「元・天の使い」
魔界小学校で行われていた新入生トーナメント。その実質的な決勝において、エカテリーナはスローヴィアに敗北した。閧の声にも似た歓声で沸く観客席。その中に、1人の青年がいた。
「へえ」
青年の名はルシファー。今でこそごく普通の魔族を装っているが、その正体は堕天使にして、魔界を作り出した創造主に他ならない。
その彼が、興味深そうに勝者に目を遣る。
「わたくしはスローヴィア・グランサーフ! 誇り高きグランサーフの名を継ぐ者ですわ!」
堂々たる姿で名乗りを上げ、ギャラリーに彼女の……否、彼女の生まれた血族の名を知らしめている。
「なかなかどうして、あの子も出来るじゃないか」
独り言のように呟いたルシファーの言葉に、反応がある。彼の背後に身を隠す、真っ赤なローブ。スローヴィアに力をもたらした張本人。
「いかがです?」
「フフ、気に入ったよ」
「光栄です」
深々と頭を下げる。ルシファーには目的があり、赤いローブにもまた、目的がある。利害の一致した彼らはスローヴィアの持つレイピアへと精霊を宿らせた。
その結果がこれである。圧倒的な努力による、圧倒的な力を持ったエカテリーナを殺すに至る実力をスローヴィアは得た。さらには、
「エカテリーナ……くく、いいよ。すごくいい。最高だ」
元々ルシファーが目をつけていたエカテリーナもまた、この試合で興味深い反応を示した。
聞く者に不快感を与える嫌な笑い声をあげながら、ルシファーは赤いローブに1枚の小さなメモを手渡す。それを恭しく受け取ったローブはこっそりと姿を消した。
「待ち遠しいね……彼女達がもう少し成長してくれれば……くくく」
元々天界の住人であった彼が魔界の祖へと至るまでの話。それが、ここには必要だろう。
そう。彼しか知り得ない、魔界創世記が。
天界。
そこは、人間を善い道へと導く神や天使の住まう世界。神は生命を創り出す術を持ち、人間界を創った。人間達は神の存在に気づき、神を崇めた。
天界と人間界は大きく離れており、直接的な交流こそほとんどなかったものの、神と人は争うことなどなく良好な関係を築いていた。
時に人間へと預言をもたらし、時には罰を与える。天界の住人は人間界の発展を影ながら支えてきた。
幾星霜の時を経たある時。その天使は生まれる。
彼が初めて意識を得た場所。そこは薄暗くレンガの壁に覆われた密室だった。彼の目の前には、立派な髭をたくわえた老人。その老人がしわがれた声で問う。
「自分のことが解るかな?」
「…………」
いきなりの問いに戸惑いながらも、彼は考えた。自分が何者なのか。自身の身体は人間の青年といった風情で、記憶はない。ただ、今生まれたばかりだということと、自らは天使であるということは何故かすんなり理解出来た。
「……はい。私は天使……あなた様が私を生んで下さったのですか?」
「その通りじゃ。うむ、問題ないようじゃな」
老人は「予定通り」と言わんばかりに青年に背を向け、部屋から出ていこうとする。置いていかれぬよう慌てて着いていき、彼はその部屋から出たのだった。
青年が老人とともに外へ出ると、レンガ造りの家々が並ぶのどかな街並みが広がっていた。振り向けばそこは立派な神殿であり、儀式のような行為を経て青年は生まれたのだと推測できた。
街へと入っていこうとする老人を、青年は不安に駆られて引き止める。
「あ、あの」
「どうした?」
「私には、記憶がないのですが……その、名前も……」
「なに、名前が解らない?」
老人は驚いたように目を見開く。それが青年の不安をさらに煽った。
老人は真剣な目で青年を見据え、一つ一つの言葉を確かめるように投げかける。
「天使の名前は、生まれた時に本人の中に既に持っているのが普通なんじゃが……思い出せぬか?」
「…………はい」
「ふむ……では、ここがどこかは解るかな?」
「ここは、天界です。ですが、それしか……大変失礼なことですが、あなた様の御名前も……」
「いや、それは普通のことじゃ。心配するでない」
他にも魔法のことや、天使である自分の能力等についても老人は確認したが、元々天使が有しているはずの知識の中で、青年に抜け落ちているのは自身の名前だけであることが判明した。
天使が生み出されるようになってから初めてのイレギュラーではあったものの、名前だけなら今からつければいい。そう判断して、老人は天使に名を与える。
「では、お主の名はミカエルとしよう。よいかな?」
「身に余る光栄です」
「ほほ、そう固くなるな。おお、そうじゃ、ワシの名はゼウス。以後、よろしく頼むぞミカエル」
「はっ。よろしくお願いいたします。ゼウス様」
えらく生真面目な青年を生み出してしまったものじゃ。ゼウスは堅物そうな彼が天界で上手くやっていけるか、ほんの少し不安だった。




