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「人の里」

 





 人間達をよりよい世界へと導く。それがミカエルの心からの願いであった。


 天使は生まれながらにして完成された肉体を持つ。不老であり、鍛えることは可能でも、身体能力が自然に成長することはない。


 その身体と魂は、神々の力と神殿……聖域の力をもってしてようやく生み出されるモノ。むやみやたらと増やせるような事はなく、寿命による自然死を迎えない天使を増やすこと自体、あまり意味のないことだった。


「人間として暮らす……か」


 門の奥、光のトンネルの中を落ちるとも飛ぶとも解らぬまま、ミカエルは思う。


 人間達の暮らしは神々の力によって垣間見てきた。極悪人がいたり、聖人君子がいたりと様々だったが、神々が干渉することはほとんどなかった。


 人間は弱い存在ではない。困難を乗り越え、自らの力で発展していける存在なのだ……人間界へと降りて対応しようと発言し、反論としてそればかりを聞かされ続けたミカエルが、人間に対して興味を抱くのは至極当然の流れだった。


 眩い光に包まれて目を細め、ついには閉じたミカエルの足が、突然地につく。不意討ちのように身体を縛る重力によろめきながら目を開けると、見たことのない景色が広がっていた。


 森、あるいは山。基本的には坂になっているようだから、山の線が強い。彼の背には、一際大きくて葉の黄色い不思議な木。それ自体がまるで目印のような。見渡せば、モンスターが天使の青年を遠巻きに見ている。


「ごめんよ、急に出てきて驚かせてしまったね」


 モンスターと会話が出来るわけではないが謝罪。モンスター達の何を考えているのか解らない瞳がそっぽを向き、彼らは走り去っていく。


 彼らの背中を見送り、彼は下山を目指す。街の近くに送ってくれればよかったものを何故山の中に送り出されたのかは解らなかったが、あの黄色い大樹が帰りの目印になるとか、そんな理由だろうとアタリをつけて考えるのをやめる。


「ぅん?」


 茂みから覗く人間の足。誰かが倒れていることを即座に認識したミカエルは慌てて駆け寄り、様子を確認する。


「大丈夫ですか!?」


 倒れていたのは、若い女性だった。身体中泥だらけで、背中にはカゴを背負っている。辺りには摘まれた山菜らしき植物が散らばっている。


 ミカエルは焦りながらも女性の口元に顔を寄せる。……息があることを確認してひとまずの安心を得ながら、軽く肩を揺すって声をかけてみる。


「もしもし? 聞こえますか?」


 返事はない。どこか痛めていてもこれでは解らず、抱えて移動するべきか、目を覚ますまで動かさないでおくべきか、ミカエルは思案する。出血に繋がるような大きなケガが見受けられないとはいえ、出血が無くとも骨が折れていたりすることは珍しくないのだから。


 ミカエルは数瞬で判断を下し、女性を背負う。どこかケガがあってもいいよう魔力で包み、極力揺さぶらぬように気を付けて運ぶ。


 まずは下山して、最も近い街へ行かねばと考える。せっかく摘んでいた山菜はこの際諦めてもらおうとも。


 そもそも彼が顕現けんげんした地点があまり高度のある場所でなかったこともあり、女性を背負いながらでもすんなりと木々の中を抜けることが出来た。


 大地を照らす太陽の眩しさに、ミカエルは目を細める。簡単な整備が施された「街道」と呼べる筋の向こう、ほんの目と鼻の先に、巨大な柵に囲まれた何かが見えた。


「よかった。すぐ近くに村落があって」


 やはり目を覚まさない様子の女性をチラリと一瞥いちべつし、青年は慎重な足取りで歩き出した。






 結論から言えば、柵に囲まれた場所はミカエルの見立て通り村、ないし小さな町であり、女性はそこの住人の1人だった。


 泥だらけ、小さなすり傷だらけで気を失っている女性を見るや、近所の住人達は声をかけ合ってあっという間に治療の出来る場所の確保、薬などの用意、彼女の家族への連絡等を済ませた。


