「黒い情念」
「エカテリーナ・テレサ……エカテリーナ……!」
スローヴィアは呻くようにエカテリーナの名を呟く。時折覗かせる瞳には、ただただエカテリーナしか映っていない。
「スローヴィア、そのレイピア、どうしたの」
「貴女だけは、許しませんわっ!」
地を踏み込むスローヴィアの右脚は悲鳴を上げ、鮮血が散る。しかし、その全てを無視して金の髪の悪魔は突撃を敢行する。
対し、エカテリーナはデスサイスを固定していた魔力を散らす。辺りが瞬間的に暗くなり、互いに姿が見えなくなる。
「そこですわっ!」
しかし、突き出されたレイピアは正確にエカテリーナを狙う。闇から突如現れる剣を、サキュバスの少女はバックステップでかわす。
闇が晴れ、エカテリーナの視界に映ったスローヴィアの右脚は自身の血で真っ赤に染まっていた。無理に動かしているせいで傷口が開いている。
彼女の表情に痛みや苦しみはない。あり得なかった。普通なら痛みで失神していてもおかしくはない。
(やっぱりそうだ……私の思った通り)
エカテリーナは単調ながらも休みなく繰り出される突きをかわし、魔力で受け流しながら思う。
スローヴィアは、あのレイピアに操られている。
彼女は、右脚を斬られたことよりもレイピアを気にかけた。レイピアによる刺突は全て単調だが、殺意と魔力が込められている。エカテリーナが察するに、あのレイピアはエカテリーナのペンダントと同じ、蓄積魔力を有するアイテム。それが、スローヴィアに飛行させるだけの魔力を与え……代わりに、彼女の意思を乗っ取っている。
なんとかレイピアを手放させないと、スローヴィアの身体が保たない。血を失い過ぎれば、死ぬ。
「っ、ダメっ!」
そのビジョンに悲鳴のような叫びを上げ、エカテリーナは飛び上がる。追いすがるスローヴィアの右脚から、血が糸のように流れ落ちている。
(どうしたら、どうしたらいいの!?)
迫るタイムリミット。油断すれば自分が死ぬ状況。全てを上手くまとめられる立ち回りはないのか。死線の中、必死に探る。
「ぐぅっ!?」
「アハハハハ! 頑張らないと死んでしまいますわよ! けれど……無様に果てて見せなさいな!」
ついに、エカテリーナの左肩を刃が掠める。神経に突き刺さる痛み。たとえ貫かれずとも、そのダメージを受けたことは戦局に大きな影響を与える。
その痛みが思考にノイズを与え、集中力を削ぐ。集中が途切れればまた被弾する。
エカテリーナに刻まれる傷が、加速度的に増えていく。小さな切り傷が、無視できない大きな傷へと繋がるのも、時間の問題だった。
(このままじゃ、やられちゃう……!)
そんなことは言うまでもない。このままでは死ぬ。だから、何もしないわけにはいかない。どうすればどうすればという思考の果てに……ディロンがエカテリーナに稽古をつけながら言っていたセリフが思い出される。
『守りに徹していては負けるような戦況なら、勝ちに行くしかない。一か八か……大振りでも何でもいい。足掻くことが偶然活路を切り開くこともある。……当然、そんな戦況にならないのが1番だがな』
守りに徹したら負ける。それはまさしく今。足掻く余力がある内に、賭けに出なければならない。エカテリーナは思考を切り替える。スローヴィアに負けない、自分が死なないことではない。自分が、勝つこと。
恍惚の表情でエカテリーナを殺しに来るスローヴィア。その顔は、彼女の本心が見せるモノなのか。
(スローヴィアの手からレイピアを奪い取る……その為には、これしかない……!)
