「秘匿される事実」
「どうです?」
夜。ミカエルが声をかける。問われた女性はその手に触れるモノの感触を確かめ、
「暖かいですよ」
笑みを浮かべた。転移した先で運よく見つけた山小屋に、彼らはいる。埃が溜まっていて誰かが生活していた形跡のほとんど残っていないそこは、換気して埃さえ追い出してしまえば、夜を明かすには十分だった。
サロが手にしているのは軽めの毛布。ここで見つけたモノではなくミカエルが持ってきた荷物の中のモノであり、彼の心配性具合が窺えて、サロは苦笑いを浮かべた。
「では寝る前に明日からの予定をおさらいしましょう」
真面目な顔でミカエルはサロを見つめる。もっとも、彼が真面目でなかったことなどないのだが。
「山の麓へ下りようと思いますが、基本的にはゆっくり行きます。ケガをしたら余計に時間がかかりますからね」
彼らの計画はこうだ。
朝起きたら太陽の方へと向かう。村は山から見て東側にあるから。慎重に進んでいき、山賊に遭遇してもやり過ごす。具体的には、ミカエルの闇魔法で姿を隠す。
そうして安全第一で下山し、2日ほどかけて村へと帰る。幸いにして食糧はミカエルが持っている。
寝床に関しても、山小屋がなければないで洞穴か何かを探せばいくらでも身は隠せる。
「何か、意見はありますか?」
「山賊のことなんですけど」
サロが毛布にくるまりながら、不思議そうな顔で訊いた。
「どうして逃げるんですか?」
「それ以外に何かいい方法が?」
「殺してしまえばいいと思います」
「なっ……」
なんでもないことのように放たれた一言にミカエルは絶句した。サロはそれに対して驚きもせず続ける。
「殺さないように逃げたりするの、ミカエルさんの負担になると思うんです。向こうは山に慣れた乱暴者。殺してしまえば追って来れませんし、それが楽じゃないですか?」
「なんてこと言うんですか!」
ミカエルは思わず大声をあげる。サロが自分達の安全を考えて言っていることは解ったが、言っていいことと悪いことがある。彼にとって、それは悪いことだった。
しかし、声を荒らげてしまったことに関しては反省し、一息を挟んだ。
「……確かに彼らは乱暴者ですが、逃げ切れないほどじゃありません。それに、簡単に殺すなんて選択肢を選んではいけません」
サロは悲しげに目を伏せた。ミカエルから見て、それは自分の発言に反省や後悔をしているそれではなかった。
「……そんなの、綺麗事です」
「サロさん……」
ミカエルとて、他人のことを言えた義理ではない。天界から人間界を覗いていた頃には「このような人間がいては、発展を妨げる」と、あまりに目に余るなら殺してしまうようにしょっちゅう進言していたのだから。
それは解っていながらも、しかしいざ人間を目の前にしてみるとあっさり殺してしまうのは憚られた。
彼らには彼らの人生があり、個性がある。殺してしまうというのは、彼らが人間界へ今後及ぼす影響、つまり未来を断ち切ってしまうことなのだと、ミカエルはこの数週間の平和な暮らしで気づいていた。
無論、天界の住人が人間界にほとんど干渉しない理由もそこにあるということも。
「……わたし、まだ死にたくないです」
しかし、膝を抱いて俯くサロを守らなければならないことも事実。
(身を守る為には仕方ないことなのでしょうか……)
選択を迫られた時、誰を生かし、誰を殺すのが天使として正しい選択なのか。
天界が傍観主義だったのは、実は可能性を断ち切ってしまうのが理由ではなく、簡単には判断出来ないからだったのか。
「……あなたを死なせたりはしません。この身に代えても」
「ミカエルさん……」
天使は、彼女を守り抜くことを決めた。他の命を散らすことになるとしても。
「もう寝ましょう。身体を休めないと、帰れるものも帰れません」
「……はい。おやすみなさい、ミカエルさん」
「おやすみなさい」
肩を寄せ、互いの温度を感じあいながら、若い男女は眠りに落ちていった。
ミカエルが深い眠りに落ちた頃、隣で眠っていたサロはふと目を覚ました。
なんのことはない。トイレに行きたくなっただけだ。
ミカエルを起こさぬよう、そっと起き上がってトイレへ向かう。踏み込むと床が軋み、ヒヤリとして慎重に歩を進める。
「はぁ……」
用を足しながら、溜め息を1つ。彼女を苛むのは罪悪感に他ならない。
サロの目から見て、ミカエルは真面目な青年だ。少し過剰で、不器用ではあるが、悪い人でないことだけは確かな青年。
彼には何やら隠し事があるらしい。見たこともない魔法を使えるし、明らかにただの旅人ではない。彼の身分を暴いてやろうと彼女は思わなかったが、同時に自分も身分を明かすつもりはなかった。
「気づいてないんだろうなあ」
サロのことも、村のことも。下手をすれば、違和感すら覚えていないかもしれない。
「いい人、だもんね」
あんな不器用な人が、毎日毎日懸命に働いているのだ。周りの隠し事なんて気づかなくても不思議じゃない。疑いもしない。少し、微笑ましかった。
同い年なんだから、もっと砕けた口調で話せばいいのに。言ったところで彼はそうしないだろうし、それが解っているからこちらからも言わない。
そんな彼が悪い人なはずがない。敵だなんてことは絶対にない。けれども、それでも隠さなければならないことはある。
チクチクと痛む胸を思わず抑えた。せめて、彼の秘密にしたいことは秘密にしよう。
「ごめんなさい、ミカエルさん」
どんなに言いたくとも、本人を前にして言うことの出来ない謝罪の言葉。彼女の胸が、再度痛みを訴えた。
「……?」
その痛みに、罪悪感とは違う何かが混ざったような気がして、サロは首を傾げた。しかし正体が解らぬ内にそれも霧消し、疑問符を浮かべながら彼女は手を水で流した。




