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「幼女と司書」

 




 エカテリーナは5歳になり、背中の翼が成長してきた。ようやく、空を飛ぶことが出来るくらいに。


 サキュバスで5歳というと、空を飛べるようになるだけではなく、知性にも大きな成長が見られる時期。エカテリーナは今、勉強すればするだけ知識を自分のモノとしてどんどん吸収できる。


 その時期、近所の子供は皆、外で仲良く(魔界流の仲良しだが)遊んでいたが、エカテリーナには友達がいなかった。


 当たり前だ。隣町にまで名を轟かせるポンコツ魔族。特別な能力もない不良の卵。そんな子供と我が子を遊ばせる親などいないし、エカテリーナは子供でも知っているような常識にすら疑問を差し挟む。子供だってそんな変なやつと遊ぶわけはなかった。


 だから、エカテリーナの日課は独りで図書館へ行くことだった。けれども彼女は、図書館で本を読む練習をするのが好きだったから、特に日々に苦痛を感じることもない。友達も、その内出来るだろうと考えていた。


「いってきまーす」


 相変わらず礼儀正しい娘に、そして「いい子にする」と言っておきながら図書館通いなどする娘に、両親は頭を抱えるしかない。そんなことは露知らず、世間知らずな少女は背中の翼でよろよろと飛び立つ。


「難しいし疲れる……」


 慣れない飛行に、エカテリーナは飛んでは着地、飛んでは着地を繰り返した。魔法を駆使して楽に飛行するすべもいくつかあるが、まだ彼女は魔法を使うことが出来ないし、理屈もさっぱり解らない。


 だから、翼の筋力での飛行。それは図らずも、サキュバスが苦手とする体力面を鍛えることになっていたのだが、まだ彼女はそれに気付いてはいない。


「おはようございます」

「あ、ああ……おはよう……」


 エカテリーナはとても礼儀正しい娘であった。通りがかる大人には挨拶をする。その度相手は戸惑い、引いていたし、挨拶など魔界の常識ではないことも彼女は薄々理解していた。だが、


 それでも挨拶はした方が、気持ちいいよね?


 彼女は、順調に不良への道を歩んでいた。ド天然に。






 そうして気味悪がられながら図書館へと辿り着く。徐々にかかる時間も短くなっており、飛行に慣れてきたことが窺えた。今、前回決めた目標タイムをクリアしたので、次の目標タイムを立てる。こんなに熱心な姿、親が見たら泣くだろう。


(今日こそは、あの本をあそこまで読むんだ)


 エカテリーナには、本に関しても目標があった。今読んでいる本で、読み切りたい部分があったのだ。


 彼女は、雑多な本を適当に本棚に放り込んだだけの図書館を、迷いなく歩いていく。


 他に利用客はいない。そもそも図書館へ来て勉強など不良のすることで、本来はせいぜい漫画を盗みに来る優等生がたまにいるくらいだ。


 ジャンル分けもされていなければ、本棚自体がスカスカな所もあり、素人目どころか司書にすらどこに何があるか解っていない。


 しかしエカテリーナは知っていた。通うようになってから、誰も弄っていなければ(客など滅多にいないが)どの本がどこにあるのかは覚えるようにしていたし、自分が触れた棚は少しでも整理しようと努めていた。


(あったあった)


 1冊の本を取り出す。それは、魔界、天界、人間界の歴史や成り立ちについて記された本。知性の成長が早いサキュバスとはいえ、5歳が読むには難しい内容だが、知らない単語が出る度に辞書を引く彼女にとって、それは言葉と歴史を同時に知ることの出来る夢のような本だった。


(よーし)


 図書館では静かに。ルールをきっちり守って、彼女は音読をしない。気だるげな男性司書が、エカテリーナをやはり気だるそうに眺めていた。




『魔界は、種族の多い土地である。力がモノを言い、弱い者は強い者に従うことが鉄則。逆らえば、殺されても文句は言えない』


 鉄則? 逆らう?