手段は思い付いた。だが、言うは易くとも、実行するのは簡単なことではない。覚悟を決められぬまま、スローヴィアの放つ刺突を捌いていく。決心の鈍るエカテリーナを構わず殺さんとする少女が見せるのは、嗜虐の愉悦に浸る笑み。
相手に敬意を払わない、悪趣味な殺意。それは、誇り高く、気品を持ち合わせていた純血の悪魔たるスローヴィア・グランサーフを貶める、浅ましい笑み。
「っ!」
「抵抗が鈍いとつまらないですわねぇ……終わりにして差し上げますわ」
エカテリーナは、奥歯を噛みしめる。スローヴィアの心を何者かが弄んでいることに対する怒り、それと、今から断行する賭けに抱く恐怖に打ち勝つ為に。
レイピアが、首を狙って突き出される。全身に走る痛みを堪えながら無理やり力を振り絞って身をスライドさせ、狙いを外させる。
「うぐぅっ、あぁぁぁっ!」
「なっ!? 貴女!?」
レイピアが、エカテリーナの脇腹を掠め、肉を抉る。痛みに顔を歪めながらもすかさずレイピアの刃を左手でホールド、右手には魔力を集める。
痛かった。痺れるような、神経を焼き切られていくような壮絶な痛み。少しでも気を抜いたら意識を持っていかれそうなほどだ。…………しかし、これで。
「逃げられないで、しょっ!」
「!!」
魔力を込めた拳を、思い切り叩き込む。赤い瞳の少女が意識を失いながら吹っ飛ぶ。ずっと握りしめていたレイピアを、エカテリーナの左手に残して。
彼女はいくらか地面を転がってから、動かなくなる。手加減をする余裕などなかったエカテリーナにはその生死を確かめる余裕もなく、死んでいないことを祈るしかない。
「ぐぅぅ……っ! はぁ、はぁ……」
エカテリーナは意識を持っていかれないように気を張り、ゆっくりと着地する。刃を掴んだ左手からも、抉られた脇腹からも血が流れている。他にも、全身に切り傷が出来ていて、ヒリヒリと痛みを訴える。
「あぁぁっ! 痛ぃっ……くぅぅあああぁぁ!!」
叫ぶ。痛みはあるが、あらかじめ魔力で防御していたおかげで、脇腹も致命傷にはならなかった。流血もそこまで酷くはない。……あくまで、斬られたにしては、だが。
「で、でもこれで……」
終わる。あとはこの剣を壊すだけ。エカテリーナはとりあえずレイピアを地面に突き立てようと、その柄を握った。
それが、失敗であった。
(あ……れっ?)
大きく、心臓が跳ねる。血管の中をどす黒い何かが通り、身体中を駆け巡るような感覚。……自分ではない誰かが、自分の中に入り込んでくる。
「しまっ……!」
自分はレイピアを手放そうと考えているのに、別の人格がそれを頑なに拒否。震える右手から、エカテリーナという存在自体が侵食されていく。
「嫌……来ないで……私の中に入って来ないでぇ!」
何かの意識が、心の内からエカテリーナに語りかける。耳を塞ぎたくても、目を背けたくても、内から沸き上がる黒い情念には抗えない。嫌でもその声を聞かされる。
(アクリアを傷つけたスローヴィア……許せない……弱いくせに……! 殺してやるんだ、痛がりながら、苦しみながら……生まれてきたことを後悔しながら死んじゃえ……!)
嫌、私は……! 違う、私はスローヴィアを憎んでなんかない! ただ、もう彼女を傷つけないでくれればそれでいいの!
(じゃあ、殺しちゃえばいい。そうすれば、絶対にアクリアは傷つけられなくて済む。大事な友達を、守りたいから殺すんだ)
違う! そんなの間違ってる! 剣を向けたくなんてないのに……身体が勝手に……やだ……やめて……っ!
エカテリーナの意思に反して彼女は立ち上がり、スローヴィアへ歩み寄る。全身を刺す痛み。それを感じるのはエカテリーナの心だが、身体はそれを一切無視して、気を失って動くことのない金髪の少女に近づいていく。血濡れのレイピアを手に。
エカテリーナが、笑みを作る。目だけが笑っていない歪な笑みには、殺しを行うことへの悦びの色。血まみれのエカテリーナが、細剣を振り上げる。
「死んじゃえ」




