「初めての友達」
次の日も、エカテリーナは図書館へ飛んだ。昨日よりも体力的に余裕を持って飛べている。明らかに、翼を使うことに慣れてきていた。それが自身の成長として実感でき、さらなる鍛練へのモチベーションに繋がる。
「飛ぶ練習、サボらないで毎日やろう」
楽しくなっていたのもあるが、掴みかけているこの感覚を忘れてしまうのが怖かった。……毎日サボらずに真面目に鍛練を積むなど、親泣かせなのだが。
魔界というのは元々不毛の地ではあるが、現代においてはそんなことはない。魔界でも育つ植物が流れ着いた人間によって植えられており、今ではそれなりに植物は生えている。
また、昼夜も存在する。が、空は常に暗い雲に覆われていて、天気と言えば曇りと豪雨くらいのものだ。
雲の上には光を発する、「月」と呼ばれるモノが浮いているらしいが、雲自体が相当高い位置にあるため、簡単には確かめられない。少なくともエカテリーナの両親程度では、行けても雲のある高さの半分が限界だろう。
では何を持って昼夜が決められているかと言うと、魔族の生活リズムだ。
起きたら、朝。眠くなれば、夜。夜行性の魔族はその逆。大雑把ではあるが、そもそも神経質な魔族の方が少ない。
時間を知ることの出来るアイテムもあるし、大抵の家庭には一応置いてあるが、自分勝手でフリーダムな生き様が美徳である魔族にとってはあまり必要のないものだ。門限や規則正しい生活を気にするエカテリーナは持ち歩いているが。
以上が、本日エカテリーナが得た知識である。やはり門限が来るまで時間をかけて読み進めたものの、まだ少し残っている。
ここが終わったら、次は人間界と天界の所に入れるんだけどな……。
今日も魔界の所から抜け出せなかった。でも残りは5ページ程だから、さすがに明日は読み切れる。
そんなことを考えながら、エカテリーナはまた元の位置に本を戻す。司書にお辞儀をし、図書館を後にする。
今日は、司書に呼び止められなかった。
「おい」
「はい? なんですか司書さん」
次の日は、図書館へ入った時に司書に呼ばれた。愛想の無いぶっきらぼうな言い方で、イラッと来てもおかしくなかったのだが、エカテリーナは素直に応じた。
「……これだろ」
「えっ……?」
司書がカウンターの下から取り出したのは、毎日エカテリーナが読み進めていた書物。
この男、幼女が何を読んでいたかを観察し、今日はそれを予め棚から取り出しておいたのだ。……アブナイ香りがする。
と、このように、魔族たるもの、相手が親切だと感じたならまず疑うべきなのだが、彼女はそうはしなかった。それはもちろん、彼女がまだ子供だから、ではない。
「ありがとうございますっ!」
「……礼なんか言うな」
「お礼とか挨拶とか……嬉しく、ないですか?」
「…………」
司書は返事をせず、そっぽを向いただけだった。それでも無垢なサキュバスの少女は気にしない。
「あ……でも、辞書……」
彼女にはまだ、知らない単語がたくさんある。辞書も手元に無いと読めないのだ。
エカテリーナが辞書を取りに行こうとした、その時。
「待て」
「……? なんですか?」
「……解らない所は、俺が教えてやる」
「えっ?」
予想外の申し出に、思わず間抜けな声が出る。いくらエカテリーナでも知っている。誰かに親切にするなんて、魔界ではおかしな行為だと。それを、この司書は2度もエカテリーナにしようというのだ。
「いいんですか?」
それでもエカテリーナは、この男を疑わなかった。さすがに少しは疑うべきだろうが、エカテリーナはとびきり嬉しかったのだ。
私と同じで、魔界の常識に少し疑問があるのかもしれない。もしかしたら、仲良く出来るかもしれない。
間違いなく歳は離れてるけど、友達になれるかもしれない。初めての……。
「さっさと本を開け」
そのぶっきらぼうで気だるげな言い方に満面の笑みを返し、エカテリーナはカウンターで本を開いたのだった。
『魔界には、魔王と呼ばれる強力な魔族が多くいる。この魔王という肩書き、よほど有名な魔王でない限りは自称であるため、実力はピンキリである』
「ピンキリ?」
「上から下まで、という意味だ」
