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「世界の始まり」

 






 天界は混乱の渦中にあった。広き天界。情報の伝達は遅く、神の一柱の力を奪った天使が反乱を起こしていることが神々に伝わる頃には既にその犯人は別の神の下へと辿り着いていた。


 荘厳な雰囲気を醸す城にして、神の居城。


「テメェが反逆の天使って奴か、えぇ?」

「ええ。天界を滅ぼす為に参りました。ルー様」


 ルーと呼ばれた神は若い男の姿をしており、一本の槍を手にしている。好戦的な笑みを浮かべ、犬歯を覗かせる。


 ルーは戦の神として天界に君臨している。その槍で全てを貫き、狙った獲物は逃げる間も与えられず死を迎えるとされるが、ミカエルを始め、多くの天使がその真の力を目にしたことはない。


「天界を滅ぼすってのはまた大きく出たな、えぇ?」

「腐った天界を滅ぼす。道理だと思いますがね?」


 不敵に笑うミカエルを見て、ルーはやれやれとばかりに肩をすくめた。


「俺ァよ、平和が1番だと思ってんだ。天界にしろ、人間界にしろ、な」

「戦の神が面白い冗談を言いますね?」

「けっ、ムカつく野郎だな。神の力を奪ったとかなんとかって聞いてるけどよ、その程度じゃ俺も殺せねえぜ?」

「だったら……試してみますか?」


 黒い奔流がミカエルから立ち上る。彼にとって、既に天界の住人は全員等しく許されない罪人。そう、死をもってあがなうより他はない。


 ルーは戦の神とされているが、本人は戦いを好んではいない。ワイルドな見た目や口調から誤解されることは多いが。


「やめとけ。ケガするだけじゃ済まねえぜ」

「それはどうでしょうね」


 ミカエルが向けた手のひらから闇が吐き出される。闇は龍のようにうねりながらルーを呑み込まんと迫る。


 ルーはのんびり立ち上がり、槍をおざなりに闇にぶつける。


 たったそれだけで闇は霧消し、さらにルーの槍から光が伸び、レーザーのようにミカエルを貫く。


「かはっ!?」


 その速度に全く反応出来ず、ミカエルの右腕が消し飛ぶ。痛みに一瞬息が詰まり、飛び散る鮮血が死を悟らせた。


 突然のショックにミカエルの心臓が強く収縮し、痛みを訴える。己の浅慮を悔いたところでもう遅く、目の前の神は2撃目を、


「これで解ったろうがよ、えぇ?」

「ぁ……?」


 入れては来なかった。それどころかミカエルの右腕はきちんと繋がっており、傷ひとつない。この場にはルーがいて、ミカエルがいて、そのどちらも無傷。


 ミカエルは幻覚かと考え、しかしそれをすぐに否定する。感じた痛みは確かに存在した痛みで、幻というにはあまりにリアリティに過ぎる。


 ルーが呆れ顔で説明する。


「おいおい、解んねえのかよ? テメェは俺の殺気に呑まれただけ。俺ァテメェの攻撃を防ぐことしかしてねえんだよ」


 ミカエルの額から汗が一筋流れる。この男はヤバすぎる。レベルが違い過ぎるが故に実力差を見抜けない。殺気も強さも自然体の中に隠されていて、全く底が見えてこなかった。


「悪いことは言わねえからよ、死ぬ前に俺に降れ」

「くっ……!」


 ミカエルの中に渦巻くのは怒り。天界の浅はかさよりも、そんな世界に復讐することすら叶わぬ自らの弱さに対する怒りだ。


 同時に、今考えるべきは別にあると理性は叫ぶ。


(まだ死ぬわけには……!)


