「難攻不落、橙の壁」
エカテリーナ・テレサ、6歳。魔界小学校の生徒であり、落ちこぼれのCクラスに配属されたサキュバスである。
しかしながら同年代の中では恐ろしく強く、賢く、既に1年生の中では有名人。同時に、世のため人のため、ルールやマナーは遵守する変人としても名が知られている。
そんな、人間に生まれていたら品行方正なエリート街道まっしぐらであったろうエカテリーナだが、優しい性格であること以外の弱点が全くないわけではない。
「う~~~っ」
彼女は今、猫のように唸っている。すぐ側には猫に近い種族、バステトのアクリアがいるが、キャラ被りを恐れずエカテリーナは喉を鳴らす。
エカテリーナは震える手を怨敵に伸ばし、しかしすぐに引っ込める。その目には、今にも溢れそうなほど涙が溜まっている。
「やっぱり、私には無理だよぉ……っ!」
その宣言をしてしまうことは、敗北を認めることに他ならない。Aクラスをも圧倒する実力を誇るエカテリーナが、負けず嫌いなエカテリーナが、手も足も出せぬまま自身の敗北を認める。
アクリアが、また負けてしまった友人を見る。友人は悔しさと罪悪感に肩を震わせ、小さく「ごめんなさい……」と呟く。それも、いつもの光景だ。
エカテリーナを下した敵は、何も言わない。ただただ負け犬の前に立ちはだかり続けるだけ。1度でいいから、自分に傷をつけてみろ。そう言わんばかりに。
「また、こんな……私はどうしたらいいの……?」
涙混じりの幼い心を吐き出しながら、エカテリーナは乗り越えるべき大きな壁を見つめた。
「ニンジン、どうしたら食べられるようになるの……?」
子供の最大の敵は、いつの世も好き嫌いだ。
皿の上に残されたニンジンが残飯入れに吸い込まれていく。そのニンジンからも、流しているエカテリーナ自身からも哀愁が漂う。
「ごめんなさい……」
「ウチも、ごめんなさいだニャッ」
エカテリーナの隣では、アクリアも苦手な食べ物を捨てている。ごめんなさいと言いつつ、アクリアの表情はごめんなさいと思っているようには見えない。
「はぁ、ニンジンの日だったなんて」
「仕方ないニャ。メニューは日替わり定食の1個しかないんだからニャ」
「Cクラスだからね……」
Aクラス寮はメニューが多い、というのはあくまで噂。彼女達が確かめたわけではない。
2人は再び空いているテーブルに戻る。周りでも幾人かの魔族が嫌いな食べ物を避けながら夕食を摂っていた。
「どうしてニンジン嫌いなんだニャ?」
自分の方が好き嫌いが多いことは棚に上げ、アクリアが問う。エカテリーナは好き嫌いがほぼなく、どうしてニンジンだけがダメなのか、アクリアは不思議で仕方ない。
「変に甘いから、かな」
「甘いのがいいんだニャ」
「やだやだぁ! 火通さないと固いし!」
「火を通せば柔らかいニャ」
「火を通したら食感が気持ち悪いもん! やだぁー!」
その姿は、駄々をこねる子供そのもの。克服する気持ちはあるようだが、どうしても相性が悪いらしい。
アクリアがそんなエカテリーナに対して嘆息する。実に珍しい構図だ。
「じゃあ、食べなきゃいいニャ。好き嫌いくらい、恥ずかしいことじゃないニャ」
「アクリアもだよっ!」
「ニャッ!?」
突然ビシッと指をさされ、アクリアは当惑する。
「せっかく作ってくれた料理を残すなんて、失礼なことなんだよ!」
魔界での基本的な生活は、実は人間界のそれとさして変わらない。
作物を育てたり、モンスターを狩ることで自足する者もあれば、力が弱い魔族にそれらを売ることで金を稼ぐ者もある。
「失礼って言うけどニャ、子供にできる魔族らしい振る舞いなんて、これくらいしかないニャ」
悪事は立派な行いとされる反面、他の魔族から反感を買いやすい。結局のところ、悪事を大っぴらに働けるのは魔王クラスの強い魔族であり、弱い魔族は集まり、甘んじて協力しながら生きている。
かつてはそれぞれの種族の特性を生かした生産を行って地産地消していたのが、やがて物々交換をするようになり、交換を円滑にする為の貨幣が出来た。
奇しくもその社会の成り立ちは、人間が辿ったような軌跡と同じだったが、それを知る者は少ない。
「やりたくないことはしないし、嫌いな食べ物は食べないニャ」
