「グランサーフの娘」
「わたくしは、やりますわ」
スローヴィア・グランサーフは、決意を口にしながら、自分の過去を思い出す。その心を蝕む負の感情を押し流すべく。自らを、奮い立たせるべく。
スローヴィアは、グランサーフ家の長女、第一子として生まれた。純粋で、雑じり気のない悪魔族の家。グランサーフは優秀な悪魔の血を絶やすことなく、当代まで繁栄の一途を辿ってきた。
当然のようにスローヴィアも生まれた時から優秀であり、少しの勉強、少しの鍛練で簡単に力をつけていった。貴族のごとき裕福な家に生まれ、才能にも恵まれ、容姿も端麗。生まれながらに全てを持っているのが、スローヴィアであった。
だから、幼いスローヴィアは気まぐれにしか鍛練をしなかったし、わがままも平然と言った。それが魔族としての誇りを守ることであり、彼女にとっての当たり前。それこそが、グランサーフに第一子として生まれた悪魔としての、高貴な振る舞い。
誰もスローヴィアの行いに疑いを挟まない。誰もスローヴィアを謗らない。どこからどう見ても完璧な魔族……彼女の評価は、ずっと高いままだった。
(わたくしは、誇り高きグランサーフの娘ですもの)
両親や周りの大人の反応を見ていれば、幼いスローヴィアでも理解できた。自分は、優秀な血族の大事な子供であること。自分の行いが、いずれは家そのものの行いとして見られること。そして、自分が天才であること。
それらは、彼女を高飛車な性格へと育てた。優秀でなくてはならない。常に魔族らしい振る舞いをしなくてはならない。いや、彼女がそうしたくてしていたのだ。
全てを持っているから。全てを支配し、上に立ち、他人を見下すことが快感だったから。庶民も、執事も、下々の者はたとえ大人であろうとスローヴィアには頭を垂れる。それらを上から踏みつける以上に楽しいことを、彼女は知らなかった。
しかし、そんなスローヴィアにも、心の底から尊敬している人物がいた。
(お父様……お母様……)
自分を生んでくれた、父と母。誰からも尊敬され、畏怖されていた両親。父はスローヴィアにグランサーフの誇りを教え、母は成長していくスローヴィアに「必要悪の愛」を説いた。
『スローヴィア、魔族と言えど、自分だけは愛さなければなりませんわ』
『どーしてですの?』
『自分を愛し、自分を愛してくれる者を愛する……いざという時、それは利用出来ますわ』
『???』
『いずれ解りますわ。愛は使える…………良いものだということが』
……離れて過ごすようになった今なら、少し解る気がしますわ。お母様の仰っていた、愛というものが。……お父様とお母様が、ご自身だけでなく、わたくしをも愛してくださっていたことも。
愛なんて魔族らしいのか、と訊かれても解りませんけれど……わたくしは尊敬するお母様の言うことに従うだけですわ。
そして、スローヴィアが小学校へ行くその日、彼女の父親は1振りのレイピアを差し出しながら言った。
『スローヴィア。お前はグランサーフの娘……この紋章の意味が解るな?』
『はい。グランサーフの家紋……わたくしの誇りですわ』
『……受け取れ。お前への贈り物だ。父と母からのな』
『グランサーフの誇り……確かに受け取りましたわ』
『それでよい……成長を、楽しみにしている』
『はい。行って参ります』
その誇りが今、汚されている。精霊などという下等な存在に、グランサーフの誇りを渡すわけにはいかない。
その剣の銀の輝きは、血に汚れ、精霊が宿って以来まともな手入れもされていない。
グランサーフの娘は奥歯を強く噛みしめた。
「わたくしは、戦いますわ。グランサーフの誇りを、取り戻す」
「そうKA……なら、外に行くYO」
ヤードは観察・記録の為の道具一式を手に取り、レイピアの入ったケースを抱えて外へ出る。金色の髪が、後に続く。
「ここならいいYO」
「…………」
ヤードがレイピアの入ったケースの鍵を外し、開ける。そして、それで自分の仕事は終わりだと言わんばかりに距離を取り、ペンを手に観察の体勢に入る。
「すぅ…………はぁ……」
スローヴィアは目を閉じ、1つ深呼吸。そして。
柄を握った。
「ここは……?」
気づけば、スローヴィアは真っ暗な世界にいた。自分の姿は認識出来るものの、辺りは完全な闇に包まれ、平衡感覚が失われそうだった。
「…………」
シンとしている。耳が痛くなるような沈黙。この場を支配しているのは、無だった。
スローヴィアは歩き出す。そろりと1歩を踏み出して地に足がつくことを確認し、何もない空間を進んでいく。
「……姿を現しなさい!」
歩みを止めず、声を上げる。どこかに壁でもあるのか、反響した声が彼女の耳元へ返ってくる。
だが、スローヴィアの声に答える者も、姿を現す者もない。
(わたくしは……死んだんですの……?)
