「最期の日」
「おはようございます。ミカエル様」
「ん……サロさん……?」
ミカエルが目を覚ましたのは、すぐ近くで自分の名前を呼ぶ女性の声がしたからだ。長いこと女性との2人旅をしてきた彼にとって、女性に起こされるというのは珍しくない。
だから、彼がその声をサロのモノだと思ったのは反射的なモノで、仕方のないことだと言えよう。
「残念ですが、サロ様ではございません」
ミカエルを起こしに来たのはメイドの女性。寝起きの頭が徐々に覚醒していき、現状を認識した彼は慌てて跳ね起きた。
「す、すみません!」
「いえ、お気になさらず。朝食の用意が出来ております。こちらに着替えて頂きますようお願いします」
「あ、は、はい」
メイドの淡々とした態度に落ち着きを取り戻しつつ、恥ずかしさが大きくなる。メイドが綺麗な姿勢で部屋を出ていき、残されたミカエルは解りやすく顔を赤くしながら着替え始めた。
今日が境目であることを、彼は知らない。
「おかしくない、ですか?」
「……はい。きちんと出来ております。では、食堂の方へご案内します」
一応客と言っても細かな世話まではしてくれないらしい。様々なことを自分でやってきたミカエルとしても、一々世話を焼かれるのは落ち着かないので構わないのだが。
ぶれることのない姿勢のメイドの後について歩く。この城、階によって目的が分かれているらしく、3階よりも上が皇帝の居城、来賓の客室等。2階と1階は一般人にもある程度開放された空間だ。教会の本部などもあるらしい。食堂は3階にある。
「こちらです」
案内され、メイドによって扉が開かれると、そこには広大な食堂が広がっていた。長いテーブルがいくつもある。お偉いさんがたくさん集まって食事をしたりすることもあるのかもしれない、とミカエルはなんとなしに想像を巡らせた。
そんな圧倒されるような長テーブルに、女性が1人ちょこん、と座っている。よく知るその顔を見られたことで、ようやくミカエルは安心を得た。
「サロさん、おはようございます」
「おはようございます、ミカエルさん」
サロも1人で待っているのは心細かったのか、明らかな安堵を見せた。互いの笑顔に、彼らは欠けたピースが上手くはまったように安心し、それだけで幸福を感じられた。
仕事上あまり嫌な顔をしないメイドがこの時ばかりは舌打ちせんばかりの表情を見せたことにも気づかないほど。
「お食事はコースでございますので、ごゆっくりお楽しみください」
「コースですか? そんな本格的なお食事、わたし達にはもったいないですよ」
皇帝の食べるようなモノを自分なんかが食べるのは畏れ多い、という気持ちもある。が、コース料理など食べたことないし、味の違いなど解らないというのが実際の本音だったりもする。そんなことは当然口にしないのだが。
メイドは抑揚の少ない事務的な口調で答える。
「皇帝陛下のお心遣いでございます」
「……ありがとうございます」
「陛下にもお伝えください。お心遣いに感謝しますと」
「かしこまりました」
なんとか礼は言えたが、ミカエルは「その心遣いに感謝しろ」と言外に言われている気がして緊張を増した。皇帝の心遣いというのは本当だろうし、感謝しろだなんて思ってないのだろうが、それでも位の高い人物からの施しを受けるというのは萎縮しがちだ。
メイドが厨房へ消えていき、彼らの人生初のコース料理体験が始まった。なお、美味しかったには美味しかったが、その辺の料理店との違いなどはよく解らなかった。
朝食を終えると、自由な時間を与えられた。なんでも、昼食までには帰ってこなければならない(時間厳守と念を押された)ものの、街の外にさえ出なければどこへ行ってもいいそうだ。
よそ者に対しても大きすぎる皇帝の器にただただ感服しつつ、ミカエルとサロは街を目的もなく出歩くことにした。端的に言えば、ノープランデートである。
「わたし達、こんなことしてていいんでしょうか?」
「どうしてです?」
「戦が起きる……しかも、わたし達が持ち込んだミスラの剣が決め手になったかもしれないんですよ? もしかして、余計なことしたんじゃ……」
