「ザルグェイアス」
カトルは、おそろしく強かった。
「はぁっ!」
腰に差した不思議な形の剣……刀というらしいが、それを抜き放つと同時に、ファイロウウルフが一撃で両断される。しかも、切られた箇所は数秒の後に落下し、血が飛び散らない。一瞬で、綺麗に真っ直ぐ剣を振り抜いている。
とはいえ、エカテリーナはそれをまだ直視できない。幼い上に、生き物を殺すということの意味を身を持って知ったばかり。無理からぬことだ。
とはいえ何もしないわけにもいかないので、カトルが戦う間、彼女は周囲に目を向けてカトルが目の前の敵に集中出来るよう努めていた。
「行こう、リーナ」
「う、うん……」
「どうした?」
エカテリーナには、モンスターを殺しながら森を進むという行為はまだ刺激が強かった。パニックを起こすことこそないものの、カトルがファイロウウルフを斬り殺す度に、どんどん元気が無くなっていく。
「あのね……私、命を奪うのが怖いの」
「…………」
「そうしないと、自分が死んじゃう状況なのは解るよ? その危険を、カトルに押し付けてることも……」
自分が生きる為でも、他の命を奪いたくない。……リーナ、それは無理なんだ。オレ達は、どうしたって食事として命を奪っていかなきゃいけない。
オレ達は、生きてる限り、自分の手を汚してないだけで、他の命を犠牲にし続けている。だからこそ、必死に生きなきゃいけないんだ。糧となってくれた命の為にも……。
(……なんて、まだ言えないよな……)
そんなこと、5歳の子供に解るはずもない。エカテリーナであればあるいは、ということもあるが……やはり、やめておく。説教なんて、する側が悩むくらいならやめておくべきだろう。
「オレのことは気にするな。ファイロウウルフは、オレにとってはさほど驚異じゃない」
とりあえず、気持ちを楽にさせるような言葉をかけてみる。多分、その内解るようになることだ。
「早く、ファイロウシエッタを見つけて、森を出……」
カトルは不自然に言葉を切る。視線を鋭く方々へ飛ばし、辺りをキョロキョロと見回す。
エカテリーナにも、それの気配は感じられた。地鳴りまでするのだから、気付けない方がおかしい。
木々をへし折り、なぎ倒しながら、その生き物は姿を現す。
「はは、うっそだろおい……こんなのいるなんて聞いてねえぞ……!」
「こ、これって……!」
カトルは引きつった笑顔を浮かべ、エカテリーナは驚きに目を見開く。
「ザルグェイアス……!」
青年から渡された本に載っていた。ファイロウの森に生息する肉食モンスターは3種類。ファイロウウルフ、ファイロウタランチュラ、そして、ザルグェイアス。
燃え盛るような紅い鱗に覆われた、全長8メートル以上あるであろう体躯。嫌でも目を引く、雄々しき2本の角。その四足の生物は、巨大なトカゲやワニというより、もはや龍そのもの。
ファイロウの森に1体が存在しており、5日間眠り続けて、1日行動するというサイクルを繰り返す。眠りを妨げた者、そして、起きている間に見つけた生物は片っ端から食い殺す、危険なモンスター。
「な、なあリーナ」
「な、なにかな」
「コイツ、オレ達に気付いてると思うか……?」
木々をなぎ倒した角に付いた葉を振り払うように首を振る。……そして、その目に2人の子供を捉える。エカテリーナと、バッチリ目が合う。
「気付いてる、かな。間違いなく」
「そうか、じゃあ」
ザルグェイアスが、天に向けて吠えた。ビリビリと空気を震わせるような咆哮だ。
「グオオォォォォン!」
「逃げるっきゃない! 走れリーナ!」
2人は逃げ出す。戦うなんてとんでもない。勝てるわけがない。ファイロウウルフなんかとは格が違う。大人ですら、殺されてもおかしくはないのだ。ザルグェイアスは、木々がまるで見えてないかのようにその身体で強引にへし折りながら突っ込んでくる。
「おいおいおいおい! なんだよコイツ無茶苦茶だろ!!」
「どうしようカトル!?」