 彼らの連携はミカエルを唖然とさせただけでなく、温かな気持ちにもさせる。


(これが、人間のあるべき姿……いいところなんだ)


 天界の住人や、大型のモンスターに比べたら脆弱ぜいじゃくな存在かもしれない。しかし彼らは助け合い、補いあって生きている。


 女性の自宅の一室で安らかな寝息を立てる彼女の隣、彼は微笑んだ。


 とそこへ、ノックの音。ミカエルの返事を待たず、ゆっくりと戸が開かれた。


「旅の方、娘を助けて頂いてありがとうございます」


 入ってきたのは筋肉質な壮年の男性。ミカエルが助けた女性の父親であることを、ミカエルはその発言から初めて知る。


「倒れている女性がいたのです。当然のことをしただけですよ」

「なんと出来た方だ……と、スープを家内が作りましてな。よろしければどうぞ」

「では、遠慮なくいただきます」


 湯気から野菜特有の甘い匂いが立ち込め、軽く一口をすする。


 数種類の野菜から出るダシと、少しの調味料だろうか。具だくさんでありながら、野菜の甘味と旨味が雑然とせずよくまとまり、また引き締まっており、実に美味。家庭と、家族を思う母の温かさを匂わせる。そんなスープだった。


「美味しいです」

「それはよかった」

「ですが、すみません。彼女が採っていたと思われる山菜までは……」

「いえいえそんな! あなたが娘を見つけてくれなかったら今頃どうなっていたか……失礼ですが、名前を訊いても?」

「ミカエルです」

「ミカエル……天使様のような名前ですな。よい名です」


 当然、ミカエルは「しまった」と思った。当たり前のようにミカエルと名乗ってしまったのはまだ許容範囲だが、彼には名字がない。


 そこまで突っ込まれてアドリブを利かせられるほどの余裕など、もちろん彼には残っていない。


 ミカエルのかく冷や汗には気づくことなく、男性はややうるさいくらいの声で笑う。


「ははは。そう緊張なさるなミカエル殿」

「ひ、人様の家におじゃまする機会なんてほとんどなくて……」

「我が家と思ってくつろいでくだされ。申し遅れましたな、わたしはポーレン・タメ。娘はサロ、家内はユリシーズといいます」


 握手を、と言わんばかりに差し出されるゴツゴツとした手。細かいことを気にしないらしいポーレンの性格に感謝しながら、ミカエルは握手を交わす。


「ところでミカエル殿はおいくつですかな?」

「えぇっと…………23です」

「いやあ、若いですな! 娘と同い年とは!」

「そうなんですね。綺麗な娘さんです」

「どちらの出身で?」

「や、山の向こうをひたすら真っ直ぐ行った、名もなき辺境の地……みたいな……それはもう小さな村…………です」

「お誕生日は? お好きな食べ物とかありますか? これまでの旅ではどんな所へ?」


 酔っ払いのようにぐいぐい来るポーレンにたじたじになりながら、ミカエルはひたすらごまかす。辻褄つじつまが合ってようが合ってまいがポーレンは全く気にしなかったのが、彼にとって唯一の救いだったと言えよう。


 結局、ポーレンが長く居座っていることを彼の妻であるユリシーズが叱りに来るまでミカエルの地獄は続いたし、彼の本当に伝えたいことは言えずじまいだった。


「ここにしばらく滞在させてはもらえないか」と。


「ここに泊めてもらえたらいいんですけどね」


 窓の外を見る。思ったより人の出入りのあるところなのか、市場が見えた。行商人と思しき格好の男もいて、工芸品なんかを見ている。


 無闇にうろつくよりは、ここで仕事を手伝いながら暮らしたりするのがいいかもしれないと考える。幸い近くに山はあるし、ミカエルならモンスターを狩るくらい出来る。全くなんの仕事もないということはない。


 人間界で人間のことを学ぶ。そんな大きな目的を持って出てきたが、まずは上手く社会に溶け込もう。色々と学んだり調べたりは、それからだ。


 大まかな計画だけを頭の中に設計し、ミカエルは今度こそ滞在の許可を得るべく、部屋を出た。






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