 無論、降るわけにもいかない。ミカエルはその命と引き換えにしても天界を滅ぼさねばならない。故に、この場で取るべき選択は1つ。


 逃走だ。


 しかし、簡単に見逃されるとも思えない上に、おかしな素振りを見せれば先のビジョンのように殺されることは明白。加えて、ルーの持つ槍の性能は未知数。狙った獲物は逃がさないという噂ではあるが、それが噂ではない可能性も十分に考えられた。


 格上の相手に対して行えること。


「……ルー様」

「んだよ」

「見逃してはもらえませんか」

「そいつァ出来ねえ相談だな。テメェも解ってんだろうが」


 交渉は不可能。そもそも、ルーに対して有効に作用するカードなど元より持ち合わせてはいない。


 黒い翼が折り畳まれ、突如として巨大な虚無がミカエルを包み込んだ。


「では」

「っ!? テメェ!」


 ルーが槍から光を走らせ、現れた闇を穿つ。しかしその穴は即座に黒く塗りつぶされ、形を変えることはない。


 ルーが舌打ちと共に、吐き捨てるように言った。


「油断したぜ……ゼウスの力を使いやがったな」

「ご明察」


 ゼウスから簒奪さんだつした神の力。そこから単純な蓄積魔力量だけでなく、一気に放出する術も手に入れていた。


 格上の相手に対して行えること。それは足掻きに過ぎないが、しかし不意打ちの一瞬に全力を注ぐことで、それは時に単なる足掻きを超え、敵を圧倒する。


 発動する魔法は、空間移動。彼の全力をもって行い、規模は最大、場所の指定なども省いた完全な博打。


 暗い闇の中から、ミカエルは天界に最後の言葉を残す。


「いつかまた来ますよ。世界を変えに」

「けっ、2度と来んな雑魚が」


 何と言われようと、ルーが倒せない以上は逃げるしかない。そんな撤退を余儀なくされている状況下において、ミカエルは気持ちが落ち着いているのを感じた。


 悔しくはない。怒りも冷めている。……理由は解りきっている。そう、また戻れるからだ。自分は生きている。まだチャンスはある。次こそは計画を練って、確実に殺す。


 闇は戦の神の前で収束していき、やがて完全に天界からその存在を消した。






 ミカエルが気がつくと、そこはどこかの荒れ地だった。人間界か、それとも天界か。


 堕天使は空を見上げる。


「……暗い」


 光が射し込んでいない。太陽の輝きも、熱もない。当然人間界や天界よりも寒く、吹き抜ける風も乾いていて物悲しい。


 彼は飛翔した。黒い翼で、黒い世界を。


 数時間かけて森を見つけ、山を見つけ、川を見つけた。暗闇に覆われた世界でも、意外と生命の息吹の根源は存在していた。


 だが、そこを世界と呼ぶには足りないモノがある。


「……生き物がいない」


 植物はある。ほとんど枯木のような木だが、それらも辛うじて生きている。


 水もある。不純物があるのか、光で照らしても何か濁っているが、湧き出てはいる。


 だが、動物は全く存在していなかった。無論、数時間で全土を観察出来るはずもなく、あくまでその数時間の結果に過ぎないのだが、人間の気配も、天使の気配もない。


 文明はおろか、社会性動物すらもここにはいなかった。


 暗く、孤独な世界だった。


 だがミカエルは、そこに独り佇むことに安心感を得ていた。否定され続けてきた堕天使を受け入れてくれるかのような、まっさらな世界。


 それはまるで、ミカエルという存在そのものと同じであるかのような空間。


「何もないなあ……」


 神の勝手な都合で生み出され、しかし少しずれた性格に生まれたが故に居場所を失った。人間界に降り、一生を捧げたいと願うほど愛する人を得たが、今度は人間の都合で失った。


 思わず口角がつり上がるのが認識出来た。


「僕にぴったりの場所だ」


 祝福を得られなかった彼が安らげる地。太陽の光もない、生命の鼓動もない荒れ果てた地。


 だからこそ。


「僕は神になるんだ……0から理想郷を創る。偽善なんてない、全てが素直な世界を!」


 誰も知らぬ土地に1人の堕天使が降り立った。誰も知らぬが故に誰にも侵されず、誰も知らぬが故に全てが堕天使の思い通りになる。


 この日、天界、人間界に続く新たな世界が目を覚ます。





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