「それだよ! それじゃいつまでも成長出来ないんだよ!?」
エカテリーナの言うことはごもっとも。嫌いな科目でも一応真剣に学んできているアクリアにもそれは解っているのだが。
なおもエカテリーナは力説する。
「アクリアだって、自分が作った料理を残されたら悲しいでしょ?」
「んー……まあ、そうかもしれないニャ」
「でしょ!? それに、いつまでも苦手に負けるんだよ!? 悔しいじゃん!」
聞いているアクリアからすれば、「悔しい」が最たる本音で、悲しいだの成長だのは後付けな気がした。だとしたらどこまで負けず嫌いなのだろうか。
いずれにせよ、アクリアは自身の好き嫌いの克服はどうでもよかった。
「で、エリーは未だにニンジンに負けている、と」
「はぅっ!?」
奇っ怪な声を上げ、エカテリーナがテーブルに突っ伏した。ゴツン、と音がするほどには勢いよく。
「食わず嫌いじゃないんだよぅ……」
「戦って負けてるなら完全敗北だニャ」
「ひにゃ!?」
内心、アクリアは楽しくなってきている。エカテリーナは強くて賢い分、たまに子供っぽい面をからかうとギャップも相まって非常に愉快な存在になる。
魔法の授業中、凛々しい顔で魔法を放つエカテリーナを見ながら思い出し笑いが出る程度には、そのギャップは酷い。
「だってニンジン美味しくないもん」
「作った人に失礼だニャ」
「うっ……で、でも! 野菜なんかに負けられないの!」
野菜「なんか」という表現も失礼じゃないのかとバステトの少女は思ったが、もう十分エカテリーナはテンパっているようなので黙っておく。
「……アクリアは、どうしてニンジン食べられるの?」
「そりゃ、美味しいからに決まってるニャ」
「どこが!?」
必死の形相で身を乗り出してくるエカテリーナに、ちょっと引く。
「どこって……甘さかニャ?」
「えぇー? さっきも言ったけど変な甘みだよ」
「他の野菜にいい旨味を与えてるとこかニャ?」
「味が移るからやだぁ!」
「じゃあ、肉食種のバステトでも食べやすい野菜の1つだからかニャ」
「私雑食種だもん」
「どうしろっていうニャ!?」
ニンジン全否定。ここまで嫌いな食べ物をよくも克服しようと思えるものである。
「でも負けっぱなしはやだもん!」
「じゃあ我慢して食べるニャ!」
「あの匂いだけでダメ、食べるなんて無理!」
「あんなの慣れだニャ!」
アクリアは頭を抱える。聡明な彼女らしからぬ、理論の完全に破綻したワガママ。子供にワガママは付き物ではあるが、言われる側はたまったものではない。
めんどくさいなコイツ。早く食べられるようにならないだろうか。それが今のアクリアの素直な気持ちだ。
「はぁ……ウチも考えるから、早く食べられるようになるニャ」
「本当!?」
これを言っているのがエカテリーナでなければ無視するところだが、放置していると割を食うのはアクリア。猫は溜め息をつきながら、ニンジンを食べさせる方法を考えることにした。
さすがに疲れてしまったアクリアは、早々に自室に戻る。ベッドにダイブし、疲労感を癒す。
「どうしたらいいニャ……」
エカテリーナは言った。ニンジンはどんな調理をしても美味しくない。他の料理にこっそり混ぜられてもダメ。あれは魔族の食べ物ではない。
「食べなきゃいいのにニャ……」
思考は堂々巡り。それもこれもエカテリーナが悪いんだし、頭がいい彼女自身で対策を考えるべきだと少し苛立つ。
「まあ、ウチも嫌いだった食べ物あるしニャ」
アクリアは好き嫌いが少なくないが、それでも以前は食べられなくて今は食べられるようになった食べ物だってある。たとえば、キャベツ。
あれは、どう克服したのだったか。初めは、必要になって仕方なく食べたのだったと記憶しているが。
「んー……確か、あの時はキャベツしか手に入らなくて、1日キャベツしか食べられなかったんだったかニャ」
それ以外の野菜が売り切れだったかなんだったか。とにかく、今日はキャベツで我慢してくれと言われたのだ。
キャベツなんて味もないし、なんで存在するニャ、くらいに当時の彼女は思っていたが、それしかないと言うなら仕方がない。やむなくキャベツを食べ、3食同じものを食べたおかげか、嫌いではなくなった。