それを考えた瞬間、急速に意識が持っていかれるような感覚に襲われ、スローヴィアは思わず膝をつく。しかし、その一瞬が彼女に自身が死んでいない確証を与えた。
「今の感じ……わたくしはまだ生きていますわ……」
死を感じるのは、生者だけ。だからスローヴィアは意識を強く持てる。精霊を従える第一段階、精霊に抗うことに成功したのだから。
「出てきなさい! この、スローヴィア・グランサーフの前に!」
今度は反響した声に混じり、別の誰かの笑い声が彼女の下へ返ってきた。
「ククク……フハハハハ!」
低く、地の底から響いてくるような男の声。地獄の大王の声だと言われても、スローヴィアは信じただろう。
ろうそくに灯されるように、点々と火が灯っていく。辺りが急速に明るくなり、スローヴィアの目の前に、精霊は姿を現した。
「小娘……我が輩に牙を向こうと言うのか……ククク、よい、よいぞぉ!」
その姿は、巨大な4足の亀。指1本ですらスローヴィアより大きい、途方もないビッグサイズ。背の甲羅にはやはり巨大なトゲが4つついており、その尾はコブラのように平べったく広い。
それを目の前にした少女は驚きに目を開くも、恐れることはなかった。精霊と少女は既に対峙しており、即ち対等。恐れる理由などない。
「わたくしは名乗りましたわ! 貴方の名を!」
「ガイニス・アセンド」
ガイニスと名乗った大亀は、あまりにも矮小な悪魔の少女に顔を近づける。その牙の1本1本も、やはりスローヴィアより大きい。
「1度は我が輩に呑まれた小娘……貴様の目的など解っておるわ」
「話がはやいですわね。ガイニス、わたくしに従い、ひれ伏しなさい」
「調子に乗るなよ小娘!!」
低音が空気を震わせるが、髪をなびかせながら、スローヴィアは直立の体勢を崩さない。
「貴様が今ここにいられるのは、我が輩が貴様をすぐに殺さず、寛大な心で話しておるからだ! 態度に気をつけろ小さき魔族!」
ガイニスの威圧的な態度にも、スローヴィアは怯まない。それどころか、不遜に腕組みすらしてみせた。
「貴方は、精霊ですのね?」
「……あくまで対等だという態度を貫くか」
「質問に答えてくださる?」
「フハハハハ! ……よかろう。答えてやる」
豪快に口を開けてガイニスが笑う度、風が吹く。スローヴィアは小さな身体が飛ばされぬよう足先に魔力を込め、耐えている。
「いかにも。我が輩は戦争と殺意の精霊だ」
「戦争と殺意?」
「ククク、我が輩は長い魔界の歴史の中、度々繰り返されてきた戦争から生まれた。争う者達の殺意、死に対する恐怖、それらが集まって我が輩という存在になったのだ」
様々な武具に宿り、思う存分暴れてやったわ、と得意気に語る。
つまり、精霊は肉体を持たない魂だけの存在。強力な魔力も有している彼は、レイピアに宿された経緯を先ほどとは打ってかわって嫌そうに語る。
「しかし、肉体を持たないはずの我が輩は、赤いローブの者に捕らえられた」
「そんなに強かったんですの?」
「……それは違う」
表情の読み取りにくい亀なりに、苦い表情を作る。よほど屈辱的だったのか、声色も明らかに不機嫌なそれに変わっていった。
「とある争いの際、我が輩の宿った武具の持ち主が、敵と相討ちになり、死んだ」
「…………」
「我が輩が宿った武具は取り残され、我が輩は誰かに拾われるのを待った」
「気が長いんですのね」
「亀だからな。……とにかく、それを拾ったのがあの赤ローブだったのだ」
「では、やはり支配しようとしたんじゃありませんの?」