木々を無理に折りながら追ってくるため、まだ逃げられない速度ではない。
「コイツ、スタミナに難があるってことは!?」
「どう見てもバテたりするタイプには見えないよ!?」
「ですよね!!」
必死に脚を動かしつつ龍から逃げているが、このままではマズイ。ザルグェイアスのスタミナが尽きるより先に、カトルとエカテリーナのスタミナが尽きる。
「一矢報いないと、追い付かれちまう!」
「イッシムクイルって何!?」
「えっと! ……つまり、ヤツの脚に傷をつけるってことだよ!」
「解った! 覚えとくね!」
サキュバスの幼女と、人間の子供は、自身の何倍もの大きさのモンスターに、傷をつけなくてはならない。
この時が、エカテリーナがファイロウの森に来てから2度目の命の危機。だが、独りではないからなのか、2度目だからなのか。彼女の心は、恐怖に支配されてなどいなかった。
生き残る為にザルグェイアスに立ち向かう決意が、自然と固まる。
「リーナ! 魔法が使えるんだよな!? なんの魔法が何回使える!?」
「シェイドが2回!」
「シェイドとは上々だ!」
ザルグェイアスはその速度を落とすことなく、バテる様子もない。対する子供2人は、もう既にバテてきている。そろそろ、覚悟を決めなくてはならない。
「オレが先に立ち止まって、ヤツの気を引く! シェイドで脚を撃ち抜け!」
「で、でも! 止まってる標的にも当てたことないんだよ!?」
「大丈夫だ! リーナなら出来る! オレが信じてるから! お前はオレの言葉を信じろ!」
「わ、解った!」
エカテリーナは、魔力の動きをイメージする。魔力の球を作って、形を固定して、狙って、撃つ。チラリと後ろを振り向く。今狙う的は、あの木材よりも遥かに大きい。大丈夫。出来る。出来る。出来る。そう、自分に言い聞かせながら。
「いくぞ! 3、2、1!」
カトルが脚を止め、腰の刀に手をかけた。身体に教え込んだ、居合い抜きの構え。彼は魔法は使えないが、魔力を使うことなら出来る。刀に、自身の魔力を注ぎ込んでいく。
(リーナでなくとも、オレが圧し斬れればそれはそれでっ!)
そんなもの、最初から期待はしていない。絶対にコイツに隙だけは作ってみせる。あわよくば、というだけだ。
ザルグェイアスが大きく口を開け、少年を噛み千切らんとする。少年は、引き付ける。ギリギリまで。牙が肉に食い込む寸前、カトルは刀を抜き放つ。
「圧し斬れぇぇっ!」
風を纏う刃が、巨大な牙と衝突する。風属性の魔力が刀にまとわりつき、斬れ味と強度を増幅させているが、ザルグェイアスの強靭な牙を断ずるには至らない。
だが、動きは止めた。いつかはこの程度のモンスターは一刀の下に斬り伏せる実力をつけなくてはならない。だが、今はこれで十分だ。カトルはザルグェイアスを逃がさぬ為に、魔力をさらに刀に追加しながら、叫ぶ。
「リーナ!」
10メートル程後方に、エカテリーナはいた。ここなら、ザルグェイアスが前足を振り上げても届かない。邪魔されることはない。
既に、準備は出来ている。あれだけ大きなモンスターにケガをさせるのだ。初めて手のひらに作っているそのシェイドは、普段のサイズの倍。つまり、シェイド2回分だ。蓄積魔力はほとんど残っていない。……失敗は許されない。
一息を吸い。
「いっけえぇぇぇぇぇ!!」
巨大な龍の脚に向けて、シェイドを撃ち込む。真っ直ぐに飛んでいったそれは、ザルグェイアスの右脚にぶつかり、弾ける。
「ガアァァァゥ!」
闇属性の魔力に当てられたその場所が空間ごと削り取られたかのように抉れ、バランスを失ったザルグェイアスが倒れ込み、痛みにのたうった。
「逃げるぞ!」
「あっ!?」
カトルに手を引かれ、エカテリーナは走る。とにかく、遠くへ。2人で走っていく。やがて、警戒心の強い草食モンスターの姿を見つけたことで逃げ切れたことを確信し、完全に息を切らしながら、子供達は仰向けに転がったのだった。




