「狂い出す運命」
人型魔族の少女、スローヴィア・グランサーフは、ベッドの上で目を覚ました。よく手入れされた美しい金髪が、さらさらと流れる。
「ここは……?」
白い天井に、白いシーツのベッド。消毒液の臭い。そこは、魔界小学校の保健室だった。初めて来るが、その雰囲気から治療を行う場であることを察したスローヴィアは、もしや自分はケガでもしたのかと慌てて身体を見回す。着ているのは自分の服だし、特にケガはなく、痛む箇所もなかった。
ホッと胸を撫で下ろすが、今度は何故自分は保健室なんかにいるのだろうという疑問に行き着く。部屋には今、自分以外誰もいないから訊きようがない。
覚えている限り最後の記憶を掘り起こす。確か、生意気なCクラスと決闘をしていて、それから……。
「!!」
スローヴィアは思い出した。自分が決闘に負けたことを。それも、無様な負け方をしたことを。
最初逃げているだけだったサキュバスの少女は、スローヴィアのレイピアに触れることはなかった。得意属性の火の魔力を放ったが、水でかき消された。それから、彼女は魔力で巨大な鎌を作り……、
「っ!」
その焼き付いた記憶に思わず息を呑んだ。鎌が、自分の首を狙って思い切り振られた。その瞬間の彼女の視線は鋭く、慈悲や躊躇いの光のない冷酷なモノだった。
咄嗟に首を押さえた。……きちんと繋がっている。血管が脈打つ感触も指先に感じられる。とりあえず生きていることに安心するものの、エカテリーナというサキュバスに対して恐怖を抱いていた。
(なんですの……!? あんな、Cクラスの落ちこぼれにあんなっ!)
わたくしは、純粋な悪魔の娘。誇り高いグランサーフ一族の血統。……誇り高い血統という言葉の意味は解りませんけれど、とにかくスゴい家に生まれたんですわ!
天才と呼ばれ、何故天才のわたくしがと思いながらもレイピアや魔法の練習もたまにはしましたわ。わたくしってば本当に天才、すぐに火属性の魔力が使えるようになりましたわ。
レイピアだってそうですわ。あの意外に重たい剣を真っ直ぐ突けるだけでもスゴいことですの。それをわたくしは既に普通に何回も出来る。
だからこそわたくしは天才らしく、Aクラスに入れたのですわ。
(なのに……)
なのに、スローヴィアは負けた。種族で優り、自分だけ武器を持ち、それでも負けた。
スローヴィアは許せなかった。あのサキュバスの存在が。大勢の前で恥をかかされたことが。自分は強く、高みにいるべき存在だと教えられ、そう思い込んでいたから。
だが、とにかく今は寝ることにする。ケガはないが精神的なショックは大きい。どうしたらあの娘をこらしめることが出来るのか、それを考えるのは明日からでいい。寮に戻ることもせず、スローヴィアはその場で再び眠りについた。
だが、エカテリーナとスローヴィアの決闘があったその翌日になっても、スローヴィアの不運は続いた。……既に、彼女の運命は狂い始めていた。
その日、Aクラスでは1時間目が語学だったため、スローヴィアはサボった。彼女とてエリートの端くれ。入学前から多少の読み書きは出来る。
そして2時間目。魔法の授業に出席したのだが、明らかに昨日とは空気が違った。魔法の授業の出席率が高いのは理解出来る。しかし、彼女が教室に入った途端、Aクラスの生徒達は一斉に彼女に注目したのだ。
(こそこそと話して……なんですの?)
