「笑顔の裏側」
彼らは無言で駆けた。ほとんど燃え尽きて炭の塊と化している村へ一瞬でも早く辿り着くために。
徐々に近づいてくる人里からは何の音もしない。シンと静まり返っている村は、ただただ黒い煙を力なく天に向けている。
「はあ……はあ……」
もはやそこは、人の住める地ではなくなっていた。肩で息をしながらサロはしっかりした足取りで帰還した。ミカエルもあとに続く。
キョロキョロと視線を巡らせながら、2人は村中を見て回る。
「…………」
会話はない。決して辛そうな表情を見せず、引き締まった顔で様子を見ているサロに向けてミカエルからかけられる言葉はなかった。
口を開かず平然と歩いているように見える2人だが、村の状態は凄惨なモノだった。
家屋は破壊され、燃やされ、そこら中に家屋だったモノの残骸が散らばっており、それらと同じように、無造作に人間だったモノも散らばっている。
平和なこの地で生まれたサロがそれらに一切の動揺を見せないことは、ミカエルに不自然さを感じさせる。彼女は虫の死骸でも見るかのような、一切興味のないモノを見る目で、同じ村に暮らしていた人達の果てを見る。
異様な光景だった。年若い村娘が、壊滅した故郷をまるで無感動に歩いている。
(サロさん……)
ミカエルは彼女が何を考え、感じているのかを思い、押し黙る。
結局、生きている人間は1人としていなかった。
「サロさん、食欲とかありますか?」
村の中心部、開けた所に並んで座り、ミカエルは干し肉を差し出す。普通に食べても食糧があと2日分はあることを彼は確認済みだ。
「食欲はないですけど……でもいただきます」
サロは薄く笑みを浮かべ、食事は義務だと言わんばかりに、明らかに無理矢理食べ物を胃に収めていた。
ミカエルの胸が痛む。誰が、何故こんなことを。
もしあの時自分が慣れない魔法など使わなければ、予定通り日帰り出来て、村を襲った何者かから守れたのではないのか。
死んだ人達には別れすらも告げられない。後悔が暗雲となって彼の心を覆った。
長い沈黙。途方に暮れる時を破ったのは、サロの消え入るような声だった。
「……わたし達、ミカエルさんに隠していたことがあるんです」
それを聞いたミカエルは、「やっぱりか」と思った。
これだけ異常な状況にあって平静を保てていること、思えばサロも妙に力が強かったこと、些末なことも含めれば、おかしな点はいくつもあった。
サロはポーカーフェイスのような笑顔で、告白していく。
「わたしと、お父さんとお母さんは、元々この村の生まれじゃありません」
お父さんは昔冒険家だった、とサロが言っていたことを記憶の中から引っ張り出す。
「お父さんが冒険家というのは嘘。本当はミスラ王国の将で、若い頃に調査団として色んな地を回ってたみたいです」
「ミスラって……随分遠くじゃないですか」
「まっすぐここへ来ようと思ったら、オラフィール帝国をほぼ横断することになりますね」
なお、この村の位置はオラフィール帝国でも辺境の中の辺境。首都からでも2つの山越えが必要なほどだ。
「ミスラ軍の中でも地位の高かったお父さんが、ミスラの首都ハイロで出会ったお母さんと結婚して、わたしが生まれた。そこまでは何も問題ありませんでした」
昔を思い出しながら、サロは空を見上げた。雲ひとつない晴天。空だけを切り取れば、平和がまだ続いているかのようでさえあった。
「でも、わたしが5歳になった頃、ミスラ軍の、お父さんより偉い人が家に来て言ったんです。娘を渡せ、って」
「サロさんを? 何故です?」
「お父さんが強かったからです。わたしにも、兵士としてなんらかの才があるんじゃないか、って。そういう国ですから」
ミカエルは天界で得た人間界の知識を呼び起こす。血筋による王政を敷いている国は現在ミスラだけであり、かの国は優秀な能力を持つ王族が多い。
故に血筋や生まれが非常に重視され、それによって地位の確立が形成されている。貴族の子は貴族、農民の子は農民にしかなれないといった形だ。
だから、サロも軍人の子として軍に入ることが生まれた時から決まっていた。さらに、優秀な軍人であったポーレンの子であることから期待され、ミスラは彼女を小さい内から軍で鍛えようとしていた。そういうことだ。
「わたし達家族に拒否権はありませんでした。わたしは幼くして家を離れ、兵士達に混じって生活し始めました」
ミカエルは余計な口を挟まない。独り言のようにサロの言葉は紡がれる。少し楽しげに笑いながら。
「結構楽しかったんですよ? 歳上ばかりでしたけど、皆さんよくしてくれましたし」
「そう、ですか……」
「ふふ、ちょっとしたアイドル状態です。可愛らしい子どものわたし、想像つきません?」
「もちろん。サロさんは今こんなに綺麗なんですから」
「その手の返しをミカエルさんにされるとは思ってませんでした」
耳が赤いのが惜しい点ですけどね。と末尾に入れられ、ミカエルは慌てて耳に触れた。
そんな彼の様子に、サロは小さく笑った。
「そんな、兵士としての生活が10年以上続きました。そこまで来るともう立派に仕事です」
ミカエルは渋い顔をした。幼い彼女が10年も軍に縛られる状況が、微妙に納得いかない。たとえ本人が納得していても。
「でも、3年前、ある事件が起きました」
「戦争……ですか」
「……はい」
ミスラ王国は3年前に戦争を起こしていた。この村のあるオラフィールとは反対側に位置する国と。その戦争は、去年ミスラの完全勝利で終結している。
戦争が起きるということは当然、
「わたしやお父さんも、戦地に駆り出されました」
そうなる。兵士が戦地に行くなんて当たり前のことで、疑問を挟む余地もなかった。
サロは寒気を催したように身体を震わせ、居住まいを正してから話を続けた。
「でもですね、戦争が始まってすぐに、お父さんはわたしとお母さんを連れて逃げたんです」
「逃げた?」
「そうです。……家族が出来て、失うことが怖くなった。そう言ってました」
腰抜けだと罵る者もあろうが、ポーレンの気持ちはミカエルにはなんとなく解った。
おそらく、ポーレンだけでなく、彼の大事な娘が戦地にいたことも大きな原因だっただろう。
「わたしは国を捨てて逃げるつもりはなかったんですけど……結局、お父さんの涙ながらの説得に頷くしかありませんでした」
「…………」
「わたし達は逃げて、国境を越えてもさらに逃げて、ついにここまで辿り着きました」
よその国の、平和な村。ここまで来れたことで、彼らは平穏を手に入れた。
ミカエルは思う。この村の人達のことだ、きっと何も聞かずに一家を受け入れたに違いない。
そして、安穏な暮らしを得た一家はミカエルを受け入れた。誰とも知らぬミカエルをあっさり家族として認めてくれるような、大らかで温かな性格の裏にはそんなエピソードがあったのだ。
でも、にこにこと笑っていたポーレンやユリシーズは、もういない。
せっかく彼らが得た幸せは、幸せをくれた村とともに無惨にも崩れ去ったのだ。
「それからここで暮らし始めて、皆優しくしてくれて……っ」
嗚咽が漏れた。サロは目を伏せ、震えている。
「なのに……っ、なのに……」
涙声。気を張っていないはずがない。辛くないはずがない。そんなこと、ミカエルにも解っている。
だから彼は、何も言わず彼女の肩を抱いた。
彼女の感情が溢れるのに、時間はいらなかった。若い天使は、彼女の涙が止まるまで黙って受け止め続けた。




