファーは独り言を発する。
「ノブナガ、エカテリーナ、スローヴィア……ディロンを数えられないとしても、十分な戦力じゃないのかな、これは?」
これは、ノブナガに即座に身体を与えなかったのは正解だったかもしれない。死なずに今もいてくれるのは助かることだ。
寂しかったからというわけでもなかろうが、赤ローブは独り言に対して、必要のない反応を示す。
「では……いよいよですか」
「それより君は、見つけられたのかな?」
何を、の部分を省かれても理解が及ぶ。頭の回転が早いというのが理由なわけではなかったが。
盛り上がりを見せる会場。声を届けるには、怒号にも似た歓声に消されぬように留意せざるを得ない。
「……申し訳ございません」
「そんなに見つからないかな。ザムンタールくらいは発見して欲しいと思っているんだけど」
ルシファーは機嫌がいい。貼り付けたような嫌味な笑顔も、今日ばかりは真実楽しいからこその笑みだった。区別出来る者もあまりいないが、それは彼の知ったことではない。
だから、隣に控える男が緊張に身を強張らせたのも無意味な事だと言えた。
「申し訳ございません。急務としますので、なにとぞ」
「ん? いいよ別に気にしなくて」
その言葉を受け、男は慌てたように消え去る。ルシファーの命じていた「名のある強者の所在を掴んでおけ」という指令を実行しに行ったに違いなかった。本当に気にしなくていいと堕天使は思っていたのだが、とかく彼の言葉や態度は区別がつかないのだ。
つかなくても困りはしないから。
さて、と誰に言うでもなく口に出し、彼は向かうべき場所へ。言うまでもない。敗者の送られる部屋へと。
保健室。白を基調としたそこに天使がいるのは不自然なことではない。天の使いとは人々を救い、導くための存在であり、負傷して己を見失いかけた者の元へ顕現することはごく自然な流れなのだ。
もっとも、彼の場合は堕ちている。堕とすためにいるのだが。いずれの場合でも、この場所に似つかわしいという話ではある。
訪ねた時、そこには目的の少女と、他に寝かされた生徒以外は誰もいなかった。横たわる彼女の服に破れは見えたが、身体に傷はない。
「……何者だし」
「怪しい者ではないよ。理事長、と言えば解るかな」
ダークエルフは押し黙った。理事長といって理解が及ぶかは微妙なところだったが、雰囲気で察したらしい。
対面のケンタウロスも口を挟むことはせず、ルシファーは意識を失ったままのエカテリーナを抱きかかえた。怪しくないと言われたとはいえ、さすがに何事かと警戒の色を見せたダークエルフに対し、人畜無害な笑みを見せた。
「少し、2人だけで話したくてね。終わったら返すよ」
反応を待たずして、その場を後にする。別に何か嘘や偽りを述べていたわけではない。何も無理矢理に誘拐しようというわけではないのだ。
人目を避けるようにして、屋上へ。生徒の姿は校内になく、おそらく残された2人で最終戦の準備でもしているのだろう。
扉を開ける。高所特有の強い風が吹き抜け、エカテリーナの長い髪が流れる。
「起きてもらえるかな?」
「ん……っ」
魔力などを使わず、ぺちぺちと頬を叩いて起こしたことは彼自身少し意外に思った。昔のことを思い出したせいか、やけに人間臭い仕草をしてしまった。
エカテリーナは深く眠っていたわけではなかったようで、すんなり目を開き、その男の姿を認めた瞬間に一気に覚醒した。
「あなたは……」
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。やれやれ、僕も嫌われたものだね」
「……当たり前です」
ハッキリ言う娘だ。そして、実に解りやすい。
「心配しなくても、ちゃんと帰してあげるよ」
「……何の用ですか」
「君、さっきの戦いで快感を感じていたね」
眉根が一瞬寄る。図星であろうことは本人の口から聞くまでもなく把握している。だからこれは意味を持たぬ言葉だ。
「やはり君も、魔族の本能には抗えないということだ」
「本能?」
にやりと口角を上げる。
この瞬間がたまらない。人間にしろ天使にしろ神にしろ魔族にしろ、自らの内にある、醜くて目を背けたい真実を見せられた時の顔が最高だ。
「他者を傷つけたいんだろう?」
「な! 違います!」
「違わないさ。どうしてCクラスなんかに。自分の方が強いのに。自分より弱い連中なんか殺してしまえば楽なのに……そうだろう?」
「違う! そんなっ、こと……」
尻すぼみに消えていく言葉。彼女にはそれを否定出来ない。他者を傷つけたい、というのとは違えど、戦いの中に愉悦を見出だしてしまったのだから。
エカテリーナは俯き、黙りこくる。
「いいじゃないか。君は魔族で、それは自然なことだ」
「…………」
「まあ、そんなことはどうでもいいんだ。僕はね、君を高く評価している」
聞いているのかいないのか。ショックは大きいようだが、それくらいがむしろちょうどいい。
「君は強い。現役の小学生では既に最強と言っていい。頭のよさも破格だし、とても平凡なサキュバスとは思えないほどだよ」
だから、
「僕はいつか君を迎えに来よう」
「迎え……?」
言っている意味が解らない、とでも言いたげだ。彼の方は説明する気など毛頭ないが。
黒い翼を背にたたえ、ふわりと宙に舞う。薄暗いだけの魔界の空を見上げるが、分厚い雲しか映ることはなかった。
ルシファーは翼を1枚抜き、彼女に手渡す。
「けれど、もし君が力を望むなら……これに魔力を込めるといい」
悪魔の誘いを残し、飛び去る。
エカテリーナに対しては、これで十分だ。……いつ僕を求めに来るか、楽しみで仕方ないね。
聞く者を不快にさせる笑いをあげながら、堕天使は闇に溶けていった。
~魔界創世編~
了
長々と続いてもよくないので、ここでスパッと切ります。次章タイトルはまだ未定です