「じゃあ、強い魔王も、弱い魔王もいるんですか?」
「そうだ」
『魔族がかつて堕天使によって生み出されたモノであることは前述の通りだが、魔族は基本的に身体面でも、魔力面でも人間より強い』
前述、というのは「さっき書いた」という意味だった。しかしエカテリーナにはそれより気になることがあった。
「人間よりも、私達の方が強いんですか?」
確かに、パパに貰った童話の世界でも、ちょっと目を通した漫画の世界でも、正義の味方の人間は、主役である悪い魔族に負けていた。
司書は相変わらず無愛想に答える。機嫌が悪そうに見えるくせに質問に答えてくれるだけでも、かなりの変わり者だ。
「そうだな。人間は弱い。身体は脆いし、体内に貯められる魔力も少ない。魔族の子供……魔族学生相手でもやつらは手こずるだろうな。それくらい弱い」
「じゃあ、なんで魔族は戦いに行かないんですか? きっと簡単に勝てますよね?」
「む……」
少女に聞こえぬよう、男は「鋭いな」と言った。単に、面と向かって褒めるのが気恥ずかしかっただけに過ぎないが。
「だが、やつらには「科学力」がある」
「カガクリョク?」
聞いたことの無い単語に、エカテリーナは首を傾げる。カガクリョク。それは、そんなに強いのだろうか。
「アイテム、は解るか?」
「はい。魔力で動かす道具ですよね。この「時計」もそうです」
少女は首から下げた時計を掲げる。時間を知ることが出来るアイテムだ。自宅から持ってきているもので、魔力を動力として動いている。魔力が切れたら、充填しなおす必要もある。
「そうだ。だが、人間はより高度なアイテムを作ることが出来る。それが、科学力だ」
「高度?」
「優れた、すごい、という意味だ」
「すごいアイテム……」
魔界に普通にあるアイテムで一番すごいのはなんだろう? 多分この「時計」か「方位磁針」かな? あとはアイテムらしいアイテムって、私はまだ聞いたことない。
「そうだな……例えば、飛行機という、大勢の人間を乗せて空を飛ぶアイテムもある」
「大勢って、どれくらいですか?」
「大きいモノなら400や500は余裕だろうな」
「そんなに!?」
百、というのは数の単位のことだったよね。99の次。それが5個。そんなにたくさんの人間がいるのかあ。
小さな町に生まれて間もないエカテリーナには、その数値は想像もつかなかった。とりあえずたくさん、というのは理解していたが。
「しかもそれを、魔力とは別の力で動かせるんだが……その辺は覚えなくていい」
司書のその物言いに、エカテリーナは珍しくちょっとムッとした。
「私、知りたいです。ちゃんと理解出来ます」
片角の男は無愛想な表情を崩さない。常に無愛想だが、故に怒りを露にすることもしなかった。
「いや、そうじゃない」
彼はいつも通りの口調だ。エカテリーナを子供扱いもしないし、機嫌を損ねもしない。
「その別の力というのは、人間にしか扱えない。それより先に、お前に関わりの深いモノから覚えていくべきだ」
司書の言葉を素直に捉え、エカテリーナは考えた。関係の深いモノから覚えていくべき……。なら、ここから先は天界や人間界のページだけど、飛ばして魔力や魔法について勉強した方がいいのかな?
その旨を、司書に伝える。
「そういうことだ。天界や人間界の話は、身近じゃない分難しい。覚えるのが簡単な所から覚えていけ」
エカテリーナは元気の良い返事と共に頷き、続きを読み始める。もう、魔界に関するページは最後の1ページ。でも、この司書さんには他にも色んなことを教えてもらおう。お願いしてみても……いいよね?
「司書さん」
「なんだ」
「私、エカテリーナ・テレサです。司書さんのお名前は?」
「…………」
少し長めの沈黙。表情が変わることはなかったから、何を考えているのかエカテリーナには解らなかった。気だるげな男が、気だるげに口を開く。
「……ディロン・カーレント」
「ディロンさんですね! これから毎日来ますから、色々教えて下さい!」
「……勘弁してくれ」
後の女帝、当時5歳。初めての友達兼教師が出来た日であった。
ただし、魔族の変わり者同士であることは否定できない。