スローヴィアにも大方の予想はついている。昨日Cクラスに負けたのだから、そのことだろう。刺さるような視線を無視して手近な席につき、魔法の授業を一通り受ける。
その間も、どこか周りから邪魔者扱いされているような疎外感が……そんな「空気」があった。
「おい」
「なんですの?」
授業が終わると、1人の男子生徒がスローヴィアに話しかけてきた。スローヴィアから見れば粗野なリザードマン。腕っぷしに自信のあるガキ大将タイプ。
「お前、なんでここにいんだよ。Cクラスにいけよ」
「なっ!?」
衝撃的な発言だった。確かに自分はCクラスに敗北したが、それで自分の実力が下がるわけではないし、こんな薄汚いトカゲもどきにそんなことを言われる筋合いではない。彼女には、確かにAクラス相当の実力が備わっている。
だが、そんなことは大衆には関係ない。あれだけの衆目の中での、まさかの展開だったのだ。スローヴィアの評価はもう地の底。落ちこぼれに負けた、Aクラスの恥。昨日今日で知り合った程度の仲な上に、彼らは魔族。スローヴィアの肩を持つ者など、誰もいなかった。
「そーだ! お前なんか落ちこぼれだろ!」
「雑魚はAクラスには要らねえよ!」
「帰れ!」
かーえーれ、かーえーれ!
教室に、合唱が響く。疎外。侮蔑。孤独。否定。……エリートだろうが、気高い血統だろうが、幼い心が受け止めるには、それは辛すぎた。
少女は独り、駆け出した。本当は次の授業も受けようと思っていたことも忘れて。目的地などない。ただ、嘲るような笑い声から遠ざかるように。夢中で駆けた。
(なんでわたくしがこんな目に……!)
優秀な血族に生まれ、Aクラスにも配属され、これからどんどんエリート街道を進むはずだったスローヴィア。その小学校デビューは、最悪の形で頓挫した。
(エカテリーナ・テレサ……!)
スローヴィアの輝ける評価は、一瞬にして崩れ去った。たった1度、同い年の少女に負けたというだけで。
「絶対に許しませんわ!」
運命を狂わせた少女への怒り。燃え上がるような赤い瞳の少女が吼えた。気高い血統たるスローヴィア・グランサーフは、痛む胸を押さえながらも、絶対に涙を流さなかった。
「わぷっ」
「おっと」
角を曲がった拍子に、誰かとぶつかる。反作用の勢いのままに尻もちをついたスローヴィアは、ぶつかってきた相手を八つ当たりのように睨んだ。
ローブ。フード付きのマント。その姿を形容するならそれしかない。その相手は、スローヴィアの瞳のように真っ赤なローブで全身を覆っており、顔も全く見えない。背丈から言って大人ではあろうが。
「邪魔ですわ!」
「威勢のいい娘だ。……何か、機嫌を悪くするようなことでもあったのかな?」
男とも女ともつかない、不思議な声だった。エコーがかかっているかのように、二重に聞こえる。
「貴方には関係ありませんわ!」
「図星のよう……おや、君には見覚えがあるね」
「っ!」
少女はビクンと肩を震わせる。スローヴィアに見覚えがあるなど、理由は1つしか考えられなかった。さっきのクラスメイト達の態度が嫌でも頭をよぎる。が、続けられたセリフは意外なものだった。
「あのサキュバスに勝ちたいか?」
「え……?」
勝ちたいか? そんなの、勝ちたいに決まってますわ。私の方が上であると、知らしめてやるんですもの。わたくしが受けた以上の恥を、絶対にかかせてやるんですわ。エカテリーナだけは……許さない。
「そうか、勝ちたいか。では……ついてくるといい。君を強くしてやろう」
「そんなこと……出来ますの?」
にわかには信じがたいですわ。知らない大人に簡単についていってはいけない、騙されて利用されるだけだと、お父様も常々言っておられた。…………けれど……。
「本当に、わたくしを強くしてくれますの?」
今のスローヴィアは、その響きに抗えなかった。震える声で、ローブの魔族に問う。赤いローブはゆらゆらと揺れながら、耳に残る声でその問いに答える。
「もちろん。私は大人だからね……」
広い広い校舎の隅。誰も通らないような薄暗い廊下を、赤いローブの魔族と、燃える瞳の金髪の少女が歩んでいく。闇の中へと、消えていく。
翌日、スローヴィア・グランサーフは、全ての授業に姿を現さなかった。