不安げな顔を見せるサロの頭を、ミカエルはぽんぽんと軽く叩いた。
「いずれは起きていたことです。気にしなくていいはずですよ」
「でも……」
「僕達には止めようがないんですから。……こういうの、普段は僕が悩んでサロさんに諭されることが多かったと思うんですけどね?」
何か、彼女かミカエルが変わったのだろうか。ミカエルの方には全く覚えはない。ミカエルもサロもずっと同じ、変わったことなどないと思うが。
首を傾げるミカエルとは対称的に、サロは頬を赤くした苦笑いを浮かべながら言った。
「あはは……その、幸せすぎて……不安になっちゃうんです。家族は失っちゃったけど、ミカエルさんと生きられるってこと、無事にここまで来れたこと」
「でも、戦が起きたらまた辛抱の日々を強いてしまいますけど……」
「それもです。ミカエルさんと、辛いことも共有できるんですから。もちろん、嬉しいことも」
彼女は、焼け落ちた村で言っていたようなことをここで再び口にした。彼女にとっては、ミカエルと居られるだけで全てが幸せとして感じられているのが解り、ミカエルは胸から込み上げるモノが瞳から溢れないように顔を引き締めた。
彼は、強くあろうと決めている。人間界で出会った、サロという女性を守るために。
大切な人と出会い、強くなった男。大切な人と出会い、幸せを失いたくない女。同じところがあるなら、それは彼らが互いの幸せを願っていることであろう。
「サロさん。あなたは僕が守ります」
「ミカエルさ、きゃっ!?」
往来の真ん中で、ミカエルはサロを抱き寄せる。鼓動が思いを重ねるように速くなり、サロは恥ずかしさで顔を上げられない。ミカエルはその耳元で静かに囁く。
「愛してます」
「はぃ……わたしも……」
ミカエルはやや強引に顔を上げさせ、唇を奪う。白昼であることも、周りでは多くの人が見ていることも忘れ、2人は存在を確かめるように長く、長く唇を重ねていた。
彼らが唇を離した直後、野次馬にひやかされて2人揃って顔を真っ赤にして逃げるように城へと戻ったことは言うまでもないことだ。
城では相変わらず豪華な食事が用意され、銭湯でもあり得ないような広さの風呂も使っていいとされ、夜寝るための部屋もミカエルとサロで同じ一部屋にされた。メイド曰く、「皇帝陛下のお心遣いです。この部屋は特に防音性が高い部屋となっております。いくらされても構いません」とのことだ。気が利きすぎるのも困りものである。
昨日と同じように夜は鍵をかけられてしまって外には出られなかったが、彼らはとりあえず皇帝の心遣いに乗っかることにした。
「初めてですから……優しくしてください……」
「その、僕も初めてですから……痛かったら我慢しないでくださいね?」
初めて同士のテンプレートのような会話だけを交わす。惜しむように少しずつサロの服を脱がせていくと、幼少期についた傷だろうか、ほとんど目立ちはしないが、いくつか傷痕があった。彼女の人生を物語るような傷痕に舌を這わせると、彼女はくすぐったそうに身をよじる。
「んっ……ごめんなさい、綺麗な肌じゃなくって……」
「綺麗でないところなんて、サロさんにはありませんよ」
彼女の全てを愛したいと言葉にする代わりに、ミカエルは彼女の美しい身体に触れていく。当然、彼女が今まで誰にも許さなかった部分も。
「やっ、ぁっ…………んぅっ」
切なく声が漏れる。恥ずかしいのか、必死で抑えようとしているサロが今までになく可愛らしく見え、彼は決心を固めた。
「サロさん」
「はぁっ……はぁっ、きて、ミカエルさん……」
男女が愛しあう。そのことになんの不思議もない。人間界では今日もどこかで愛が生まれ、命が生まれている。愛は突然発生することもあるし、長い時間をかけて育まれることもある。生命が存在する限り、それは自然の摂理と言っても過言ではないのかもしれない。
だから、突然命が失われることにも、なんの不思議もない。愛が失われることも、愛する人が失われることも。
明日、ミカエルの人生の歯車は停止する。




