「決別の天使」
親衛隊の苦悶の悲鳴が反響する。多くの鍛練を積み、皇帝の護衛を任される程の実力者。それが一瞬で、しかも2人同時に無力化される。
彼らの腕は闇に呑まれて消失し、その断面からは噴き出すように流血している。
「…………」
苦しむ哀れな人の子を感情を殺した目で見下ろし、闇を生み出して殺す。音を発する存在は、否、生きている者はもはやここには2人しかいない。
純白の天使が、一国の主へと視線を向けた。皇帝は変わらぬ威厳ある姿で堂々と立っている。
「僕を恐れないのですか? 陛下。もっと怯え、戦いて、命乞いをしても、見ている者はここには誰もおりませんよ」
「貴君、よもや天の使いであったとはな」
虚勢ではない。皇帝は初めてミカエルと顔を合わせた時と同じ、重く響く声で続ける。
「このような結果となったのも我の采配が間違っていた故のこと。ここで命を落とすのなら、我は国を統べる器ではなかったと、それだけのことよ」
「サロさんが命を落としたのも同じことだと? 死んでも仕方のない存在だったから諦めろ。彼女にそう思えと?」
「それは違う。民には罪などない。だからな、我が采配によって命を落とした者に罪悪感を覚えることこそ死んだ者への冒涜。故に我は謝罪などせん」
「そんな勝手な理屈!」
「国を発展させること。皇帝である条件などそれ以外必要ない」
ミカエルの叫びにも、皇帝は眉一つ動かさずに対峙している。人間を超えた存在の怒りを前に、怯みもしない。
肩で息をするミカエルは深く息を吸い、
「……サロさんの最期、教えてくださいますか」
「ただ、貴君の名を」
「……そうですか」
大きな魔力を集める。最期まで剛健な主として命を終えるつもりの皇帝に対し、天使は慈悲として苦しまずに逝かせるつもりであった。
本当に怒りをぶつけるべき存在は、恐らくここにはいない。しかしこの皇帝が愛する人を殺したことに変わりはなく、生かしておく道理もない。
「一つ、頼みがある」
「なんですか」
「最期に民の姿を見たい。未熟な我についてきてくれた民を」
「……フッ」
ミカエルは笑った。歪な、まるで悪魔のような笑み。
侮蔑を込めた視線で、ミカエルは皇帝に慈悲なく言い放った。
「僕は陛下のせいで愛する人の死に目に会えなかった。サロさんは訳も解らず殺された……陛下が望む最期はあまりにも高望みです」
「……貴君の言う通りであるな」
魔力が皇帝へ放たれ、巨大な闇が皇帝を呑み込んだ。あっさりと、なんの抵抗もなく皇帝はこの世から去った。人知れず、痕跡も残さず。行方不明、ということでしばらくは捜索されるのだろう。
ミカエルは真っ暗な部屋の隅へと歩み寄り、膝をついた。
「サロさん……」
人間界で初めて会った人の子。家族とともに温かく迎え入れてくれ、人の強さや愛や、幸せを教えてくれた女性。将来を誓い、2人で強く生きていこうと約束した女性。
「痛かったですよね……寂しかったですよね……」
優しく話しかけたところで、彼女は生き返ることなどない。もう、微笑みかけてくれることも、からかってくれることもないのだ。
ミカエルは手のひらから光を発し、サロの魂を浄化していく。死んでしまった彼女への償い。魂の救済。サロの魂が身体から光の珠となって浮かび、ふわふわと揺れる。
それはまるでミカエルのことを認識しているようで。ミカエルはその魂を天に還さず、優しく手で包み込んだ。
「サロさん、僕はあなたと生きていきたかった。あなたといられることが幸せで、あなたが僕を想ってくれるのも幸せで……人間界に来てから、ずっと、ずっと僕は幸せでしたよ」
もう、共に生きることは出来ない。しかし、ミカエルだけはまだ生きている。
「本当は僕もそっちに行って、あなたとの時間を過ごしたい。……でも、死を迎えた魂は天界へ溶けるだけ。死者の暮らす国は……ないんです」
愛する人の魂を温かな闇で包み込む。闇は、全てを受け入れる肯定の力。天使が多くを持つには、正しすぎる力。
しかしそれを彼は躊躇いなく使っていく。愛する人が天界などに溶けないように。
「サロさん……僕を見守っていてください」
彼女の魂が闇と共にミカエルの中へと吸い込まれる。ミカエルはサロの魂を受け入れ、同じ身体で生かすことを選んだのだ。
隣で生きてはいけなかったから。望んだ未来は人間に、天界から人間界を静観するだけの神によって奪われたから。
「僕は天界を変えて見せます」
ミカエルは天界へと帰還する。正体を隠すつもりなどなく、翼を広げて飛び続けた。何人にも目撃され、時には拝まれたり、祈りを捧げられたりもした。
それらを全て無視し、真っ直ぐに天界へと帰還した。聞いていた通り魔法陣に魔力を込めて、彼を否定するような光の中を進んで。
彼が久々に天界の地を踏みしめた時、多くの天使の迎えがあった。睨み付けるような目をミカエルに向け、明確な怒りを見せている彼らを前にしても、帰還した天使は平然と挨拶してみせた。
「ゼウス様の使い、ミカエル、帰還しました」
「いけしゃあしゃあと! 貴様、自分が何をしたか解っているのか!」
「どいてください。私は人間界で学んだことを神々へ報告せねばなりません」
「神々の御前に貴様のような者を出せるものか!」
「どけと言ったんだ。聞こえなかったかい?」
天使などに興味はない。コイツらは所詮神の言葉に乗っかるだけの能無し。人間界をどうこうする力はなく、丁寧な対応をする必要性すらない。
しかし、舐められたと感じた天使は青筋を浮かべながら光の魔力で剣を作り出す。ミカエルを囲む何十もの天使が、一斉に殺意を向ける。
「ミカエル。抵抗しないなら手荒な真似はしな」
言葉が途切れた。
言葉を発していたはずの天使は突如生まれた闇によって世界から切り取られ、消滅する。あまりに唐突な出来事に、他の天使は反応出来ない。そんな中、ミカエルだけが冷静に口を開く。
「無駄口はいらないよ。けど……受け入れようか」
ミカエルの足下から広がるように、地面を湖のように闇が這う。それはパニックになる天使達を地面へと容赦なく呑み込む。後に残った魂を、浄化することなく取り込んでいく。
死ぬことを知らない、ただ上から見ているだけの連中に、僕が倒せるわけないじゃないか。
「ククク……サロさん、僕はきっと天界を……」
たった1人、愛する人。失われる命。こんな思い、誰もする必要なんてないはずだ。
サロさんが家族を失ったことも、戦争で多くの人間が死んでいくことも、全ては人間を天から見て弄んでいる者のせい。
サロさんを苦しめた人間も、神も、天使も……僕は許さない。幸せを奪われたサロさんの為にも、僕は……!
穢れなき純白の翼がくすみ、黒く染まり始めていた。