「3食ニンジン……無理だニャ」
ニンジンなど、どう用意するのか。小学校での食事は、その安さから朝夜は寮、昼は学校の食堂というのが基本。
町かと思うほどの広さの敷地には飯屋や服屋など、本当に町にあるような店もあるにはあるが、小学生では貨幣を稼ぐ手段が限られている。なくはないが、自分の分を賄うので精一杯だ。
ならどうするのか。キャベツを食べたあの日、最初に口にしたきっかけは何だったか。あれは確か……。
「そうだニャ!」
猫は、渾身の閃きとばかりに跳ね起きる。あまり稼ぎに力を入れていないアクリアではあるが、1食分くらいならニンジンを手に入れる術はある。
彼女は、大急ぎで寮を飛び出した。
2日後。エカテリーナはいつものように、放課後部屋で勉強していた。珍しくアクリアは来ておらず、ペンダントと向き合う。
ここ数日、エカテリーナはずっとペンダントから魔力を取り出す練習をしている。そして、少しずつコツを掴み始めていた。
宝石が、淡く光る。
「もうちょっと……っ!」
エカテリーナの手のひらに、彼女のモノではない魔力が集まる。それを水属性の魔力として、体外に出そうとした時だった。
「エリー!」
「ひゃぁっ!?」
ドアが勢いよく開け放たれ、驚いたエカテリーナの集中が途切れる。水属性の魔力はあえなく落下し、床を濡らした。
「もうちょっとだったのに!」
「ニャ?」
キョトンとするアクリアに、悪気はない。エカテリーナは鍵を掛けなかった自分も悪かったと諦め、雑巾で床を拭く。
「今日は遅かったけど、何か用があったの?」
視線を床に向けながら、エカテリーナが問う。
「ふっふっふ、エカテリーナにこれを持ってきたにゃ!」
「なに?」
顔を上げれば、得意気に掲げているのは蓋がされた皿のようだった。アクリアがその蓋を取り去ると、湯気と共に甘い匂いが部屋を包む。
「うぇっ、それ……」
覚えのあるその香りに、エカテリーナが顔をしかめる。アクリアが持ってきたのは、ニンジンのグラッセだった。
「ニンジン、克服するニャ!」
「急に!? そんないきなりは無理だよ、無理無理無理無理!」
「えっ……ウチとローヴィが一生懸命作ったのに、食べてくれないニャ……?」
酷く残念そうにアクリアは表情を暗くし、少しばかり大袈裟にがっかりする。
「エリーの苦手克服の為に頑張ったのに……ウチは悲しいニャ……めそめそ」
「うっ……」
エカテリーナにはそれが嘘泣きだと解っていたが、アクリア達が彼女の為にこれを用意してくれたのも事実。非常に断りにくい。
アクリアは追い討ちをかけるように語る。
「ウチは頼み込んだニャ。ローヴィに、ニンジン料理を作って欲しいって」
「う、うん」
「ローヴィは嫌がったニャ。なんでエリーの為に、今までしたこともない料理をって」
これは嘘。スローヴィアが料理をしたことがなかったのは本当だったが、「し、仕方ありませんわね! 貴女にもエカテリーナにも、借りがありますものね! これでチャラですわ!」とかなんとか言って、実際はすんなり承諾してくれている。
「ウチも魚を獲って来て、ちょっと無理を言って、食堂でニンジンと交換してもらったニャ」
「うぅ……」
「それでも……エリーは嫌だニャ?」
上目遣いで、チラリと覗き込む。その瞳は「そんなに悲しくないニャ」と語っていたが、気を遣うタイプのエカテリーナにとってはそれだけでも効果絶大で。
「た、食べる……食べるよぅ!」
「ホントニャ!?」
グラッセの皿をアクリアから奪い取り、その中の1つを勢いで口に放り込む。
引き立てられた甘さと温かさが口の中に溶け、広がっていく。ニンジンの風味が嫌というほどエカテリーナの味覚を支配する。
「美味しいニャ?」
「うっ……うん、美味しいよ、すごく美味しいなあ!」
美味しくないらしい。が、顔をしかめながらも、エカテリーナは用意されたグラッセを全て食べた。
作ってくれた人に気を遣い、苦手なモノを我慢して食べる。いかにもエカテリーナのやりそうなことで、それが友人の手によるともなれば間違いなく食べる。アクリアはそう踏んだのだ。
アクリアの作戦は成功し、エカテリーナはこの日以来、ニンジンをどうにか食べられるようになったという。




