「略奪」
ミカエルは天使を次々に闇へ葬りながら歩んでいく。目指す場所は1つ。ゼウスのいる場所だけ。かの神の強大な気配。その気配の方へと、まっすぐに。
始めはミカエルの暴挙を止めんとしていた天使達も、ついに手に負えないと判断したのかミカエルへの攻撃を止め、他の神々へと報告するために散っていった。
ゼウスは、ミカエルを生み出した親である神は、ミカエルの天界でのお気に入りの場所、美しく静かな泉を眺め、まるで休憩でもしているかのように座していた。
「ゼウス様。ミカエル、ここに帰還いたしました」
「……随分と暴れてから戻ったようじゃがな」
ゼウスは立派な髭を撫でながら、自身の隣をポンポンと叩く。ミカエルは逆らわず、ゼウスの隣に座った。
音もなく、水面が風に揺れた。妖精達の姿は、今日はない。
「ミカエルよ、お主を送り出した理由は解ったかな?」
「人間の醜さを学ばせる為、ですか」
「左様。しかし、今のでは50点じゃな」
ゼウスは、泉に今の人間界の様子を映し出す。新たな皇帝を擁立したオラフィールとミスラは、戦争に発展している。
それは、ミカエルが皇帝を殺そうが殺すまいが、結局戦争は起きたということに他ならない。天界の介入など、所詮人間界の時代の流れを変えるには至らないのだ。
「お主は何かと人間界へ介入したがった。やる気があるのはよいことじゃ。しかしの、ワシらの仕事は見守ること。直接手を下しても、むしろ悪い結果しかもたらさんと、身をもって知ったはずじゃ」
よもや恋仲になるとは、予想外じゃったがな。と、ゼウスは付け加えた。
ミカエルは半ば黒くなりかけた翼を軽く揺すった。
「……もし僕が人間界に降りていなかったら、サロさんは死なずに済んだんですか」
「いや」
ミカエルの問いに、ゼウスは首を横に振った。その老体からは、無為な哀愁が漂っていた。
「お主が降りていなければ、恐らく村と共に彼女も死んだはずじゃ。お主と山へ行っていたから、少し長く生き永らえたにすぎん」
その言葉を受け、ミカエルの瞳から涙が零れ落ちる。救えなかった命。どうあっても死ぬ運命にあった彼女は、本当に幸せだったのだろうか。
確かめる術は、ない。
ゼウスは淡々と話を進める。予定調和だと言わんばかりに。
「人間界に無闇に関われば、今のお主のように、個人に肩入れしてしまう。それでは、必要な時に平等な裁きが下せぬ。それも、ワシらが人間界に関わらぬ理由じゃ」
ゼウスの言葉が、ミカエルの胸に染みていく。神はいつだって正しく、下々を導く。必要な時にだけ現れ、道を示し、人間の判断に任せる。
人間界は、人間のモノだ。天界の存在は、それを所有物にしてはならない。かつてのミカエルのように、情熱や愛が深い故にそこを間違える天使もいる。だからこそ、ゼウスはミカエルに道を示した。
「かつての僕は……人間の力を侮っていました」
告白する。変わり者の天使として生まれた、その当時の考え方を。ミカエルの語りを、ゼウスは目を閉じて聞いていた。
「天界のサポートがないと、すぐに道を踏み外すようなちっぽけな存在だと思っていました。……しかし、僕が人間界で触れ合った彼らは、それぞれはちっぽけな力しかなくとも、助け合い、大きな笑顔と共に生きる、力強い存在でした」
名もなき小さな村の人々。オラフィールの首都カレンタルで見た、小さな料理屋を営む家族。山でミカエルとサロを襲った山賊でさえ、助け合って生きていた。
彼らは強い。そして、皆どこかにいい部分と悪い部分を持っている。
皇帝が村を焼き払ったのは、自国の発展の為。山賊がミカエル達を襲ったのは、自分達が生きる為。絶対的に悪い人間など、存在しないのだ。
「彼らは、自分達の力で生きていける。かつての僕は大きく間違えていたのだと、今なら解ります。ゼウス様、僕に勉強の機会を与えてくださり、ありがとうございます」
「うむ。お主が自分のことを「僕」と言うようになったのも良い変化じゃな。固すぎてはならぬ。人間と同じように、ワシらも驕らず、助け合わねばならんのだからな」
「……ゼウス様」
ポツリと呟くように、その名を呼ぶ。うつむきながら涙を拭うミカエルの表情は、ゼウスの方からはよく見えない。
「なんじゃ」
「僕は、人間界で愛も知りました。彼女を守っていきたい。一時は天使の役目も、人間界へと降りた目的も忘れ、彼女と生きていければそれでいいとさえ思いました」
「うむ。知っておるよ」
「……彼女は、本当に死ななければならなかったのですか」
「何度も言うようじゃが、ワシらは個人に肩入れしてはならぬ。あの娘が死ぬことは、人間界の発展に必要な犠牲だったのじゃ。残念ではあるが」
「……そう、ですか」
ミカエルが、泉に小さな石をそっと投げ込んだ。波紋が広がり、そして消える。水面は再び風に揺れ、木々はさわさわと音を立てた。風が止んだ時、静寂が訪れ、そしてその静寂を壊すのは天使の方だった。
「……では、犠牲が増えたところで、今さら問題はありませんね」
「む? お主何を」
ゼウスの疑問は最後まで発せられない。ミカエルによって首を掴まれた彼は、一瞬の戸惑いを得た。戸惑いの中にある内に神の意識は闇の中へ落ちていった。
ゼウスに触れた右腕。そこから闇の魔力を通し、神の力を奪っていく。受け入れ、自身のモノへと。
美しい輝きに満ちていた天使の翼は黒に染まり、光を反射しなくなっていった。そして、神の全ての力を奪い去り、ゼウスが灰と消えた時、漆黒の天使は見る者に不快感を与えるような笑みを浮かべた。
「ククク……人間界の発展? その為の犠牲? 面白いことを言うじゃないか。ただ人間界を眺め、安全圏から見下ろしているだけの卑怯者が」
怒りがあるはずなのに、何故か笑みが浮かぶ。楽しくて仕方がない。気に入らないモノを壊すことが、こんなにも楽しいとは。
「サロさんを苦しめた存在は同じ目に遭えばいい……ククク、神だろうが関係ない。人生を弄ばれることの辛さを知りながら死んでいくんだ……クク、君達の絶望する顔が目に浮かぶよ」
風に乗って消えていく灰を見つめ、ミカエルは心底愉快そうに笑う。
「残念でしたねえゼウス様。ちょっといい話をしておけば僕が解るとでも思ったんですか? 天界も、そこから生まれた人間界も腐りきってる。……だから僕が変えてあげますよ」
泉に背を向け、真っ黒に染まりきった翼を見せつけるように広げる。自分という存在を主張する。
反旗を翻したのは自分であると、偽りも誤魔化しもせずに。偽善だらけの天界とは違うというように。
「天界は……僕が壊す」
黒き羽が1枚、ふわりと宙に舞った。