「無論だ。だがヤツは、貴様のように我が輩に抗い、ここへ来た。そして我が輩にこう言った」
スローヴィアが予想するに、おそらくガイニスも騙されたに違いない。大真面目な表情で、次の言葉を聞く。
「私と一緒に来たら、300年分の焼肉を食わせてやる、と」
「…………もう1度言ってくださる?」
「だから、300年分の焼肉だ。それを食わせてやると言われて、我が輩はウキウキしながらヤツの指定したビンに宿ったのだ!」
ふんすっ、と鼻息荒く、ガイニスは宣言する。スローヴィアは、精霊でも焼肉を食べることが出来るのかと思ったが、それよりも、
「……バカじゃありませんの?」
「なっ、なんだと!?」
ほとほと呆れた。どこの世界に300年分の焼肉などという子供すら騙せないような質の低い嘘に騙されてホイホイついていくバカがいるというのか。目の前にいる。
「や、焼肉だぞ!? 騙されても仕方がないではないか!」
「はいはい。そうですわね」
「なんだ小娘!? そのバカを見るような目は!」
間違いなくスローヴィアはバカを見ていたのだが、内心ではこんなバカな精霊に操られていたのかと非常に情けなく思った。
「それで、ビンに宿った後、わたくしのレイピアに移されたんですのね?」
「む……まあ、そういうことだ」
話の流れは少女にも解った。だから、スローヴィアはそれを踏まえて交渉に入る。
「それで? どうしたらわたくしに従ってくれますの?」
「間違うな小娘。貴様が、我が輩に従うのだ」
「精霊ごときが、このスローヴィア・グランサーフを下に置くと? 冗談はよしてくださいな」
「貴様あぁぁ!!」
ガイニスが憤慨する。猛く吼え、地を踏み鳴らし、世界を揺らしながら。
「貴様ごときが、我が輩を宿した武具を使いこなせるとでも言うのか!」
「当然ですわ」
「笑わせてくれるなよ小娘……以前貴様の精神から感じたのはただ1色の恐怖! 我が輩に操られるまま戦い、血を流しながら、その内では泣き叫んでおったではないか!」
前回スローヴィアは全てをガイニスに乗っ取られ、一切の抵抗が出来なかった。
固く拳を握り、燃える瞳の悪魔が戦争と殺意の精霊を睨みつける。ありったけの殺意と、誇りを込めて。
「……あの時わたくしが敗北した娘……エカテリーナ。わたくしは、彼女を超えなくてはなりませんわ」
誇りと、プライドと、両親の期待を裏切らぬ為に。全てを肯定する為に必要なのは、圧倒的な力。
「それに、あの赤いローブの魔族にも。この、わたくしの手で報復してやりますわ。……その為に、わたくしは貴方を従える」
「……配下に寝首をかかれる覚悟はあるのか」
「主に相応しくないと貴方が判断したなら、わたくしの全てを差し上げますわ」
グランサーフの血を懸けて、ガイニスと相対する。その身に宿す、全てを懸けて。血のように赤いスローヴィアの決意が、殺意とともにガイニスを真っ向から捉える。
しばしの沈黙の後、ガイニスが相変わらずの豪快な笑い声を上げた。
「フフフ、フハハハハハハハ!! その目、気に入ったぞ!」
「従いますの? 従いませんの?」
変わらず不遜な腕組みをするスローヴィアの、堂々たる立ち姿。もはや、入学当時の名ばかりのエリートは存在しない。
「従ってやろう、小娘よ」
「その呼び方は」
「不満か? 小娘」
乏しい表情でニヤニヤしながら、ガイニスは「小娘」を強調する。ある種の親しみが込められた問いかけに、スローヴィアはフッと表情を緩めた。
「……いずれ、改めさせますわ」