 エカテリーナは即座に辞書を引く。たとえ文脈から意味の予想がついても、律儀に調べた。


 鉄則、は守るべきルール、逆らう、は言うことを聞かないこと。


『元々魔界とは、怨みを残した人間や、堕天した天使が流れ着いた不毛の土地である』


 えーっと、魔界は草木が生えてない土地で、悪いことをして天界を追い出された天使とか、嫌な思いをした人間が「いつか仕返ししてやる!」って思って集まってきたってこと、かな。


『堕天使の魔力によって眷属けんぞくとして生み出された生物。それが魔族の始まりであり、現在の魔界にはほとんど魔族しかいない』


 眷属……あ、あった。手下……? さっきの逆らっちゃいけない、弱い者のことかな?


『堕天使がいたずらに増やした魔族は、種族関係なしに互いに交配することでその数を増やしていった。結果、魔族の種類は爆発的に増え、今では何種類いるのかも定かではない』


 パパとママも、違う種族だもんね。これは、たくさん混ざってるってことだよね……。


 つまり、私も本当はサキュバスじゃないのかな? ううん、ママも本当はサキュバスじゃないし、パパも本当はインキュバスじゃないんだ。


 一旦休憩。そもそもエカテリーナは魔界の文字が読めるようになったばかりであり、辞書を引いてもそこに書いてある字がなんと読む字なのか忘れてしまうこともあった。


 彼女にとってこれは、辞書を片手に他国の言語を翻訳しながら読んでいるのも同然。時間もかかるし、疲れないわけがなかった。


(でもまだ、魔界のことも全部解ってない)


 読み切りたいと思っていたのは、魔界の成り立ちの部分。数日かけて読んできたものの、まだ20ページは残っていた。


(今日中に読み切りたいけど……)


 タイムアップ。休憩のつもりだったけど、そろそろ帰らないと帰りが遅くなってしまうかもしれない。パパとママも、心配するかもしれない。また明日来よう。


 そう考え、エカテリーナは読んでいた本や使っていた辞書を元あった場所に丁寧に戻す。


 そして、帰り際にカウンターを訪れ、司書に対して丁寧に頭を下げて帰る。それが彼女の日課であり、礼儀だ。くどいようだが、魔界的にはとんでもない不良行為である。


 司書はいつもエカテリーナのお辞儀を無視する。毎日毎日訪れる彼女を気だるげに見つめるだけだ。が、今日は違った。


「おい」

「……はい?」


 カウンターに座り、ふてぶてしく頬杖をついたままではあるが、低く、響くような声で、去ろうとするエカテリーナを呼び止めた。サキュバスの少女は、きちんと身体ごと向き直る。


 男性司書は、見るものに気だるげな印象を与える。人型を模した種族……エカテリーナはまだ知らない種族だったが、角や翼など、見た目は割とインキュバスに近い。


 そんな人型の司書は、ヨレヨレの黒い服を着ている。真っ黒なわけではなく、暗めの赤いラインが何本も流れていた。


 エカテリーナは本にあった絵で見たことがある。


 人間の、一番元気があって、体力的に強い時期の姿がこれくらいだったよね。絵の下に20、って書いてあったのは年齢、だったかな?


 でも、人間は魔族より早く歳をとって早く死んじゃうし、魔族はこれくらいの姿のまま何百年も生きるから、司書さんが何歳かは解んない。


 立派な山羊の角は片方がほとんど折れていて、昔、何か大きな戦いでもしたのかと少女に想像させた。


「あの本、なんで律儀に返すんだ」

「司書さん、泥棒は悪いことなんですよ」


 さらっと、即答。これにはさすがに司書も驚きに目を見開いた。が、図書館通いの奇特な娘だと思ったのか、常識で諭すことはしなかった。


「……なら、借りていけばいい」

「それも……えと……遠慮します」

「何故だ?」


 エカテリーナは密かに、「遠慮」という覚えたての言葉を使えたことを喜んでいた。


「私が持ってっちゃったら、他の人が読めないじゃないですか」

「…………」


 片角の男は押し黙る。子供の言うこととはいえ、ここまで奇妙なやつは初めてだと言わんばかりに。


「あ、ごめんなさい。私、帰らないと。門限破ったら大変」


 エカテリーナは再び司書にペコリとお辞儀をし、駆け足で図書館を後にした。


 誰もいなくなった図書館。その窓から、フラフラと飛び去っていくサキュバスの少女を見送り、男は呟く。


「……お前は人間界に生まれるべきだったな」


 毎日毎日訪れる、奇特なサキュバスの少女。だが、それを毎日毎日眺めている男も大概奇特だった。なにせ彼は、毎日司書の仕事をしているということなのだから。




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